第八十七話 未曽有の危機到来!?
「だいぶ空が明けてきたな」
シンとした大地がゆっくりと空を青く染めだす。
ペイトンの声で、自分が寝ていたことに気付く。いつの間にかあの街を出ていた。狭い荷馬車には幌もなく、上を見ればすべてが薄青い空。周りは緑の大地。音もなく進む彼の荷馬車はたとえそれが金貨二枚で買ったリアカーのような存在でも、意識を失ってしまうほどに居心地が良く、僕以外のメンバーもそれは同じだったようだ。
ペイトンの前には八頭の馬が走っている。
その数頭の背中には黒狼族とリサメイが、馬の背に突っ伏すようにして眠っている。彼らも荷馬車に乗せることが出来れば良いのだけれど、残念ながらここは四人と仔馬牛一頭で満席状態だった。
炎に堕ちた街クーランノイエ。
そこから王都に向かってはいるものの、僕らは疲れていた。【黒の手】との死闘から続く魔狼との戦闘。いくら【リセット】がすべてを戻すと言っても、精神的な疲れまでは戻らない。神経をすり減らした状況から解放された今、僕らは泥のように眠っていた。
ペイトンは立派だ。
当然、彼も同じ状態のはずなのに、一切途中で眠ることなく王都へと僕らを運ぶ。そのプロ意識は称賛に値するのだが、さすがに気の毒に思えた僕は、彼に背中越しから声をかける。
「大丈夫かペイトン。別に眠る時間くらい取っても良いのに」
「ん。いや、大丈夫だ。それよりもお前、あの悪炎の魔女と知り合いだったんだな」
眠ることよりも会話を選んだペイトン。
そんな彼の口から、あの男からも同じように呼ばれた、ディアミスの話題があがった。
「その悪炎って呼び名は?」
「ああ。彼女は王都でも指折りの悪名高き貴族の家に生まれたんだがな。子供のころ、母親を失くした衝動で、自分の体のなかに炎の精霊を宿しちまったんだとよ」
「炎の精霊?」
「ああ。なんでも火災が原因で亡くなった母親が、精霊術師だったらしくて、死ぬ間際に召喚していたのがその精霊だったそうだ」
この世界の精霊術師が、どれほどのチカラを持っているかは知らないが、自分の娘の体内に炎の精霊を宿らせるとなると、相当の実力者だったのだろう。その娘であるディアミスが、昨夜のような大規模なチカラを行使出来たのは、その血筋と精霊の影響なのかもしれない。
「初めて見たぜ。街の炎が根こそぎ消えちまうなんてよ」
「うん。すごかったね……」
あの光景は忘れられそうにない。
あの場の全員がそうだろう。それほどディアミスのチカラはすごかった。最初に出会ったとき、彼女への対応をひとつでも間違えていたら、僕はここにはいなかっただろう。
今回も彼女に金貨を渡された。
ああやって誰かを黙らせようとするたびに、お金を渡しているのだろうか。混乱すると素に戻ったり、少し気前が良すぎる部分のある彼女。
そんな彼女と、あの火魔法使いを一瞬で殺してしまった、非道な一面のある彼女とのギャップがあり過ぎて、いったいどれが本当の彼女なのかと混乱するけれど、結局のところ、どの彼女も本当の、ディアミス・ベリアルなのかもしれない。
金貨と言えば、騎士マスカレイドも同様だ。
出会ったばかりの僕らを信用してくれたうえ、王都への証書を届ける役目を依頼してきた彼に、証書と同時に事前報酬として渡された。その信用はたぶん僕にではなく、ペイトンやアルテシアたちのチカラに依るところが大きいのだろうが、なんだかんだと僕の金運は上昇中らしい。
「お金には苦労しなくなったけど、その他の部分がいろいろと大変だよ……」
「はっはっは。なんだあ? そりゃ自慢かよ」
つい独り言が声に出てしまった。
それに反応したペイトンに揶揄されるも、あまり気を悪くはしていないらしい。そんな彼に少し愚痴もこぼしてしまう。
「いや、ホントのところ、自分の人生ながら、いろいろあり過ぎだよ」
「まあな。さすがに俺も、ここまでいろんなことに遭遇したのは初めてだわ」
「あーごめん。ペイトンはまだ知り合ったばかりなのに……迷惑ばっかで」
ペイトンには感謝とお詫びだらけだ。
僕らと出会ったことで、彼には多大な迷惑をかけただろう。そして、さまざまな場面では、彼がいなかったら切り抜けられないこともたくさんあった。ときには揉めたりもしたけれど、そんなことを差っ引いても、彼と行動を共にした、この短い日数はすごく楽しかった。馬車使い、ペイトン・トウェインと知り合えたことは、僕にとって貴重な体験だった。
「なーに言ってんだよ。そのおかげで俺は、今までにない経験や出会いってやつを得ることが出来たんだ。そりゃあ、多少はムカつくこともあったけど、まあそうだな……そんな苦労を差っ引いたって……親友のお前には感謝しかないな」
「ペイトン……」
ペイトンの言葉に思わず胸が熱くなる。
それと同時に、彼も僕と同様の想いだったことを知る。
まだ知り合って間もないはずの僕を、親友と呼んでくれたペイトン。
この旅を始める直前から彼とはなぜか気が合った。
直感で彼を仲間だと感じた。
僕も同じ気持ちだ。
誰が何と言おうとも、
彼は僕の親友だ。
「ん……おはよう……ございます。あれ……街はもう出たんですか?」
寝る子は育つを実践するロジが、ようやく目覚めたらしい。クーランノイエで眠ってしまった彼も、さすがに今の状況はおかしいと思ったのか、眠い目をこすりながらも、辺りをキョロキョロと見渡している。
「おー坊主! お前、すげーな。その肝の座りっぷり、いつかすげー奴になるんじゃないか? はっはっは」
御者台で笑うペイトンの言葉にきょとんとするロジ。彼にとってもこの旅は、人生の転機となっただろう。これから向かう王都では、彼を捨てた両親を探す予定だ。その先の展開は今のところ不明だが、彼のこれまでの人生を無駄にさせたという両親を前に、僕らが冷静でいられるのかが心配でもある。
出来る限りロジ少年の希望を聞いてあげたいし、彼が親と暮らすというのなら協力してあげたい。同じ馬車で偶然にも出会った彼。そこまでする理由は特にないのかもしれないが、自分のなかの直感が彼を助けろと示したのだ。ほんの小さなその気持ちに、僕は正直でありたい。
「しかし、お前もよく魔人化から帰ってこれたな。あんときはホントに終わったと思ったぜ」
「あーその節はどうも……」
「えっ! なんですかそれ!?」
突然あの件のことをぶり返す(蒸し返す?)ペイトン。
すでにあのことは暗黙の了解レベルの案件だと思っていたが、そんなことはお構いなしの彼。ロジも起きたことだし、少しは面白い話でもしようかという魂胆なのだろうが、僕は務めて冷静な受け答えをする。
「おい、ヨースケ。俺とジーナちゃんが騎士団のとこへ誤魔化しに行ってたとき、何があったんだよ。ええ?」
「き、騎士団? ヨースケ様。街で何かあったのですか!?」
ニヤニヤとこちらを見るペイトン。
どうせ騎士マスカレードの発言で、うすうす感付いているのだろう。それでもあえて、僕に証言させたいつもりのようだ。
「な、内緒だよ。とにかく僕は助かったんだし、それでいいだろ」
「なあーに照れてんだよ! 俺もチラっと見ちゃったんだぜ。お前とアルテシ――」
「それ! アタシも聞きたいんだけど? お・に・い・さ・ん!」
「ジ、ジーナ!? そ、それにアル……」
眠っていたはずのジーナが突然、話に割り込んで来た。そして気が付けば、アルテシアも同様に起きていたらしい。顔の赤い彼女を見れば、少し前からこの話を聞いていたことは一目瞭然だ。ペイトンめ。わかっていてこの話を出したな。
「それで? 実際どーなの、お兄さん。これでもアタシ、お兄さんのために一生懸命頑張ってたんだけど、酷くね?」
「え、えっと、あの……それについては、大変感謝を……」
「わ、私……周辺の警戒に行って来ます!!」
「えっ、ちょ、ちょっと、アルテシア!?」
荷馬車からドンと飛び立つアルテシア。
そのまま草原に着地すると、ものすごい勢いで走って行ってしまった。これから自分にも追及が来ることを恐れたのか、それとも恥ずかしさのあまり逃げ出したのか。とにかく僕だけがここに残されてしまった。
「アル姉。逃げたな」
「あ、あはは。そうみたいだね」
「ジーナさん。あの……き、昨日、何があったんですか!」
「ニッシッシッシ……面白くなって来たな」
ジーナが舌打ちし、ロジは状況の説明を求め、ペイトンは御者台で他人事のように笑う。元はと言えば彼が始めたことだ。さっき感じた親友とはいったい――。
「さあお兄さん。説明してくんない? アタシでもちゃんと納得がいくように!」
「いや、その、感謝はしてるってさっき……」
ずいっと僕に迫るジーナ。
おかしい……。すでにクーランノイエからは脱出し、【黒の手】も退散した今、なぜ僕に未曽有の危機が訪れているのだろう。
「へえ。じゃあその感謝ってのを、アタシにもちょーだい!」
「へ?」
自分の唇を指差し、こちらを睨むジーナ。
いや、その時点でもう知ってるじゃないか。僕とアルテシアのことを。
すでに必要以上に近い距離にあるジーナの顔。
どうしてもその唇に目が行ってしまう。アルテシアの少し厚い唇とは違い、怒った拍子からか、薄く真一文字に閉じたその唇に、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。
「ジーナさん! ヨースケ様! あの、いったい何があったんですか!」
「「……」」
ロジくんがちょっとうるさい。
まだ子供な彼には、この流れが理解出来ていないのか、僕とジーナの近付いた顔の横で、しきりと説明を求めている。そんな無邪気さに少し癒されるとともに、この状況を彼の前で見せることに、僕らは罪悪感を感じずにはいられなかった。
「もう! ロジっちはあっち行ってな!」
「あうっ!」
「ヒヒン!」
ロジの無垢な視線に耐えられなかったのか、ジーナが彼を眠っていた仔馬のところへ突き飛ばす。これで理性と言う名の少年が退場、ほんのりと顔を赤く染める彼女が動き出した。
「と、当然だよね、お兄さん。ア、アタシだってお兄さんの奴隷なんだし? アル姉とは、び、平等に扱ってもらわないと……」
「ジーナちゃんすげえ……」
僕の肩に腕を伸ばし、ゆっくりと迫るジーナ。
彼女の正論は確かだ。僕は奴隷の誰かを贔屓するなんてことは出来ない立場なのだ。だが、この苦しい気持ちはなんなのだろう。さきほどまでロジに感じていた罪悪感が、今度は別の誰かに向けて感じずにはいられない。アルテシア――。
ゆっくりと近付くジーナの唇。
僕の唇との距離はおよそ5センチ。
お互いが少し前に出れば、すぐにでも触れ合えるはず。
背徳感。
罪悪感。
後悔。
謝罪。
さまざまな罪の意識が僕を責め立てる。
これでいいのかと、僕を糾弾する。
動けない。
動けないんだ。
どうしようもなく優柔不断な僕の心が、
僕を金縛り状態のまま、ここに留めるんだ。
ジーナの唇。
あれが僕を動けなくするんだ。
動けばいいじゃないか。
アルテシアに悪いと思うのなら。
それともなにか?
ジーナにもそんな気持ちがあったのか?
つくづくお前は、欲張りな性格だな。
――!
そんな言葉が聞こえたとき、微かに僕の体が自由になった。
しかしもう遅かった。
ジーナの誘惑する唇は、すでに僕のすぐ先にあった。
あと二センチ。
いや一センチ。
五ミリ。
――。
― よっし! 決めた!! ―
救世主の声か。
その場の時間を止めるほどのチカラがそれにはあった。
僕とジーナ。
そしてペイトン。
三人が同時に前方を振り向く。
声の主は、そんな僕らの視線に気付くことなく、背伸びをしながら声をあげる。
「黒狼族たちの呪いを解くぞ!!」
馬上からそうリサメイが言った。
その拍子に僕らの時間が動き出す。
「「「っはあああ!?」」」
三人が声を揃えて驚く。
呪い?
呪いとはあの呪いか。
リサメイたち獣人を、長きに渡って縛り付けているあの呪い。
【神の呪い】を。
それをリサメイ自身の決断で解くと決めたのには、何か理由があるのだろう。どちらにせよ、彼女のせいで、僕らの空気は変わってしまったのだ。これに便乗しない手はない。
「リサメイ」
「ん? ああ主さん、ちょうど良かった。さっきの聞こえてたんだろ?」
「うん。でも、いきなりどうして」
「ああ。まあアタシもこいつらは、そのままで良いかなって思ってたんだけど、あの【黒の手】が現れちまったろ? またいつこんなことが起きるかもしれないし、いっそのこと、こいつらを黒狼族という縛り自体から解放してやればって……」
リサメイの理由は正当だ。
戯れに彼らの呪いを解くのではない。彼らの命を救うためでもあるのだ。
あの【黒の手】や男たちは、今も健在だ。
【神の呪い】を解けば、ロックロックたちは、黒狼族という種族ではなくなってしまう。そうなれば一族の掟によって、命を狙われることもなくなるかもしれない。
呪いを解くことは、その一縷の望みにかけるには有効な手段かも、というのがリサメイの意見だ。
僕らもそれを聞いて納得する。
だだ、問題は彼ら自身がそれを望むかだ。
「俺は別に良いですよ。兄貴」
「――! ロックロック!?」
馬の背からむくりと起き上がるロックロック。
僕らの会話を聞いていたのだろう、【神の呪い】を解くことに理解を見せた。
「まあ、あの【黒の手】たちが襲って来たのが、まさか俺たちのせいだったってには驚きやしたが、なによりリサ姫を見ていて思ったんです。【神の呪い】を解けば、俺たちももっと強くなれるんじゃないかってね」
「ロックロック……」
「俺も同意見だぜ。リサ姫ばっか強くちゃ、いつまでもいじられっぱなしだもんな」
「キースキースも」
「私も賛成です。魔狼との戦いで、つくづく自分の弱さを痛感しましたし、これもいい機会かと」
「そうだな。俺も【神の呪い】を解いてもらえば、少しは背が高くなるかもしんねーしよ」
リュークリュークやジェイジェイも、彼らと同じくして馬上から返答をする。これで黒狼族全員の同意を得たことになる。
「じゃあおめーらも、あたしみたいに人族っぽくなっちまうか!」
「こ、こらリサメイ!」
黒狼族の決断に満足したのか、リサメイが自分の胸を、これみよがしにもち上げるので、あわてて注意する。そこは獣人のときから変わってないんだけど。
「じゃあ、少し先にある休憩場所に着いたら、黒狼族さんたちの呪いを解いちまおうぜ。王都に入ってからだと誰が見てるかわかんねーからな」
「そうだね、ペイトン。頼むよ」
こうして、黒狼族たちの呪いも解くことになった。
ペイトンもそれに理解を示し、適当な場所を用意してくれるという。
ジーナは少しむくれているが、こればかりは運のようなモノだから諦めて欲しい。
「わああ!! 仔馬さんが、仔馬さんが!!」
「「「――!?」」」
ひと段落付いたと思いきや、突然ロジの叫ぶ声が。
振り向くと、ロジが押さえているのにも関わらず、暴れ出す仔馬が。
「どうしたんだ! ロジ。仔馬がどうかしたのか」
「ヨースケ様! 仔馬が荷馬車におしっこを! ああっ!!」
「なんだって!? って、うわあっ!!」
突然、ロジの手を逃れた仔馬が、僕に向かって突進する。あわててみんなが抑えようとするも、暴れる仔馬は止まらない。そして仔馬の顔が僕に近付いてきたとき、
「ぷはっ!! や、やめ……ふぐっ!!」
「ああっ!! ヨースケ様ーっ!!」
「うっわ! アタシより先に……お兄さんとパーシバル、ズルくね!?」
「ジーナちゃん、そいつメスだからっ!」
暴れる仔馬の唇が、僕の顔を蹂躙する。
怒るジーナの理不尽さに、構う隙もないほどに。
そう――。
僕の二度目のキスの相手は仔馬だった。
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