第八十五話 キスと騎士と必死
「みんなあいつを殺せ!! 絶対に……これは主たる僕からの……命令だ!!」
魔狼の恐怖に怯え、口走った言葉。
その言葉を近くで聞いた奴隷たちは、すべてが僕の言いつけ通り、命令を実行しなければいけない。ちょうど聞こえていたのはキースキース、ロックロック、リュークリューク、ジェイジェイの四名。この黒狼族たちを、彼らの仲間である魔狼にぶつけるなんて最高だろ? ちょっとした因縁のあるドラマみたいでさ。
でもそうでもしないと、あの魔狼はどんどん悪いことをしてしまうんだ。そこにちょうどたまたま居合わせた奴隷ディーラーである僕がさ、たくさんいる奴隷たちを使って、あいつを退治してやろうっていってるんだよ。少しくらい感謝しもらわないとね。
ほらごらん。
僕の忠実なしもべたちが、あの魔狼に向かって前進して行くよ。そうだやっちゃえ。僕に代わってあいつをやっつけておくれ。うんそこだ。その調子。やれ。いいぞ。やってしまえ。
「あああああ!!」
命令に繋がれたゾンビのように、何かに憑りつかれたとしか、言いようのない顔の黒狼族たちが、次々と魔狼へと向かって行く。いつの間にか僕のなかの悪意が魂を支配したかのように、喜々としてこの戦いを楽しんでいるのを、はるか上空から俯瞰で見ているような感覚。これは誰だ。僕なのか。いや、僕はここにいる。キミは誰だ。
声に出しても音にならない。
意思がふたつあるかのように、必死にロックロックたちを命令する僕と、傷付いた彼らを【リセット】で元に戻そうと努力する僕がいる。
爪で切り裂かれ、血しぶきが上がり、骨が砕ける音を聞き、楽しそうに笑う僕。泣きながら【リセット】を発動し、彼らがちぎれ飛ぶたびに、元に戻す作業を繰り返す僕。
どちらの僕も同じ体のなかで存在している。
いつの間にジキルとハイドになったんだろうか。僕が気付かなかっただけで、ずっとこんな状態だったのか。これが前世からだとしたら、僕は今までどれくらいの人たちを傷付けて来たのだろう。不安と恐怖。焦りと怒りが入り混じる嫌悪。違うんだ。僕はこんな人間じゃないんだ。助けてくれ。助けてくれアルテシア! ジーナ! リサメイ!
「……さん! お兄さんっ!!」
「……! ヨースケさんっ!」
「……ケ! おい、ヨースケ!!」
「だめだよ、アル姉……お兄さんおかしくなっちゃった!」
「もっと呼びかけるんです! ヨースケさんっ! しっかりしてください!!」
「おい、ヨースケ! お前ナニやってんだよ! 早く命令を解けってんだ!」
「ペイトンさん。お兄さんの顔、殴っちゃダメだっつーの!」
「仕方ねーだろ! こいつ頭おかしくなっちまったかもしれねーんだし!」
「――さんっ! ヨースケさんっ!」
「ねえ、リサ姉も意識ないし、ヤバいよ。あの狼の奴もチョーヤバいし」
「魔剣でなんとか足止めはやってます! それよりもあの人たちは?」
「うん。さっきあの男を追っかけたまま、どっか行っちゃった」
「おいおいおい! なんで気が触れちまってるのに、ヨースケの奴、【リセット】だけはちゃんと使ってんだよ」
「知らないよ! でもそれが止まっちゃったら、ロックロックさんたち死んじゃうじゃん!」
「おい、ヨースケ! 聞こえてるか? 聞こえてるんだったら、俺の言うことを聞け! 今すぐ帰って来い! ここに! ここにだ!! っておい! 俺の目を見ろっ!!」
「ペイトンさん乱暴し過ぎ!! お兄さんの顔真っ赤じゃん!」
「馬鹿! 俺は真面目にやってるんだって! こうでもしないとこいつが正気に戻らないと思って……スマン。ヨースケ」
「それはいいから、みなさんで呼びかけましょう! ヨースケさんっ!! お願いっ!! 戻ってきて!!」
「お兄さんっ!! お兄さんてばあっ!!」
「ヨースケ! おい、ヨースケ!!」
みんなが僕を呼んでいる。
わかってる。
聞こえているんだ。
アルテシア。
ジーナ。
ペイトン。
わかってるんだ。
僕だって早くそっちに戻りたい。
でもわからないんだ。
その方法が。
ああ。また黒狼族たちが傷付いてしまった。
アナウンスの声は聞こえなくとも、僕は絶え間なく【リセット】を発動し続ける。
誰か。
誰か僕を止めてくれ。
魔狼になんて勝てなくてもいい。
僕のチカラの暴走を今すぐに止めてくれ。
「いつまで笑ってんだよ、ヨースケ!! お前、黒狼族さんたちがあんな目にあってんだぞ!! それが可笑しいっていうのかよ!」
「だから殴んなって言ってんの!! ペイトンさん」
「でもよ! こいつ笑いながら泣いてんだぜ!? おかしくないか。ずっとさっきから俺が呼びかけても返事もしねーのに、黒狼族さんたち見て、笑いながら泣いてんだぜ」
「ヨースケさん! ヨースケさん!!」
「アルテシアさん、もうダメだって! こいつ戻って来ないよもう。このままあの人たちが戻って来るまで待つしか――」
「いいえ! 私は信じてます! ヨースケさんはこれくらいで魔人化なんてしません! きっと戻って来てくれます!!」
「そーだよペイトンさん! あの人たちが戻って来たら、あの狼よりも先にお兄さんが殺されちゃうじゃんか!!」
「そりゃあ仕方がないだろ! もうヨースケこんなになっちまってんだし、俺だって言いたくねーさ!」
「絶対にあなたを守るって誓ったんです。私は諦めません!」
「そうだよ! アタシだってお兄さんとずっと一緒にいるって決めたんだから! こんなとこで離れ離れなんてイヤだからね!!」
「あんたたち……」
「ペイトンさんは、ヨースケさんのお友達です! だからあなたの言葉もきっと効果があるはずです!! だから……!! お願いっ!!」
「わ、わかったよ。そ、そんな風に泣かれたら……クソッ! ヨースケっ! お前モテやがって!!」
「いや、そういう呼びかけじゃねえっつーの!」
「痛い痛いっ! ジーナちゃん痛いって!!」
「ふざけないで真面目にお願いしますっ!!」
「「はい……」」
ダメだ。
何度声をかけようとしても、アルテシアたちには届かない。ずっと向こうの声は届いているのに、僕の方からはなにも返せない。ずっと真剣に僕と向き合って呼びかけるアルテシア。ペイトンがダレてしまったのを叱咤激励するジーナ。そしてこんな僕と知り合ったばかりに、散々な目にあっているペイトン。
誰もが僕を心配してくれているのに、どうして僕の意思がここから抜け出せないんだ。まるで毒のリンゴを食べてしまった姫のように、針で眠りについた女性のように、僕は永遠にも思えるようなこの魂の牢獄に、これからもずっと捉えられたままなのか。
出たい。
早く出たい。
頼む。僕をここから出してくれ。
頼む――。
「あーこいつが魔人化した黒狼族か!? おい! お前らやるよ!」
「あっ!」
「ヤバいよアル姉! あの人たち戻って来ちゃった!!」
「おい、魔狼のほうへ行ったぞ。あの人たちだけで大丈夫なのかよ」
「ヨースケさん! お願いです! 戻ってきて!!」
「こうなりゃショック療法ってやつしかねえ。ヨースケが一番驚く方法で一気にこっちに呼び戻す!」
「それって昔の民間療法でしょーが! そんなの今どき誰もやんないって!」
「仕方ないだろ! もうあの人たちが近くにいるんだ。それしか方法が残ってない」
「な、なんですか。その方法って……」
「アル姉知らないの!? ケッコー有名だよ? 相手が一番驚く方法で、魔人化から呼び戻すってやり方」
「例えば、知らない人からいきなり抱きしめられたりすると、驚くよな? それと似たようなことだよ」
「抱きしめる……」
「そんなんじゃ生ぬるいっしょ! もっとガツンとやんないと、お兄さんぼーっとしてるから効果薄いって!」
「ガツン……」
「どのみち時間がもうねえ! 俺は思いっきりこいつをぶん殴ることにする! 異論はねーな?」
「バリバリあるに決まってんでしょーが!! ナニその暴力が支配する世界みたいなヤバい考え方! ペイトンさん、マジいつ生まれよっ!」
いろいろ聞こえてくる僕を心配する声。
そんななか、ゆるやかに僕を支配していく悪しき心が、僕に語り掛ける。
― キサマハカワリタイノカ? ―
変わるってなんだ。
僕はすでに転生して、中身以外すべて変わったんだ。今更これ以上、何になれって言うんだ。魔人か? そんなの僕には無理だ。圧倒的な暴力を手に入れるには、僕は情けない性格だし、暴力反対だし、ケンカ弱いし、泣き虫だし、優柔不断だ。とてもじゃないけど役不足ってやつとしか言いようがない。
― キサマハカワリタイノカ? ―
だから無理だって言ってるだろう。
そんなにすぐに変われるなら、誰だって苦労しないって。一度反省したら次は絶対失敗しない人間が、世の中にどれだけいるって言うんだ。そんな人間ばかりじゃない。僕は何度だって失敗するし、反省しながらも、また同じ過ちを繰り返すに決まってる。誰もが自分を制する力を持ってるわけじゃない。何度やってもうだつの上がらない人間だって生きているんだ。みんな必死に戦ってるんだ。それを頭ごなしに否定する権利なんて、誰も持っていないんだ。
少しは強くなった気がしたさ。
あの砂盗賊の件だってさ。うまくまとめられたとこっそり自画自賛してたさ。みんなに褒められることは嫌いじゃないしさ。褒められると伸びるタイプなんだって僕は。でも変われることなんてたかが知れてる。本質は同じ。みんな無理やり大人になったふりをしているんだよきっと。
上手くいきすぎると、すぐ調子に乗りやすいタイプだと思うよ。アルテシアやジーナ、リサメイとだって仲良くなれた。友達だって出来た。仕事もうまくいってたし、お金だって少しは貯まった気がする。
― モットチカラトトミヲエタクハナイノカ? ―
そりゃあ、くれると言うんなら欲しいよ。
良い暮らしもしたいし、お金だって欲しい。可愛い彼女と一生幸せに暮らしたいと思ってるしさ……って、あれ? なんかおかしくないか? 僕はさっきからまったく心に思ってもいないことを、いろいろとしゃべらされている気がするんだけど。
― モットチカラトトミヲエタクハナイノカ? ―
だから怖いって!
なんだよさっきから。僕を誘惑するような言葉を投げかけてさ。というよりキミは何者なんだ? 僕の心に問いかけて来るキミはいったい。
知らないうちに、こんな生活やチカラを、手に入れても良いかもしれない気にさせるキミの声は――。
― モ ットチカラトト
ミヲエタクハナイノカ? ―
― モッ トチ
クハナイノカ? ―
カラトトミヲエタ モットチカラ
― モットチカラト
トミヲエタク ハナイノカ? ―
― モットチカラト ナイノカ? ナイノカ?
トミヲエタク ―
― モットチカラ トトミヲ ナイノカ? ―
モットチカラ エタクハナ
モットチカラ モット
モット
モット チカラ
チカラ
チカラ
チカラ モット
チカラ
チカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラチカラ――
「お、おい! ヨースケのようすが変だぞ!」
「ヤバいよ! 魔人化が進んで来てる!!」
「なんでだよ! いきなり何があったんだよ!!」
「アル姉、どうしよう!! お兄さんが……変わっちゃう!!」
「……」
「アル姉!!」
「おい、ジーナちゃん! あの人が来たぞ。一番偉い感じの……」
「ペイトンさん止めてきて! 今のお兄さん見られたら、もう……」
「あっ……クッソ! あ、お、おーい!! 今ちょーっと立て込んでまして、え? いや、大丈夫! って、いや! こっちに来てもらうと、マズい――」
「演技下手かよっ! あん……もう! ちょっとペイトンさんっ!! そんな――」
何かと融合していくような感覚。
僕の耳に聞こえるペイトンやジーナの微かな声。
遠ざかる彼らの声に耳を傾けながら、僕の心は悪に染まっていく。
ふと、肌に何か触れる感触。
温かい何かが、今更何もかももう遅い僕の魂を、少し反応させる。
『ヨースケさん』
耳打ちする小さな女性の声。
僕の耳が震え、彼女の声が脳内にピリリと染み渡る。だがそんな感傷的な感情もすぐに消え、僕は生まれ変わる準備を始める。
『あなたの騎士としてではなく、あなたをお慕いするひとりの女として、あなたを連れ戻します』
あなたあなたとうるさい声。
もう放っておいてくれないか。
僕は更なる富とチカラを手に入れるんだ。
『ホントはね。こんな風にあなたとする予定じゃなかったんです。だって私は、もう少しあなたの騎士として――』
いい加減にしてくれ。
僕の心を乱すな。
もう自由にさせてくれ。
お前は。
貴様はこノ男、俺ニトッテハ邪魔ナ存在ダ。
『でももう良いんです。あなたを想う気持ちが、あなたを助けるチカラとなるなら――』
ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ――
『ヨースケさん。あなたが大好きです』
ヤメ――
――
――
――
何かが触れている。
なんだろう。
とても――
とても柔らかいモノだ。
今気づいた。
それは彼女のモノだ。
どこに触れているのかもわかっている。
それは僕にとって初めての場所。
願わくばキミも同じであって欲しい。
アルテシア。
――
――
――
唇を覆う感触が消える。
触れ合った時間は、ほんのわずか。
しかし、僕の意識はそれによりここへと戻って来れた。
ふわりとした柔らかい彼女の唇を、あともう少し味わいたいと思うことは許されない。ここは戦場。今もまだ僕の命令を受けたままの彼らが戦っている場所だ。
そっと伏し目がちに僕から離れるアルテシア。
その愛しい顔をこの手で触れたいと思うのは、僕の唯一の希望だ。普通の男女なら、これから始まる恋の予感に浮かれ、喜々として湧き踊る、このじれったいような感覚に、その場でスキップしたいくらいだろう。僕らにもそれが許されるのなら、このままふたりでどこかへ消えてしまいたい。
そんなことは許されないのはわかっている。
僕も、彼女も。
ふたりの視線が重なり、自然と言葉が出ていった。
「おかえりなさい。ヨースケさん」
「ただいま。アルテシア」
たった今、悪夢は覚めた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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