第五十一話 言いかけた言葉
僕たちは、二階の調理室で救助を待つことにした。
気が付くと窓の外は、すっかり暗くなっていた。
調理室の空気は、嵐の音に包まれながらも、どこか静かだった。
「何か食べる?」
冷蔵庫を開くが、明日の仕込みをせずに切り上げたせいか、食材はあまり残っていなかった。
「もうすぐ救助がくるやろ。簡単なものでええで」
僕はお湯を沸かし、調理用チョコでホットチョコレートを作って凛々子にそっと渡した。
「ありがと」
凛々子が、カップを両手で包み込むように持ちながら、一口すすった。
「こんな風にしゃべるん、久しぶりやな」
僕は少し間を置いて、慎重に言葉を選んだ。
「……やっぱり……凛々子の言った通り、味見は必要だったよ」
凛々子が、ゆっくりと話し始めた。
「春巻副部長みたいになるって言ったときな……料理も味見も完璧になったら――もう、あたしが必要なくなるって思って……怖かった」
その声には、寂しさが滲んでいた。
僕は慌てて否定する。
「そんなことないよ」
「本当なんや。だから、『このままでええ』とか、『味覚音痴』とか言ってしまって――ごめん」
「ううん。僕も意地になってた。
でも、開店メニューの料理も全然、仕上がらない。やっぱり凛々子がいないと……」
「安太郎は、決められへんだけや。今まで、あたしが全部、決めてたから」
――確かにそうかもしれない。
彼女の言葉を受け止めながら、改めて、自分の優柔不断を思い知る。
凛々子は、少しだけ目を伏せて言った。
「副部長が言ってたように、安太郎はホンマに成長してると思う」
「まだまだだよ」
「微妙な味の違いも分かるようになってきてるやろ」
――たしかに、食材の新鮮さも、少し分かるようになってきている。
「でも……もし、本当にそうなったら、今度は、僕が凛々子に料理を教えてあげるよ」
「あたしにできるかな……」
「できるよ、絶対!」
「そのときは頼むわ」
凛々子は、自分を納得させるように言った。
調理室の空気が、やわらかくなる。
嵐の音はまだ続いていたけれど、二人の間には、静かな安心が流れていた。
***
外の風が、いっそう強くなり、窓がガタガタと鳴り始める。
突然、調理室の灯りがふっと消えた。
「停電か……」
僕はスマホを取り出し、ライトを点ける。
薄暗い光が、調理台と凛々子の顔をぼんやり照らした。
「……あたし、暗いのあかんねん」
凛々子が震える声で言う。
その表情は、いつもの彼女とは違って、どこか幼く見えた。
「大丈夫だよ。僕がいる」
僕はそっと声をかける。
凛々子は、震える手で僕の腕をぎゅっとつかむ。
その瞬間、窓の外で、閃光が走り、大きな落雷の音が響いた。
凛々子が驚いて、僕の腕にしがみつき、顔をうずめる。
小さな背中が震えている。
落雷は何度も続けて鳴り響いた。
凛々子は、その間、ずっとしがみついていた。
ようやく、雷が収まっても、凛々子は離れない。
「……あ~、こうしてるとなんか安心する」
彼女の髪から、ふわりと甘い香りが漂う。
僕の心臓が、一気に高鳴った。
気づけば、僕は凛々子を抱きしめていた。
「好きだ!」
その言葉が、口からこぼれた。
凛々子が驚いたように僕を押し返す。
「ごめん……でも、ずっと好きだった」
僕は、震える声でそう告げた。
***
凛々子は黙ったまま、僕の顔を見つめていた。
スマホのライトが天井を照らし、彼女の瞳に小さな光が映る。
そのとき、風の音に混ざって、遠くで呼ぶ人の声が聞こえた。
強い光の輪が窓の向こうを横切る。
「救助隊や!」
凛々子が叫ぶ。
僕たちは顔を見合わせ、喜びを隠せずに手を取り合った。
廊下に出て、窓からスマホのライトで合図を送りながら応える。
隣で、凛々子も手を振りながら大きな声で呼びかけた。
「よかった」
僕がつぶやくと、凛々子がそっと僕の手を握る。
その手はまだ少し震えていたけれど、温かかった。
「さっきの……ほんまに?」
凛々子が小さな声で聞く。
僕は頷いた。
「うん。ずっと、ずっと好きだった。中学校のときから」
凛々子は、照れくさそうに笑った。
「――驚いた。ありがとう、でも……」
何か言いかけたその瞬間、廊下の先から救助隊の呼ぶ声が響いた。




