第四十五話 黒狼族の戦士たち
「ぎゃっ! な、なんだよこの臭いっ! ぐあっ!」
リサメイが鼻を抑えて悶絶する。
地下三階へ真っ先に下りて行った彼女は、ここに着いたとたん、地下に充満する悪臭にやられてしまった。猫の嗅覚も良いと聞くが、もちろん白豹族である彼女の嗅覚も人族の何万倍もあるため、今現在、地獄のような苦しみを味わっている最中だ。僕らでさえこの悪臭には辟易しているが、彼女やジーナに比べればまだマシだろう。
「うぐっ。ヤバいなこの悪臭……みんな気をつけ――」
「ひうっ! ご、ごめん、お兄さん。アタシ、マジ無理……」
さっそくジーナが戦線離脱した。
僕が全員に注意喚起を促す前に、彼女らしくない、か細い悲鳴をあげながら、階段を這うように上がって行き、中間にある踊り場まで非難してしまった。
「げっ! ジーナ、ズルいぞ! あたしだってヤバいのにさ」
黒狼族の四人を仲間に入れようと提案した手前、さすがに自分も逃げるわけにいかない立場のリサメイが、早々に逃げ出して行った、同系統とも言えるジーナに愚痴をこぼす。ごめん、リサメイ。彼女はああいう娘なんだ。
内心リサメイに謝りつつ、周囲を見渡す。
地下二階のオークション会場に比べ、その十分の一にも満たない、小さな区画になっている地下三階。数メートルおきに壁に掛けてある小さなランプは、全てが煌々と灯っているわけでなく、いくつか炎が消えているものもあり、両脇に区切られている牢屋の真ん中を通る通路も奥に行くに連れて、ほとんど暗闇で閉ざされた状態だ。
そして、カビとも汚物とも知れない異臭。鉄格子の奥には、壁の至る所にコケや何かのシミがこびりつき、とても人が寝泊まり出来る場所ではないことを物語っている。
ベッドのような物もなく、ただ藁のような物が地面に置かれ、そこに誰か寝ていたのだろうか、以前利用していた人物の体の形みたいなものが、藁に残ったまま放置されている。前世にある地下鉄などは、毎日水をポンプでくみ上げないと、立ちどころに水没してしまうと聞くが、ここの地下施設はどうなっているのだろうか。
そんなことを考えながら、一番近くにある牢屋の奥を覗くと、何かの魔道具が壁の近くに置いてあった。そこから小さな溝が壁際に沿うように走り、あまり綺麗ではない水が流れているのを見つける。この状況でトイレもないところをみるに、あの溝が用を足すために作られたのだとしか思えなかった。
「こりゃ酷いな。まだ詰所の方がマシだったわい」
同じく鼻を押さえながら下りてきたドレイクが、そんな言葉を漏らす。まだマシって、あっちも大概なようだけれど、この世界には罪人や奴隷に、ちゃんとした権利なんてないに等しいんだろうな。
「エルフよ。お前の風魔法とか使って、この臭いをどうにか出来んのか」
「ごめん。精霊魔法って、最低百年くらい精霊の住む森にいないと身に付かないんだ。あたし結構早くに森出ちゃったから……あはは」
「はあ。役に立たんのお……」
うしろでドレイクとメイウィンがそんなやり取りをしている。よく聞く話だとドワーフとエルフってそんなに仲良くないって言うけど、ドレイクの口調だとやっぱりそうなのか、などと勘繰ってしまう。
「お、おい……だ、誰かそこにいるのか!? た、助けてくれっ!」
「「――!」」
僕らの騒ぎに感付いたのか、通路の奥から男の呼び声が聞こえる。僕らは顔を見合わせ頷き合うと、その声がする通路の奥へと進んだ。
ゴミ箱部屋と呼ばれるこの施設には、他の奴隷たちの姿はなく、十メートルほど歩いた先の向かって左手にある部屋に、彼ら四人はいた。
部屋の広さは大柄な黒狼族四人の他、あとふたりほどが、かろうじて入れそうなほどのスペースしかなく、鉄格子の扉は開いたままだったため、とりあえず僕とリサメイがそこへ入ることにした。
彼らは首にある奴隷の絆から鎖を壁に繋がれ、その壁に背をもたれさせたまま座っていた。全員以前と同じく片腕を失ったままだったが、傷口は綺麗に塞がっているようなので安心する。
「あ、あんたは……」
僕の顔を見た黒狼族のひとりがそう呟く。
自分たちをここに閉じ込めた原因のひとりである、僕を見てそう言ったのか、少し怯えたような男の声。そのうしろ、鉄格子の向こうにいるアルテシアに気付いた彼は、またも声をあげる。
「ひいっ! な、何しに来たんだあんたら、ま、まさか、俺たちを殺しに来たのかっ?」
他の三人はすでに戦意を喪失したように、ボーっとしたまま地面を見つめているが、この男だけはまだ元気があるようで、僕とアルテシアが自分たちの息の根を止めにでも来たのだと、勘違いしているようだ。
「バーカ。なに勘違いしてんだ」
「痛っ! なっ……なにすんだよ!」
そんな彼の頭を軽く叩くリサメイ。
それによって自分が混乱していたのを気付かされたのか、正気に戻る黒狼族の男。
「主さんは、お前らを助けに来たんだよ」
「えっ?」
リサメイの言葉に驚く男。
そんな彼にニヤりと笑いかける彼女は、おもむろに自分のかぎ爪を伸ばすと、一瞬にして彼らに繋がれている鎖を断ち切った。状況が呑み込めていないのか、バラバラと落ちる鎖を見つめながら、他の三人も含めた黒狼族の男たちが、一斉にざわつき始めた。
「な、なにを……」
「た、助かるのか!?」
「かぎ爪……女、お前獣人か?」
「ううう……どうなるんだ俺たち……」
詰所からゴミ箱部屋に連れてこられた時点で、疲れ果てたのか、鎖が外れても彼らは立ち上がることもなく、壁にもたれたままだ。もしかすると、食事も与えてもらっていないのかもしれない。
「あ、あんたこの前、俺たちに極薬草くれた人だよな?」
「え? あ、はい」
「あれのおかげで、俺たち何とか死なずにすんだんだ。礼を言うぜ」
「あ。そ、そうだったんですね。良かったです」
僕があのとき渡した極薬草が役立った。
素直にそれを喜んでしまう。あれは決して無駄じゃなかったんだと。それと、冒険者ギルドのマルガリータに効能を聞いていて良かった。もし知らなかったら、彼らは助かっていなかったかもしれない。彼らの無事に、自分の行いが関係していたことを素直に喜んでいると、それを教えてくれた黒狼族の男が続けて言った。
「さ、さっきその変わった獣人の女が言っていたが、俺たちを助けてくれるってのは、いったいどういう意味だ? 俺たちはあんたから助けられる義理もないはずだぞ」
鎖が取れて楽になったのか、しきりと首をさする男が、遠慮がちに僕に尋ねる。本音を言えば、リサメイに言われるまでは、まったく考えていなかったんだけれど、ここへ来て彼らとの因縁深さに気付き、急きょ依頼である奴隷戦士としての雇用を決めた。しかし、それはこれから彼らがどう反応を示すかによって変わってくる。僕は慎重に話を始めることにした。
「僕は奴隷ディーラーのヨースケって言います」
「奴隷ディーラー!? ま、まさか噂のゴミ漁りか!」
僕が自分の素性を明かすと、とたんに壁に後ずさりする男。どうやら以前、セシリーに聞いたゴミ漁りという、ゴミ箱部屋に落ちた奴隷を、どこかへと連れ去っていく奴らと勘違いされたようだ。あわてて首を横に振り、彼らの誤解を解く。
「じ、じゃあ、奴隷ディーラーがいったい何の用だ。俺たちはオークションで、まったく売れなかったようなゴミだぞ? 今更価値のない俺たちをどうするつもりだ!」
オークションで売れなかったことが相当ショックだったのか、男はなぜか悲観的に言い放つ。隣に並ぶ他の黒狼族たちも、その言葉によって俯いたまま、じっと黙っている。
「実は、ある商人に依頼されて、王都までの定期便を警護する、戦闘奴隷を数名集めて欲しいと言われたんです。それであなたたちにどうかと――」
「はあ!? あんた、それ本気で言っているのか?」
「と、言いますと?」
「言っちゃ悪いが、俺たちはあんたの奴隷に、こんな体にされちまったんだぞ? それに片腕のない戦闘奴隷なんて役に立つ訳がないだろう! 事実、それが原因で俺たちはオークションでも、まったく相手にされなかったんだからな!」
やはりオークションで落札されなかったのは、それが原因だったようだ。うしろにいるアルテシアも黙ったまま、彼の話に耳を傾けているみたいだし、もう正直に彼らに話すしかないな。
「大丈夫です。腕はなんとかしますから」
「「はあ!?」」
今度は黒狼族全員が声をあげた。
何か頭のおかしな奴でも見るような目で、僕を見つめる黒狼族たち。再生魔法のないこの世界では、僕の言葉はとても滑稽に聞こえたのだろう。
だが問題はない。僕には【リセット】がある。
「あんた自分が何言ってるかわかってんのか? 腕だぞ? 俺たちの腕はもうどこにもないんだ。それをどうにかするって、俺たちを馬鹿にしてるのか?」
「そうじゃありません。腕は元通りにします。でも、それには僕の奴隷になってもらうしかないんです」
「「……」」
あれ? なんか余計に疑われてる?
彼らは僕の説明を聞き、いかにも怪しい奴、もしくは変なことを言う子供、とでも言っているような目つきで僕を見ている。これはちょっとやっかいなことになりそうだな。
「バカヤロっ! いいからお前ら、黙ってこの人の言うことを聞けってんだ!」
「あ痛っ!!」
彼らの反発に焦れたリサメイが、有無を言わせず彼らの頭を順番に殴る。一番元気な男以外は、彼女に殴られても反応さえ薄く、黙ったまま殴られてしまう。たぶんさっき揃って叫んだ時点で最後の力を振り絞ってしまったのだろう。息も絶え絶えのようすの他の三人は、かなり衰弱している。
「大丈夫ですか?」
思わず彼らに声をかける。
殴られたことに対してではなく、衰弱していることにだ。
「ああ。こいつらちょっとヤバくてな。あのときもらった極薬草を使う順番で、遅い奴ほど血流してたし、その分最初に使わせてもらった俺は、おかげでなんとか無事だ」
「なるほど……すみません。あれしか持っていなかったんで……」
僕の問いかけを理解してくれたのか、一番元気な男が理由を説明してくれた。あのときの極薬草は二本しかなく、彼ら四人では到底数が足りなかったのか、他のメンバーの回復が遅れたようだ。もう少し余分に持っていればと、今更ながらに後悔してしまう。
「いや、あれがなければ、俺たちは全員とっくに死んでいたかもしれねえ。それに、あんな状況でわざわざ助けてくれる奴なんざ、あんたくらいなもんだ」
「お前、そこまでわかってんなら、大人しく主さんの奴隷になっちまいな! ぐずぐずしてたらゴミ漁りだって来ちまうぞ?」
「ぬうぅ……!」
リサメイが急かしたのが功を奏したのか、元気な黒狼族の男は、仲間たちをチラと見ながら、考え込んでいる。奴隷になるか、それともここでゴミ漁りがやって来るのを待つか。どちらを選ぶか考えているのだろう。まあ、この二択だと、おのずとどっちを選ぶかは、決まってくると思うんだけど。
「一応、この四人のリーダーは俺だ。俺がどう決めても、こいつらは文句は言わねえ……」
少し考えたあと、こちらを見据えた黒狼族の男が、そう前置きをする。それに対し、他の三人が何も言わないところをみると、この男の言う通りらしい。疲れた顔で、男にすべてを託したかのような視線を、それぞれが送っている。
「あんたの奴隷になろう。腕をどうにかしてくれるって話は、この際どうでもいい。どうか俺たちを助けてくれないか」
僕の言葉をあまり信用していないのか、はなから腕の復元を諦めている黒狼族の男が、そう懇願する。うん。普通は信じてもらえないだろう。
「ありがとうございます。じゃあ四人は一旦、僕の奴隷になってもらいます。それから依頼主に譲渡しますんで」
「ああ。どうにでもしてもらっていい。俺たちはもう、あんたに頼るしかないからな」
潔く言い放つ黒狼族の男。
そんな彼と仲間たちは、途中、紆余曲折があったにせよ、とにかく僕らと行動を共にすることになった。
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