第七十三話 馬車使いの矜持
「アルテシア! あいつらまだ、僕らを追ってくるだろうか」
斜面を駆け上がる馬を駆るアルテシア。
そんな彼女に向かって、山岳トカゲを失った【黒の手】の集団の出方を尋ねる。爆散したトカゲたちの上に乗ってたはずの、奴らは気付けばその場から消えていたし、この斜面を登るのと、僕らの馬車を追うための足を彼女に潰されたのだから、普通なら追うのを諦めるはずだった。
しかし、それでもまだ、彼女の横顔が浮かないが気になり、そんな問いかけをしてしまう。
「わかりません。敵がどんな集団なのかも、私は知りませんでしたし、ここで諦めるなら戦いは終わりますが、たぶん、この先にも奴らが待ち構えていると思いますから」
「え? この先に!?」
追ってくるものばかりだと思っていた【黒の手】の集団。この襲撃が、以前から念入りに計画を練っていたものならば、その可能性は十分にありえる。挟み撃ちをすることで、完全に僕らの動きを封鎖するという方法もそのひとつだろう。
「ま、まさかこの落石って……」
「はい。間違いなく敵のなかに、土魔法の術師がいます。それもかなり強力な」
「土魔法の術師!? そんな奴までいるのか」
「あの道の状態や、この止まない落石は、十中八九、手練れの土魔法使いの仕業です。それに先頭車両では、今もリサメイさんたちが、必死になって荷馬車を守っています。だから私たちも急がないと」
今、この先の先頭車両で、何が起きているのか。
アルテシアが、なかなか後ろの馬車に戻って来なかったのも、その土魔法使いの落とす落石をどうにかしようとしていたのだろう。あんな大きな岩をどうにか出来るのが、そもそも人間業ではないと思うのだけれど、何と言ってもここは異世界。レベルに支配された人類の強さは、すでに前世の常識から外れている。
それよりも僕が一番気になったのは、あの急な荷馬車の変化だ。
荷馬車にかけられた、数々のスキルによる恩恵は、すべて馬車使いであるペイトン自身によるもの。もしかすると彼の身に何かあったのかもしれない。そうでないと、あの急激な二台目の馬車の崩壊は説明がつかない。アルテシアはそれをまだ黙っているが、僕にはわかってしまった。
「アルテシア……ペイトンに何かあったんだね」
「えっ!? あ、あの……ごめんなさい。ヨースケさんが心配なされると思って、荷馬車に着いてから説明しようかと……じ、実は、うしろの荷馬車に落石が落ちたとき、前ではペイトンさんが襲われていたんです」
「やはり……でもなんでペイトンが襲われたんだ? 彼はただの御者だよね」
「荷馬車を止めるために、まず御者を狙うというのは賊の常套手段です。奴らは【ミラージュ・エフェクト】を使って忍び寄ってきたので、急な落石の対応に追われていたリサメイさんたちも、その接近に気付けなかったらしくて……それと、ペイトンさんを襲った敵は、即座に彼女が倒したそうです」
馬の速度がさらにあがった。
ペイトンの話をしながらアルテシアも不安になったのだろう。今も先頭車両では、【黒の手】からの攻撃が続いている。彼の無事が気になるのは僕も同じだ。なので突然のスピードアップは少し怖いけど我慢するしかない。
「先頭車両自体は、今のところ大丈夫なのか」
「いいえ。ペイトンさんが襲われたとき、御者台も壊されてしまって、今は黒狼族の人たちが馬を横から制御していますが、それもどれだけ持つか……あっ、ヨースケさん。もうすぐ追いつきます!」
アルテシアの言う通り、僕らのすぐ先に荷馬車の後部が近付いてきた。そこには、さきほど二台目の馬車からそちらに移ったジーナとロジがいた。彼女たちは僕を見るなり、大泣きでこちらに手を振っている。きっと僕があいつらにやられたと思ったんだろう。
そんな彼らに手を振り返し、ちょうどアルテシアが馬を横付けしてくれたので、そちらに飛び移る。
「ヨースケさん! 私はこのまま前に向かいますので、ペイトンさんのこと、よろしくお願いします!」
「わかった! アルテシアも気を付けて!」
「はいっ!」
アルテシアの駆る馬が荷馬車の前に向かって行く。
それと同時に、ジーナたちから手厚い歓迎を受ける。
「わあああん。お兄さん無事だったあああ!!」
「ヨースケ様ああ! もうダメかと思いました。うううっ」
「いたたっ! ジーナにロジ。心配かけてごめん。なんとかアルテシアに助けてもらったよ。ケガもないから安心してくれ」
「ううう。ご、ごめん、お兄さん。アタシがもっとちゃんとしてれば、あんなひどいことに……」
「ぐすん。ぼ、僕もすみませんでした。ヨースケ様に危険な提案をしてしまって……ホントにご無事で良かった……」
ジーナは僕の首に、ロジはお腹辺りにぎゅっと抱きつくと、各々が無事を喜んでくれると同時に、自分の落ち度を反省する。
「わかったから、もういいって。それよりもペイトンはどうなったんだ?」
抱きついて離れないジーナたちを優しく押し戻し、ペイトンのようすを尋ねる。僕から離れた彼女たちは、重い表情のまま、荷馬車のなかにある一角を指差す。
そこには、聞いていたよりも酷い状態のペイトンが、痛みに耐えながら、戻って来た僕に向かって、引きつった顔で笑顔を見せる。
「よ、よぉ。なんとかお前らが……無事で良かったぜ……へへ」
「ペ、ペイトン……」
僕は思わず絶句する。
彼の命は無事だった。だが、忍び寄った敵による突然の攻撃を受け、彼の両腕は肘から先が無くなっていたのだ。アルテシアの応急処置で、止血はなんとかなっているようだけれど、それでも大量出血によって体力を大幅に失ったのか、彼の表情はクマが出来るほどに辛いようすだ。しかし、そんな辛さをおしながら、彼は気丈にも僕らに向かってこう言った。
「ご、ごらんの通り、奴らに両腕持ってかれちまったんだ。おかげで手綱が持てなくなって、荷馬車にかかったスキルの恩恵は、ほとんど失ったも同然だ。そのせいでお前らにも迷惑をかけたことは、すまないと思ってる。俺のミスでこうなったんだ。ヤバくなったら……いつでもここに置いて行ってくれ」
「な、なにバカなことを言ってるんだよ、ペイトン。キミを置いて行くなんて出来ないし、それにアルテシアたちも頑張ってくれてるんだ。そんな弱音を吐くもんじゃない」
自らの落ち度だと言い張るペイトン。
彼の言葉にいつもの自信はない。それどころか、自分をここで捨て置けという彼に、思わず苦言を呈してしまう。
だが、ペイトンの目は本気だった。
契約者を無事に。そして積み荷を安全に目的地まで運ぶのが彼らの使命だ。それを生業としている者にとって、そういう当たり前の職務をやり遂げることこそ、馬車使いのプライドだと、彼は僕との雑談のなかで言っていた。
そんな彼にとって、馬車使いとしての矜持を穢されたことは、とても耐えがたい屈辱に違いない。しかも馬車使いは手綱を握ることでしか、そのチカラを発揮出来ないということを、誰よりも知っている彼には、腕を失ったことは、培ったすべてを捨てたのも同然だった。
そんな自分に生きる意味なんてない。ペイトンの目はそう僕に訴えている。
「ペイトン……」
「悪かったな、ヨースケ。お前の初遠征をこんな風にしちまって」
僕が彼を非難していると思ったのだろうか。
積み荷にもたれたペイトンが頭を下げる。
こんな彼を見たくなかった。自分のジョブに誇りを持ち、そして夢を持っていた彼を、こんな目にあわせた奴らが憎くて仕方がない。そんな怒りを抑えながら、僕は彼に話しかける。
「ペイトン。僕は自分が奴隷ディーラーであることを、今ほど良かったと思ったことはないよ」
「は? ヨ、ヨースケ、お前、何をいきなりそんな――」
「キミを今から救う!」
「――!?」
僕の宣言に訝しがるペイトン。
無理もない。僕はただの奴隷ディーラーだ。彼を救うチカラがあるなんて、彼にわかるはずがない。でも、それが可能なんだ。彼にも素晴らしいスキルがたくさんあるように、僕にだって素晴らしい神の恩恵がある。
「は、はは。そう言えばお前はこの道中、ずっと誰かを救っていたな……だが悪い。こればかりは、お前にも無理――」
「――ホントだよ。ペイトン」
「ヨ、ヨースケ……」
ペイトンが漏らす諦めの言葉を僕は制した。
僕が冗談を言っている目ではないと思ったのか、ペイトンの表情が一変する。
「もう一度。手綱を握りたいよね。ペイトン」
「そ、そんなの……い、今更、言われたって……」
自分を見つめる僕の問いかけから、視線を逸らすペイトン。その先には今はもう無い自分の腕が。悔しがる彼の表情には、腕を失い、夢を失ったことへの未練が浮かんでいる。
「キミの腕は僕が元に戻して見せる。だから僕のこのチカラは、他の誰にも言わないでくれないか」
「な、何を言ってんだ。俺の腕はもうどっかへ飛んで行っちまったんだ! もう二度と戻ることなんてない。いくらお前でも、それ以上ふざけるなら許さねーぞ!」
僕の言葉を信じないペイトンが怒鳴る。
今までの通り、こちらから気軽にスキルを使うのではなく、彼に信じてもらい、秘密を守ってもらう。これを条件に彼を救う。そうでないと、救ったあとの彼が僕と友達ではいられなくなるからだ。
友達とは平等の立場。
彼に救われたことの負い目を感じさせなくないし、僕も当然そんな気はない。お互いに条件を呑んだ立場で、彼を救いたかった。
「ペイトンさん、お兄さんを信じてやって! マジで悪いようにはしないからさ!」
「ジ、ジーナちゃんまで……てか、何なんだよこれ。お、お前、俺に何する気だ……」
僕を疑うペイトンに、ジーナが救いの手を差し伸べてくれる。それによって先ほどまで頑なだった彼の態度に軟化の兆しが見えた。
「キミを元に戻すには一時的に僕の奴隷になってもらう」
「はあ!? 奴隷だって?」
「ああ。すぐに解除するけど、それしかないんだ」
「いや、お前……さ、さすがに奴隷ってのはちょっと……」
「頼む! 僕を信じてくれ!」
奴隷になると聞いて、若干引き気味のペイトン。
しかし、僕はそんな彼の顔を真剣に見つめ、最後の懇願をする。もう彼に信じてもらうには、これしかない。
「だ、だけどよぉ……」
「ペイトンさん! 騙されたと思って、お兄さんの言う通りにしてっ!」
「ジ、ジーナさん。ヨ、ヨースケ様はいったい何を……」
悩むペイトンに、ジーナが最後のフォローをする。
隣に立つ不安そうな表情のロジは、僕や彼女がペイトンに何をしようとしているのかわからず、動揺したままだ。彼にもあとで口外しないように言っておかないと。
「……わ、わかった。お前の言う通り、誰にも話さないと誓う。ふっ、どうぜもう俺には何も残っちゃいないんだ。このままお前の奴隷として、残りの人生を過ごすのも、わ、悪くないか……はは」
ようやく決心のついたペイトン。
彼の決意を聞き、僕は安堵し、それと同時に彼にこう告げた。
「ありがとう、ペイトン。安心して。キミにはこれからもずっと、手綱を握ってもらうから」
「期待しないで言う通り奴隷になってやるよ。その代わり俺とお前の仲は、この先お互いにどんな立場になっても一緒だからな! そこんとこ忘れるなよ」
「……ああ、もちろん!」
僕の言葉に軽口で返すペイトン。
そんな彼に僕の思いが伝わっていたことを知り、思わず目頭が熱くなる。
「汝、我が力、我が糧となりてこれを助け。我、汝を従え、汝を我が物とする――!!」
ペイトンに涙ぐむ姿を見られたくない僕は、彼から視線を逸らし契約の言葉を唱える。そのとき僕の近くで、突然始まった奴隷契約の現場に初めて立ち会うことになったロジが、ジーナにおそるおそる状況の説明を求めていた。
「ジ、ジーナさん。これから何が始まるんですか? それに、ぼ、僕、こんな場所に居ても大丈夫なんでしょうか……」
「あったり前じゃん。それよりもロジっち、よーく見ときなよ。アタシたちを救ってくれたご主人さまは、チョー最高なんだってところをさ」
僕はこれからペイトンを救う。
彼の矜持を取り戻すために。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。