第五十話 真夜中のバスタイム
「主殿。そろそろ戻ろうか」
アハトと一緒に、リビングへと戻る。
ソファーを陣取っていた黒狼族は、その居心地の良さのためか、そのまま四人とも寝落ちしていた。まあ、今起こすのはかわいそうだし、夜中に起きれば勝手に寝室へと戻るだろう。
アハトは、ドワーフのドレイクが先に眠る寝室へと向かい、僕は主賓室へ。別れ際、彼と就寝のあいさつを交わし、部屋の扉を閉める。ようやくここからは、ひとりの時間だ。
この世界に来て、ひとりになる機会が少なかったせいか、ちょっと新鮮な感じはするけれど、さすがにこの部屋の広さでは、逆に寂しさを感じてしまう。
僕が五人同時に寝ても、まだ余るほどの大きなベッドは、雰囲気重視なのか、まさかの天蓋まで付いている徹底ぶり。そのうえ邪魔にならないか心配になるほど、部屋の中央にドンと構えているそれは、まるで王さまにでもなったかのような優越感――いや、これはやりすぎじゃないのか。パッと見、よくあるハーレム物語であれば、このベッドに数名の女性がすでに準備万端でって……何を考えているんだ僕は。
無駄にゴージャスな雰囲気に呑まれたのか、変な妄想をしてしまった僕。軽く自分の頭をつつきながら、装備していた腰のアイテムバッグをテーブルに置き、ベッドへと近付いた。
無駄に広いベッドに、そろりとあがる。
程よくスプリングの利いたベッドは、ゆっくりと僕の重みの分だけ沈み込む。シーツになにか仕込んでいるのか、かすかに花の香りがするのは、前世で言えば柔軟剤の香りといったところだろうか。
枕は横に長く、僕が五人分寝返りをうっても落ちることがない。前世のホテルなどには、ひし形に見えるように置かれた複数のクッション枕が、重ねてあるのをよく見るけれど、さすがにそんなおしゃれな使い方はせず、実用的な長枕があるだけだ。
ゴロリとベッドに寝転がってみる。
長枕にも花の香がして気分が和む。その枕に頭を乗せ、仰向けになり天井を眺めると、そこはいつもより高い天井板が。シャンデリアなどといった照明器具は無いようだけれど、天井板にはこだわりがあるようで、三十センチ四方に仕切られた板には、それぞれどこかの紋章のような彫刻が施されており、見ていて飽きない造りとなっている。どれか知っている紋章はないかと探してみたけれど、まあ、見つかるはずもない。
昨日とは違うベッド。それも王さま級。
これを昨日まで王国騎士団のセナが使っていて、なぜか今日から僕が使用することになってしまった。気持ちはありがたいのだけれど、本当に良いのだろうか。あまり長居すると、どんどん彼女に借りが出来てしまい、何かとんでもないことを要求されるのではないかと心配になる。
でも、明日になればローザの依頼を達成出来るし、彼女が言っていた報酬の家がもらえるとしたら、ここもたった数日の贅沢に終わる。パフィーとお別れするのは少し寂しいが、場合によっては明日にでも、この宿を引き払うことになるだろう。
まだ寝るには早く、あまり疲れてもいないため、暇をもてあました僕は、ふと思い出したかのように、自分のステータス画面を起動する。
【ステータス・オープン】
【名前】
ヨースケ
【固定ジョブ】
奴隷ディーラー レベル6
【業】
【人種】
人族
【年齢】
16
【ステータス】
良好
【装備】
良質な普段着
革のベルト
良質なズボン
硬質なブーツ
無限アイテムバッグ
【所持スキル】
奴隷契約 6
奴隷解除 6
奴隷売買 6
奴隷譲渡 6
奴隷管理 常時
□
「あれ? またレベルが」
またレベルが上がっていた。
たしかエルフのメイウィンにかけられていた【デスカウント】を解除する前に、一度試しに開いたときは、レベルが5に上がったばかりだったはず。それから彼女の呪いを解き、そのあと立て続けにリサメイ、黒狼族の四人を【リセット】&【奴隷契約】したことで、またレベルが上がったのだろうか。
もしかすると、たった数回の【リセット】や【奴隷契約】の使用で得た経験値くらいでも、レベルアップに要求される経験値がまだ少ないため、今みたいなレベルが低いうちだけ、簡単に上がりやすいのかもしれない。
そう考えると、アルテシアのレベル32の域に上がろうとすれば、いったいどれだけの数の、奴隷を契約したり、【リセット】を使用しなければいけないのだろうか。次のレベルアップまでに必要な経験値がわからないうえに、前衛職ではない僕は、戦闘するよりもスキルを使う方がレベルアップが早い。今はまだ順調なレベルアップも、スキルを使う用途のネタ切れなどによって、いつかは停滞してしまう可能性だってある。
「まだまだ先は長いな……」
気の遠くなるような道のりに、言葉が漏れる。
そんな滅入った気を取り直し、【特殊スキル】の画面へと表示を変える。
【特殊スキル】
リセット 128
□
こちらも70ポイント台だったものが、すでに100を超えている。あのとき、【リセット】をパワーアップさせるのに、50ポイントを越えたことがきっかけになった。もしかして100ポイントを越えた今も、なにかしらパワーアップするんじゃないか? そう思った僕は、前回と同じようにポイントの部分を指で触れ、もう一度念を唱えてみる。
(出ろ、出ろ、パワーアップしろ! しろっ!)
一分ほど念じてみたが、あのときのようにアナウンスが始まることはなく、何も変化は起きなかった。さすがに50ポイントごとに、パワーアップなんてすれば、すぐにインフレが起きてしまうのだろう。世のなかそう甘くは無かった。
「なんか寝る前にスマホをいじってた頃を思い出すな……それに目も疲れた」
ふわあ……眠くなってきたな。
あとで風呂に入ろうかと思っていたけれど、ここはいったん寝て、朝起きたときに入ればいいか。特に急ぐ予定もないし、明日はゆっくりでもいいだろう。そんなことを考えているうちに、僕のまぶたはだんだんと落ちていき、やがて闇のなかへと意識が飲まれていく――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あれ? まだ暗いな」
あれから眠っていた僕は、ふと目覚めてしまう。
外はまだ暗く、どうやら中途半端な時間に起きてしまったらしい。ついでだし、今のうちに風呂に入ろう。そう思いついた僕は、ベッドから抜け出し、リビングへと出る。
リビングのソファーには、四人いた黒狼族のうち三人が、自分たちの寝室へ行ってしまったらしく、残されたひとりだけが、気持ちよさそうに大の字で寝ていた。
これだと風邪を引いてしまうのではと思い、ブランケットでも掛けようかと辺りを見渡すが、よくよく考えると、彼らは常に毛皮を着ている状態だということに気付き、余計なお世話だなと反省する。
寝室で寝るようにと、今から起こすのも悪いと思い、彼の隣を忍び足で通り抜け、風呂場へと向かう。
扉を開け、脱衣場に入る。
二十四時間、いつでも入れる風呂は、魔道具によって衛生面や水温が管理され、いつでも清潔で温かい湯船に浸かれるシステムになっている。そんな前世みたいな風呂に入れるとは、転生時には想像もしていなかったので、これがあると知ったとき、少なからず感動してしまった。
もしこの世界が、水浴びや清拭だけの文明だとしたら、いずれ耐えきれずに自分で風呂を作っていたかもしれない。その行為が、たとえこの世界の文明を、著しく変えてしまったとしてもだ。それだけに、先んじて風呂文化を発展させてくれた【世渡りびと】たちには感謝の意を表したい。
さっそく服を脱ぎ、洗い場へと向かう。
洗い場は数名用の場所が確保されており、木で作られた椅子と桶も複数ある。それぞれの蛇口からは絶えず熱い湯が出ており、それが循環して綺麗なお湯としてバスタブへと巡っているようだ。脱衣場にもあった魔道具のような棚がこの風呂場にもいくつかあり、その上には常に清潔そうなタオルが大量に置かれている。こんな湿気のある場所にと思ったが、実際には湯気による湿気なども、その魔道具で阻害されていて、触ってみるとしっかり乾いた状態だった。
「あっ! もしかしてこれ……せ、石鹸か!?」
風呂場に僕の声が反響する。
期待していなかった石鹸らしきモノがあったのだ。前世のそれと比べれば、品質もイマイチっぽい、いびつな形で固まっている塊を手に取った僕は、その場にあったタオルにこすりつけ、布を揉む。するとやはり予想通り、布からは少しずつ泡が立ち始めた。
出来た泡を肌につけてみたが、特に刺激もなく、何度か血の契約で傷付け、かさぶたになっていた指の汚れも、綺麗に流れ落ちていった。やはり体を洗うための石鹸として、ここに置いてあるようだ。ついでに匂いをかいでみたが、なにか植物のような香りがする。たぶん植物油か何かで来ているのかもしれない。
「おお~! やっぱ泡、最高!」
やがてタオルは泡まみれになり、前世から数日ぶりに体を洗う。タオルがこすれる刺激と、泡が肌をすべる心地よさに思わず声が出してしまった。せっかく部屋を融通してくれたセナには悪いが、この部屋に泊まれたことで、一番彼女に感謝したことは、この風呂と石鹸を、提供してもらえたことかもしれない。
ドワーフのドレイクが作ったシャワーヘッドを手にし、ざっと体を洗い流す。水圧も申し分なく、適度な圧であっという間に泡を流し飛ばしていく。これはもうあれだな。前世と変わらない生活だ。
一度この生活を思い出してしまったらもう、あの水に濡らした布で体を清める、清拭だけの生活には、戻れないかもしれない……と、それくらいの感動が僕を襲う。
いずれ部屋を引き払い、再び元の生活に戻ることに、少し未練を感じながら、石鹸を見つけたついでに、頭も洗ってしまおうと手のひらに泡を立てる。出来た泡を髪に撫でつけ、久々の洗髪を開始。小気味よく動かす指先が頭皮を刺激し、その気持ち良さに酔いしれる。
「くう~っ、最高! これアルテシアやジーナにも体験させたかったなあ……」
洗髪のため目を閉じるなか、ひとりそんなことを呟く。この世界でいったいどれだけの女性が、清潔なお風呂に入って、体のケアをしているのかはわからないが、少なくとも僕と出会った時点では、アルテシアとジーナにそんな機会はなかったはず。セナの許しを得ていない以上、この部屋に彼女たちを入れることは出来ないが、いつかはこんな風呂に彼女たちも入れるようにしたい。
「じゃあ、お兄さんが洗ってくれる?」
「――!?」
空耳だろうか。よく聞く声がする。
まさかそんなはずはないと、脳がそれを否定する。ここは魔道具によって厳重に警備された、貴族や裕福な市民御用達の高級宿泊室。そこに、一介の盗賊なんぞが侵入できるわけがない。いや、あの王国騎士団セナでさえ、そう言っていたのだ。彼女がそう断言しているんだ。そこにあいつが入り込めるはずがないじゃないか。やはり気のせいだろう。
気を取り直し、洗髪を続ける。
泡が目の上に垂れてしまい、それを拭おうと、乾いたタオルを目をつむったまま探す。たしかすぐ近くの台の上に置いたような覚えがあるが、見つからない。焦った僕は探す範囲を広げ、手を伸ばし続ける。
「ん!?」
ぷにっとしたモノが手に当たる。
触ったことの無い柔らかな感触が、僕の脳裏に疑問だけを残す。これはもしやという疑念を持ったまま、その手を上下に動かした。
「あんっ! お、お兄さん。それヤバいって……」
「――!!」
聞こえた。気のせいではなくたしかに。
僕が手を動かすのと同時に、ここに居るはずのない人物の喜々とした声が。その声にあわてて目を開けてしまい、急な刺激に悶え苦しむ。
「痛たたた! 目に入ったっ!」
「あーあ。それマジ痛そ」
シャワーで目を洗い、渡されたタオルで顔を拭う。まだ痛む目をうっすらと開きながら、振り向こうとすると、うしろの人物によって強引に前を向かされる。
「だーめ! アタシ真っ裸だし、それはまだ早いっしょ?」
「はだっ……!? な、なんでここに! どうやって入ったんだよ、ジーナ!」
ジーナが裸だと知り、あわてて目を閉じる。
ここに彼女がいる理由がわからない。どうやって入ったのかを問い詰めると、彼女は高笑いをした。
「あーっはっはっは! アタシに不可能なことはないっつーの!」
「いや、でもあの扉、鍵穴もないんだぞ? 外からは僕しか開けられないのになんで……」
「あれ? それ聞いちゃう? んーどうしょっかなー」
「またかよ!」
こんなやり取り、前にもあったな。
こういうとき、変にもったいぶるジーナは結構面倒くさい。さっさと言えば良いのにと思う反面、盗賊としての企業秘密をわざわざ教えろという僕も大概なので、お互いさまだと諦めることにした。
「えっとぉ~普通に扉をノックしたらぁ~開けてくれてぇ~」
「はあ!? 誰に!」
「んと、黒狼族? また寝ちゃったけど」
「うわちゃぁ……」
おそらくジーナを部屋に招き入れたのは、ひとりソファーで寝ていたあの黒狼族だ。扉をノックする音で目を覚ました彼は、何も考えず、内側から扉を開けたのだ――てか、それ魔道具の欠点じゃないのか!?外から開けられないだけで、防犯としてはまったく役に立っていない。
思わぬ魔道具の盲点を知り、呆れる。
部屋のなかに協力者がいれば、いくらでも賊が侵入出来るので、まったく防犯の意味を成さない。せっかく血の契約までして登録したのに、なんだったんだあれは……。
「それ、別にジーナの能力と関係ないじゃないか……」
「えーアタシのノックが良かったんじゃね?」
「はいはい。ノックは誰だって一緒だろ? はあ……あの黒狼族。朝になったら注意しとかないと、ローザのところでも何かやらかしそうだ」
「あはは。お兄さん。マジ苦労してるし、ウケる~」
誰のせいだと思っているんだよ。
あっけらかんと他人事のように笑うジーナに、内心愚痴をこぼす。ローザに引き渡す前に、黒狼族のメンバーには警備やマナーのいろはを、誰かに教授してもらう必要があるかもしれない。アルテシアとか、もしかしたらそういうことに詳しそうな気もするし、朝になったら相談してみよう。
そうなれば、残る問題はただひとり。ここにいるジーナだ。どういう目的でここに侵入して来たのかはわかっている。どうせ前回、忍び込んだときと同じ理由だろう。そうなれば方法はひとつ。丁重にお断りを入れ、即座に部屋に送り返すのみ。出来ればアルテシアが、ここに居てくれると助かるのだけれど、さすがにそうもいかない。
「うわー! チョーあったかくて気持ち良いじゃんこれ!」
思案する僕のうしろでジーナが叫ぶ。
思わず振り向くと、いつの間に入ったのか、湯船に浸かる彼女が目に入る。肝心な部分は見えていないので、振り向いた僕に注意することなく、彼女は気持ちよさそうに、すくったお湯を肩にかけている。
「コラ! 湯船に入る時はかけ湯しないとダメじゃないか」
「えーもう入っちゃったし。それにお兄さん、アタシがこのまま風呂から出ても困るっしょ?」
くそお……確信犯め。
しれっと僕のヘタレに付け込むジーナが、こちらにお湯を指で弾き飛ばしてくる。
「アタシさあ。お風呂なんて入ったの初めてじゃん? こんな気持ちいいなんて、マジ感動だわ」
「うん。その気持ち……わかるよ」
すっかり風呂が気にいったようすのジーナ。
そんな風に言われたら、無下に追い出すことが出来なくなる。これは困ったと、途方にくれていると、背後にある風呂場の扉が、ゆっくりと開くのに気付いた。マズい。部屋の誰かが入ってきたのか。ほとんど裸の僕と湯船で全裸のジーナ。こんなところを見られたら、相手が誰であれ、僕の人間性を疑われかねない。
「ジーナ!」
「あっ、ちょ! お兄さんっ!」
タオルをジーナに投げ、彼女の体を隠そうとしたが、とっさのことで全然隠れていない。それどころか、頭にタオルを投げつけられた彼女が、驚いて声をあげてしまい、ふたりで風呂場にいることを、なおのこと相手に強調するような結果に。
絶体絶命のなか、扉が全開し、相手がゆっくりと姿を見せる。
「「あ……」」
声を揃える僕とジーナ。
それもそのはず。
風呂場に入ってきたのは、まさかの人物。
窮屈そうにバスタオルを体に巻いて現れたのは、ここに入ることが出来ないはずの、もうひとりの相方。
アルテシアだった。
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