第八話 焦げたチョコクッキー
調理台の上には、昨日、買ってきたスイーツが、ずらりと並んでいる。
「わー、結構あるな、これ。全部食べたら絶対、太るで」
そう言いながら、ためらいなく手を伸ばして、ひと口頬張る。
「……あー、おいし。これ、昨日よりちょっと冷えてて、甘さ立ってるかも」
「俺たちは、凛々ちゃんみたいに一回食べただけで覚えられないからね」
銀平はニヤリと笑って、調理台の端にノートとペンを並べた。
「よし、食べ比べしながら書き出していこうか」
三人は椅子に腰かけ、スイーツを少しずつ試食しては、味の印象を書き留めていった。
“香りは開封時に強く、あとに続く渋みとのバランスが命”
“チョコガナッシュが、狭山茶の苦味を引き立てている構成になっている”
“甘味が強いと、狭山茶の魅力がぼやける”
「こうやって食べ比べると、見えてくるもんだな」
銀平が、ラング・ド・シャの欠片を、ぽりぽりと前歯でかじりながら、ぼそりと言った。
「次は、この特徴を、あたしら流にアレンジするで」
凛々子がチョコガナッシュを口に放り込んで笑った。
***
コンテスト本選まで、あと一ヶ月。
春巻副部長が『レシピ審査通過』の知らせを持って調理室に現れたとき、僕たちは思わず拍手した。
「やった!」
「いよいよ本選か~」
そんな僕たちをよそに――
「当然の結果です。われわれ星三つが考えた完璧なレシピですから。それより、レシピ通りにできなかった、なんてことにならないようにしてください」
と言い残して、さっさと出て行った。
銀平が、ぽつりと言った。
「完璧なレシピって、そのまま作ったら“普通”にしかならないだろ」
「変えられるところがないか、探してみるわ」
そう言って、凛々子がレシピを改めて読み直す。
調理時間、素材の合わせる順番、温度の管理、盛り付けの手順……。
僕たちは、変えられるものは全部見直して、何度も試作した。
「この温度調整、あと30秒短くすると食感が変わるな」
「でも香りの立ち方はこっちの方がいいかも」
「見た目の印象も重要やで。皿の縁、ちょっと揃え直してみよか?」
調理台の上では、時計とノートが並び、僕たちは何度も試食をしては微調整を繰り返していった。
しかし、何度、作っても、出来上がったスイーツは、どれも“既製品みたい”だった。
味は悪くない。見た目もそれなり。だけど、どこか決まりすぎていて、僕たちの色が出ていなかった。
「本選まで、もうすぐなのに、全然、決められない」
「くそっ、創作スイーツなら、もっと俺、上手くできるのに、なんで好きなもの作っちゃいけないんだ」
銀平が、悔しそうに呟いた。
「でも、もうレシピ提出しちゃってるし、勝手に変更するのはルール違反だよ」
そう言いながらも、その焦りに共感していた。
***
「毎日。こればっかりで、飽きたわ。あたし、銀平の創作スイーツ、一回食べてみたいな」
凛々子は、無邪気にそう言うと、銀平に近づいていく。
銀平は少し驚いたように目を丸くしたけど、すぐに「しゃあねーな」と笑った。
彼が料理を始めると、凛々子は彼の隣にぴったりくっつき、その手元をじっと見つめている。
「ちょ、近すぎ。邪魔だよ」
と言いながらも、銀平の口元はどこか嬉しそうだった。
そんなふたりを横目に、心の中が少しだけもやっとした。
──複雑だ。なんなんだ、このもやもやは。
銀平が焼き上げたスイーツを凛々子が一口食べて、にっこり笑った。
「……これ、星三つのレシピのヤツより全然、うまいやん」
「ま~な」
銀平が照れたように笑い、凛々子が隣でうなずく。
僕は、黙ってその様子を見ていた。「瑠璃ちゃんも、やってみる?」
銀平が、調理台の向こうで声をかける。
「ええ? あたしは別にええよ。料理、下手やし」
「作ったことないの? スイーツ」
「あたしが作れるのは、おむすびとたこ焼きだけや」
凛々子が肩をすくめて笑う。
「でもさ、バレンタインに手づくりスイーツとか……いいと思うよ」
銀平の一言に、凛々子の目が一瞬、輝く。
「うん。気持ち、伝わるってさ。手作りって」
「……う~ん」
「チョコクッキーなんて簡単だよ。教えるから」
銀平が、ボウルを差し出す。
凛々子は、ほんの少しだけ迷ってから、手を伸ばした。
「……じゃあ、ちょっとだけ。やってみようかな」
――バレンタインの手作りスイーツって、まさか、好きな人ができた?!
僕の胸に不安が広がる。
「まずは生地つくり、粉をふるいにかけて……」
凛々子がふるいに粉を入れる。銀平が後ろから手を添える。
──銀平、近づきすぎだよ!
思わず、声に出そうになって、慌てて口を押えた。
テーブルの周りを粉や生地だらけにしながら、何とか型抜きまでこぎつける。
銀平は、「後はオーブンで焼くだけだから」と言ってその場を離れた。
焼き上がったチョコクッキーは、見た目こそそれっぽかったけど――
銀平が一口食べて、顔をしかめる。
「……まあ、気持ちだけは伝わる……かな?」
「そんなにまずい?」
「焼き過ぎ!、炭化している」
凛々子が、顔を真っ赤にして「ごめん、タイマー、セット間違えた」と謝る。
僕も、黙ってそれを口に運んだ。
──焦げたクッキーの苦さに片思いの苦さが重なった。