第二十五話 守りたい想い、かなえたい想い
琴乃さんの「はっきり言えたらいいのに」という言葉が頭に残って離れなかった。
何か別の話題を探そうとして口を開いた。
「でも、琴乃さんもすごいですよ。一年生で唯一の星三つの保持者じゃないですか。料理、どこで習ったんですか?」
琴乃さんは、少し驚いたように僕を見てから、静かに答えた。
「父からです。父は甘くて、なんでも好きにやらせてくれる人で……その分、母は厳しくて。女将になるようにって、礼儀作法をずっと教えてくれました」
僕は、思わず感心してしまった。
「だから、料理も礼儀もちゃんとしてるんですね……すごいです」
琴乃さんは、少しだけ目を伏せて笑った。
その笑顔は、どこか誇らしげで、でも少し寂しそうにも見えた。
胸の奥で、聞くべきかどうか一瞬ためらいながらも、僕はつい調子に乗ってしまった。
「……あの、栄介さんのお父さんが言っていた『あのこと』って、何ですか?」
言った瞬間、しまったと思った。余計なことを聞いたかもしれない。
琴乃さんは、湯呑みを両手で包みながら、少しだけ間を置いて答えた。
「実は、うち、中学のとき栄介さんに告白されました」
「えっ!」
「でも、そんな気はないし、うちのしきたりもあるって断ったんです。そしたら、雪月花で一番になるって、ここに来たんです」
「それじゃ、一番になったら……」
「あほらしい。いくら腕がよくても、好きでもない人を婿にするなんてありません」
その言葉を聞いて、僕はなぜかホッとした。
***
湯呑みを盆に戻し、ぽつりと口を開いた。
「……今度のこと、巻き込んでしまってごめんなさい」
「うん。あっ、いえ、僕も料理の勉強になってますし……」
琴乃さんが、急に何かを背負ったような顔で言う。
「……でも、おばあちゃん、声も枯れてるし、この前よりも元気がなくなってきていて」
元気づけたかった。
けれど、言葉が喉の奥で固まってしまう。
「うち……おばあちゃんを安心させたい。でも、ほんまにこれでええのかって思うんです」
琴乃さんの声が、わずかに震えていた。
その目は、湯気の向こうの遠くを見ているようだった。
「雪月花のことは、守りたい。でも……」
琴乃さんの言葉が途切れる。
胸が苦しくなった。
嘘をついていることが、急に重くのしかかってくる。
「だったら……いっそ、本当のことを」
喉まで言葉が出かかった、そのとき――
「そうやない……そうやないんです」
琴乃さんが、絞り出すような声で言った。
僕は息を呑む。
「雪月花のことは守りたい」
「……」
「でも、それは……女将やのうて、料理人として」
その言葉は、涙に濡れていた。
僕は、そっと問いかける。
「……琴乃さん、板前になりたいの?」
琴乃さんは、黙ったまま、小さくうなずいた。
その姿はあまりにも静かで、まるで言葉の代わりに沈黙で答えているようだった。
***
「だったら、なおのこと……本当のことを言ったほうが」
僕の言葉に、琴乃さんは首を振り、こちらを見つめて震える声で言った。
「これ以上……おばあちゃんに心配かけたくないんです」
「でも、このままじゃ、琴乃さんが……」
「それに……そんなこと言ったら、お母さんやお父さんにも迷惑かける。
うち、そんなの……嫌です」
最後の言葉は、息が詰まるように途切れた。
そして僕の腕に額を押し付けるようにして、琴乃さんは泣き出した。
かける言葉が見つからず、僕はただ、その肩が小さく震えるのを見ていた。
そのとき――
「安太郎〜、ちゃんとやってるか〜」
厨房の扉が開き、凛々子の声が響く。
振り向いた僕の視線の先で、凛々子が立ち尽くしていた。
一瞬、目が揺れたのが分かった。
「りっ、凛々子、これは──」
言い終える前に、凛々子は何も聞かず、厨房から飛び出していった。
完全に、誤解された。しかも、最悪のタイミングで。
心臓が、きゅっと縮まった。




