第二話 翔べない飾り鶴
──料理部の入部試験会場。
その日の調理室は、特別な緊張感に包まれていた。
ステンレスの調理台は磨き上げられ、冷たい光を放っている。
その前に、ずらりと並んだ入部希望者たち。五十名近くはいるだろうか。
高校料理界の名門――美味が丘学園調理コースには、全国から料理自慢の生徒が集まる。
その中でもトップクラスの実力者しか入部できないのが料理部だ。
希望者は試験の成績によって、『星なし』から『星三つ』までの四段階に振り分けられる。
――緊張する。
僕はエプロンの紐を何度も結び直した。
真新しい調理帽がどうにも似合っていない気がして、落ち着かない。
「そんなことで動揺してたら、星なんて取られへんで」
「……だ、大丈夫だって。僕だってポタージュとコンソメの違いくらい分かるから」
「せやな。後は自分が作ったときの材料を思い出して書いとけば、大きくは外れへんやろ」
「うん、頑張る。凛々子も頑張って!」
「あたしは大丈夫や。ちゃんと秘策があるから」
「秘策って、なんだよ……?」
「しっ、始まるで」
***
新入生の前に、試験官役の部員が現れる。
「ようこそ、新入生の皆さん。これより入部試験を開催いたします。
──入部試験は二つ。
一つ目は『味覚試験』。
これから配るスープを飲んで、使われている食材を答えていただきます。
二つ目は『技術試験』。
キュウリを一本お渡ししますので、自身の持てる技術と美意識で自由に飾り切りを行ってください。
制限時間は十五分間。よろしいでしょうか」
スープとキュウリが、順に新入生たちの前へ配られていく。
「配り終えたようですね。調理とは、技術と感性の融合――では、皆さん、始めてください」
試験官の号令とともに、一斉に受験者たちが動き出す。
静かな会場に響くのは、スープをすする音と包丁の小気味よい音だけ。
――このキュウリの大きさなら、細工は四点……いや、五点はいける。
ペティナイフを手に取り、さっそく作業に取り掛かった。
隣の席では、凛々子が猛烈な勢いで答案用紙を書き込んでいる。
時計の針が残り時間を刻む音が、やけに耳につく。
僕は焦りを抑えながら、なんとか最後の細工を仕上げた。
隣の凛々子は、すでにすべての作業を終えたようで、余裕の笑みを浮かべていた。
――残り一分か。
時計を確認しながら、そっとスープをすくって口に運ぶ。
舌に広がる味は、ぼんやりとした輪郭しか掴めない。
魚か……いや、貝? 味付けは塩と胡椒だけ? 分からない。
頭の中が真っ白になる。
答えを捻り出そうと必死に書いた文字は、自分でも情けないほど頼りなかった。
***
「終了です。皆さん、ペンと包丁を置いてください」
試験終了の合図が響いた。
「では、これより審査を開始します。春巻副部長、お願いします」
そう呼ばれた女生徒は、椅子から立ち上がると、長い髪を手際よく調理帽の中に収めた。
数名の審査委員を伴い、静かに作品を見て回る。
――あの人が、春巻涼音副部長か。
学園のPR動画に映っている姿より、実物はもっときれいだった。
審査員たちは、一人ひとりの作品に目を走らせながら、星の数を告げていく。
「星なし」
「星なし」
「なし」
「なし」
次々と落とされる星の数。
さっきまでの調理室の熱気が、一気に冷えていくのがわかった。
「なしってことは、センスなし、ってことやろ? 三年間ずっと皿洗いやらされて卒業って……地味すぎんか」
「あぁ、だから、ほとんど一ヶ月も経たないうちに辞めていくらしい。まっ、要は足切り試験って訳さ」
「せめて、二つや。星二つなら料理作れるからな」
ちらほら、諦めが口から漏れている。
***
僕の番になった。
審査員が、僕の作品をじっと見つめる。
「この短時間に……五つも?」
「松に亀鶴――造形がまるで生きているようだ。しかも花と流水のバランスも見事。上品ですね。よく磨かれている」
その言葉に、僕は思わず心の中でガッツポーズを決めた。
――よし、飾り切りは手応えありだ。星三つも夢じゃ……ないかもしれない。
「次は味覚試験の解答です」
審査員が僕の答案に目を落とす。
手が一瞬止まった。
「『魚、貝、塩と胡椒、水、たぶん』……?」
審査員の一人が小さくため息をつき、春巻副部長に答案を差し出す。
「春巻副部長、こちらを」
「『たぶん』? なんですか、これ。小学生でも、もっとましな答えを書きますわよ」
会場に、クスクスと笑いが漏れる。
顔がじわりと熱を帯びた。
「でも、包丁さばきは良さそうだし、下ごしらえには使えそうね。星一つ」
包丁さばきは星三つ級。
味覚は……星どころか星屑。
――僕の中で、飾り細工の鶴が首を垂れた気がした。