表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/52

第二十四話 湯気の向こう側

厨房の隅を借りて、琴乃さんに湯葉の作り方を教えてもらう。


「お豆腐屋さんから買ってくるところもあるけど、うちでは豆乳から作ってます」


そう言って、琴乃さんは湯鍋の前に立った。

豆乳の表面に、湯気とともに薄い膜が静かに広がっていく。

それを、竹串でそっと汲み上げる。

動きに一切の無駄がなく、まるで舞を見ているようだった。


「……すごい」


思わず声が漏れる。

見よう見まねでやってみるが、膜はすぐに破れたり、うまくすくえなかったり。

何度やっても、まともな形にならない。


「へたくそ」


背後から、栄介の声が飛んできた。

思わず手を止め、振り返ると、腕を組んでニヤついている。


「お前は自分の仕事をしろ!」


二番板を任されている栄介の父親が、鋭く叱った。

栄介は舌打ちし、慌てて持ち場に戻っていく。


「すんません、お嬢さん。あいつ、まだ、あのことを諦めきれんで……」


「……」


「わしから、よう言い聞かせますよってに、堪忍してください」


栄介の父親は、そう言って深々と頭を下げた。


琴乃さんは、首を振る。


「かましまへん」


――あのことって、いったい?




***




「椀物のお出汁だしですけど、京風は薄味どす」


湯気越しに、琴乃さんの声がやさしく響いた。

その声音は、湯葉のように柔らかかった。


「安太郎さん、作ったことありますか?」


僕は、少しだけ間を置いてから答えた。


「……作ったことは、あります」


けれど、最後の味見はいつも凛々子にしてもらっている。

それを口にするのが、なぜかためらわれた。


琴乃さんは、僕の言葉の奥を見抜いたように、ふっと微笑む。


「お味見は、うちがさしてもらいます」


その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなり、思わず息をゆっくり吐いた。

言葉にしなくても、伝わるものがあるのだと思った。


僕は、朝食に出された湯葉の椀物を思い出しながら、なんとか手を動かす。

昆布と鰹の出汁に、薄口醤油と酒をほんの少し。

それを湯葉の椀に張り、ゆずを添える。


「味は、どうですか?」


琴乃さんは、箸先で湯葉をすくい、口に運んだ。

しばらく目を閉じて、味を確かめる。


「……もう少し、うすい方がええかもしれません」


僕は軽く笑みを浮かべ、うなずいて鍋に向き直る。

出汁を少し引き直し、醤油を控えめに。

湯葉がふわりと浮かぶよう、そっと出汁を注ぐ。


琴乃さんの助言が、僕の手を導いてくれるようだった。




***




厨房の隅で湯葉の鍋を火から下ろしたところで、琴乃さんが盆に湯呑みを二つ載せて戻ってきた。


「少し休憩しましょう」


「ありがとうございます」


湯呑みから香ばしいお茶の香りが立っている。


「さすがは安太郎さん。もう、ちゃんと湯葉を汲み上げられるようになるなんて……やっぱりすごいです」


僕は手を拭きながら、少しだけ首を振った。


「いや、まだまだです。少し気を抜くだけで、すぐに破れてしまいます。繊細で、気まぐれで……僕にはまだ、扱いきれないです」


琴乃さんは湯呑みに口をつけながら、僕の顔を見た。


「あの〜、ちょっと聞いてもいいですか」


「何を……ですか?」


「えっと、その……凛々子さんとは?」


僕は、鍋の湯気を見つめながら答えた。


「あいつ、中学生のときに大阪から転校してきて……それで、知り合いました」


「あっ、その……関係とか……」


「えっ?違いました?」


「いえ、いいです。聞きたいです。続けてください」


「最初は、うちの食堂に来てくれて。定食を食べながら、食材を全部言い当てたんです。出汁の種類まで。びっくりでした」


「やっぱり、すごいですね……凛々子さん」


「それから、ちょくちょく話すようになって。同じ美味が丘学園を目指してるって知って……一緒に受験勉強、頑張るようになったんです」


言いながら、なんだか懐かしくて、少しだけ口元が緩んでしまった。

そんな僕を見て、琴乃さんがぽつりとつぶやく。


「……凛々子さんの話をしてるときの安太郎さん、楽しそうです」


はっとして、思わず顔が熱くなるのを感じた。


「え、いや……そんなこと……」


はっきり言えずに言葉を曖昧にした僕に、琴乃さんは湯呑みを見つめながら、静かに言った。


「うちも……あんなふうに、何でも言えたらいいのに」


その声は、湯気の向こうに溶けていくように静かだった。

何か言おうとして、でも言葉が見つからなくて、ただそっと彼女の隣に座っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ