第三十話 メイド姿と名札の絵
まもなく、店のドアが開いた。
「おはようございまーす!」
元気な声とともに、女の子が勢いよく店内へ飛び込んできた。
明るい茶髪を揺らしながら、僕たちの姿に気づいて足を止める。
「あっ、新しいアルバイトの人?」
キッチンの奥から、鷲尾マスターの声が響いた。
「そう、いろいろ教えてやってくれ」
女の子は「はーい!」と返事をして、僕たちの方へ歩いてくる。
屈託のない笑顔に、人懐っこさがにじんでいた。
「前の子が辞めちゃって、忙しすぎて困ってたんだよね。助かったぁ~」
そう言いながら、凛々子の制服に目を留める。
「あれ? そのセーラーのライン……美味が丘の一年?」
凛々子が「そうやけど」と答えると、女の子は目を丸くした。
「えっ、私と同じじゃん! すごい偶然!」
嬉しそうに凛々子の手を取ると、「こっち、こっち!」と言いながらキッチンの奥へと消えていった。
***
鷲尾マスターがキッチンから声をかけてきた。
「君もこっちに来て」
キッチンに入ると、ステンレスの大きなシンク台が目に入る。その前の棚には調理道具が整然と並び、
食器棚には白い洋食器が光を受けて美しく輝いていた。
コンロでは、先ほどまで準備していたのだろうデミグラスソースが、ことことと静かに煮込まれている。
――すごい、これがビストロのキッチンか。
本格的なキッチンを見るのは初めてだった。
早くここで料理を作ってみたい。そんな希望に胸の奥が小さく高鳴った。
キッチンの脇を抜け、その奥のスタッフルームへ足を踏み入れる。
壁にはエプロンが整然と掛けられていた。
マスターは藍色のエプロンを手に取り、僕に差し出す。
「店の中では、これを着てね」
受け取ったエプロンは、しっかりとした布地で、胸元に小さく店のロゴが刺繍されている。
それから、棚から真っ白な名札を取り出し、「これに、名前と好きな絵を描いてね」と言って渡された。
僕は名札を受け取りながら、少し戸惑って聞いた。
「絵……ですか?」
「うちは海外のお客さんも多いから、字が読めなくても分かるようにしてるんだ。
それから、名前はひらがなでね」
マスターは「こんな感じで」と自分の名札を指さしてから、マジックペンを差し出した。
僕は名札を見つめながら、しばらく考える。
何を描こうか……
小さな白地の名札が、やけに広く感じられた。
***
エプロンをつけて、店内に戻る。
少し遅れて、凛々子たちが戻ってきた。
凛々子のメイド姿は、驚くほどよく似合っていた。
白と黒のコントラストが、彼女の凛とした雰囲気をいっそう際立たせる。
思わず見とれてしまい、その瞬間、凛々子と目が合った。
慌てて視線をそらす。
ドキドキが顔に出ていないか、ひやりとする。
女の子がマスターに話しかけた。
「この子たち、私と同じ美味が丘らしいですよ。知ってました?」
声が弾んでいて、嬉しさが隠しきれていない。
あらためて、女の子は自己紹介する。
「澪です。土筆澪。お客さんからはミオピって呼ばれてます。
二人は澪でいいよ」
名札には、つくしの絵と“みお”の文字。
なるほど、土筆だから、つくしの絵なのか。
続いて、凛々子が名乗る。
「あたしは、六味凛々子です」
名札には、百合の絵。
リリー=百合。だからこの花か。
でも、凛々子にしては妙に絵が上手い。多分、澪さんが描いたんだろう。
マスターが呼び方をどうしようかと迷っていると、
凛々子はさらりと、
「りりこでええよ」
と言った。
みんなの視線が、僕に向く。
「炊屋安太郎です。炊屋なので、ご飯の絵を描きました」
凛々子が名札を覗き込む。
「UFOかと思った」
場がふっと和んだ。
マスターが少し間を置いて、僕たちを見て言った。
「もう一人、キャストがいます。今日は休みですけどね。
ところで、君たちも美味が丘なの?」
僕はうなずいて答える。
「そうです。調理コース、調理部です」
その言葉を聞いた瞬間、土筆さんの表情がほんの少しだけ曇った気がした。
けれど、すぐに笑顔に戻る。
マスターが言う。
「じゃあ、キッチンが忙しいときは手伝ってもらおうか。
うちはビストロ風メイドカフェを目指しているから、料理の方も力を入れているんだ」
僕は「はい」と答えた。
緊張はあったが、断る理由も見つからなかった。
「あたしは、味見専門でお願い」
凛々子は肩をすくめて言った。




