表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/52

第二十六話 湯葉椀勝負の行方

料理対決の日。


僕と琴乃さんは、ある決心を胸に秘め、厨房へ向かった。


――料理には真摯に向き合え。


湯鍋の前で、鷹爪部長のあの言葉をもう一度胸の中で繰り返す。


何も考えるな。料理に集中しろ──。


僕は豆乳を火にかけ、隣で琴乃さんが鰹節を削り出す。


やがて料理を仕上げ、この前と同じ広間へ入った。

あの時と同じ顔ぶれが、すでに揃っている。


静かな緊張が漂う中、まず最初に、栄介と凛々子が作った椀が配られた。


湯気がゆらゆらと立ちのぼる器を前に、鷹爪部長が箸を取る。

一口、口に運ぶと──


「……これは、まさに雪月花の味だ」


部長は目を閉じ、いつものように食レポを始める。


「春の香りが鼻をくすぐり、夏の余韻が舌に残る。秋の深みが広がり、冬の静けさが──」


「部長、それくらいにしておきましょう」


春巻部長が苦笑しながらたしなめる。

鷹爪部長は、ばつが悪そうに咳払いをして箸を置いた。


大女将も静かに椀を手に取る。


「……たしかに。これは、雪月花の味そのものですね」


場が静まり返る。


大女将は椀を置き、ゆっくりと口を開いた。


「この味は、まだ栄介には無理や。──凛々子さん、味見、しはりましたか?」


凛々子は少し首を傾げ、悪びれずに答える。


「えへっ、バレましたか」


僕を見て、得意げに笑った。

凛々子なら、雪月花の味を完璧に再現しているはずだ。


──負けた。


そう思った瞬間、胸の奥がじわりと冷たくなった。




***




大女将は、凛々子の方へ向き直した。


「凛々子さん──伝統を、勘違いしてはいけまへん」


その声は、静かでありながら、芯のある響きだった。


「同じものを作るのなら、少し練習すれば誰にでもできます。

けれど、残すところは残し、変えるところは変えることで……伝統は受け継がれていくんです」


「……」


「真似している間は、真の料理人とは言わしまへん」


場が、しんと静まり返る。

凛々子は、少しだけ目を伏せ、それから背筋を伸ばした。


「……はい」


その返事は、素直で、まっすぐだった。


大女将は、今度は栄介の方へ向き直る。


「栄介──あんたは、何と勝負してたんや?」


声は穏やかだったが、その奥に揺るぎない意志が感じられた。

少しだけ声を低くして、言葉を続ける。


「勝負にこだわりすぎて、料理人として一番大事な──自分の舌を信じへんなんて。 そんなこと、絶対あってはなりまへん」


栄介は、悔しそうに下を向き、唇を噛んだ。

膝の上に置かれた手が、わずかに震えている。


その姿を見ながら、僕は拳をぐっと握った。

大女将の言葉は、栄介だけに向けられたものじゃない。




***




「さて──次は、こっちどすな」


大女将は、僕と琴乃さんの作った椀をそっと持ち上げた。

蓋を開けた瞬間、湯気が立たないことに、わずかに眉を上げる。


「……冷製、どすか?」


僕は緊張を押し隠しながら答えた。


「はい。大女将さん、喉を傷めているようでしたので……

熱いより、こちらの方が飲みやすいかと思いまして」


しばらく僕の顔を見つめていた大女将は、ふっと目を細めた。


「──それは、おおきにさん」


そして、椀に口をつける。

ひと口飲んだあと、静かに間を置き、ゆっくりと口を開いた。


「……味は、そこそこやけどな」


僕と琴乃さんは、思わず背筋を伸ばす。


「せやけど──料理人にとって一番大切なこと。

食べる人への心遣いは、ちゃんと感じさせてもらいました」


そう言って、微笑む。

その笑みは、厳しさの奥に確かな温かみを宿していた。


「──でもな。柚子を金柑にするのは、やりすぎどす」


その一言に、場がふっと緩む。

凛々子が肩を震わせ、笑いをこらえる。


僕も、つられて苦笑した。


やがて広間に、やわらかな笑い声が広がっていく。

その笑いの中に、ほんの少しだけ、救われた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ