第二十八話 杠葉の風に揺れて
宗一さんが、少しほっとしたような顔で言った。
「──まあ、これで、お母さんも、安心して入院できますね」
大女将は、きょとんとした顔で聞き返した。
「入院?なんのことどす?」
宗一さんは、戸惑いながらも続けた。
「お母さん、お医者さんと話してたじゃないですか。
次の夏までは持たないかも知れないって……」
「そやから、何が言いたいんどす?」
「……私も次に譲って綺麗に散りたいって、言ってはったやないですか」
その瞬間、大女将は急に笑い出した。
「それ、杠葉のことやないどすか?」
笑いながら、膝をぽんと叩いた。
「ゆずりは?」
みんなが声をそろえて聞き返す。
大女将は、笑いをこらえながら説明した。
「今年は、庭の杠葉の葉っぱが落ちるのが早うてな、ちゃんと新芽が出るかどうか心配で。
それで、樹医の先生に相談してたんどす」
広間に、ぽかんとした沈黙が流れたあと、ふっと笑いが広がった。
「おとうさん!」
笙子と琴乃が、同時に宗一を睨んだ。
宗一は肩をすくめて、苦笑いを浮かべる。
「いや、でも……病気じゃなくてよかったじゃないか。……な」
琴乃が、少し眉を寄せて言った。
「でも、じゃあ……おばあちゃん、声がかすれてたのは?」
大女将は、扇子を手に取り、目を逸らしながらぽつりと答えた。
「それは……組合のカラオケ大会で、あいみょんを歌いすぎたんどす」
「……あいみょん?」
一瞬の沈黙。
そして、広間に笑いが弾けた。
宗一は目を丸くし、笙子は思わず口元を押さえ、琴乃は吹き出しながら身を乗り出す。
「おばあちゃん、何歌ったん?」
大女将は、照れくさそうに扇子で顔を隠しながら、ぽつり。
「『マリーゴールド』どす……」
また、笑いが広がっていった。
窓の向こうの庭の杠葉が風に揺れていた。
***
僕たちは、玄関先で大女将、笙子さん、宗一さんに見送られながら、料亭を後にした。
鷹爪部長が、深々と頭を下げる。
「皆さん、いろいろと、ありがとうございました」
僕たちも、声をそろえてお辞儀をする。
「ありがとうございました」
そのとき、笙子さんがふいに僕の傍に寄ってきて、小声で囁いた。
「凛々子さんにフラれたら、いつでも来てください。うちは大歓迎どす」
横にいた琴乃さんが、顔を真っ赤にして言う。
「もう、お母さんたら……!」
僕も戸惑って、視線のやり場に困った。
前を歩いていた凛々子が、ふと振り返って、不思議そうな顔で僕たちを見る。
僕は、さっと琴乃さんの傍を離れた。
部長が、僕にほほ笑む。
「このミッションも、無事にクリアだね」
「でも、凛々子は、どうなるんですか?」
「凛々子くんかい? 彼女は絶対味覚保持者ってだけで十分だよ」
「それって、試されているのは、僕だけってことですか?」
「う~ん、君たち二人かな。それと君たちの仲間になってくれそうな人かな」
「……教えてください。プロジェクトって一体、何なのですか?」
「まだ、全部の舞台が揃っていないんだよ。期待されすぎても困るから、用意ができたら話すよ」
「わかりました」
部長の言葉で、謎のプロジェクトを、少しだけ前向きに考えるようになった。
***
学校に戻って、僕と凛々子はいつものように皿洗いに戻った。
水音だけが、静かに流れている。
僕は、ふと口を開いた。
「……今度の日本料理のコンテスト、エントリーしてみようと思ってる」
「琴乃と一緒に出るんか」
「いや、一人で、やってみたいんだ」
凛々子は、皿をすすぎながら、ふっと笑った。
「わかった。がんばりや、応援してるで」
その言葉が、背中を押してくれるようだった。
結局、エントリーしたのは琴乃さんと僕の二人だけ。
校内選考が行われ、結果は──琴乃さんの圧勝だった。
凛々子が、ぽつりと言った。
「見た目は安太郎が勝っとったけどな」
僕は、笑って首を振った。
「でも、満足してる。やりきったから」
数日後、調理室に声が響いた。
「琴乃さんが──本大会で優勝したって!」
僕と凛々子は、顔を見合わせて、声をそろえた。
「やった! 琴乃さん、おめでとう!」
水音の向こうで、笑顔が広がった。
やっと第四章を書きあげることができました。
ここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。
明日から新章です。頑張ります。




