俺の担当が霊媒師でした。
「……で、なんで俺がこんなことしてるんですかね、因幡先生」
カラオケルームの隅。
ソファに背を押し付け、メモ帳を握りしめた黒川才斗は、薄暗い照明の中で険しい表情をしていた。片方の黄色の瞳がピクピクと痙攣している。
一方、ステージのように設えられた部屋の中央で、和服姿の男が悠然と立っていた。
艶のある黒髪を一つに束ね、しなやかに揺れる着物の裾。手には一冊の文庫本……いや、どう見ても自主制作感あふれるコピー本。
因幡歩人は艶っぽい声で口を開く。
「ページ三十六、"彼女はそっとシャツのボタンに手をかけ——"ってとこが特に効くらしい。昨日の霊もこのあたりで成仏したし」
「効くとかじゃなくて、倫理的にどうかと思うんですよ!」
黒川が突っ込む。眼鏡の奥の瞳がギラリと光る。
が、因幡は涼しい顔のまま笑った。
「黒川、霊に倫理は通じないよ。エロの破壊力には勝てないってだけの話さ」
「いや、そんな風に割り切られても困るんですけど! ていうか、なんでカラオケなんて連れてきたんですか!」
「ああ……それはな」
因幡は本を閉じ、ソファへ戻る。そのまま煙草でも吸うような仕草で、顎に手を当てた。
「昨日の一人カラオケ、気晴らしのつもりだったんだ。そしたら、隣の部屋の幽霊に見初められたみたいでね。俺の十八番『官能ラプソディ〜喘ぎの小夜曲〜』が決め手だったのかも」
「いろいろツッコミどころが多すぎて……ていうかそのタイトルどうかしてますよ!」
「そう? 気に入ってるんだけど。で、家帰ったらさ、その霊がトイレで正座して待ってたんだよね」
「怖ッ……! いや、というかよくそれで冷静でいられますね!?」
因幡はにやりと笑った。
「まぁ、困ったんだよ。原稿に集中できないし。で、ふと気づいたんだ。幽霊って、エロに弱いんじゃないかって」
「どういう発想ですか……」
「試してみたら効果絶大。朗読一発で、昇天していったよ。そっちの意味でも、こっちの意味でもね」
「下品です!」
黒川は額を押さえて呻いた。
だが、その肩には今もなお、うっすらと冷気がまとわりついている。
彼は強い霊感を持っている——しかも、厄介なことに「好かれやすい」体質だった。
「で、俺が今回呼ばれた理由って……やっぱり今日もまた、憑いてるからですか?」
因幡は笑って頷いた。
「うん、肩に……たぶん五十代のおっさん霊。未練がエロに負ける典型タイプだね。朗読でいけるよ、たぶん」
「俺の肩にそんなタイプの霊ついてるって、どんな地獄ですか!?」
黒川の絶叫もむなしく、因幡はさっさと本を開いて読み上げる準備を始めていた。
「じゃ、いくよ——耳塞いでも無駄だからね?」
「勘弁してくださいほんとに!!」
こうして、官能小説家・因幡あるとと、霊感体質編集者・黒川才斗の、
奇妙な《霊×エロ×文学》コンビの活動が、静かに、そして少し下品に始まったのだった。
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「ーで、祓ってくれるんですよね?マジで、もう肩が重くてたまんないんですけど」
黒川は必死な形相で訴える。
眼鏡の奥で、オッドアイが切実に揺れていた。
一方の因幡は、なぜか本を閉じて、ふわりと立ち上がる。長い袖が揺れた。
「ん〜……祓って“も”いいけどさ」
「は?」
「ただでってわけにはいかないよねぇ」
「……なんすか、その“悪い商売人”みたいな口ぶりは」
因幡は扇子をぱちんと開いて、にっこり笑った。
「黒川、君って霊感強いじゃん。体質的に、これからも霊を引き寄せるの、避けられないと思うんだよね」
「……ま、まぁ……それは否定できないですけど」
「つまり、君は“リピーター確定”なわけ」
「やめてください、俺を商品みたいに言うの」
「だから提案がある。今後、俺が君の憑きモノを祓ってやる。その代わり——」
因幡は黒川の目の前まで歩み寄ると、ふいに覗き込むように顔を寄せた。
長髪がさらりと揺れて、和服の襟元から香がふっと香る。
「俺の“朗読除霊業”に、付き合ってもらうよ。編集者としても、助手としてもね」
「……は?」
「これから俺が霊媒師として活動するには、サポート役が必要なんだよ。受付、依頼人対応、状況把握、そして朗読の合いの手とか」
「合いの手!?」
「あと、ノリのいい“赤面反応”とか。あれ、エロの効果が倍増するんだよね。不思議なことに」
「ふざけてます!?完全にバカにしてますよね今!?」
黒川は勢いよく立ち上がったが、またズーンと肩に重みがのしかかって、ぐらりと足元が揺らいだ。
「……うぅ……こいつ……っ、笑ってる……背中で笑ってる感じする……っ」
「うん、笑ってると思うよ。けっこうノリのいいおっさん霊みたいだから。さ、どーする? 祓う? それともこのまま“おっさん付きの人生”を歩む?」
「………………」
黒川はしばし天井を仰いだのち、渋々うなだれた。
「……わかりましたよ。付き合いますよ……やればいいんでしょ、助手……」
「うん、いい子」
「撫でるな!!!」
にやりと笑った因幡は、改めて朗読本を開く。
そして、おもむろに艶めかしい声で語り始めた。
「"彼の熱い吐息が、うなじを撫でた瞬間——"」
「うおおおお、もうやめてくれ……!! 俺の羞恥心が先に成仏しそうだ……!」
室内にふわりと風が吹き、黒川の肩から“何か”がふっと抜けた気配がした。
因幡はふっと本を閉じる。
「はい、おっさん昇天完了」
「報告の仕方ぁぁぁ!!」
こうして黒川才斗は、自称官能小説霊媒師・因幡歩人の相棒として、
(半ば脅される形で)霊とエロスの間を彷徨う日々に巻き込まれていくのだった——。




