第三十九話 副部長はヤワじゃない
春巻副部長の家に向かう日
僕は、鞄の中の封筒が気になって仕方なかった。
中身は見ていない。でも、部長のあの表情からして、ただの手紙じゃない気がした。
電車とバスを乗り継ぎ、高級住宅街の入り口にあるバス停で降りた。
副部長の家は、高台に広がる住宅街の一角にあった。
坂道の手前に春巻苑がひっそりと佇んでいる。
重厚な木の看板と格子戸が目に入る。
まるで、街の喧騒とは別の時間が流れているようだった。
「……お店やってへんのかな」
凛々子は、春巻苑を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
「食品偽装やったのってこの店だよね」
「まだ、調査中やって鷹爪部長が言ってたで」
「ごめん、そうだった」
僕は、そのちょっと苛立ちを含んだ言い方に、思わず身じろぎした。
報道関係者と思しき人々が数人、店の前に立っていた。
カメラを持ったまま、店の中の様子をうかがっている。
僕たちは、店の正面を避けて裏の道へ回った。
店の裏側の路地では、勝手口から冷凍車に食材を運び込んでいるのが見えた。
表通りにいたであろう報道陣たちが、急いで集まってくる。
僕は、ふとテレビの報道を思い出した。
“国産と表示されていた食材が、実際には海外産だった”――あの言葉が、頭の中で反響する。
段ボールには、むきエビ、豚バラ肉、青梗菜などと書かれていた。
どれも、街の中華料理店なら普通に使われる食材だ。
でも――春巻苑は、そういう店じゃない。
僕たちが知っている春巻苑は、食材の鮮度に徹底してこだわる、格式ある高級店だったはずだ。
だからこそ、冷凍のラベルが貼られた段ボールが、あまりにも場違いに見えた。
春巻苑を通り過ぎ、坂道を上っていくと、住宅街の空気が変わっていく。
静かで、手入れの行き届いた庭木と、塀の高い邸宅が並ぶ。
***
春巻苑を通り過ぎ、坂道を上っていくと、住宅街の空気が変わっていく。
静かで、手入れの行き届いた庭木と、塀の高い邸宅が並ぶ。
その一角に、副部長の家があった。
門構えは控えめだが、品が漂っており、敷地の奥に白壁の建物が見える。
僕がインターホンのボタンを押すと、すぐに応答があった。
「はい、春巻でございます」
落ち着いた女性の声だった。
僕は名乗り、言葉を選びながら伝える。
「春巻副部長が学校を休まれているので……お見舞いに伺いました。
それと、鷹爪部長からの言づてを預かってきています」
「少々お待ちくださいませ」
しばらくして、門が静かに開いた。
現れたのは、和装のお手伝いさんだった。背筋が伸びていて、所作が美しい。
「どうぞこちらへ」
僕たちは軽く頭を下げ、敷石の庭を進んだ。
玄関をくぐると、すぐに応接室へと案内された。
「ただいま、涼音お嬢様をお呼びいたします」
窓から差し込む光が、淡い色のカーテン越しに柔らかく広がり、空間全体に穏やかな明るさをもたらしている。
艶やかなローズウッドのローテーブルが中央に置かれ、その周囲には、革張りのソファーがゆったりと並んでいた。
凛々子は、腰を下ろすと、沈み込むような感触に目を丸くした。
「……なにこれ、沈むやん。え、めっちゃ気持ちええ……!」
背にもたれて、両手で座面をポンポンと叩きながら、きょろきょろと部屋を見渡している。
その様子は、まるで高級ホテルのラウンジに迷い込んだ子どものようだった。
僕は苦笑しながら隣に座り、視線を部屋の奥へ向けた。
どこかに、春巻副部長の気配が漂っている気がした。
「お茶をお持ちいたしますので、どうぞごゆっくり」
お手伝いさんが一礼して部屋を出ていくと、凛々子がぽつりとつぶやいた。
「……ほんまに、別世界やな」
僕は黙って頷いた。
***
ドアが静かに開き、春巻副部長が姿を現した。
学校で見慣れた制服姿とは違い、淡い藤色のブラウスに、品のあるロングスカートを合わせた装い。
髪はゆるくまとめられ、耳元には小さなパールのイヤリングが揺れていた。
僕は思わず立ち上がり、背筋を伸ばして深く頭を下げた。
「こっ、こんにちわ」
最敬礼に近いその動きに、副部長は少し目を見張り、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「いらっしゃい。わざわざありがとう。心配をかけてしまって、すまないわね」
「いえ、そんな。こちらこそ、急に押しかけてすみません」
凛々子が、椅子に座ったまま顔を上げて言う。
「元気そうやん、安心したわ」
「当たり前よ。そう簡単に倒れるほど、私はヤワじゃないわ」
「なんや学校でおるときより元気なんとちゃうか?」
副部長は、ふっと口元を緩めて答えた。
「あなたが、お皿を割る音を聞かずにすみますから。それだけでもストレスがなくなるわ」
凛々子は、口を尖らせて副部長を睨む。
副部長は、それを余裕の笑みで受け流す。
――とにかく、副部長が思った以上に元気で良かった。
ホッとした瞬間、今までの緊張が解けていくのを感じた。




