第十九話 京都への誘い
料理部の部室。
窓から差し込む朝の光が、白いテーブルの上で静かに反射している。
僕は、調理服の胸に付けた星が二つ並んだ記章を、指先でそっとなぞった。
──星が、二つになった。
コンテストのレシピ会議にも参加できるようになった。
壁には歴代コンテストの優勝メニューがずらりと並び、その中に自分の名前が刻まれる未来を思い描くと、胸の奥が熱くなる。
ペンを握る手にも、自然と力がこもった。
「次の大会のテーマは──“日本料理”です」
鷹爪部長の声が静かに響き、部室の空気がわずかに張り詰めた。
西洋料理や創作系が多い美味が丘の傾向からすれば、これは異例だ。
「伝統を守りつつ、現代の感覚も取り入れてほしい。
たとえば、夏の食材を使った懐石風の構成とか。
茄子、トマト、鰆、鱧──季節感を大事に」
僕はひたすらメモを取る。
茄子は田楽にしてもいいし、揚げ浸しも映える。
トマトは意外と和食にも合う──出汁と合わせれば酸味が引き立つ。
鱧は……骨切りが鬼門だ。
どれも、うちの店で扱ったことがある食材だ。
――この大会には絶対に出たい。
隣の席の凛々子は、何やらスケッチをしている。
――レシピの図案か? 日本料理は見た目も大切だからな。
「それ、何描いてるの?」
「“怒ったなすび”。それで、こっちが“泣いてるトマト”」
――違いが分からない。どっちも河童の顔に見える。
「うん。でも、怒ってるなすびって、煮ると優しくなる気がしない?」
「……しない」
なぜ怒っている? なぜ泣いている? 感性が独特すぎる。
僕は視線をノートに戻す。
星二つになったんだ。
もう少し真面目にやってくれよ……と、言えたら楽なんだけど。
****
「部長、ありがとうございました。何か質問がある人はいますか?」
春巻副部長が会議を締める。
僕は小さくため息をつき、ノートを見直した。
懐石、出汁、包丁技──まだまだ知らないことばかりだ。
もっと詳しくなりたい。もっと、正式な日本料理を深く知りたい。
手を挙げようとした瞬間、それを制するように声が飛んだ。
「あの~、出場メンバーって決まっていますか?」
小さく弱々しい声だったが、静まり返った会議室にははっきり届いた。
黒髪ショートの小柄な女子。大きな瞳が印象的だ。
「美味が丘は本格的な和食の経験が少ないから、今回は一チームのみにしようと思う。
希望者は、いつものようにエントリーシートを提出してください。
複数の場合は、部内で予選を行うことになります」
部長の言葉に、会議室の空気が一気に張り詰めた。
「南禅寺琴乃が出るのか……じゃあ、もう決まったようなもんだ」
「なにせ、今年の入部試験で唯一“星三つ”を獲得した天才。
それに、京都の老舗料亭“雪月花”の一人娘。勝てる気がしない」
もう出場者が決まったかのような雰囲気に包まれ、
とても僕が質問できる状況ではなくなった。
「会議も終わったようやし、あたし、先行くわ」
凛々子はそう言ってノートをかばんにしまい、そそくさと出て行ってしまった。
――出たかったな。
そう思いながら、必死に書き込んだノートをじっと見つめていると──
「すみません、炊屋さんですよね?」
後ろから声がかかった。
「入部のときの飾り包丁の試験、一番だった人ですよね」
「え……あ、はい。そうですけど……」
星三つの保持者に“一番”って言われるなんて……胸が熱くなる。
けれど、どうして急に話しかけてきたんだ?
僕、琴乃さんと話したことなんて一度もないのに。
「炊屋さん、この大会、いっしょに出てくれませんか?」
「……え?」
頭の中が一瞬真っ白になった。
確かに、この大会には出たい。
でも、僕が琴乃さんと一緒に……?
「えっと……それって、どういう……」
胸の鼓動が急に早くなり、頭の中がざわついた。
***
「あの、それで──京都に一緒に行ってもらえませんか」
「京都……ですか? ――えっ! 京都!!」
「大会に向けて、実家で練習をしたいんです。“雪月花”で。だから、京都まで同行してほしいんです」
展開が速すぎて、頭が追いつかない。
「琴乃くんの実家は、京都の“雪月花”だったね」
すぐ後ろから鷹爪部長の声が飛んできた。
いつの間に立っていたのか、この人のタイミングはいつも完璧すぎる。
「安太郎くん、勉強になるから行っておいで。旅費は部から出すよ」
「えっ、あ、はい……」
成り行きで返事をしてしまったが、心はまだ混乱の渦中だ。
“雪月花”──京都の老舗料亭。
その娘が僕に声をかけ、今度の大会に一緒に出ようと言い、さらに京都に同行してほしいと頼んでいる。
大会に出られるのはうれしい。日本料理を学べるのも魅力的だ。
……でも、何がどうなっているのか、さっぱり分からない。
春巻副部長も、いつの間にかそばに来て腕を組み、ため息をついた。
「まったく、部長は甘すぎますわ」
だが、その口調に否定の響きはない。承諾、ということらしい。
「星二つになったばかりの部員が、いきなり“雪月花”ですか。恥をかかなきゃいいけど」
何か言い返そうと思ったが、言葉が出てこなかった。
とりあえず皿洗いに戻る。
星二つでも、皿洗いは続く──それが僕の現実だ。
水を流しながら、凛々子に声をかけた。
「週末、京都に行くことになった。南禅寺さんの実家の料亭に。日本料理の勉強」
「ふーん」
それだけの返事──のはずだった。
ガッシャーン!!
直後、凛々子が手を滑らせて皿が床に飛び散った。
乾いた破片の音が、いつも以上に鋭く響き、部室の空気が一瞬止まった。
まるで、感情ごと叩きつけたように。




