閑話 猫耳少女ジーナ ― 記憶の断片 ― 【ブックマーク100件突破記念&感謝】
「うう……」
おにぃ――
待ってよ、おにぃ――
行かないで――
お願い――
アタシを置いてかないで――
そこで目が覚めた。
いつもの暗い部屋。万年寝床のような、シミのついた小さなベッドで目が覚めたアタシ。ここはペイルバインのスラム街にある、ほとんどタダみたいな宿の一室。
なにも置いていないベッドだけの部屋。
猫人族の性っつーか、アタシこう見えてマジ綺麗好きなんだけど、ここだけはなんか落ち着くんだよねー。普通ならこんな虫やトカゲが壁を這ってる部屋なんて、絶対無理なはずなのに、ここは別腹ってか、特別? 理由はわかんないけど、たぶん兄貴と一緒に最初に泊まった部屋だからかもしんない。
さっき見た夢は毎回おんなじ夢。
つーか、悪夢? 小さい頃にどっかに行っちゃった、三個上の兄貴の夢。アタシたち兄妹はアタシがまだ物心つく前に、この街にふたりだけでやって来たらしい。まあ兄貴もそんな昔のことだし、あんま覚えてないらしいけど、住んでた村が襲われて、アタシの両親? その人たちが逃がしてくれたんだって。つーても、顔も覚えてないから、そのひとたちに感謝しろーなんて言われたって、そんなのするわけないっつーの!
そんでその兄貴がマジ酷いんだって。
まだ五歳のアタシを置いてどっかにとんずらしたんだよ? マジ酷くね? わかる? 五歳だよ? 可愛い五歳のジーナちゃんが、いきなり孤児院がわりの教会でたったひとり置いてかれたんだよ? これ通報したっていいよね? マジムカつく! あのバカ兄貴。
まだ三歳だったかな。兄貴とふたりで街の武器屋の前を通ったんだけど、手を繋いでた兄貴がいきなり立ち止まって動かないわけ。こっちはお腹空いてんだから、早く教会に戻ろうっつってんのに、兄貴ったらガキ感丸出しで、武器屋のショーウィンドウに飾られてる武器を、めっさキラキラした目で見つめてんの。
「俺はいつか騎士になって、村を襲った奴らをぶっ倒す!」なんて息巻いちゃってさ。ホントマジ勘弁てなったけど、アタシもまだチビだったし、黙って見てるしかないわけ。
しまいには毎日その武器屋に連れて行かれて、チョーウザ。まあ? たまーに武器屋のおっさんにお菓子とか貰えたから、ちょっとは我慢してやったけどね。てか、そのまさか二年後に兄貴に捨てられるなんて、このときは思いもしなかったけど……。
つか、アタシいつまであんな兄貴のこと、思い出してんだっつーの。今日は仕事あるし、しっかり金稼がないと。
テーブルもない部屋の床に、直に置いてある、ガラスの瓶に入ったぬるい水を直接飲んで、アタシは部屋から出て別の場所に移動する。
共同の水場には、いつもの面子が集まって、なんか揉めてるけど、アタシは無視して、そこで顔を洗う。
そいつらもそうだけど、アタシは盗賊のジョブ持ちだ。同じ穴のムジナ同士、スラムの安宿で生活している。だからといって、気安くお互いに仕事の話はしない。すれば横取りされることあるし、マジで命のやり取りしないといけないから、極力話さない。今揉めてるのはたぶんだけど、それが原因かもね。
ジョブは十二歳のときに現れた、いくつかの候補から選んだ。大人になった証? まあ、いきなり十二歳になったとたん、目の前に現れたステータス画面に、マジビビったけどさ。あとで聞いたら、そこには十二歳になるまでに、自分がやった行動に基づいたジョブが表示されるんだって。
アタシは小さいときから、街でかっぱらいとか、ケンカとかしてた、ちょっとお茶目なギャルだったし、当然表示されたジョブは、詐欺師やら、ペテン師やらって、ロクでもないやつばっかだったけど、唯一マシだったのが盗賊だっただけで、別になりたくてなったワケじゃない。
このジョブになって得したことって言えば、スキルでバレずに盗めるっつーだけ。まあ盗賊なんてそんなもんしょ。
でもさ、親ってやっぱ居ないと困るときあるんだよね。さっきのステータス画面にしたって、いきなりだったから、アタシ、マジでビビって泣いちゃって! 普通は親にそういったデリケートな部分やらを、教わるらしいんだけど、アタシ親居ないし。んでそのままパニクったアタシには結局、世話になってる教会のシスターしかいなくて、彼女のとこまで泣いて飛んで行ったわ。あれアタシんなかで黒歴史ベスト3に入るんじゃね。てか、クソ恥ずい……。
教会はジョブを選んだ時点で、出ないといけない決まりでさ。泣いて飛んでったとき、親がわりのシスタージーナスが寂しい顔してたのを今でも覚えてる。アタシ問題児だったし、途中で兄貴居なくなって、鬼ほどグレてたから、彼女にチョー心配かけてたんだろうなあ。
ああ。名前からお察しだと思うけど、シスタージーナスはアタシの名付け親なんだよね。まだ幼かったアタシは、親から名前もつけてもらえないまま兄貴と村を出たんで、このジーナって名前は、彼女がつけてくれたんだ。だからってわけじゃないけど、未だに稼いだ金のほんの少しを、教会に寄付してるのは内緒。柄にもないって言われそうだけど、ちょっとはシスターに恩返ししたって、バチは当たらないよね?
んで、本題の今日の仕事だけど、アタシら盗賊は一応、盗賊ギルドってとこに所属してる。
この街にはギルドの支部がないから、仕事のあっせんはもっぱら手紙で通達される仕組みなわけ。アタシは手紙の受け取り先を教会にしてるから安心なんだけど、他のバカな奴らは、この安宿にしてたりするから、同業者に勝手に盗み見されて横取りされてんの! ザマァ。
今日の仕事の依頼人は初めて聞く名前の奴だった。まあ偽名だろうけど、別に気にしない。それはともかく、普通は路地裏とか指定してくんのに、今回はよりによって一番街で目立つ場所じゃん。広場で仕事の話なんてあんましたくないんだけど、相手がアタシを警戒してるっつーことなのかもしんないから、文句は言えない。
今頃になってあわてて手紙を読み返す。
えーサイアク! 待ち合わせ夕方なんですけど! これチョー人が多く出て来る時間帯じゃん。まあ、それなら別に目立つこと気にする必要もないかー。あっちもあまりひと様に胸を張れる仕事してないだろうし、どっちも朝一の広場は苦手っしょ。
マジかあ。じゃあアタシこんな早く起きる必要なかったってことじゃん。しくったあー。ってかこれもう、二度寝するの確定じゃん。
結局アタシはまたあの部屋に戻り、惰眠を貪り続けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お前がジーナか」
夕方の広場。相手が名前を確かめる。
アタシは黙ってこくりと頷く。ちょっとギリまで寝てたから寝ぐせがヤバい。しれっと髪を整えつつ、相手を観察する。まあ、向こうもおんなじことしてるけど。
相手との待ち合わせには、合言葉がある。
ギルド式のやつで、それは依頼者と請負人にしかわからない言葉だ。服装とかだと情報がバレたりするのでめんどくさいから、もっぱらアタシたちはその合言葉で相手を見つける。今回、夕方だし、めっちゃ人多いから、結構手間取るかと思ったけど、おっさんだけ異様な空気だったからまあ楽勝。
このおっさん。一見普通っぽくて、どこにでもいる感じのモブキャラにしか見えないけど、なんか他と違うヤバい空気をまとってるっつーの? とにかく下手なことすれば、アタシなんてあっという間に殺られちゃう感がマジパない。ていうかその目、笑ってないっしょ。 ニコニコと人の良さそうな笑顔だけど、声だけ聞けばそれが嘘だってのがわかる。闇に関わって生きている声だ。何て言うか、修羅場? そんなとこで生きてきた奴の声だ。
こういう奴は今までに数人会った。
そいつらもマジパないけど、こいつは別格だ。うーん。テキトーに話だけ聞いてバックレるかな。
「もっと大人の女かと思ったが、まあいい。こいつくらいの方が、相手も気を許すだろう。それに……」
「えー何、独り言? おっさんヤバいんですけど」
勝手に評価されて、勝手に話進めてるけど、アタシ断るんでヨロ。男はブツブツとアタシを査定すると、ポンと小袋を渡して来た。
「前金だ」
「えっマジ!? てかまだ仕事内容、聞いてないんだけど?」
えーめっさ気前良いじゃん!
ちょっとおっさんを見直したし! つーか、普通は話もしないうちに金なんて出さない。てか、それだけ重要な仕事なん? うーん。前金かあ……どうしよっかな……。
「なーに、仕事は簡単だ。今からこの街にいる、他所から入ってきた奴らから、あるモノを奪え」
「あるモノ?」
アタシのスキル【スナッチ】は、意識外からの攻撃や盗みなどを可能にする、マジ使えるやつだ。このスキルのおかげで、今回のおっさんの依頼みたいな仕事を、いろいろとこなしてきたから、ギルドからの信頼まあまあ良さげ。まあまあって微妙な評価なのは、アタシが仕事をえり好みするのが原因なんだけどね。
他のジョブでもそうだけど、盗賊になれば、レベルアップで同じメインスキルを習得するってわけでもない。それまでの行動や経験、得意分野によって少し変わってくる。知り合いのちょっと卑怯な盗賊のメインスキルは、【バックアタック】だった。パッシブスキルやジョブ特有スキルなんかは同じだけど、メインスキルだけは自分をどう育成するかによって違ってくるから、マジやりがいある。
だから今回は、アタシのメインスキル目当ての依頼らしい。それならまあいいかなと思い始めるアタシ。前金もらったし、ちょっとくらいなら話聞いてやってもいいけど。
「金貨にそっくりだが真ん中に石が入っている。見ればすぐわかるだろう」
「なにそれ。ちょい面倒だけど。てか、一枚だけ?」
おっさんが無言で頷く。一枚ならいっか。
ちなみに今の争いの多いご時世、アタシが無事に仕事をやれているのには、コツがある。それは毎回、盗むモノの安全性と用途を確かめること。モノによっては用途まで教えてくれないけど、それでも確認は一応やる。安全性は、盗んだ拍子に罠が発動したりするモノだったら、相手に依頼を断る理由にするためだ。それを怠ってケガしたり、下手して死んだりするのはマジ勘弁。仲間もそれをせずに死んじゃった奴はいくらでもいるし。
「あのさ、前金もらって言うのもなんだけど。アタシ、ヤバいブツを盗むのだけは断ってんだよね。だからその石のついたコイン? それがなんなのかと、罠とかかかってないのかどうかだけ、教えてもらいたいんだけど」
「ほう。ガキのくせに一応はプロだな……まあいい。教えてやる」
おっさん怖いけど、勇気出して聞いた!
ちょいビビったけど、おっさんが褒めてくれたうえに教えてくれるって言うし、なんだかんだ、チョーラッキー。
「ブツの名前は言えんが、別に罠などはない、ただのコインだ。俺はそれを使って、とある貴族を陥れたいだけなのさ」
「貴族?」
「ああ。俺たち闇の稼業の者には目障りな存在だろ? お前がちゃんとそのコインを奪えば、みーんなが喜ぶんだ。光栄だろ? 同業者の役に立つ仕事なんだから。まあ、そんなところだから頑張って仕事してくれ」
「いやまだ、仕事やるって決めたわけじゃ……」
アタシも貴族は苦手だけど、こいつの言っている、ただのちっさなコインでどうにかなるなんて、さすがに信じちゃいない。ヤバいブツじゃないのはいいけど、それ信じちゃってるこいつの方がヤバいんじゃね?
「あん? お前今、前金受け取ったろ。その時点で契約完了だ」
「はあ!? まってよおっさん! それはさすがに――」
「ほら。どんどん門から人が入って来るぞ。五日だけ待ってやる。それまでにブツを手に入れられなかったら報酬はその前金だけ。もし手に入れられたら、ここに書いてある場所へ午前中に来い。残りの報酬はそのときだ」
そう言って勝手に話を進めるおっさんが、アタシに地図を渡す。ギルドから聞いてきたのか、そこには、よくアタシたちが依頼人との待ち合わせに使う、路地裏の地図が。
「じゃあ、俺は行くから、せいぜい頑張れよ」
「あっ、ちょっと!」
そう言って立ち去ろうとするおっさん。
こいつ、めっさ強引じゃん! こっちの話まったく聞かねーし、マジなんなん!? 前金渡したからって、ちょっと上から目線過ぎね? アタシそんな安い女じゃないんだけど! とかいろいろ心んなかで悪態ついてみたけど、もう遅かった。
「くっそ! もうやるしかないじゃん……」
しぶしぶ前金を懐に入れ、アタシは門へと振り返った。 自慢じゃないけど、街の住人とそれ以外の人間は区別がつくアタシ。伊達にガキのころからこの街に住んじゃいない。人に恨まれやすいジョブ柄、相手の顔くらい覚えとかないと、トラブルのもとになるし、そこはちゃんとプロとして頑張ってる。
ここはよく使う街の道案内人を装って、初見の奴らを片っ端から【スナッチ】するしかないな――って、ププーッ! アタシじゃなくて、あのおっさんが真っ先に道を尋ねられてやんの。
見た目、温厚そうなふりをしてるおっさんが、アタシより先にイケメンのお兄さんに掴まって、道を尋ねられていた。チラっとアタシのほうを横目で見て、助けろと言わんばかりに困ってるし、マジうける。てか、イケメンお兄さんのこともちょい気になる。うーん。あいつ一応アタシの依頼人だし、ここは情けをかけてやるか。
さっそくアタシは、いつもの道案内人、なんでも屋ジーナちゃんになりきる。気持ちを切り替え、あんま使い慣れていない、人族っぽい話し方に言葉を直して、おっさんとイケメンお兄さんの間に割り込んだ。
「ちょっとおじさん! 宿探しならアタシの仕事でしょ!」
「「――!」」
アタシが割り込むと、素直に驚くイケメンお兄さんと、しらじらしく驚いたふりをするおっさん。てか、えっ? 近くで見るとお兄さんマジカッコ良くね? 人族だけど年も近そうだし、ちょっと一目惚れしそうなんですけど!
つか、お兄さん、アタシをガン見し過ぎっ!
あ、そっか。人族だからこの猫耳が気になるんだ。ちょいサービスして耳動かしてみよっかなーなんて、うっわ! めっちゃ耳見てるー! なんかニヤけてるお兄さんチョー可愛いー! ヤバい、嬉しすぎてアタシ、仕事忘れそうなんですけど!
おっさんは安心したのか、アタシに案内を邪魔された感を出しつつも、どっかへ行った。残されたアタシとイケメンお兄さん。つーか、ふたりっきりじゃん!
「お兄さん、宿をお探しなんですよね! アタシが案内しますよ!」
「いや、さっきのおじさんに聞くだけで良かったんだけど」
えーなんかツレなくね?
困り顔のお兄さんが、アタシをちょっと迷惑がるところとか見るとマジ凹む。てか、ヤバい。アタシお兄さんのこと惚れちゃったかも。いきなり初対面でこんな気持ちになるとか、マジありえんし。ちょっとマジモードでお兄さんに気に入ってもらわないと!
「街のことならこのアタシ、なんでも屋のジーナにお任せあーれ」
「あー分かった、分かったから! 踊るのはやめてくれないか、ジーナ」
アタシが得意の曲芸を見せると、あわてるお兄さんが、必死で止める。相変わらず迷惑そうなのが凹むけど、一応掴みはオッケーじゃね? それにすぐに名前で呼んでくれたし、なんか嬉しい。まあ、これで案内も出来るし、もうちょっとお兄さんと一緒に居れるから、これはアタシの勝ちっしょ!
お兄さんは宿をご所望のようだ。
うーん。道案内人ジーナちゃんとしては、やりがいの無いお仕事。てか、この広場の坂を上がった先にすぐにあるんだよね。まあ、お兄さんとはもうちょっと一緒に居たいし、それに街に初めて来たみたいだから【スナッチ】もするしかない。ここは職権乱用ってことで、黙ってついて来てもらうしかないよね。
ふたりで雑談しながら坂を上る。
足取りはなるべくゆっくりと。途中、この街の見どころである坂から見た広場でーす! なんて振り返って景色を見たりと、出来るだけ長くお兄さんのそばに居たいアタシは、時間を延ばすためにチョー頑張った。
お兄さんも最初は戸惑っていたけれど、次第に打ち解けてきたのか、ときおり笑顔も見せてくれる。そしてアタシを気遣ってか、いつの間にか歩道の馬車側を歩いてくれたりして、その紳士な態度にちょっとキュンてなった。もーアタシ青春かよ!!
でも、アタシには使命がある。
イケメンで優しいお兄さんの懐から、目的のブツがあるかどうかを確かめなければならない。仕事を依頼された以上、プロであるアタシには、私情をはさんでいる余裕なんてないのだ。宿はもうすぐ。この隙を逃すことは出来ない。
ごめんね、お兄さん。
そう心で呟きながら、アタシはお兄さんに目がけて、スキル【スナッチ】を放つ。彼の意識の及ばない死角から、懐へと一瞬にして手を伸ばし、軽くはない小袋を掴む。
歩きがてら手にしていた石を、あらかじめ用意していた別の袋に入れ、お兄さんの袋とすり替えるまでの時間はおよそ一秒。
意外とぼーっとして頼りなさそうなお兄さんの顔を間近で観察すること、およそ一秒足らず。てか、頼りなさそうな感じがちょっと兄貴に似てたからかな。必要以上にお兄さんが気になったのはそのせいかも。
そんな風に黄昏れた時間も合わせて、アタシのスキル【スナッチ】は二秒以内にその仕事を終える。
「あのさ、ジーナ。先に宿で両替をしてくるから、ここで待ってて。お礼のチップを渡したいし」
懐には石しか入っていないお兄さんが、アタシにチップを渡すと言って、たどり着いた宿に向かって行った。
アタシは一度標的にした相手とは二度と会わない。
だから、一度見た相手の顔は、決して忘れることが出来ない。それはもちろん、お兄さんのイケメンの顔も。てか、ちょっとマジで惜しいんですけど! 出来れば別の機会で会いたかったよお……。
そんなお兄さんに、アタシの気まぐれが悪さした。
普通なら絶対にしない相手への情け。盗んだモノがどんなに相手にとって価値があるものでも、それがアタシのモノになった時点で、相手に対して罪悪感なんて感じない。そうでないと盗賊なんてジョブは務まらないからだ。
お兄さんから盗んだ袋には金貨。それも結構な量だ。お金持ちのお坊ちゃんだったのかな。けっこう頼りなさそうだったし。
アタシはその袋に手を入れた。
そして金貨を一枚だけ摘まむと、それをそっと地面に置いた。
もし他の誰かに拾われても、それはお兄さんに運がなかっただけ。そう自分に言い聞かせながら、アタシはその場をあとにした。
「お兄さん。これで勘弁してね」
プロの盗賊としては失格な言葉。そんなことを呟きながら、アタシは次の標的を探すために、住み慣れたこの街を彷徨うのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ウソ……マジで?」
ある程度の標的たちから、貴重品を盗んだ。
裕福そうなオヤジやら、商人たち。貴族の娘もいたな。そいつらから盗み終えたころ、空はもう夜を通り越して朝になりかけていた。いやー頑張ったなアタシ。まさか徹夜してたなんてマジ優秀じゃん。
眠気を感じたアタシは、スラムへと戻った。
誰も使わない汚い宿の部屋は、いつ帰って来てもアタシの貸し切りだ。ガランとした部屋に唯一その存在感を見せつける粗末なベッドに腰かけ、今回の戦利品を広げる。
大小さまざまな袋がベッドに転がり、最初に盗んだと見られる、小さな袋に目が止まった。
「これって、あのお兄さんの……」
優しそうなイケメンの顔が目に浮かぶ。
彼の袋から先に確認するか。
なんて気軽に思ったアタシ。
袋を開け、中身をベッドにぶちまけると同時に固まった。
「え? なんで……」
袋から出た金貨十数枚のあと、最後にコロンと出てきた一枚のコイン。それは他の金貨よりも色が暗く、真ん中にはあのおっさんの言っていた石がはめ込まれている。
これだ。これが依頼人のブツだ。
そう直感したと同時に、お兄さんの顔が浮かぶ。
「あのお兄さん、もしかしてすごい人だった?」
貴族を陥れるほどのチカラを持つ謎のコイン。それをあの頼りなさそうなお兄さんが持っていたという驚きと疑問。なにこれ、運命の予感?
まったく今回の件と関係なさそうに見えたお兄さんが、実はマジモンの関係者だったのかもしれないということに、ケッコー乙女なアタシは運命を感じる。
とたんに、このコインの扱いに困ってしまう。
え? これ返した方がよくね? お兄さん困ってるんじゃ……いやいやいや! アタシ、これでもプロだから、返すとかありえんし! いや、でも……返すならあのイケメンお兄さんからの、アタシに対する評価爆上がりするかも……って盗んだアタシが無理に決まってんじゃん!
パニクるアタシ。ヤバい本気だ。
お兄さんへの気持ちが、ケッコーマジなことに気付きました。やっぱ返しちゃう? これ。
「――!」
急にあのおっさんの顔が浮かんだ。
いや、やめとこう。あのおっさんにバレたら、もしかするとアタシだけじゃなくて、お兄さんにまで迷惑がかかる。下手すればふたりとも殺される……。
あと四日あるけど、もう仕事は終わりだ。
これをおっさんに渡して、面倒なことはもう忘れるしかない。そんでお兄さんのことも……。
けれどもアタシはそのあとの数日間、返すか返さないかについて、延々と悩み続けることになる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お、お兄さん……!?」
アタシは思わず叫んだ。
ここは路地裏の待ち合わせ場所。あれから四日間悩んだ末、アタシは約束通りに路地裏へ向かい、依頼人であるおっさんとの再会を果たした。
例のブツをおっさんに渡したあと、おっさんの怒りに満ちた声で、尾行を気付かされたアタシ。なんで? やっぱ盗賊レベル6のアタシってば、素人の尾行にさえ気付けないほどヘボいってこと?
振り返るとそこにはあのお兄さんが。
アタシとおっさんを睨む彼に、戸惑う間もなく、急に衝撃をお腹に受けたアタシは、激しい痛みと共にうしろへと吹っ飛ばされた。
「ちっ。余計な者を連れて来やがって!」
「なんてことをするんだ! 彼女は仲間じゃないのかっ!」
アタシを蹴ったのはおっさん。
思いっきり蹴りを喰らって、動けないアタシ。なぜかお兄さんがアタシを気遣うような声をあげてくれるけど、アタシにはそんな資格なんてない。お兄さんの大事なモノを盗んだのだから。それどころかおっさんとお兄さんを会わせてしまった。どうしよう。アタシだけじゃなくお兄さんまで酷い目に遭うなんてマジで申し訳ないじゃん。
そのあと、お兄さんとおっさんがいろいろやり取りしていたけれど、アタシはお腹の痛みで意識が朦朧としてて、そんなこと聞いてる暇なんてなかった。つかこれ、内臓逝ったかも。
遠くにふたりの声が聞こえる。
なんかもうひとり増えたみたいだけど、地面に顔うずめてるアタシにわかるわけないっつーの。すごい金属音が路地裏に響いてるし、まさか戦ってるのお兄さんじゃないよね? そんな強そうに見えなかったし、助っ人でも呼んだのかな。
なんて悠長なこと考えてるとバチが当たったのか、おっさんの気配がアタシの真横に突然現れた。
「ちぃぃぃ! 面倒臭い奴らを連れて来やがって、クソがっ!」
おっさんの怒りマジパない。
ヤバい。殺られる……。アタシの人生オワタ。
「ぎゃああああ!!」
「ジ、ジーナっ!!」
背中に感じる、ありえないくらいの痛み。
口からも血があふれ出して、息が出来ない。神経という神経が、すべてむき出しにされたようなくらいの痛みで、アタシは涙と鼻水とゲロと血を全部一緒くたに地面にぶちまけた。震える体はだんだんと麻痺してきて、手足の感覚さえなくなっていく。 お兄さんがアタシを抱き起してくれたけど、今はもう何も感じられない。一瞬、意識も飛んだ。
「しっかりしろ、ジーナ!」
「あーっはっはっはっは!! もうそのクソ猫は終わりだ! あばよっ!」
お兄さんとおっさんの声が同時に聞こえる。
耳もなんか血が溜まってるのか聞こえづらい。
目の前には真剣な顔のお兄さん。やっぱイケメンだ。
「ジーナ!!」
「お、おにぃ……? ア、アタシ……し、しくじっちゃったん……だね……えへへ」
目がぼやけたのか、兄貴とお兄さんを一瞬だけ見間違えた。でも彼を心配させたくなくて、強がりを言ってしまう。せっかく抱っこされてるのに、もったいない。お兄さんが安心して、アタシを抱っこしてくれなくなるのは困る。
「な、なんか感覚ないけど、ど、どうしちゃった……の、かな……腕も……上がんない、し」
「ジ、ジーナ! ぼ、僕のせいだ! 僕がキミのあとをつけたりしなければ――」
お兄さん泣かないで。
アタシそんなつもりじゃなかったんだよ。お兄さんには無事でいて欲しかったから、せっかく返そうって気になってたコインも、結局あいつに渡しちゃったし。それもお兄さんがついて来ちゃったから意味なくなっちゃったけど。ってか、あれ? アタシが今、話してるの、お兄さんだよね……いや、あれ兄貴? 頭ぼーっとしてきて、よくわかんないし、もう兄貴でいっか。
てか、泣かないでよおにぃ。
邪魔なアタシが死んでせいせいするじゃん。どうせおにぃの夢にはアタシが邪魔だったんだし、それでアタシをこの街に置いて出て行ったんだから、ちょうど良かったじゃん。
「な、泣かない……でよぉ、おにぃ……。そんなに、泣かれ、たら、アタ、シも、安心して……死にきれ……ない、じ……」
ウゲッ。血吐いた。
もうアタシ長くないな。
てか、おにぃ、アタシに奴隷になれってどういう意味? 話飛んでなくね? まあいいけど、アタシもうすぐ死ぬから、奴隷って言ってもゾンビだよ?
「答えてくれ、ジーナ、キミは生きたいかい?」
おにぃ……。あれ? お兄さん?
もうどっちかわかんないし、アタシには見えないよぉ……。
一瞬、変な女の子が見えた。誰? 神さま?
嫌だ。アタシ、そんなとこに行ったら怒られる。悪いこといっぱいしてきたし。神さまなんかに見つかったら、絶対ヤバいって……。死にたくない。まだ死ねない。アタシお兄さんのところで奴隷になる約束したんだよ? それ守るまでは死ねない。アタシお兄さんのとこで良い子になるから。神さま連れてかないで――。
「ジーナ!!」
お兄さんの声がまた聞こえた。
いや、おにぃ? またわかんなくなった。アタシは最後のチカラを振り絞って、さっき神さまに言ったことを、おにぃにもお願いする。
「――たい。しに……たくな、いよぉ……たすけ、て……おに、ぃ……」
そのときアタシを光が包んだ。
ああ。結局死ぬんだな。アタシって。
もし次に生まれ変わったら。
もしあのお兄さんとめぐり会えたら。
絶対にアタシあのひとのモノになる。
それがたとえ奴隷だとしても構わない。
あの人とずっと一緒に居られるなら。
アタシはずっと奴隷だって構わない。
神さま。アタシのお願い、今すぐ聞いてくれなくてもいいからさ。
次の人生でちょこっと叶えてよね。
そんなアタシの乙女な願いは、
光が消えると共に叶えられる。
次にお兄さんとお姉さんの声で目覚めたとき、
アタシの人生は、お兄さんの奴隷となっていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。