カエルの王国
都会から田舎へ居を移した一家の幼い子ども達の経験した物語りです。
筆者が山形へ行ったときに、田園部で見かけたカエルだらけの光景から物語の原型を思い浮かべ、物語りとなしました。丁度風の谷の…は封切られた頃ですから、相当前のことです。思い立って以来、少し書いてはしまい込み、少し書いてはしまい込み。何とか完成はさせた物の、さて世に出すことかなう物なのか?そんな風に思って居ましたが、何とか夢かないました。
少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
雪を頂く山々に囲まれた緑の盆地、
都会を遠く離れた田舎のとある所にその王国はあった。
王国とは言っても彼方まで続く田んぼと
ちょっとした草むらがあるだけで、
用水路の銀色の水がその中をぬうように走っている。
田んぼの中を時折通り過ぎて行く風が、
さざめくように稲の葉を揺らしている。
その有様は、まるで海のようだった。
周りの畦や草むらには、猫ジャラシやツユクサやヒエ、
それに名もない草達が沢山生い茂っていて、
田んぼの稲と背の高さを競っている。
そんな中に彼らは居た。
人の膝くらいの高さに生えそろっている草むらに、
群れなすように居たのは、
明るい緑色したちっぽけなアマガエルだった。
彼らはゆらゆら揺れる草の葉の間から、
つぶらな瞳で空を見上げ、
誰よりも早く天気を知らせる予報官だ。
こちらの草の葉、あちらの草の茎にも居て、
もしかすると生えている草の数よりも沢山居るかも知れない。
みんな我こそは一番と、
きらきらと光るそのつぶらな目で明日の天気をにらんでいる。
田んぼや用水路に住んでいるのは、ツチガエルにトノサマガエル、
それに一際大きなウシガエルだった。
時々畦の上にも上がっているツチガエルは、
茶色や灰色の地味な迷彩色の衣装で、
何かがあると泥の中へあっと言う間に姿を隠す忍者の集団だ。
風で草の葉が揺れたと言っては隠れ、
雲で日が陰ったと言っては隠れ、
いつも仲間内でかくれんぼの大会を開いていた。
でも隠れるのは良いけれども、
隠れた者を見つける鬼がいないので、
大騒ぎをしても誰が一番なのかいつも決められずにいた。
トノサマガエルはお洒落好きなカエルだ。
黄緑、緑に金の筋。
いつも一張羅を着てつんとお澄まし、殿様然としている。
時折開くファッションショーでは互いに服の批評に余念がない。
気取った姿でうろうろするけれども
みんながこれまた自分が一番と騒ぎ、
あちらこちらで大もめになってしまう。
しかし沢山いるカエル達の中で本当の実力者はウシガエルだ。
大きな体でモーモーと鳴くその様は、
まるで本当のウシのよう。
彼らはいつもふん反り返りながら身体の大きさを競っている。
互いに我こそは一番と、
少しでも身体を大きく見せるため、
お腹一杯これでもかと空気を吸い込んでいる。
きっと大きいほど偉く見えると思っているのだろう。
そうでなくともパンパンなのに、
あれ以上膨らんだらいつかきっと誰かが破裂してしまう。
それでも彼らは膨らんでいる。
みんなはらはらしながら膨らんでいる。
それがウシガエル達だった。
そんなカエル達の中に、
他のどのカエルよりも大きなウシガエルが居た。
そのカエルの名はキングと言った。
元々は別の名前を持っていたのだけれども、
その風格からだろうか?
それとも幾多の試練を乗り越えてきた、
その知恵からだろうか?
いつしか誰言うことなくキングと呼ばれるようになっていた。
キングは多くのカエル達の既に何倍も長生きしていた。
数多くのカエル達の敬愛を集める彼は
まさにこの辺り一帯を治める、カエルの王様だった。
かつてこの国は、住人の数がとても少なくなったことがあった。
カエル達が食べ物にしていた虫が、急にいなくなってしまったのだ。
丁度その頃、彼らの住んでいるこの王国に、
人間達が何かを得体の知れない物を大量に撒いていた。
どうもその代物になにか関係がありそうだったけれども、
カエル達にはそれが何であるかさっぱり分からなかった。
ただ彼らにも、
それがなんだか良くないものであることだけは、
身近なものとして感じられていた。
カエル達はこのままでは国が無くなってしまうと、
自分達の将来を危ぶんでいた。
ところがしばらく経つと
人間達は次第にその代物を撒かないようになっていった。
一体何があったのだろう?
人間達の間で何かが変わったに違いない。
それが何かは分からなかったけれども、
おかげで虫の数も増え、
王国のカエル達の数も急速に回復していった。
ヒエの穂先をトンボが飛び、稲の葉の間をイナゴが跳ね、
夜ともなれば川面に蛍の光りが輝いている。
一時はほとんど姿が見えなくなっていた虫達の姿が、
以前のように見かけられるようになってきていた。
カエルの王国は再び豊かさに包まれて、
往時の姿を次第に取り戻しつつあった。
さて、このカエルの王国からさほど離れていないところに、
一軒の家が建っていた。
四方を見渡しても野原や田んぼばかりで、
彼方にようやっと小さく隣家が見えている。
そんなところにその家は建っていた。
田舎には珍しくスレートぶきのお洒落な屋根で、
二階建の少しハイカラな感じのする家だった。
長い間空き家になっていたのだけれども、
時々手入れされていたので、少しも傷んだところはなかった。
一方庭はと言うと、
これが本当に人の住んでいたところなのかというくらい、
すっかりと荒れ果てていた。
見渡す限りあちこちに背の高い草が生い茂り、
かつての花壇も今はすっかり雑草達の天国となっていた。
生け垣は伸び放題で、
あたかもそれはちょっとしたジャングルのようだった。
しかし悪いところばかりかと言うとそうではなかった。
庭の一角には大きな木が生えていて、
涼しそうな木陰を提供していたし、
小さいとは言え水をたたえた池まであって、
手入れすればなかなか風情のある庭になるはずだった。
この家に足らないものがあるとすれば、
それは中に住んで命の息吹を与えてくれる、
生きた人の存在だけだった。
けれどもこんな田舎の片隅の、
しかも荒れ放題のお化けでも出そうなこの家に
一体誰が住んでくれるというのだろうか?
しかし家は信じていた、
いつの日か必ず誰かが住んでくれることを。
生き生きとした家族が住み、
その中を明かるい笑い声と温もりで満たしてくれることを。
そう言った家の思いが通じたのだろうか、
しんと静まり返った主のいない家に、
今再び住人が訪れようとしていた。
家は期待に胸を脹らませ、
わくわくしながら彼らの到着を待っていた。
それはしばらくの間雨が続き、
人も草も木も、
皆がそろそろうんざりし始めていた頃のことだった。
たっぷりと雨を撒き散らした雲が次第に薄くなり、
明るくなり始めた大地は、ゆっくりと本来の色を取り戻しつつあった。
微かにもやった水浸しの田舎道を
一台の大きなトラックと乗用車がやって来る。
舗装はしてあるとは言うもののあっちこっちが穴ぼこだらけで、
茶色く濁った水がたたえられている。
トラックはその水を派手に跳ね飛ばしながら走り、
後から来た乗用車は少し離れて遠慮がちに走っていた。
大きなトラックには多分荷物が一杯積み込まれているのだろう。
時折深い水たまりにタイヤを入れては大きく揺らいでいた。
トラックのアルミで出来た荷物室には、
有名な引っ越し会社のロゴが大きく入っていた。
引っ越しだ!
明るいグレーの乗用車には越してきた家族が乗っていた。
彼らはお父さんお母さん、それにお姉ちゃんに弟の四人家族だった。
お姉ちゃんは小学校二年生、弟の方は幼稚園の年長さんだった。
今まで都会のマンションに住んでいたのだけれども、
お父さんの仕事の都合でこの地に移り住むことになったのだ。
トラックが家の前に止まると、乗用車もその隣に落ち着いた。
「うわー、広い庭!」
庭を見るなり姉弟は歓声を上げた。
都会からやってきた子供達には、田舎そのものがとっても珍しく、
素敵なものとして目に映ったのだ。
子供達は車が未だ止まるか止まらないかの内に扉を開け、
雑草だらけの庭に飛び出していった。
まだ小雨が降っているにもかかわらず、
そんなことはちっともお構いなしだった。
「うわー、草ぼうぼう!」
「ぼうぼう、ぼうぼう!」
「おっきな木!」
「すごい!すごい!」
彼らは次から次へと新しいものを見つけては喜びの声を上げた。
そんな子供達を見ながらお父さんは苦笑いした。
「やれやれどうしたものかな?」
今まで狭い自動車の中に押し込められていたのだから、
仕方のないことかも知れない。
「業者の方がちゃんとして下さるのだから、無理に手伝わさなくても、
しばらくあの子達の好きにさせて上げましょうよ」
お母さんはそう言いながらお父さんに微笑みかけた。
お父さんはそんなお母さんの言葉に黙って頷きながら、
喜び騒ぐ二人の様子を目を細めて眺めていた。
幸い小雨は直ぐに止んで、
一陣の風とともに雲間からお日様が顔を出し始めた。
見る間に空は晴れ渡っていく。
雨に洗われて、澄み切った大気の中を抜けてきた日の光が、
久々に大地を照らし出した。
白く眩しいその光は、木々や草の葉についた雨の滴に当たり、
反射し屈折し回折し、虹のように七色に見えた。
そのきらきらとした有様はまるで宝石のようだった。
浮かれ騒ぐ子供達の姿とは別に、
家の内外には、ひたすら働く大人達の姿があった。
その額に浮かんだ汗も、草の葉などに付いた雨の滴と同じように、
お日様の光を受けてきらきらと輝いていた。
やがてお日様が西の山に隠れ、夕闇が迫る頃、
荷物は全て家の中に運び込まれていた。
「お疲れさまでした」
お父さんお母さんのねぎらいの言葉とともに、
引っ越しのトラックは業者の人達を乗せて帰っていった。
残された家族四人は沢山の段ボールの箱に囲まれて、
ささやかだけれども賑やかな夕飯にありついた。
子供達はそれを基地みたいと言っては喜んでいる。
どんなものでも遊びにしてしまえるのが子供の素敵なところだった。
今、家族のみんなが食べているのは、
お父さんが買って来てくれたコンビニのお弁当だった。
先ほど手の空いた時に車で買ってきたのだった。
「本当にどこに行ってもコンビニがあるのね?」
お母さんは目を丸くして言っていた。
「でも美味しいよ!」
姉弟は二人声をそろえて言った。
「そりゃそうだ、あれだけ一生懸命にお手伝いすれば、
お腹も減るからなおさらだよ」
お父さんは笑いながら言った。
そして缶ビールを片手に美味しそうにお弁当を食べた。
姉弟は、最初の内こそ目新しいものに気を取られてはしゃいでいた。
でも直ぐにお父さん達との約束を思い出し、
めいっぱい頑張ってお手伝いしたのだった。
「今日はよく頑張ってくれたわね」
お母さんのほめた言葉が姉弟を暖かく包み込んだ。
その言葉が疲れた身体にふんわりと気持良い。
彼らは食べ物で口の中を一杯にしながら嬉しそうにうなずいた。
外を見ると辺りはもう真っ暗だ。
周りに明かりになるものは何もなかったから、
煌々とした部屋の中の明るさが、余計に外を暗く見せていた。
家の網戸には、明かりに引かれて色んな虫が張り付いている。
そして静かだった。車の音一つ聞こえなかった。
都会の雑踏に慣れたものにとっては、
不思議なくらい静かな世界がそこにあった。
と、その時、静まり返った真っ暗な夜の闇の中、
遠くの方からなにやら不思議な音が聞こえてきた。
「あ!あの音は何?」
お姉ちゃんは聞き慣れない音に耳をそばだてた。
一つではない、沢山の数の何かの声が聞こえてくる。
「ん?」
お父さんも聞き耳を立てた。
弟はウサギのまねをしながら耳に手を当てて聞いていた。
「ああ、あれはカエルの声だよ」
お父さんは懐かしそうな表情をして見せながら言った。
「カエル?」
弟は嬉しそうにお父さんに聞いた。
以前彼らが住んでいた街にもカエルはいた。
でもその鳴き声は滅多に聞くことが出来なかったし、
いつもとても寂しそうな、悲しげな鳴き声だった。
しかし今聞いているのは沢山のカエルの、
実ににぎやかで楽しそうな鳴き声だった。
「ああ、近くにいっぱい田んぼもあったし、きっと沢山いるぞ。
そうだ、明日少し手が空いたらカエル釣りのやり方を教えて上げよう」
「カエル釣り?」
その時は姉弟だけではなく、お母さんまで声をそろえて聞いた。
お母さんはちゃきちゃきの都会の下町っ子だったので、
カエル釣りはおろかカエルそのものも、ほとんど見たことがなかったのだ。
そして子供達はと言うと、
そんなことが出来るの?と目を丸くしている。
「カエル釣り!カエル釣り!カエル釣り!」
弟は小躍りしながらそう繰り返した。
姉弟の心の中はもう、明日のカエル釣りのことでいっぱいだった。
そんな彼らの様子を見守っていたお父さんの心は、
遠い昔、お父さん自身が未だ少年だった頃のことを思い出していた。
もうあれから随分経つのに、
その時のことが昨日のことのように鮮明に思い出される。
あの頃は楽しかったなあ……。
お父さんはくすぐったいような少し悲しいような、
不思議な思いを味わっていた。
さて、次の日のお昼を少し過ぎた頃、
お父さんは子供達二人を引き連れて……、
いや、もう一人抜けていた。
お母さんも入れて家族四人で近くの田んぼにやってきた。
そこは偶然にもカエルの王国のあるところで、
キングの住みかからさほど遠くない所だった。
農道から少し草をかき分け、
田んぼに近づこうとしたお父さんは、思わず声を上げた。
「うわー!なんだこれは?」
姉弟は何事が起こったのかと、駆け足でお父さんの横にやってきた。
「しーっ!静かに。そうっと周りの草むらの中をのぞいてごらん」
「?」
お父さんに言われるままに辺りの様子をうかがった子供達は、
驚いて思わず目を丸くした。
「分かるかい?」
お父さんは声を抑えて二人に聞いた。
「うん」
二人は身をすくめるようにしてお父さんにこたえた。
そこへ少し遅れてお母さんがやってきた。
「どうしたの?」
子供達はそうっと指で指し示した。
お母さんはその指先をゆっくり視線で追っていった。
目が徐々に草むらに慣れていく。
やがてお母さんは目的のものを見つけた。
「きゃあ!」
お母さんはそう言うとお父さんの背中にしがみついた。
お父さんは急にしがみつかれたものだから、
危うくお母さんと一緒にひっくり返ってしまうところだった。
「何あれ?」
お母さんはお父さんの陰からそうっと首を出しながら聞いた。
「アマガエルだよ、しかもすごい数だ。
お父さんもこんなに沢山アマガエルがいるの見たことがないよ」
お父さんが感心し、お母さんが悲鳴を上げるのも無理はなかった。
なんと彼らの周りの草という草に、
アマガエルが鈴なりになってしがみついていたのだ。
そしてつぶらな瞳で彼らの方をじっと見つめていたのだった。
「あ・・あたし……もうだめ。もうこれ以上はだめ」
お母さんは悲鳴とも取れるような声でそう言うと、
ゆっくりと後ずさりを始め、農道の方へ戻っていった。
「どうしたのお母さん?」
お姉ちゃんが不思議そうにお母さんに声をかけた。
周りを見てもお母さんが恐がりそうなものは何もいない。
黄緑色や澄んだ緑の美しいアマガエルは、
時々光を浴びてそれ自体宝石のように見える。
しかしお母さんは、
「先に家に帰っておやつの用意しているわね」
と言うなり、後ろも振り返らずに帰っていった。
「どうしたのかしら?」
お姉ちゃんはなおも不思議そうに首を傾げた。
するとお父さんは笑いながら言った。
「お母さんはね、カエルが苦手だってことに、
多分、今気がついたんだよ」
「ふーん」
子供達は納得したような、そうでないような曖昧な返事をしながら、
次第に遠くなっていくお母さんの背中を見送った。
稲の生えそろっている中、
その背中を追いかけるように一陣の風が吹き、流れていった。
揺れる葉の動きが、風の足跡をしっかりと残している。
「さて」
お父さんはそう言うと手近な草むらから、
穂の出ている草を一本引き抜いて手に取った。
「何をするの、お父さん?」
子供達はお父さんの手元を熱心にのぞき込んだ。
「こうやって……」
そう言いながらお父さんは、
片方の手で持った草をもう一方の手で優しくしごき、
穂の部分を少しずつ取り除いていった。
そして、穂先のほんの少しだけを残し、
後は丸裸にしてしまった。
姉弟はそんなお父さんのすることを興味津々で見守っている。
しかし待つ時間というのは不思議と長く感じられる。
特に弟には、それがとても長いものに感じられていた。
彼はお父さんが次に何をするのかと、
もう待ちきれない気分で一杯だった。
「この先の部分をよく見ているんだよ」
やがてお父さんがそう言うと、弟はほっとため息を付いた。
お父さんはそんな弟を後目に、
田んぼの側にゆっくりと歩いて行って静かに腰を下ろした。
これから一体何が起こるのか?
期待に胸膨らませた子供達も、
息を潜めるようにしてついて行った。
塩梅良く、田んぼの中にはいくらでもカエルがいる。
お父さんは手近にいたトノサマガエルに目星をつけると、
そっと穂先を近づけた。
穂先の小さなふくらみをカエルの鼻先まで持っていき、
細かく微かに震わせて見せるのだ。
お父さんはまるで、カエルに聞こえるのを怖れているみたいに、
小さなささやき声で二人に話しかけた。
「こうやるとね、カエルは餌の虫がやってきたかと思うんだよ。
そして、ほら!」
見るとカエルがぱくりと穂先に食いついている。
「うわー、すごーい!」
子供達は驚きの声を上げた。
「これからが大変なんだ、そーっと、それ!」
穂先に食いついた食いしん坊のカエルは、
そのまま空中で手足をばたばたさせながら、
彼らの前まで連れてこられてしまった。
ここに来てカエルは、
自分が食いついたものが餌ではないことに気がついたらしい。
大きなその口からペッと穂先を吐き出してしまった。
しかし時既に遅く、落ちた先はバケツの中だった。
「すごーい、お父さん、さすがー!」
二人の間では、お父さんの株は上がりっぱなしだった。
「お父さん、私達もやる!」
「お父さん、僕達もやる!」
同時にそう言うとお姉ちゃんと弟は、
身近の草から穂の出た部分を引き抜こうとした。
しかし物事は簡単そうに見えても、
決してそうでないことがある。
二人がいくら頑張っても草の穂は、
なかなか上手く引き抜け無い。
ぷつんとみんな途中で切れてしまうのだ。
「おかしいなあ、どうして上手く抜けないのかなあ?」
弟が首を傾けながらぼやいた。
お姉ちゃんの方も同じ様に困っていた。
「草の穂はまっすぐ上に、ゆっくりと抜くんだよ」
お父さんは笑いながらアドバイスした。
「まっすぐ上に、ゆっくりね?」
そう言いながらお姉ちゃんが言われた通りにすると、
キュッ!と言う音を立てて草の穂の部分が上手に抜けた。
すると、その音を聞いた弟が不思議そうな顔をして言った。
「へえ、草も鳴くんだね?」
しかし神妙な顔をしていたのも束の間で、
すぐに自分も使えそうな草の穂を探し始めた。
これはと目星を付け、
ゆっくり慎重に草の穂を引っ張る。
キュッ!という音がして今度は綺麗に穂が抜けた。
「僕も抜けたよ!」
弟は得意満面な顔をしてお父さんに抜けた穂を見せた。
「お父さん、これくらいで良いのかな?」
お姉ちゃんは早くも草の穂の余分な部分を取り払い、
カエル釣り専用の手頃なさおに仕上げていた。
お父さんはそのさおを受け取るとうなずきながら言った。
「うん、これなら良いと思うよ」
それを横目に、弟の方も必死になってさおを作っていた。
でもお姉ちゃんほどうまくはいかず、
穂先の微妙なところで何回も失敗していた。
見かねたお父さんが手を出そうとすると、
頭を横に振って何度も頑張るのだった。
そしてお父さんもこれならと思うような立派な穂先を作り上げた。
「これでいい?」
そう問いかける弟の目は、きらきら光っていた。
「ああ」
お父さんが満足げにうなずくと、弟は嬉しそうに笑った。
二人はご自慢のお手製のさおを手に、
早速カエル釣りに興じはじめた。
お父さんはそんな子供達の様子を嬉しそうに見つめている。
「二人ともいいかい? カエルはその穂先の、
ほんの少し残った部分を餌の虫と間違えて飛びつくんだよ。
だから穂先が上手く震えて……、」
お父さんは彼らが少しでも上手く釣れるようにと、
身振り手振りを交えて丁寧にアドバイスを与えた。
「……美味しそうな虫に見えれば見えるほど飛びついて来るんだ。
そこのところを上手くすれば、きっと沢山カエルが釣れると思うよ」
「はあーい」
二人そろって元気のいい返事をした。
けれども彼らの頭の中はもう、
どちらが先にカエルを釣るかと言うことで一杯だった。
「釣れたあー!あーああ」
弟の方に先にカエルがかかったのだけれども、
手元に持ってくる途中で穂先を吐き出してしまった。
そのカエルは、そのまま下に落ちてしまったかと思うと、
ぴょんと跳びはねて水の中に入り、たちまちどろんと姿を眩ませた。
それは本当に忍者のようだった。
「せっかく釣れたのに!」
弟はすごく悔しがった。
「あたしも!」
今度はお姉ちゃんの方にカエルがかかったようだ。
「釣れたよお父さん」
お姉ちゃんは釣り上げたカエルをバケツの中に入れて、
鼻高々にお父さんに見せた。
「僕も!」
弟も直ぐその後を追うようにして見事にカエルを釣り上げた。
今度はちゃんと手元まで引き寄せることが出来たのだ。
子供達はまぶしいくらいの笑顔で釣果をお父さんに見せた。
彼らは釣れたと言っては大騒ぎし、
逃げたと言ってはまた大騒ぎした。
二人は瞬く間にカエル釣りの腕前を上げ、
その内お父さんも舌を巻くような腕の持ち主になっていた。
そしてまさにその日こそ、
カエルの王国にの大いなる災難の始まりの日だった。
次の日、朝御飯を食べ終えた子供達は、
争うように競って家を飛び出した。
まだまだ家の中の片づけは沢山残っているけれども、
学校はもう夏休みだったし、
ただ家の中にいて腐っているような姉弟達ではなかった。
「今日はこのバケツ一杯にしようね」
お姉ちゃんは物置から、弟の分もバケツを引っぱり出しながら言った。
「うん」
弟は嬉しそうに目を輝かせた。
昨日はバケツを一つしか持っていかなかったものだから、
途中で逃がしてしまったカエルが沢山居たのだ。
「危ないところに行ってはだめよ」
お母さんの注意する声が、
外に飛び出した二人の背中を追いかけて行く。
お父さんは今日から仕事で、今朝早く家を出て行った。
そそくさと家を出た二人は早足で農道を通り抜け、
大急ぎで昨日カエル釣りをしたところにやって来た。
「競争だよ!」
彼らは申し合わせるとそれぞれバケツを片手に、
自分がもっとも釣れると思うところに分かれていった。
二人はカエル釣りに熱中すると、
周りのことはもう何も目に入らなくなっていた。
その田んぼの持ち主のお百姓さんが、
二人のカエル釣りをしている有様を
楽しそうに眺めていったことも全く気がつかないくらいだった。
田んぼの稲が風に吹かれてそよそよとお辞儀を繰り返している。
夏の日の朝の始まりにしては最高の天気だった。
二人の腕前がよほど良かったのか?
それとも田んぼのカエルがよほどお腹を減らせていたのか?
一心不乱に釣っている内に、
子供達の持っていたバケツは瞬く間にカエルで一杯になっていった。
主に釣れたのはツチガエルとトノサマガエル。
バケツの中はそれこそカエルでぎゅうぎゅうの状態だった。
「お姉ちゃん、お腹空いたよ」
いつの間にか時間がたっぷり過ぎていて、もうそろそろお昼時だった。
真上に上がったお日様が彼らの体をじりじりと焼いて、
二人とも額に玉のような汗を浮かべている。
「ほんとだね、お腹空いたね。そろそろお昼食べに帰ろうか?」
お姉ちゃんも弟に言われて、
初めて自分のお腹の状態に気づいたのだった。
もうぺっこぺこで、
これ以上何も食べなければお腹と背中がひっついてしまいそうだった。
「うん!」
帰ると聞いた弟は嬉しそうだった。
よほどお腹がすいていたのだろう。
「でもこのカエルどうしよう?」
弟はカエルでぎゅうぎゅうになったバケツを
うんとこしょと持ち上げて見せながら聞いた。
「庭に小さな池があるの知ってる?」
お姉ちゃんは草ぼうぼうの庭で密かに見つけた、
小さな池のことを自慢げに弟に話した。
背の高い草に囲まれていたので、おそらく弟には見えなかったのだろう。
「池があるの?」
弟はぱっと目を輝かせた。
「うん、大きくはないけれども立派な池が有るんだよ。
あそこにこのカエル達を放して、カエルの国を作ろうか?」
「カエルの国?」
弟は胸をわくわくさせながら言った。
「それやろう、きっと楽しいよ!やろう!やろう!」
そこで二人は自分の家の小さな池をカエルの国にするために、
毎日一生懸命になってカエル釣りをした。
そしてそのカエルを持ち帰り、
池に放しては国民が増えて行くのを喜んだのだった。
彼らは自分達がこうすることで、
カエル達に何か特別なことをしてやっているような、
そんな気持ちで一杯になっていたのだった。
さて、お姉ちゃんの思いつきによってカエル達の国となったその池は、
コンクリートとキラキラ光る奇麗なタイルで出来ていた。
たたみ一畳くらいの大きさの、少し楕円になった池だった。
おそらくどこからか水が漏れているのだろう。
中の水は緑に濁っていて半分くらいしか入っていなかった。
そのため水面から縁まで少し高さがあり、つるつるになっているので、
アマガエルならともかく、
他のカエルは、一度入ると二度と抜け出すことが出来なかった。
だから二人に釣り上げられたカエルは、
その中に放されると、
誰かの助け無しにはもう絶対に外に出ることが出来なかった。
次から次へと捕らえられてくる仲間達。
先に囚われていたカエル達は、
そんな新入り達のことを泣きそうな目をして見つめていた。
池は次第にカエル達でごった返し、
水は濁り、食べる物とて無かった。
狭くて暑くて眠ることも出来なかった。
彼らは夜になると、
みんなで声をそろえてその悲しい思いを歌にした。
どうか私達を助けてください。
この悲しい池から救い出し下さい。
自由な風の渡るあの世界に
連れ戻してください。
広い田んぼが懐かしい。
銀色の水が懐かしい。
緑の草むらが懐かしい。
私達がこよなく愛するあの世界に
どうか連れ戻してください。
彼らは自由になる日を夢見て、
繰り返し繰り返しその歌を歌うのだった。
しかし彼らの歌を聞き届ける者はいるのだろうか?
その歌声は次第に悲しみの色を増しながら、
夜の闇の中に消えていくのだった。
さて、子供達がカエルの国造りを発案してから幾日かが過ぎた。
毎日ではないけれども、子供達はたびたびカエル釣りを楽しんだ。
カエルで一杯になったバケツは、田んぼと池の間をもうなん往復もした。
池の中のカエルは次第にその数を増し、
それにつれてカエル達の夜の声は、次第に大きくなっていった。
やがて池の中はカエルだらけになり、
その声はとうとう王国の王様ガエル、キングのところまで届くようになった。
キングは彼方から聞こえてくるその声に深く心を痛めた。
しかし思うだけでは誰も救えない。
キングは色々考えあぐねた末に考えを固めると、
自らその問題の解決に当たることにした。
彼は普段、用水路に出来た穴の中に住んでいた。
それはコンクリートがひび割れて出来た穴で、
大きなキングが入ってもまだ余裕があるような穴だった。
目の前には用水路の水が流れ、いつも沢山の虫が取れたから、
よほどのことがない限り彼がその中から出てくることなどなかった。
しかし今回は、そのよほどのことだった。
彼は意を決すると穴の外に出て行った。
キングは普通のウシガエルのゆうに三倍はあろうかという大きな身体を
ゆっさゆっさと揺すりながら田んぼに向かっていた。
家来のカエルから、今日も子供達が田んぼに来ていることを聞いたのだ。
キングは用水路から抜け出ると、草をかき分け、畦を乗り越え、
のっしのっしと子供達の所に向かった。
その有様はまるでちょっとした戦車のようだった。
大きな大きな身体を持った彼は、貫禄満点のカエルの王様だった。
しかし彼は身体が大きいことからだけで王様に選ばれたわけではなかった。
彼には厳しい自然の中で生き抜いてきた沢山の知恵があったし、
それぞれのカエル達の意見を聞き、
まとめてやるだけの大きな度量があった。
だからこそ彼はカエル達に王様に選ばれていたのだ。
彼は二人を驚かせないように出来るだけ静かに歩き続け、
やがて子供達が一生懸命にカエル釣りをしている後ろにたどり着いた。
「お二人さん」
彼はしゃがれた低い声で姉弟に話しかけた。
驚いたのは子供達の方だった。
熱心にカエル釣りしていたところへ、
突然後ろから見知らぬ大きな声で話しかけられたのだから、無理もないだろう。
慌てて辺りを見回したがどこにも誰もいない。
「もしもし?」
キングは再び口を開いた。
子供達の目はこの人の言葉を話す大きなカエルの上に集まった。
「もしかして、今話したのはあなた?」
怖かったけれどもさすがはお姉ちゃんだった。
語りかけた声は震えていたけれども、
目はしっかりとキングの姿を見据えていた。
「そうだよ、人間の子供達」
キングはうなずきながら静かにそう言うと、
子供達が気を落ち着けるのを待った。
カエルが人間の言葉をしゃべった?
姉弟は心底驚いていたけれども、怖さよりも不思議さの方が勝って、
再びそのカエルが話し出すのを待っていた。
「おお、ちゃんと私の話を聞いてくれると言うのだな?」
キングはすぐ目の前に来たトンボをぱくっとやると、
再びすました顔で姉弟に向かって話し始めた。
「話というのは、おまえ達が連れて帰っているわしの仲間達のことじゃよ」
二人はそのキングの言葉を聞くと、
思わず手に持っていたカエル釣り用のさおを後ろ手に隠した。
キングはそれを見ると笑いながら言った。
「いや隠すにはおよばんよ、子供達」
キングはまた近くに来た虫をぱくっとやった。
「おまえ達姉弟は、わしの仲間のカエルを沢山釣って行きはしたが、
その命を粗末にすると言うことはなかった。
そのことはありがたいと思っておる。
しかし仲間のカエルをおまえ達の家の池に連れ帰るのは、
そろそろ勘弁してもらえんかな?」
お姉ちゃんは少しほっとしながら言った。
「どうして? あたし達はカエルの国を作ろうとしているのよ」
「そうだよ、カエルの国だよ」
弟も一生懸命になって言った。
キングはそんな二人に優しく諭すように言った。
「自由に行きたい所に行けず、食べたい時に食べることも出来ないあの場所が、
どうしてカエルの国なんだい? わし達にとっては」
キングはそう言いながら周りを見回した。
そこには豊かな緑の田んぼが、目の届く限り延々と続いている。
「ここがカエルの国なんじゃよ。分かるかね?」
子供達二人はキングのその言葉にはっとした。
自分達が面白がってやっていたことが、
どれだけカエル達にとってつらいことだったのか、
今ようやっと気がついたのだった。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんだよう」
弟は半分べそをかきながらキングに謝った。
「ごめんなさい、あたしがいけなかったんです。
カエルの国なんて考えたのはあたしなんです。ごめんなさい」
そう言って謝るお姉ちゃんの口も、
への字に曲がって、一生懸命に何かを耐えているような口だった。
生き物を飼う時は、生き物の気持ちになって飼って上げなさい。
二人はお父さんがいつもそう言っていたことを思い出したのだ。
「分かってもらえればいいんじゃよ」
キングは優しい目をして二人を包み込むように見つめた。
「みんなをこれからすぐ田んぼに帰します」
お姉ちゃんはそう言うと、
まず近くにあったバケツの中のカエルを田んぼに戻してやった。
その後ぴょこんとキングにお辞儀すると、
空になったバケツを手に、弟を引き連れて急いで家に帰って行った。
その後ろ姿をじっと見送るキング。
後ろを振り返ってその姿に気がついた弟は、キングに手を振ってよこした。
そんな子供達を見つめるキングのまなざしは、とても優しいものだった。
家の庭に帰り着いた二人は、それからが大変だった。
彼らは力を合わせて池のカエル達を救い出そうとした。
しかし網ですくおうとすると、
カエル達は怖がってあちらへこちらへと、逃げていこうとするのだ。
結構素早くて、捕まえるのはなかなか大変だった。
でも姉弟は一生懸命に捕まえてはバケツに移していった。
そしてバケツが一杯になると田んぼに持って行き、
「ごめんね」
と言いながら彼らを放してやるのだった。
でも問題はそれからだった。
最初のうちはカエルが沢山いたので、
網ですくおうと思えばまだ何とかすくえた。
しかしその数が減るにつれて、
素早いカエルや、隠れるのが上手なカエルばかりが残って来たのだ。
お陰で池の中のカエルを捕らえるのはどんどん大変になっていった。
でも二人はキングとの約束を守るため、
汗を拭き拭き、歯を食いしばって一生懸命に頑張った。
カエル達を池からすくい、田んぼに帰してはまた池に戻った。
何度も何度もそれを繰り返した。
二人の目にキングの姿はもう見えなかったけれども、
彼は子供達の努力をしっかりと草の陰から見守っていた。
二人はお昼を食べるも忘れて、一生懸命にカエル達を救い出した。
しかし池の中のカエルが一匹もいなくなったと確信できるようになったのは、
午後も遅く、夕方になってからのことだった。
お日様はもうすっかり傾き、西の山に隠れる寸前だった。
いつの間に出てきたのだろうか? 空には大きな雲が広がり始めている。
その雲間から漏れ出た日の光が、
まるでスポットライトのように二人を照らし出していた。
二人は最後のカエルを入れたバケツを田んぼに空けると、
ほっとした顔で互いに顔を見合わせた。
夕日に照らされた二人の顔は真っ赤だった。
大変だったけれども彼らはとうとうやり遂げたのだ。
二人の間にはなんとも言えない満足感があった。
と、急に空から大粒の雨が落ちてきた。夕立だ。
雨の勢いは見る間に強くなっていき、稲光とともに雷も鳴り出した。
「うわー!!」
二人は頭を抱えると、バケツを片手に大急ぎで家に逃げ帰った。
必死になって走る二人を大粒の雨が叩き付けるように包み込んでいく。
瞬く間に雨でぐしょぐしょに濡れた二人は、
転がるように家に飛び込んだ。
「どうしたの二人とも、こんなに濡れてしまって。
もっと早く帰ってこなくちゃだめじゃない」
二人のあまりにびしょぬれの姿に、
お母さんは驚き、あきれかえりながら言った。
「さあ、早く着替えなさい」
お母さんは大急ぎでタオルと着替えの服を出してくれた。
「全くあなた達と言ったら……」
二人はぼうっとしながらお母さんのお小言を聞いていた。
でも、ごしごしこすってくれるタオルの感触が心地よかった。
窓の外を見ると激しく雨が降り続け、まるで嵐のようになっている。
時折光る稲光が、辺りを真昼のように明るくしたかと思うと、
大きな雷鳴が地響きのように鳴り響いた。
その激しい音に首をすくめながら二人は考えていた。
カエル達はこんな雨の中どうしているんだろう?
カエル達は雷は怖くないのかな?
しばらく色々と考えていた二人だったけれども、やがて別のことに心を奪われた。
カエル達を田んぼに返すことに夢中になっていた二人は、
お昼を食べることをすっかりと忘れていたのだ。
そのせいか彼らのお腹の中では、
空腹の虫が普段にも増して盛大に騒いでいた。
「お母さんお腹空いた!」
二人は大きな声で言った。
「あなた達はお母さんの顔を見ると、いつもお腹が減ったって言うのね?」
お母さんは苦笑しながら、二人の願いを叶えるために台所に姿を消した。
そしてその間も大雨は降り続け、
雷様がピカピカゴロゴロと大騒ぎをしていた。
この日の夕立は普段に比べて随分長く続き、
雨が上がったのは夜も大分遅くなってからのことだった。
その頃にはお姉ちゃんも弟も、今日一日の疲れでぐっすりと眠り込んでいた。
一陣の風が部屋の中を吹き抜けて行く。
彼らの口元に微かに笑みが浮かんでいるのは気のせいだろうか?
夜半になり、さしもの夕立もすっかり上がって、
満天の星がこぼれ落ちそうな程輝いていた。
夜もだいぶ更け、子供達の両親もすっかりと眠り込んでしまった頃、
彼らの家の庭先で何かが起ころうとしていた。
その日は月の無い夜だったので、星々がよけいに輝いて見えていた。
家の中の明かりはすべて消えていたし、
しんと静まりかえった庭は何も見えないくらい真っ暗だった。
と、そんな墨を流したような真っ暗闇の中、
なぜか庭が隅の方から明るくなってきた。
ぼうっと蛍のように光る小さな何かが、
ピョンピョンと飛び跳ねながら、次から次へと庭の中に入ってきていた。
よく見るとそれは無数のカエル達だった。
彼らは何故だか喉の部分を不思議な明かりで光らせながら、
砂糖に群がる蟻のように庭に集まってきていた。
切れ目無しに次から次へと押し寄せたカエル達は、
いつの間にか庭を埋め尽くしてしまった。
彼らはぎゅうぎゅうに肩を並べながらも整然と大人しくしている。
やがてその中へのっしのっしと、とんでも無く大きなカエルがやって来た。
それは彼らの王様、キングだった。
彼もまた大きく膨らませた喉の部分を不思議な明かりで光らせていた。
キングは庭がカエル達で一杯になり、
ざわめきが収まるのを確認すると、例の低い声で一際大きく鳴いた。
「起きろ!」
すると彼の周りのカエル達も鳴いた。
「起きろ!起きろ!」
更にその周りのカエル達も鳴いた。
「起きろ!起きろ!起きろ!」
たちまち庭は無数のカエル達の起きろ!起きろ!の大合唱で一杯になった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、起きてよう」
子供部屋の中では、外の異様な気配に目を覚ました弟が、
必死になってお姉ちゃんを起こしていた。
「うん……。何?」
「庭の方で何だか変な声がするんだよ。見て来てよう」
「変な声?」
お姉ちゃんは眠い目をこすりこすり、少し不機嫌になりながら窓の外を見た。
そして外を見るなりいっぺんに眠気が醒めてしまった。
「あっ!」
窓の外にはボウッと光る無数のカエルが押し寄せ、
起きろ起きろと大合唱している。
さすがのお姉ちゃんも最初はとても怖かった。
でも直ぐにその中にキングの姿を見つけ、ほっと安心した。
「来てごらん」
そう言うとお姉ちゃんは弟を招き寄せた。
お姉ちゃんは窓のところに立つとそっと網戸を開けた。
するとそれまで起きろ起きろと大騒ぎしていたカエル達の鳴き声が、
まるで申し合わせたかのようにぴたりと止まった。
辺りはしんと静まり返っている。
よく見ると木の上にまで光るカエルがいる。
二人は目を丸くしてそんな有様を見守った。
その静けさの中、キングが口を開いた。
「今日はありがとう、子供達」
キングの礼の言葉を聞くと、お姉ちゃんは少し照れながら言った。
「ありがとうだなんて……。あたし達がいけないことをしていたんだよ。
それを元通りにしただけなんだよ。それなのにありがとうだなんて……」
弟はそんなお姉ちゃんの陰に隠れながら、うんうんとうなずいていた。
しかしキングはゆっくりと頭を横に振りながら言った。
「いいや、それは違うよ子供達。
最初はどうであれ、とにかくお前達の素早い、しかも大変な努力のお陰で、
仲間達は一匹も死なずにすんだのだ。
それがどんなに小さなカエルの命であろうとも、
お前達は決して粗末にせずに一匹一匹優しく田に返してくれた。
そんなおまえ達のことをわしはしっかり見ていたのだよ」
二人は恥ずかしそうにうつむいてキングの言葉を聞いていた。
「わしらはそんな心根の優しいおまえ達に、礼をしたくて来たんだよ。
もっとも、そうは言っても大したことはできんがな。
しかし他の人間が誰も見たことのないカエルのお祭りだ。
心ゆくまで見ておくれ。そして本当にありがとう」
そこまで言うとキングは、口の中から何か光るものを吐き出した。
吐き出されたその光るものは、クイッと羽根を伸ばし、
空中にすうっと舞い上がっていった。
なんとそれは蛍だった。
見ると他のカエル達も次から次へと蛍を吐き出していた。
カエル達が光って見えたのは、
カエル達の体の中にいた蛍が光って見えていたのだった。
たちまちのうちに庭は蛍の光で一杯になり、まぶしいくらいになった。
すると誰言うともなく、そこかしこでカエルが鳴き出した。
初めのうちはバラバラの鳴き声だったが、
やがてみんなで拍子を取って歌を歌うように鳴き始めた。
その上蛍までもがそのリズムに合わせて光り出した。
それは二人にとってまさに息をのむような光景だった。
「すごーい!きれいだねえ」
二人はまるで夢の世界にいる様だった。
いつの間にかリズムに合わせて手も叩いた。
「ケロケロケロケロ……」
「クワックワックワッ……」
「モーモーモー……」
「ゲゲゲゲゲ……」
言葉で書くとおかしいけれども、
それらの鳴き声が高さを変えて見事にハーモニーになり、
そしてリズムを取っていた。
飛び交う蛍は、まるで都会のネオンサインのように光り、
しかもその何倍も美しかった。
「はぁー……きれいだねえ」
「うん……」
いつしか二人は手を叩くのも忘れて、ただその光景に見入っていた。
しかしいくら楽しくても昼間の疲れには勝てなかった。
まず弟の方が目を閉じ、やがてお姉ちゃんの方も目を閉じてしまった。
二人は目を閉じても夢見心地にカエル達の歌う声を聞いていた。
でもそれも束の間、
やがて本当の夢の世界に入っていってしまった。
いつしか二人は気持ち良さそうにすやすやと寝息を立てていた。
そんな二人の様子を見ていたキングは、片手をすっと掲げた。
するとカエル達は一斉に鳴くのをやめ、
蛍達も今までのまぶしいくらいの光を少し暗くした。
次にキングがうなずくと、蛍達は皆どこへともなく飛び去り、
カエル達は端っこの方から少しずつ姿を消し始めた。
やがて全ての蛍とカエル達が姿を消えたのを確認すると、
キングは二人に優しい声で
「お休み子供達」
と声をかけ、のっしのっしと庭の外へと出ていった。
再び真っ暗になった庭では、
かつてカエルの国だった小さな池が、
穏やかな水面に満天の星々を静かに映し出していた。
「まあまあお父さん、見て下さいよ、この子達ったら」
朝の光の中、子供達はお母さんの賑やかな声で起こされた。
「網戸も閉めずにこんなところで寝ていたんですよ」
まだ完全に目が覚めきっていない二人の耳に、
お母さんのあきれ果てた声がぐいぐいと入ってきた。
二人は窓辺からカエル達のお祭りを眺めながら、
そのまま寝入ってしまったのだ。
「おはよう、お母さん」
お姉ちゃんは眠い目をこすりながら、お母さんに朝のあいさつをした。
弟の方もなにやら口の中でもごもご言っている。
と、急にぱっちりと目を見開くと大きな声で言った。
「カエル!!」
「カエルって何?」
お母さんは弟の大声にびっくりしながら聞いた。
そこで二人は、昨日の出来事をお母さんに詳しく話して聞かせたのだった。
しかしお母さんは相変わらずカエルが苦手だったのか、
くすくす笑いながら台所に逃げ込んでしまった。
お姉ちゃんは、今度は居間で新聞を読んでいるお父さんに言った。
「ねえ、お父さん。本当にあったんだよ、カエル達と蛍のすてきなお祭りが。
それにカエル達は人間の言葉をしゃべることが出来るんだよ。
おっきな王様のカエルがいて……」
二人は声をそろえて主張した。
お父さんは黙って二人の話をまじめに聞き、やがて口を開いた。
「ふーん、そんなこともあるのかなあ?」
お父さんはそう言うとしばらく黙りこくって色んなことを考えていた。
自分の子供だった頃のことを思い出しながら……。
そしてカエルの王様に出会った彼らのことを
ちょっぴりうらやましいとさえ思うのだった。
その間も子供達は、互いに昨日の出来事をわーわーと話し合っている。
昨日二人が経験した事柄が、本当にあったことなのか、
それとも夢の中の出来事なのか、
残念ながらお父さんには知ることは出来なかった。
しかし、そんな風にカエルのお祭りを見ることを可能にした子供達の優しさが、
お父さんには例えようもなく嬉しいものとして感じられていた。
そしてお父さんは思っていた。ここに越してきて良かったなと……。
朝御飯を食べた後、二人はまた田んぼに行った。
そこにはいつもと変わらずカエルが居た。
でももう彼らは人間の言葉をしゃべることはなかった。
しかしそれでも二人は知っている、カエル達がおしゃべりすることを。
二人は覚えている、カエル達が見せてくれた不思議なお祭りのことを。
田んぼの稲を風が揺らしていく。
揺れる稲が風達の踊るダンスの足跡になっていく。
どこかでアマガエルがケロケロ鳴き出した。
きっともうすぐ雨が降るのだろう。
緑が一杯の山々に囲まれた、
とある田舎のとあるところにカエルの王国はあった。
そこは草が光り、虫が跳ね、カエル達が歌を歌う、豊かな土地だった……。
お読み頂いてありがとうございます。例え僅かな時間でも彼の世界を楽しんで頂けたでしょうか?
都市部では今やザリガニ釣りと手ままならないことが屡々。何時かまたカエル釣り、やってみたいなと思っております。




