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僕の好感度は地に落ちていたため、手の甲の刺突傷の手当はおろか、フィルくんの紹介もろくにしてもらえなかった。
それどころか、僕のために用意された食事は、いつのまにか机の上から消え、僕の頭頂部に移動していた。
うん。「おっと手が滑った」と棒読みの鍛冶屋の少年に、頭からぶちまけられたんだけどね。
エプロンを身に着け、横の隙間は二度と僕には見せない誓いを固めたようで、入念に角度を変えながら、鍛冶屋の少年はフィルくんに事情を説明している。僕は会話に参加させてもらえるどころか、ときどき道端のゴミのように顎でしゃくられるだけだ。
「ふぅん、運の良さが高い人のこうげきで【かいしんのいちげき】狙いねえ。発想はいいと思うんだけど、そんな人見つかるの?」
「何言ってるんだよ、夏祭りの夜店のくじで特等を当てた人間が!」
バアンと景気よく、背中を叩かれるフィル少年。
……夜店のくじっていうと、前に動画で「くじ買い占めたけど当たりが入ってなかった」と暴露された奴かな。僕も子供のころ、特賞のPS3を狙って小遣いはたいたけど、末等すら当たらなかった苦い思い出がある。
「別に、気まぐれに引いたくじが当たりだっただけだよ。お店の人『えっなんで特等出るの?』ってびっくりしてた」
……それって当たりくじ入れてなかったというやつでは。
「賞品もらって帰ろうとしたらさ、特等賞の高級ハチミツセット、外箱しか用意されてなくて」
……やっぱりPS3の外箱しか飾ってなかったように、当たりくじと賞品、用意してなかったという奴では。
次の夏祭りに持ってきてくれるって、楽しみー、と屈託なくかたるフィルくんを横目に、僕はじっくり入念に熟考し、口を開いた。
「誰が何と言おうと、君の運の高さは事実だと思う。その能力をくじや投擲ではなく、魔王への攻撃に生かせるようにしたいと思うんだけど、どうかな」
「えー」
フィルくんは理解の程度50%ほどといった具合に、生返事をする。
鍛冶屋少年は手をヒラヒラ振り「じゃ俺、はやぶさの剣作成にかかるよ」と作業場に戻っていく。その横顔は、僕との距離を空けられたことに心から清々しているように見えた。
練習用の剣を手に、鍛冶屋の裏手にある空地に立つ。
フィルくんは片手で剣をひゅんひゅんし、僕は手頃な高さの木に目を付けた。
「君の【かいしんのいちげき】を繰り出す頻度を確認したいんだ。それによって素早さを回数に生かすか、もしくは一撃が重いパワータイプで行くか、方針を決めたい」
「ふうん。で、何をすればいいの」
「この木の枝に攻撃を繰り出してみてもらえないかな。枝を『折らない』『切らない』程度に力を加減して」
「弱めの攻撃をすればいいって感じ?」
「うん。この木の二十本ほど張り出した枝すべてに弱い攻撃をする。かいしんのいちげきが出れば、折れるとか切れるとかいった感じで、想定以上のダメージが枝に現れると思うんだ」
なるほどーと答えるフィル少年は、剣を握り身軽なフォームで20本の枝に切りかかる。結果、三本の枝が折れて地面に落ちた。3/20これってすごい確率じゃね? レベル99のアリーナ並みだ。
「……これは素早さを生かさない手はないな。現在作成中のはやぶさの剣装備は決定として、二本作成して、二刀流とかどうだろう。殴りの試行回数を増して、かいしんのいちげきダメージ蓄積……これはいけるね」
ふと視線を感じた。
フィルくんが僕をじーっと見つめている。
「おっさん、すごく真剣だねえ」
……そうかな? ……そうかも……。
「聞いた話だと異世界転移者なんだよね」
「うん、そうだけど」
「所詮、よそ事でしょ」
「……魔王を倒して世界を平和にしなくちゃ」
フィルくんの切れ長の目が細められる。
僕はぼそっと本音を吐き出す。
「路銀稼ぎたいし、それにゲーム好きだから、クリアしなくちゃゲームじゃないし」
「ふうん」
そして僕にはゲームに匹敵するほど、いやそれ以上に好きなものがあるのだが。
「フィルー」呼びかける声と、近づく足音。「ここにいたんだ、お昼ご飯持ってきたよ」
バスケットを片手に、魔法使いのセノンくんが空地に入ってくる。ナプキンに包まれたパンを取り出し、フィルくんに渡す。一人前きっかり、フィル少年の分だけだ。
「炉で焼きたてのパンとベーコンのサンドイッチ、預かってきたんだ」
……ああ、鍛冶屋の少年からね。なるほど僕の分がないわけだ。
「毒の研究は、もう最終反応に入ったんだけどさ、ここでは何をしているの?」
「【かいしんのいちげき】のトレーニング」
「そっかあ。これだけいろいろなプラン立てれば、どれかは魔王討伐の有効打になるよね、きっと」
サンドイッチを持ったままのフィル少年のとなりに、セノンくんは座る。うん、僕は視界に入ってないようだ。透明人間状態だ。
と、その僕を突然フィルくんが振り返る。
「あのさ、【かいしんのいちげき】が出る手ごたえ、枝で試すんじゃ分かりにくい」
「え、枝じゃ分かりにくいかな? 他ので試す? 小動物とかは……心が痛むなあ。アリとかどうだろう」
「アリじゃ悲鳴あげないし」
「ええ……悲鳴をあげるような生物を実験台にしたいの? ううん、まあそうだよね。通常打撃と【かいしんのいちげき】じゃ悲鳴の質も音量も異なるだろうから……でもねえ……」
「大丈夫。そんな強く握らない」
「?」
「せいぜい剣の柄を握るくらいの力でやる。ただ【かいしんのいちげき】が出たときは、雑巾しぼるくらいの握力になるだろうけど」
「二人とも、何の話をしているの?」
セノンくんが割り込んでくる。しかし僕にも会話の焦点がさっぱりなのだ。
「【かいしんのいちげき】トレーニングの話」
僕はその時気づいた。
フィルくんの視線が僕の足の間に注がれていることに。
セノンくんも気づいたらしく、僕のソレをじーっと見つめている。
「アレを叩いたり、切ったりして【かいしんのいちげき】研究するんだ。いいんじゃないかな」
さらりと言うセノン少年のセリフに、僕はひゅんとした。なぜ、どうして僕のモノで研究するのが前提になっているんだっ。しかも叩いたり切ったりするのを『いい』とはどういうことだっ。
「切ったり叩いたりまではしないよ。せいぜい絞るか握るくらい」
いやいやいや、絞られても握られても【かいしんのいちげき】ヒットしたら、赤玉でちゃうでしょう。
「ええー、切ったり叩いたりしてもいいと思うよ。【かいしんのいちげき】でたら、しばらく平和になるじゃん。僕の周りとか」
「そこまで言うなら真剣でトレーニングしようかな。悲鳴っていい目安になるよね」
「そうそう、その意気」
いや、やめてその意気止めて。僕の男性人「性」が終わってしまいます……。
僕は地面に頭をすりつけ、二人に懇願し、泣きを入れた。
セノンくんはラボに戻り、僕たちはトレーニングを再開する。
木の枝にひゅんひゅん剣を振るいながら、フィルくんがなにか言いかける。
「おっさんさあ…」
「お……おっさんじゃないもん……まだぴちぴちだもん……君たちの五歳くらい年上なだけだもん……」
膝をかかえ、いじけモードの僕はグズグズすすりあげながら反論する。
「人格の手綱を頭に持たせれば、多分、九割がたあんたが思った通りに人生が運ぶ」
どういう意味だろうか。僕はぼんやりフィルくんを見つめる。ぎらりと剣の切っ先が僕の股間に影をつくる。
「言い換えると、性欲切り離したあんたは真人間として周囲に尊敬されるし願い通りに老若男女にモテるって事」
今までにこれほど酷い言葉を投げかけられた異世界転移者っているだろうか。
……いや、いない。
「僕のアイデンティティー……なくなっちゃう………」
「切るまではしなくていいけど、一度、煩悩から解放されてみたら? 尻くらいなら貸すよ」
えっ、と僕は顔を上げる。
動きを止めたフィルくんは、剣を地面に置き、その形の良い足の、ズボンのベルトに手を載せている。
胸が早鐘を打ち始める。えっと、フィルくんの言っている意味って……もしかして……。
「一時でも満足すれば、あんたの脳も魔王退治モードになるだろ? セクハラがなくなれば実験や鍛冶やトレーニングが速やかに進展し、ひいては魔王打倒が早まる」
……開きかけた心の花は、満開にならず萎んだ。
「えーっと、僕、そういう、条件付きでヤる、みたいな感じだと、駄目です……萎えちゃいます」
「……」
「賢く割り切らず、代償を名義にしない、普通なのがいいんです。男同士の恋愛なんてこれまで一度も考えたことのなかった純朴な少年。同性からアプローチを受け、戸惑いつつも、心が、体がなびいてくる、そういうのが理想なんです」
「……」
「思いが伝わる、心が繋がる、そんな感じでいつか大好きな少年と結ばれたらいいなぁって……」
「……おっさん」
「はい」
ひょいと投げられたものを両手で受け取る。ナプキンに包まれたサンドイッチだった。セノンくんがお弁当にと持ってきてくれた奴だ。
「も、貰っていいの? フィルくんは食べないの?」
剣を手に取るので、二分割するのかとサンドイッチを前に差し出すが、直前でフィルくんはかぶりを振る。
「いいや……面倒くさい」
「え」
「半分にするの面倒だから、おっさん一人で食べなよ」
「そ、そうなの、悪いね」
腹ペコだったのでありがたく頂くことにする。厚いパンにかぶりつく。
「でもおっさんのほうがもっと面倒くさいんじゃない?」
「……ん? どういう意味?」
「ガラスでできた迷宮の、真ん中にあるエサにありつこうと、ガラスの壁にひたすら激突しているみたいなんだもん」
それからまもなく。
猛毒の研究は終わり、鍛冶は僕の注文に沿った武器を完成させた。フィルくんのトレーニング成果も上々の出来で、僕らはおのおの武器を手に魔王に対峙する。
はやぶさの剣二刀流のフィル少年を先駆けに、鍛冶屋見習いが雄たけびと共にまじんのかなづちを振るう。非力なセノンくんは毒針で果敢に挑み、及び腰ながら僕もデーモンスピアでちくちくと参戦した。
魔王の鉄壁装甲に10回ほど斬りつけた頃から、フィルくんの顔は険しさの色を帯びた。まじんのかなづちは一度もヒットせず、アサシンダガーに持ち替えたセノンくんは前にも見せた苦渋を、再び表情に浮かべた。
半時間ほどが過ぎ、僕は少年たちの顔に、一度も手ごたえの色がなかったことを確認して、中止を告げた。
ガランとかなづちを乱暴に投げ出す少年は、悔しそうに膝を拳で殴っている。
「どーゆーこったよ。一度も命中しないってさあ。武器はオーダー通り完璧に仕上がってたんだぜ?」
「うん、空地の岩で試してたから知ってるよ。空振りか、それとも岩が真っ二つに砕けるかだ」
二度目の落胆になるセノンくんは、誰よりも肩を深く落としている。
「毒魔法は失敗で……それを猛毒に高めて即死を狙っても……失敗で……僕のやること、全部無駄なのかな」
「そんなことはないセノンくん。今回の失敗で、いよいよ最終プランに移行できる」
「最終……プラン?」
うるんだ瞳でセノンくんが僕を見返す。
僕は隅っこでうつむいているフィルくんの、震える肩をたたいた。
「何十回も切りかかり、一度も【かいしんのいちげき】がでなかった。この確認も非常に重要だったよ、フィルくん」
「……意味わかんねーし」
腕を広げ、僕は三人に語りかける。
「毒の継続効果が現れない。ミスか【かいしん】の二択なのに、ミスしかでない。即死効果が無効。【かいしんのいちげき】が戦闘中に一度も出ない、これらが意味することはたったひとつ。そして打てる有効打もたったひとつ」
目を丸くし、口をぽかんとし、首をかしげ、おのおの驚きを示す少年たちを僕は見渡す。
「村長さんを呼んで、村の人を集めて。たったひとつの有効打は、皆に知らせなければならないから」
言い切った途端、胸がズクンと痛んだ。
当たり前だ……たったひとつの有効打は、僕が絶対に採りたくない方法だからだ。
だけど……魔王を倒すには、これしか手段がない……。
威厳を決めたと思った顔から、ボロボロ涙が溢れた。歪んだ口の端から、ひぃいいいんと駄馬みたいな情けない声が出た。
「ちょ、ちょっとおっさん、何泣いてるんだよっ。ずっとおっさんの分だけ昼食作ってやらなかったからっ? こ、これからは昼食二人分やるから、だ、だから泣き止めよっ」
「は、ハンカチ貸しましょうか? ぼ、僕もちょっと態度が冷たすぎたって反省してますけど、何、どうしてこのタイミングで泣き出すのか、意味不明ですっ。う、うれし涙とかじゃないですよね?」
フィルくんが黙って僕の背中をさする。
少年らに心配されればされるほど、彼らに優しくされればされるほど、僕の胸の痛みは増し、ますます涙は止まらなくなるのだった……。
「【自動回復】です」
村の集会所の壇上で、僕は皆を見渡しながら宣言した。
狭い集会所には80人ほどの村人が集っている。村長さんに聞いたところ、集落の7~8割の人間が参加したそうだ。赤子が居たり、手を離せない仕事中だったりで不参加だった村人には、あとで伝える手筈もできている。
だから僕の話は全村民に伝わるのだ。
……伝わってしまうのだ。
「さまざまな試行錯誤の結果、魔王は【自動回復】能力を持ち合わせているという結論に達しました」
僕はもう一度言う。
村人たちが顔を見合わせ、ざわつく。
「自動回復……」
「魔王が自動で回復しているってこと?」
「どういう意味なんだ」
「順を追って説明します」僕は壇上に用意されたボードを指さした。そこにはあらかじめいくつかの箇条書きがされている。
「まず箇条書きの一行目にある『即死効果無効』です。これは文字通り、一撃で息の根を止める効果を持つ魔法や技が、魔王の前では無効にされることを意味します」
セノンくんや鍛冶屋の少年が、周囲の村人に問われ、詳しく答えているのが見える。
僕は箇条書きの二行目に移った。
「二行目にあるのは【かいしんのいちげき】無効。これは魔王戦においてクリティカルヒットや守備力無視の攻撃が発動しないようになっている処置のことをさします」
こちらを見つめる村人の目は疑問形だ。僕は補足を入れた。
「【かいしんのいちげき】無効は、ファミコン版ドラゴンクエスト【りゅうおう】戦、【シドー】戦において採られているシステムです。これら二体は事実上ゲームのラスボスであり、【かいしんのいちげき】を封じられた主人公は絶対的優位に立つことや、運任せの一撃に頼ることもままならず、打撃と回復を秤にかけたガチの殴り合いを強いられます」
なるほど、とフィルくんが遠くで頷いているのが分かった。
僕はボードの三行目を指し示す。
「これらの結論から導き出されるのが、この三行目にある『魔王はボス』です。当たり前のことのように思えますが、こういう属性やシステムは、先人たちの試行錯誤や、深い解析がなければ分からなかったものです」
「まあ魔王という名前からも、特別な存在だと分かっていたが……」
「それで、ボスだからどうだっていうんだ?」
村人たちが焦れたように答えを求め始める。僕はボードの最後の行に書いてある『自動回復』の文字を掌で叩く。
「ボス属性は【自動回復】能力を持っている可能性があり、この村の魔王はかなりの確率で【自動回復】能力を所持しています。祖先の勇者がちくちく1ダメージを蓄積させても、子孫のあなたたちが毎日殴っても、魔王を倒せないのはこの【自動回復】があるからです」
集会所がしんと静まる。
「具体的な例を出しましょう。ドラゴンクエスト3に出てくる【ボストロール】。HPは320。そしてその時点でのパーティの攻撃力は50前後。パーティは四人編成ですので、全員で攻撃にかかれば1ターンで200ほどのダメージを与えられます。ただ、この【ボストロール】は二回攻撃。攻撃力も高く、ダメージを受けた仲間は回復せざるを得ません。攻撃役二人、回復役二人、そして【ボストロール】の【自動回復】は100。
さあ、このターン与えられるダメージはいくつでしょう」
彼らの理解度確認のため、僕は村人を指名する。
「あ、えっと、平均50ダメージの攻撃が二人で……約100ダメージ与えて……」
「自動回復が100だから」
「えっ……ゼロ……なの? ダメージまったく与えてない訳……?」
集会所の面々に驚愕の色が浮かぶ。ざわつき、動揺を帯びた声色で囁きあっている。
「いやでも、平均100ダメージだろう? 102ダメージを与えていれば、2ダメージは蓄積していることになるじゃん」
「その蓄積も、次のターン98ダメージしか与えられなかったら、チャラになるぞ」
「クリティカルヒットとか【かいしんのいちげき】狙いでなんとかならないかしら」
「【ボストロール】では出るかもしれないが、村の魔王は【かいしんのいちげき】無効と明言されたぞ」
言葉を交わす度に、事態の深刻さが村人たちに染みいっていく。彼らのささやきはまもなく溜息に代わり、ついには重い沈黙が支配した。
「……どうすればいいのでしょう、異世界転移者様」
村長がすがるような面持ちで、僕に歩み寄る。村人たちの期待の視線が注がれる。セノンくん、鍛冶屋の少年、フィルくん、これまで時間を共にし、肩をならべて戦い、失意を分け合い、四人の間に培ったものは、決して無駄ではないのだと、信じ、こいねがう表情で僕を見つめている。
僕だって無駄にしてくない、皆に応えたい。
でもその応える方法は、僕がいちばん採りたくない方法なのだ……。
ああ……。
鼻の奥が熱くなる。脳裏に少年たちとの触れあいシーンが蘇る。気持ちが通じ合った。いい雰囲気ができあがった。男同士でも不自然ではないコミュニケーションの一端が見えた。
それらも、たったひとつのこの有効打で……。
「…………子作り……です」
「……は? いま、何とおっしゃいましたか、異世界転移者様」
「子作りっ! 子供を作って住人を増やし、物量作戦で一ターンに魔王へ与えるダメージを増やす、それしかないんですっ!」
僕は会の直前に、村長に頼んで村の備忘録を見せてもらっていた。
勇者のパーティが作ったこの村。初期は20人にも満たなかったらしい。パーティの身内や親族、勇者の支援者などの20人ほどで、村を開拓し、同時に魔王にダメージを蓄積しつつ、子作りも行う。年月を経て、今の村は住人100人を超えるほどになっている。
毎日ひとり1パンチ、魔王に与えたダメージを仮に110とする。
問題は魔王の【自動回復】量が不明だということだ。もちろん魔王の最大HPも分かっていない。
自動回復を100、最大HPを1000として計算すると
(1x110-100)×100日=1000ダメージ
村人総出で100日のあいだ殴り続ければ、魔王を倒せる。
だが自動回復が200になると
(1x110-200)×α日≠
いつまでたっても倒せない計算になる。
この不能計算式を使えるものにするには、人口の値を、とにかく増やすしかないのだ。
「……い、異世界転移者様がおっしゃるには、とにかく頭数を増やして、一日に与えるダメージを増やすということですよね……で、でしたら、その、近隣の村から人を募るという手段もありますが」
「それじゃあ駄目なんです。他の村の人とか通りすがりの冒険者とか、彼らは帰る場所がある。いつかは村から去ってしまう。ある時期だけ201人で201ダメージを与えても、彼らが去ったあとは110ダメージに戻ってしまう。
【自動回復】が仮に200だとすると、魔王の最大HPはじわじわ時間をかけて満タン値まで回復してしまうんです」
「な、なるほど。だから村人を増やすと……」
「村の周りのほそぼそとした畑だけでは、急激な人口増に耐えられないでしょう。だから子作りと同時に村づくりが必要でもあるんです。鍛冶屋は武器作成ではなく農具専門になり、開拓効率に拍車をかけるようにするとか、魔法の研究は植物の成長の促進とか、害虫駆除とかそういうのに振り分ける必要性もでてくるでしょう」
「分かりました、よく分かりましたとも、異世界転移者様」村長がドヤ顔でうなずき、それがまた僕の心をえぐる。「村づくりは商店街の有職者に集まってもらい、よく話し合って村のための方向転換を図ってもらうことにいたしましょう」
村人たちから拍手が飛び出す。僕はもうこの場から離れたかった。
「そして子作りのための支援は村で行うことにいたしましょう。現在結婚中の夫婦には、子供をひとり増やすごとに報奨金を、生まれた子供の面倒を見るのは老夫婦の世帯で、こちらにも補助金を出し、子供を育てやすい環境を推進させます。
未婚世代の若者たちは、結婚と子作りを推奨はもちろん、出会いの場作りも村主体で進めることを宣言します」
おー! と気合のこもった腕がいくつもあがる。先祖の悲願を叶える希望の光を見出し、集会所の村人たちはやる気満々のようだ。
僕は一刻も早く立ち去りたい。
「異世界転移者様、どうしました、どこかにご用事ですか? どうか今夜の宴には参加してください。宴というのは建前で、未婚の若者の婚活会場にするよう、今からいろいろ準備をいたします。
ああ、そうだ! 異世界転移者様もよろしければこの村で所帯を持ちませんか? 村には結婚適齢期の娘もおりますし、何なら近くの村から呼び寄せてもいい」
「……僕……女性、無理ですから……」
「何かおっしゃいましたか、異世界転移者様?
近隣から呼び寄せた若者は、移住費用の立替を行い、住宅費用の援助も行う予定です。
むろん、異世界転移者様は、住宅も生活費もこちらですべて負担いたしますよ。
先代勇者パーティの貯めた財宝をすべて使い切る姿勢でいきますよ。仇敵魔王を倒す、千載一遇のチャンスですからね」
「……ええと、僕、今夜にでも村を出ようと思うのですが……」
「またまた、何をおっしゃっているんですか異世界転移者様」
・
村長は何度も僕を引き留めようとしたこと。
渡された報酬の、半分は返したこと。
村の広場で燃え盛るキャンプファイアーを見ないように立ち去ったこと。
けれども火の傍でロマンチックに語らいあう男女ペアのシルエットがいくつも見えてしまったこと。
僕は昨夜のことのように思い出せる。
だが確実に年月は経っており、童貞をこじらせながら旅を続ける僕は、まもなく「魔法使い」になれる年齢に達しようとしていた。
ふと立ち寄った酒場で、その噂を耳にする。
「ガチ装甲の魔王を倒したって話、聞いたか?」
「海の向こうの大陸の、1しかダメージを与えられない魔王の話は聞いたことあるな。……そうか、とうとう倒したのか」
「百年以上前に出現した魔王だっけ? もはや伝説級だな。戦ってた奴らもそうだけど。歴史と蓄積ダメージの前についに倒されたか魔王……」
テーブル席を囲む三人のおじさんの地声はでかく、カウンタの隅の席の僕にもよく届いた。
「いや、なんでも村のやつらの人海戦術だって聞いたな」
「へーえ、塵も積もれば山となる。ひとりなら1ダメージだけど、千人集えば1000ダメージになるからな」
「それが聞いた話によると、桁違いなんだな、それ。村の住人は今、一万人近くいるらしいぞ」
「ほお、そりゃすごいな。都市や首都並みだ」
感心されたのをいいことに、情報通のおじさんは自分の手柄のように語りだす。
「まずは若い移住者を多く募ったらしい。移住費用は村の側で負担する、さらに引っ越し後の一年間の生活費用も出してくれるってことで、近郊や国外からの流入が相次ぎ、一万人のうちの過半数がこの移住者で占められるそうだ」
「あれ、大盤振る舞いで移住を集めても、そんなものなのかい」
「そうなんだ。人海戦術――つまり人を増やす方法に、村は『子作り』の方を重視したらしい。子供を産めば報奨金、カップル成立にもお祝い金、さらには村ぐるみでセックス奨励。村のあちこちにある色旅荘は24時間営業、村民の利用は無料」
「おお……」
おじさんのひとりが身を乗り出し、ひとりが涎をぬぐっている。
「さらに聞いた話だが、精力が強い男は、複数人の妻帯ができたし、ハーレムのようなものも作っていたと言うな」
「それは……いいなあ。どこの村だっけ? 海の向こう?」
「よせよせ、やめておけよ。今更行っても仕方ないぞ」
「うん、セックス奨励キャンペーンは終わったんだ。子だくさんの家族が幸せに暮らす村の姿を見せつけられるだけで、空しいぞ」
二人のおじさんになだめられ、やる気だったおじさんも「そうだよなあ」と塩をかけたナメクジのようにうなだれる。
僕は会計を済ませ、そっと酒場を出た。
外の風に僕は身を震わせる。山の向こうの星々は、雲をかぶってぼやけて見えた。
……僕はずっと思ってきた。
ゲームクリア > 少年 なのだと。
あのとき涙を飲んで、たったひとつの有効打を周知させたとき、僕の嗜好の不等号は変わってしまったのだと自分に言い聞かせてきた。
だが、酒場で話を聞いたあとの僕は、絶え間ない胸の疼きに気づかされるのだ。
嗜好は変わってなどいないのではないかと、再認識を強いられるのだ。
……遠い昔にささやかれた言葉を思い出す。
僕は、ガラスの迷宮の真ん中にあるエサを取ろうとひたすらガラスの壁に激突しているのだと。
未だに僕はエサにありつけておらず、エサはずっと変わらぬままその場にある。つまりはそういうことなのだ。認めると胸の奥にじわりと出血がにじむようだった。
そして僕は昔も今も、ガラスの迷宮を回り込んでエサを入手しようとさえしていない。
不意に、倒されたばかりの魔王の姿が僕の心境に重なった。
守備力をひたすらあげた鉄壁のボディで、何者にも傷つけられまいと望んだ魔王。迷宮を回り込んで直接エサと対峙しようとしない僕。根幹的な部分で僕は魔王と共通点を持っているのではないか。
「ははは……こじらせ童貞は30を過ぎると『魔法使い』じゃなく『魔王』になるのかもしれない……ね」
ここにいない誰かに語りかける。
僕はその少年の当時の姿も、切れ長の瞳も、むろん名前だって思い出せる。
だが全力で、僕はその名が表層に飛び出すのをこらえた。
彼はいまごろ一児の父親……いや、三児くらいもうけているかもしれない。
すでに僕は満身創痍だ。これ以上の負傷は回避したい。
わずかな余力をふりしぼって、僕はふたたび歩き出し、風のようにさすらいはじめるのだった。
-------------
了