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僕は異世界転移者だ。
日本で生まれた、どこにでもいるような普通の若者。
名前も鈴木とか山田とか、平凡なものを適当にあてはめてくれればいい。
好きなものはゲーム。特にRPG。
それと……少年だ。
特に目的ももたず異世界を旅する僕は、ときどきゲーム知識を生かして村人たちに感謝され、お礼にささやかな路銀をもらい、また放浪するという、気ままな風のように過ごしていた。
ある日、僕は奇妙な村を通りすがった。
周囲は広大な農地で、中心部に柵で囲まれた五十棟ほどの家がよりそう小さな村。柵の切れ目が村への出入口も兼ねているのだろう。その柵の手前に巨大なオブジェがあった。
クレーン車のアームを最大角度に持ち上げたほどの高さがあり、灰色の硬質な表面から、材質が石であることが察せられる。オブジェは人型をしており、目とおぼしきくぼみから見下ろされる威圧感が半端ない。
首の付け根が痛くなるまで曲げている僕のうしろを、村人たちが通り抜けていく。
石のオブジェの前で彼らは立ち止まり、手にした農具でガツンと一撃喰らわせている。
「まあ、いつものことだけど、今日も倒せる気配がねえなあ、この魔王は」
「俺も子供のころから毎日、こいつを蹴っては突いてダメージを与えてきてるんだけどなあ」
「赤子の頃から30歳の今まで、オレの攻撃だけでも合計一万ダメージは超えているよなあ」
「魔王のHPは一体どのくらいなんだよなあ」
話しながら村の外の農地に向かう彼らの後ろ姿を見送り、僕は目をぱちぱさせる。
……魔王なのか、これ。
村にある小さな料理屋に入店する。小規模な村は大概、こういう料理屋の二階が旅籠を兼ねている。今夜の宿をもとめるつもりもあったし、魔王と呼ばれたオブジェが気になったせいもあった。
「ああ、そうだよ。村の入り口にいるのは魔王だよ」
給仕の女将に料理を注文したついでに、魔王について聞いてみるとあっさり答えが返ってきた。
「魔王……ですか。模して造られた石像とかじゃなく、生物に分類される生きている存在ってことですか?」
「ああ、生きとるよ」とこの声は厨房の親父さんだ。僕の注文したピリ菜炒め飯をフライパンで炙っている。「たしか十年前に行動したっけ」
「いいえ八年前でしたよ、あなた。ほら、魔王の起こした地震攻撃で、井戸の周りが陥没して、しばらく水に不自由したとき」
女将さんが応じる。
「ああ、そうだったな。夏場だったんで困ったよ。そうか、八年前か。すると魔王のターンがそろそろだな」
「いやですねえ、緩い攻撃だといいんだけれど」
「あのお……」完結してしまっている夫婦の会話に、僕は割り込む。「それって魔王の攻撃ターンが、八年に一度やってくるってことなんですか?」
ものすごい鈍足だ。ルールーだってもう少しまともに攻撃ターンが回ってくるだろう。
「ああ、それはだね」
主人が話し出した内容をかいつまむとこういうことだった。
百年以上前の話。この地域に出現した魔王と、勇者パーティの一行はこの場所で決戦を行った。
ひたすら剣閃を浴びせかける勇者に、魔王は毎ターン守備力アップの魔法を唱え続けることで抵抗した。
毎ターンだ。攻撃もせずひたすら自分の守備力をアップさせる。
……魔王バカじゃないの。
しかしメタルスライムより固く、守備パラメータもカンストした魔王に、勇者パーティは1ダメージしか与えられなくなってしまったのだ。
世界の平和を願い、仇敵を倒すため勇者はチクチク1ダメージを与え続けるが、ついに老衰を迎えてしまった。
……勇者バカじゃないの。
死ぬ間際に勇者は、仲間たちに魔王打倒の信念を託した。残った仲間たちが拓き、子孫を残したのがこの村である。
先祖の意向にしたがい、勇者パーティの末裔である村の人々は今日もチクチク1ダメージを魔王に与え続けているのだ。
いつの日か、蓄積ダメージが魔王を打ち倒すことを願って。
で、だ。
魔王の守備力アップの魔法には副作用があった。かけるたびに素早さパラメータが減衰し、効果は永続する。奴の素早さは現在0ではなく、マイナス域に突入しているらしい。だから行動のターンが八年に一度しか回ってこないのだ。
微妙な戸惑いを覚えながら、僕は一応確認する。
「ええと、八年に一度に起こる災害みたいなものですが、それでも魔王、倒したほうがいいと思いますか?」
「そりゃ倒したほうがいいよ。地震攻撃も火炎の息での火事延焼もうごめんだからね」
「あんなでかいものがのさばっていると、洗濯ものが乾きにくくて困るわ」
主人の意見はもっともだったが、女将さんの追加した理由によって狭小化されてしまった気がする。
「ああ、それに先祖の悲願だったからね、魔王退治は」
OKだ、ご主人。僕はピリ辛炒め飯の最後のひとくちを口に放り込み、お茶で飲み下した。
「そうですか、それなら、僕がお役に立てると思います。僕は異世界転移者です。逃げないメタルスライムのような敵に有効な手段や知識をアドバイスできます」
それからの話はすいすい渡り、旅籠の主人から紹介された村長と僕は交渉した。結果、成功報酬は村の財政が傾かないほどの額を頂き、魔王打倒までは村の施設や人材を自由に使用する許可を得た。
さて、もう忘れている人も多いだろうから、再度つげておく。
僕は少年好きなのである。
だから魔法工房を訪れた時、出てきた半スパッツ生足に心を奪われたのも仕方ないことだろう。ロングブーツとスパッツの間の神聖な白い腿の領域。ああ、フードを被っているのもゲーマー魂をわしづかみにするではないか。彼がファイアーやらサンダーを唱えるたび、フードがなびき、裾がひらひらし、神聖領域の白に影がちらつくのをどうして想像せずにいられようか。記憶に永久に焼き付けようと顔を近づけずにいられようか。
「どちらさまですか」
だから僕を出迎えた魔法工房の少年の声は、冷ややかだった。
「師匠は修行に出かけております。伝言をお渡しできるのは三か月後になるか半年後になるか」
冷ややかなだけではない。彼の目線は無言で僕を「変態」と蔑んでいた。
「あ、いや、師匠がいないのは、村長さんから聞いてます。魔法の使い手がいるならば、構いません」
「村長……?」
僕は事情を説明する。納得したのか魔法工房の少年の態度はすこし緩和したが、地に落ちた好感度が回復したような手ごたえは全くなかった。
「ふうん、魔王をね」少年は肩をすくめ、ドアを開放し僕を招き入れる。魔法書が本棚に並び、机の上では魔法薬の反応が進行中の、ラボのようだ。「でもあいつに魔法なんて通用しませんよ」
「そうなんだ」
「魔法防御力がもともと高かったみたいです。だからの勇者パーティの一員だったご先祖の魔法使いも、補助魔法を中心に手持ちに組み入れていました」
「ふうん」
補助魔法となればバイキルトみたいな攻撃力アップ魔法もあったのだろう。だが魔王のカンスト守備力に通じなかったことは、歴史が証明している。
「僕が考えているのは攻撃魔法なんだよ」
「だから…」
「毒の魔法ってあるかな」
少年魔法使いの眉がつりあがり、ややあって軽蔑の眼差しと共に僕に注がれる。僕への好感度のガードが固すぎない?
「異世界転移者はご存じないでしょうけど、この世界の元素は火水風土の四つ。攻撃魔法もその四種しかありません」
「えっと、毒単独の元素はないかもしれないけど、その基本四種の元素の中に、毒の要素が含められないかなって考えているだ。たとえば、腐った水を飲めばお腹を壊すよね。火山のガスをはらんだ風は有毒だよね」
「ああ、なるほど。そういう考え方をしたことはなかったかも」
少しだけふたりの溝が埋まったようだ。毒の魔法の研究を進めることで意見が一致し、僕はラボに泊まり込んで少年のアドバイスやら手助けをすることになった。
しかし、寝室は別だった。
それどころか、参考書を開く少年の本を横からのぞきこもうとすると露骨に避けられ「これと同じ本、師匠の本棚――あなたが寝室に使っている部屋にありますから」と、本すら共にすることを拒否られる始末だ。
……溝埋まってなくない?
虚しさを覚えつつも、毒魔法の研究は完成に近づいていた。
「毒魔法はまもなく出来上がりますが、完成したところで魔王の魔法防御力の高さがネックですよね。
ノーガードなら100ダメージ与える毒魔法も、魔法防御の高い魔王に使えば1ダメージ。結局、村人が殴るのと変わらなくなってしまう」
魔法少年の憂いを払うように、僕は異世界転移者の知識を駆使する。
「うん、だからね、毒魔法で与えるダメージだけでなく、継続的に与えるダメージに目をつけているんだ」
「継続的ダメージ?」
「火の魔法は炙って終わり、氷魔法は凍らせて終了で一過性のダメージだけど、毒はそうじゃない。体内に溜まり、身体をむしばみ、完治までじわじわとダメージを与え続ける」
「どういうことでしょう?」
「ええとね、前にも言った腐った水を飲めばお腹を壊す。嘔吐したり下痢したり、完治するまでずっとHPが減り続ける……そういうイメージで分かりづらいかな」
ポン、と軽やかな音で少年が膝を打った。ああ、なんて形のいい剥き出しの足なんだろう。視線が釘付けだ。でも魔法使いの少年は僕を見下げもせず、罵りもしなかった。
顔をパァッと輝かせ、僕の顔を見つめ、会ってからおそらく初めてになる尊敬と敬意の感情が迸る。
「そう、そうか……毒の継続ダメージ。魔王に毒の魔法をあて、継続ダメージが発生すれば、たとえそれが10ダメージでも十人の村人が殴るのに等しい。研究を進めて効果時間を長くしたり、継続ダメージが大きくなるよう調整したり……これなら師匠が生きているうちに魔王を倒すのも、夢じゃないかもしれない!」
ぎゅっと両手が包まれる感覚。僕の鼻息が荒くなる。
少年のお手ては、なんてなめらかで白くてしっとりしているんだろうか。顔がにやける。
「ありがとうございます、あなたのアドバイス、すごく役に立ちました。発想の転換は間違いなくあなたから与えられたものです。異世界転移者様は村の救世主ですっ」
握られた両手はぶんぶん上下に振られ、少年はすっかりハイテンションだ。
……うん、じゃあ寝室一緒にしてもいいかな?
寝室は一緒にしてもらえなかったが、二人の合作である毒魔法は完成した。さっそく村の入り口に赴き、魔法を発動させる。少年が難しい顔をして様子をうかがうのを、僕は屈んで神聖領域に目線をあわせて観察する。
「……どう?」
「発動はしたのですが、魔王に継続効果が発生したような感覚はありません」
声を落とす少年。僕は励まし十度ほど試させる。効果音もエフェクトも発生しないので、僕にはどうなっているのか分からないが、詠唱者の少年にはダメージ量とか、継続効果が発生しているかどうか判別できるらしい。
「何度か試して判明しました。魔王に魔法は当たるけどダメージは1。つまり村人が殴るのと同じことですね。そして継続効果ですが、これは発生を一度も確認できませんでした……」
魔法使いの少年の声は沈み込み、最後のほうは消え入りそうだった。
「毒の魔法は当たるけど、魔法防御力が相当固いということだね。そして副産物の毒の継続効果は、残念ながら発動しないようになっている」
「……師匠を……あっと言わせてやれると思ったのに……。遠いご先祖の勇者パーティ、その中でもほとんど役立てなかった魔法使いの子孫が、魔法の力で魔王を打倒する……みんなの鼻を明かせてやれると思ったのに……。無駄だったんだ……」
うなだれ肩を落とす少年の、その弱弱しく震える肩をそっと抱く。
振り払われることはない。嫌がっている様子もない。僕が耳元に囁く声を、鼻をすすりながら受け容れている。
「うん、それじゃあプラン2行こうか」
「……プラン2?」
「毒魔法を魔王にぶつけても直接的な効果しか見込めない。なら間接的に利用して、もっと効果を見込めるようにするんだ」
「えっ……無駄だった毒魔法を?」
「無駄なんかじゃない。僕と君との合作は、将来的な効果を見込める金のタマゴ、略して金タマなんだよ」
「どういう……意味……ですか」
うるんだ瞳が僕を見つめる。研究中は、ちょっとでも卑語や性的な単語を口にすれば、ヒャドより冷たい眼差しが注がれたものだが、僕たちの間も発展・進展したものだ。
「僕たちはプラン2に移行し、毒の魔法をベースに魔王を倒す新たな手段を開拓する。それには施設と人材が必要になるんだ。鍛冶屋と鍛冶の熟練者。それから剣の腕が立つ者で、なおかつ強運の持ち主。君の知り合いに居ないかな」
「……鍛冶屋は村にあります。対魔王の武器だけでなく、普通に農具の調整や研ぎで必要な施設ですから。自分の友達がそこに弟子入りしてますから、紹介できます。剣を使う強運者は、その友達伝手で探せると思います」
悲嘆から立ち直り、前を向き始めた少年の、肩を強く抱き寄せ、僕は言う。
「そうか、分かったよ。それならプラン2の為にまずは鍛冶屋へ向かおうか。でも明日でもいいね。今日は、君を慰めるのに一日を充ててもバチは当たらないと思うんだよね。うん、そうだ。今日は慰め休養日にしよう。僕が借りている部屋は、人体模型が飾ってあってムードが出ないからね。君の部屋で慰め休養日をしようと思うんだけど、どうかい?」
明日まで待たず、今すぐ鍛冶屋へ向かうことを少年は選択した。
……ちぇっと内心舌打ちする僕は、すぐさま気を取り直す。
道路に面した開放型の店舗、その作業場に立つ少年店員の背中にうっすら汗をかいているのが見えたからだ。炉の熱気によるものだろう。健康的に張り出した背骨に、はりつく無数の汗の粒。しかも剥き出しの背中にかかるのは、二本のエプロンの紐だけ。
そう、これは夢の裸エプロンなのである。
僕の心のランキング「少年に着てほしい衣装」の堂々一位を張るのを目の前に、どうして興奮せずにいられようか。下はぴちぴちズボンをはいているので、正確には裸エプロンではないのだが、そんな些細なことに関わる暇はない。目の保養をしなくては、隙間を堪能しなくては。
裸エプロンの隙間、つまり体の前面とそれを覆うエプロンのあいだに生じる隙間のことである。これは魅惑の数ミリであり、神聖空間なのだ。この隙間が何によって生じるか考えたことがあるだろうか?
引き締まった肉体で、鍛冶という力仕事をこなす少年に、腹肉などの嫌悪的なものは身につかない。
胸部もまた女性とはちがって平坦であるから、エプロンとの間に隙間は生じにくい。
――ただひとつ、魅惑の隙間のため残されたのは乳首。少年の乳首なのである。小さくささやかなピンク色の突起がエプロンを持ち上げ、隙間を作り、僕を誘うのである。
障子に穴があれば覗くし、自動販売機の釣り銭口は探るし、エプロンの隙間は手を入れてみたくなるのである。
……ああ。
その瞬間だった、僕の人差し指が激痛とともに現実に引き戻されたのは。肉がひしゃげ、爪がゆがみ、ギリギリと音を立て僕の指を粉砕せんとするのは鉄の道具――炉で熱した剣などを取り扱うのに使う奴で、エプロン姿の鍛冶屋の少年は無表情にその禍々しい道具で僕の指をはさんでいる。
「何なの、このヘンタイおっさん」
容赦ない毒舌と共に、ためらいなく道具でひねりを入れられ、僕はぎゃっと飛び上がる。魔法使いの少年が応じる。
「異世界転移者で魔王退治のアドバイザー」
魔法使いの少年が、僕の偉業の予定を語る間も、僕の指は平箸に挟まれっぱなしだった。火の中のものを扱う火箸にはいくつか種類があって、そのひとつがこの平箸なのだ。先端の厚みと、ひねるのにちょうどいい体長があり、僕の指先は「へっ、そんなの無理に決まってるじゃん」「頭わいてるんじゃないの、このおっさん」と鼻で笑われるたび、激痛に翻弄されるのだった。
……ああこれ、有限実行しないうちは好感度が上がらない奴だ、きっと……。
ひたすら懇願し、魔法使いの少年にもとりなしてもらい、ようやく平箸が離れていく。僕の指はすっかり腫れあがり、爪は地面に落としてさんざん踏まれたスタバのカップの蓋みたいな有様になっていた。
指先をふーふーしたい衝動を我慢し、威厳をもって、有限実行のための一歩を踏み進める。
「ええと、魔法使いの彼が説明した通り、魔王に毒の魔法は通用しませんでした。高い魔法防御力によって1ダメージしか与えられず、継続効果は発動しません。ですので考えを切替えて、毒と武器の混合を主体にしていくことにしました」
「属性武器って奴だろ? そんなのはとっくに試し済みだよ。炎の剣、風属性をまとった剣、いろいろやったけど、打撃ダメージは1、追加の魔法効果が発動してもダメージは1、奴の超防御力には通用しなかった。
……ってこのくらいのことは説明しておけよな、セノン」
魔法使いのセノン少年はうなだれる。
「セノン君はちゃんと説明してくれたよ。そのうえで僕は、特殊武器で魔王と倒そうと考えている。君は今まで作成したことがあるかい? 敵の急所を狙う暗器、一撃で息の根を止めるような武器を」
鍛冶屋の少年の、汗の浮いた顔の、りりしい眉がピクリとする。
「僕とセノン君はこれからも毒の研究を進め、猛毒や致死性の毒物を完成させる予定だ。そしてそれは武器と組み合わせたときに絶大の効果を発する」
「毒と組み合わせる武器……」
「剣や大剣のような性能や武器自体の攻撃力は要らない。どうせ1しかダメージを与えられないんだからね。
僕のイメージしているのは、アイスピックを一回り大きくしたような【どくばり】、丈夫で大振りなナイフ型の【アサシンダガー】、息の根をとめる一撃を放つ【デーモンスピア】こんな感じだね」
「なんか、すげえ……」敵意と嫌悪しかなかった鍛冶屋の少年の瞳が、きらきら輝き始めた。「一撃必殺の武器。そういう考え方はなかったよ。ご先祖の勇者も俺の両親も毎日チマチマ1ダメージを与えて、蓄積させてきたけれど、そういうの飛び越えて、魔王がどんなに高HP持ちだとしても、たった一撃で倒せる武器。夢のようじゃね? ああ、俺、興奮してきたよっ」
「うん、それじゃあ僕がドラゴンクエスト公式ガイドブックで見た、それぞれの武器の形状や特徴を君に伝えるからね。イラストと口頭で出来る限りイメージが届くようがんばるよ。それから興奮して暑いなら、下を脱ぐのはどうかなあ。僕のイメージ伝達力にブーストがかかるような気がするんだけど」
夢の全裸エプロンは叶わなかったが、好感度の前進の兆しはあったようだ。
僕の描く拙いイラストを、鍛冶屋の見習い少年は至近距離で覗きこみ、口頭説明には、唾がかかりそうな近さで質問をしてくる。試作品は手ずから渡してきてくれるし、槍のような武器は「重いから落とすなよ」と、僕の肘に沿え手をしてくれる。
「強度や性能は不要だっていうから、形だけならすぐに出来上がるよ」
「うん……これで充分だね。あとは猛毒の完成を待つばかりだ」
針、ダガー、槍の試作品をひととおりを検分した僕はそう言った。
「毒のほうはまだ時間かかるのか?」
セノン君は鍛冶屋を紹介したあと、ラボに戻って研究を進めている。
「致死率を高めた毒は慎重に扱う必要があるからね。もう少しかかるかな。でも君の仕事はまだ終わったわけじゃない。即死武器の他にも、保険の意味で新たな武器を作ってもらうよ」
「新しい武器……どんなのだ?」
目をキラッとさせ、鍛冶屋の少年は僕ににじり寄ってくる。ああ……役得。
「【はやぶさの剣】【キラーピアス】は非常に軽く、装備者の素早さを底上げし、一ターンに二回攻撃を仕掛ける。これらの武器は【攻撃力×0.7】を二回行うという補正がついてしまうんだけどね、それでも回数を増やすことは非常に重要だ」
「……攻撃回数を増やす……」
「【まじんのかなづち】という武器も作っておきたい。これは非常に重く、呪いがかかっているという設定で、攻撃はかならず【かいしんのいちげき】かミスのどちらかになる」
「……かいしんのいちげき……?」
「そう。攻撃回数を増すのもこの【かいしんのいちげき】を出しやすくする下準備なんだよ」
「かいしんのいちげきって、すげーのか?」
「うん、すごいよ。だいたいの作品では敵の守備力を無効にし、素の攻撃力相当のダメージを与えられる」
「魔王にも?」
「もちろん。たとえ守備力がカンストしていても、武器威力そのもののダメージを与えるよ」
「その、かいしんのいちげきってどうやって出すんだ?」
「一般人だと1/256とか1/128の確率だと言われてるね」
「100回とか200回とか殴って、そのうち一回かいしんのいちげきが出る感じなのか」
「職業が武闘家だと1/64の確率だったかな。レベル上昇にしたがい、かいしんのいちげきの出る確率は高まるらしい」
「うーん、それって俺の作った飯を親方は毎日『不味い』と文句たれるけど、二か月に一度くらいは『今日のはまあ食えるな』って言うんだよ。俺自身、確かに今日のは煮えすぎてもないし、焦げてもないし旨いなって納得するんだけど」
「ははは、料理のかいしんのいちげきだね」
二人で笑いあい、この上なくいい雰囲気を僕は感じとる。
「そういや、腹減らないか? 俺の手作りでよければ食ってけよ。今、用意するからさ」鍛冶用のエプロンをするりと脱ぎ捨てる少年。「まあ、かいしんのいちげきメシに当たることはまずないから、覚悟はしておけよー」
僕はそれどころではなかった。いきなり二人で食事という急接近に頭がぼうっとし、ピンク色のめまいが僕を襲う。
「あー、調理用の前掛け見つからねーや。ま、いいか。冷や飯に冷や汁ぶっかけた奴だし」
……エプロンがない。それじゃあ裸エプロンではなくただの全裸ではないか。全裸少年。なんて破廉恥なんだっ。
「それでさー、複数回攻撃武器も、呪いの【まじんのかなづち】も、時間はかかるけど完成させられると思うんだよ。あんたの語る『公式ガイドブック』の情報、分かりやすいし、イラストからイメージも沸きやすいし。
んで、その完成品はさ、俺が装備するの? 料理のかいしんのいちげきさえ、滅多にない俺なんかがさ……」
冷や飯に冷や汁ぶっかけた料理を、少年はエプロンなし状態で僕の前に置く。どぎまぎしながら僕は料理を見るどころじゃない。目が男おっぱいに固定されてしまい、返事の声も上ずる。
「あ、うん、それなんだけどね……セノン君には伝えてあるんだけど、運の良さの値が高い戦士や剣士を探しているんだ。複数回攻撃の武器や、まじんのかなづちも、その人に装備してもらう予定なんだけど……」
「運の良さが高い? なんで?」
「う、運の良さが【かいしんのいちげき】の出やすさに関係するんだよ。運の良さが高ければ高いほど出やすくなる。セノンくんによれば、鍛冶屋の君なら紹介できるだろうって……」
「運の良さが高い……つまりラッキーな奴ってか。そうだなあ……」
少年が腕組みするので、胸がぐいと持ちあがる。エプロンなしの裸の胸だ。ああ、なんて慎ましやかに存在を主張する乳首よ。あれなのか? エプロンを脱ぐってことは、隙間からいじられるんじゃ嫌ということなのか? 腕組みして胸をアピールするその真意は、堂々といじくってというおねだりなのかっ!?
「……ああ、そうだ、うってつけの奴がいるじゃないか。運の良さだけで生きているようなあいつが」
少年が思いついたように話しかけてくるが、僕はもうまともに返答できない。口から鼻から漏れる音はハァハァの一語だけ。そろりと伸びる腕は、気配を消し、指先に神経を集中し、剥き出しの胸の先端にまもなく到達するだろう。
つまんだ瞬間、僕の指先はどんな歓喜を味わうだろう。伝わる触感はコリコリなのか、それともぷにゅっなのか、少年は胸元からビクリと痺れ、僕は喜びに全身を震わせるのだ……。
「ん?」
短く風を切る音が通り過ぎ、次の瞬間、僕の手の甲に何かがヒュッと突き立った。僕の手の上でそれはビョンビョン揺れている。
痛みは遅れてやって来た。
揺れが収まり、全貌が見えてきた手の甲のそれは、さっき仕上がったばかりの毒針(毒は未添付)で、僕がぎゃっと喚きながらもんどりかえったのも仕方ないことだっただろう。
「フィルじゃねーか」
鍛冶屋の少年が店先に呼びかける。炉や機材が雑然とならぶ店内の、10メートルほど離れた戸口にはひとりの少年のシルエットがあった。
僕はまだぎゃあぎゃあと喚き続けている。
鍛冶屋の少年が困惑げに、僕とフィル少年を交互に見る。
「そこの喚いているおっさんが、不埒行為を働こうとしてからさ、思わず手が出ちゃったよ」
「不埒行為?」
「お前のビーチクに触れようとしていた」
「……」
鍛冶屋の少年の瞳から、スウッと音を立てて憐憫の情が消えた。「そういやこいつヘンタイおっさんだったもんな」と吐き捨て、培った好感度が轟音を立てて後退していくのが分かる。
「セクハラおっさんなら、手の甲を貫通してもいいんじゃないかなと思って、店頭にあった大きな針を投げたんだけどさあ、いやあ貫通まではいかなかったねぇ。運悪いなあ」
……いや、君は充分幸運だよ。ごちゃごちゃした店先の機材を見事すり抜け、10メートル以上の距離を過たず飛ばし、僕の手の甲にクリティカルヒットさせた投擲の腕。そうか、フィルくん、君が『運の良さだけで生きているようなあいつ』か。