第二十七話 伝統は変えて行くもの
広間の空気が和らいでいる今のうちに、昨日、琴乃さんと決めたことを伝えなくては── そう思って、僕は真剣な面持ちで大女将に向き合った。
「……あの、実は──」
喉が乾く。言葉がうまく出てこない。
緊張で声がこわばり、自分でも情けないと思うほど頼りない声だった。
その瞬間、隣に座る琴乃さんが、はっきりと言った。
「その料理、うちが作りました」
僕がまだ躊躇しているのを見て、迷いなく口を開いたのだ。
慌てて、追いかけるように言葉を継いだ。
「すみません、僕は見てただけです。……でも、金柑を入れたのは僕の提案です」
大女将に「やりすぎ」と言われた金柑は、琴乃さんのせいじゃないと言いたかったが、かえって言い訳ようになってしまった。
大女将は、しばらく二人の顔を見比べていたが、やがて琴乃さんに目を向け、静かに尋ねた。
「──なんで、そないなことを?」
琴乃さんは、少しだけ息を吸い込んでから答えた。
「安太郎さんと相談して……料理で、うちの気持ちを伝えようって思ったんです」
その声は、わずかに震えていた。
「うち……おばあちゃんにも元気でいてほしいし、雪月花も、大切に守っていきたいと思ってます」
大女将は、静かに問いかける。
「──それが琴乃の気持ちなの?」
琴乃さんは、少しだけ目を伏せてから、まっすぐ顔を上げた。
「うち、料理が好きや。雪月花も好きや。だから……料理で、雪月花を守りたいんです」
大女将は、椀に視線を落としてから、ぽつりとつぶやいた。
「──それで、この料理を?」
琴乃さんは、こくりと頷いた。
「その気持ちを料理に込めて、伝えようって……安太郎さんが言ってくれたんです」
その言葉には、迷いがなかった。
「うちは……女将やなくって、板前として、雪月花を守りたいんです」
琴乃さんは、必死に訴えた。
その声は、広間の空気を震わせるほど、まっすぐだった。
***
大女将は、ふっと目を細めて微笑んだ。
「──その気持ち、しっかり伝わりましたえ」
琴乃さんは、緊張が解けたのか、泣きながら笑っていた。
その表情には、安堵と喜びが入り混じっていた。
宗一さんが、ぽつりと漏らす。
「しかし、琴乃が……そんなことを考えていたやなんてな……」
驚きと、少しの戸惑いが混じった声だった。
大女将は、宗一さんをまっすぐ見据えて言った。
「あなたは気づいてへんかったのどすか、父親やのに」
宗一さんは言葉に詰まり、笙子さんの方を振り向いた。
「……お前は、知っていたのか?」
「当然です。いつ言い出すか、待っていました」
笙子さんは、涼しい顔で、目だけが静かに笑っていた。
大女将は、出された椀をもう一度見てから、琴乃さんに向き直る。
「それやったら、もっと気張って勉強せなあかんな。
今のままでは、うちでは、まだ使えまへんで」
その言葉は、厳しくも、やさしかった。
琴乃さんは、嬉しそうに「はい」と頷いた。
大女将は、鷹爪部長と春巻副部長の方へ向き直り、深々と頭を下げる。
「──琴乃を、よろしくお願いします」
鷹爪部長と春巻副部長も、静かに頭を下げた。
「……そやけど、そんなら次の女将はどないするんですか?」
宗一さんの心配に大女将は、少しだけ笑って答えた。
「そんなん、あんたと笙子と相談して決めたらええ。
言いましたやろ──伝統は、変えていくもんやて」
***
大女将は、今度は僕の方を見て、ふっと目を細めた。
「安太郎さんも、いろいろありがとうございました」
そう言って、静かに頭を下げる。
不意のお礼に、僕はドギマギしながら慌てて頭を下げた。
「そんな……僕も、いろいろ勉強させてもらって……ありがとうございました」
大女将が、くすっと笑って言う。
「偽のお婿さん役……たいへんどしたやろ」
──やっぱり、ばれていた。
耳たぶまで赤くなっているのが、自分でもわかる。
「えっ、偽物って……どういうこと?」
凛々子が驚いた顔で僕の方を見る。
「……ごめん」
小さく謝ると、凛々子はしばらくぽかんとしていたが、
やがて何かを理解したらしく──
「なんや〜、そうやったんか〜」と、力が抜けたように後ろへのけぞった。
その姿が、広間中にやわらかな笑いを運んだ。




