表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/114

第三話   アルテシア

2024.2

すべてのシーンにおいて加筆・修正しました



「うっ……」


 自分のうめき声で目が覚める。

 まどろみのなか、気絶する前のことを思い出す。

 血濡れのケガ人を宿に連れて来たこと。

 奴隷契約を実行したこと。

 初めて呪文というものを唱えたこと。

 なんか、途中でおかしくなったこと。

 アナウンスが暴走? いや、あれは想定外だな。

 あとは、えっと。

 ――

 ――

 なんだっけ。

 あ、そうそう。

 リセット。

 ――

 ――

 ――


「リセットおおおおおおお!???」

「あっ!」


「どぅんっ!!」

「ああっ!」


 思い出した。

 リセットだ。

 そう思って叫び起きた途端、とんでもない弾力によって弾き返された。


 初めての感覚。

 言いようのない甘い香り。

 それと弾力。

 そう弾力。

 

 しかも弾力によって弾き返されたはずが、ふたたび柔らかいモノに迎えられてしまった。

 そう、この柔らかい感触に。

 ――

 ――

 いや、今は思い出してる最中だった。

 あとなんだっけ。

 ああ、リセットのあとだ。

 そう言えば、あのケガ人のひと、大丈夫か。

 あれから時間も経ってるはず。


 早く治療するために稼がないと。

 稼ぐってどうするんだ。

 ああ、仕事するために登録しに行ったんだっけ。

 奴隷商ギルド。

 あと冒険者ギルドにも行かないと。

 宿の宿泊代も用意しないとイケない。

 あ、食事。

 お腹空いてない? 僕。

 どうしよう。

 銀貨あと何枚だっけ。


 ん?

 ちょっと待て。

 何か飛ばしてないか?

 これはこれからの予定だ。


 ああ、なんかすごくいい香りだ。

 それと後頭部と顔全体を包む優しい弾力感。

 癒される。

 ――

 ――

 おっと、そうじゃない。

 記憶を整理しないと。

 

 でもこの感触は何?

 ちょっと気になるんだけど。

 そしてこの鼻をくすぐる甘い香り。

 柔軟剤なんて下手なオチじゃないよな。


「あの……」


 ん? 

 誰かの声が。

 いや、さっきも聞こえたな。

 てか、なんで暗いのここ。

 目の前とかさ。 


「お目覚め……でしょうか」

「あーおはようござ――」


 そこまで言いかけてすべてを悟った。

 意識を手放す瞬間、目の前に立つ天使のような少女。

 リセットという恩恵の意味。

 血濡れの奴隷。

 そしてその正体。


「あ、あの……そんなに暴れ――きゃっ!!」

「フゴフゴフゴゴ……!!」


 恥ずかしさと焦りでパニックになった僕は、このうしろ髪引かれるほど離れがたい感触からの脱出を試みる。


 すべてを悟ったんだ。

 いえ、悟らせていただきました。

 今、置かれている状況もです。

 僕は今の今までずっと、見知らぬ女性の膝まくらで惰眠を貪ってました。

 上には僕の顔面を余裕で覆うほどの質量をもった、弾力性の高いアレが。

 そこから脱出することは非常にツラい決断ですが、昨今の時代、それはセクハラ行為とみなされてしまう可能性大の予感。

 だからどうしても離れなくては――


「い! け! な! い! ん! だっっ!」


 ようやく抜けた。

 長い戦いだった。


 でも天国から抜け出せたのは彼女の配慮だ。

 あの誘惑から逃れるには、僕ひとりの力では不可能だったはず。

 そっとあの柔らかい場所から、優しく解放してくれたんだろう。

 

 そこから飛び起きるまでの瞬間、今居る場所がベッドの上だとわかり、慌てて降りて振り返る。


 顔なんてハッキリ見れない。

 さっきまで自分が居た場所を思い返したら、そんなの恥ずかしくて無理。

 だと思っていた。


「良かった。やっと気が付かれたようで……」

「……」


「お身体の具合はいかがですか? ずいぶんとうなされてましたが」

「……」


「……」

「……」


「あの……」

「……は、はいっ」


 時が止まったような気がした。

 見てはいけないと決めたはずが、ずっと見惚れていた。


 この数秒間、ずっと上の空だったらしい。

 彼女が僕に何を話しかけてくれたのか、今となっては知る由もないけれど、とても後悔している。

 僕に話しかけてくれる彼女のひと言ひと言が、どれも宝物のように感じられ、今はそれを聞けなかった悔しさで胸が痛いんだ。


 そう、胸が。

 胸。


「あの、大丈夫ですか」

「いや、胸が……」


「胸? ――っ!」


 慌てて自分の状況を顧みた彼女が、シーツを更に胸元へと引き寄せる。

 包帯はすべてあのとき消し飛んだようだ。

 今の彼女は生まれたままの姿で、部屋に備え付けのシーツだけが頼りなくそれらを隠す。


 そこで初めて彼女の姿を目の当たりにする。

 少しウエーブがかった金色の髪は、そのくびれた腰にまで届く長さ。

 小顔という表現がこの異世界でも通用するのなら、間違いなく小顔だし、西洋風の造りなのに、どことなく日本人にも居そうな美少女系とも言える。

 瞳は転生した僕の目の色よりもさらに深みのあるブルー。

 そしてその周りを髪色と同じ、金色の宝石細工のようなまつ毛がちりばめられ、そこだけでも十分なほど幻想的な世界観を創り出している。


 僕にとって宝物のような言葉を紡ぐ唇もぽってりと厚く、その上下の比率なんて芸術的なバランスと表現してもいいくらい。

 もしそこだけ鑑賞することを許されるならば、僕は一生、美術館なんて行かなくても平気だ。

 

 いや、もうとにかく僕の乏しい語彙力では、到底表現しきれないほどの存在だってことが言いたいだけ。


 そんな彼女が僕の目の前でシーツだけの状況なんて、いったい誰が用意してくれた桃源郷なのか。


 あ、ちょっと待った。

 となると、僕は今まで薄い生地一枚隔てただけの彼女に包まれて眠っていたことになる。

 いや、今はそれについては深く考えないことにしよう。いろいろなとこを冷静にさせないとイケなくなる。


 だが僕はもうすでに胸元に視線がいってしまい、冷静な判断が出来ない状況。

 かろうじて片言で彼女に忠告するのみ。


「ご、ごめんなさい。お見苦しい物をお見せしてしまい、なんとお詫びを……」

「……良かった」


「えっ?」

「えっ、あっ! い、いや! こ、これは見て良かったって意味じゃなくて、その……」


 思わず彼女の姿を見て声に出てしまった。

 決して邪な考えで発した言葉じゃない。

 あの状況で生きてたのが不思議だったはずの彼女が、今はこうしてケガも治って微笑んでいるのが嬉しかったからだ。


 そう彼女はもう元気になった。

 治療は必要ないんだ。



 ん?



 いや、待て。

 どうやって治ったんだ?

 確かあのとき、アナウンスの声でリセットを実行しますか? なんて確認があったような気がする。

 もしかしてあれが原因なのか。


「と、ともかくケガが治って良かったです!」

「……」


 奴隷契約の出来事も、今は考えないことにした。

 ただ、その疑念を払拭させるつもりで放った言葉が、彼女に変化をもたらしてしまう。


「えっ」


 僕に近寄る布引きの天使。

 失っていたはずの両腕を取り戻し、それが僕の手をそっと握ったかと思えば、ゆっくりと力を込めてくる。

 

「あなたは救世主なのですか」

「えっ、そ、それはどういう……」


 そう僕に問う彼女の瞳は微かに潤んでいて、思わず引き寄せられそうになるも、それを我慢し、理由を尋ねる。


「……私はあのときすべてを失いながらも、絶望の淵でわずかに生きながらえていました」


 ゆっくりと俯きながら答える不遇の天使。

 両腕を失い、言葉を奪われ、自由に歩く事さえ出来なかった彼女。

 今の姿を見れば、あれは幻だったのではと錯覚しそうになるけれど、確かにあれを絶望と呼ばずして何と呼ぶぐらいの状況だったはず。


「……」

「……」


 ジッと一点を見つめる彼女に、気休めの声をかけられるほど愚かじゃないつもりだ。

 これまで自分の身に起きた出来事を、彼女自身思い起こしている最中なのかもしれない。

 しばしの沈黙のなか、言葉を選ぼうとしている彼女を、僕は無言で待つ。


 すると一瞬、握られた手に、彼女の指先の力を感じた。

 ちょっとその強さに驚き、思わず目線を手元にやるが、瞬きを一度したあとに戻してみると、すでに彼女の視線が真っすぐ僕を捉えていた。


「あなたは……あなたは私を、闇から救って下さいました」

「ち、違っ――」


 咄嗟に全力でそれを否定する。

 あれは僕の力じゃない、別の何かだと。

 そう暴露するつもりだった。


 でも――抗えなかった。


「違いません。あなたこそ、私の救世主さまです」

「!」


 気が付けば彼女に抱きしめられていた。

 棒のように硬直したまま、何も出来ず、何も考えられないほど、至福の瞬間を味わってしまえば、あの現象が自分ではないなどと、強く否定できるはずがない。

 

 彼女を見下ろせば、どうしても布をまとっていない部分に目を奪われてしまう。

 このまま僕のおかげだと言えば、彼女は僕のモノになるかもしれない。

 

 この髪、瞳、唇、胸、肌。

 すべてが僕の自由になる可能性がそこにはあった。

 その邪な気持ちがこもる指先がピクリと反応すると、僕の意思に呼応するかのようにゆらりと行動を始めた。

 そして、逆らうことの許されない誘惑に侵されながらも、少しずつ手が、視線が、彼女の肌に近付いていく。


 あと数センチ、数ミリ。

 僕の指がすぐにでも届きそうなところで、ふと上を見上げた彼女と目があった。


「ごめんなさい。あれは僕の知らないスキルのせいなんです」

「えっ」


 すんでのところで僕の罪悪感が誘惑に打ち勝った。

 少し落ちかけた布を彼女の肩まで戻し、そう微笑み返す。

 そして気絶する直前のことをすべて説明した。


「そう……だったんですか」


 真相を知った彼女は、なぜか少し残念そうな顔をした。

 僕が彼女の救世主でないことを、知ったせいもあるだろう。

 事実、僕が救世主なんてことはありえないのだけれど、少し残念な気分になるのは内緒だ。


 特殊スキルのことは少しボカしたままにした。

 僕でさえまだ理解が追い付いていないからだ。

 とにかく僕のスキルが暴走して、こんな結果になったとだけ伝えた。


「……」

「……」


 沈黙がやけに気まずい。

 救世主ではないと分かった以上、彼女の僕に対する関心度もこれ以上は望めないだろうし、わざわざこちらに気を遣ってまで、会話を弾ませる義理もないはず。


 ただ、このいたたまれない気持ちは、どうにもツラいわけで、とりあえず会話のきっかけとして、思いついた質問をしてみる。

 

「あの……どうしてあんな酷い目に? 腕を失くすなんて相当な事態だと思うんですが」

「……それは」


 途端に彼女の表情が曇る。

 何か言えない訳でもあるようだ。


「あっ……と、ごめん! 言いたくないなら、別にいいんで! はは……」

「……」


 やってしまった。

 あきらかに話題の選択ミスだ。

 女子に嫌な記憶を思い出させてしまうなんて愚の骨頂だろう。

 そんなんだから前世でもモテなかったんだよな、きっと。

 あ、自分で言ってて悲しくなってきた。


 自己嫌悪から背を向け、ふと彼女の首元に注目する。

 そこには奴隷契約のときに出来た、赤い首輪が。

 あーこれはアレだわ。


「あーもひとつごめん。その……奴隷契約しちゃって」

「あっ、いえ、それは大丈夫です。あのとき私も奴隷になることを了承しましたので。それに……これがあって今の姿があるんですから」


 そう言って彼女は自分の首輪にそっと触れる。


「……」


 リセットが発動したことは、確かに彼女を救った。

 けれども、奴隷になることとそれは別問題だ。

 たまたま結果的にそうなっただけで、本当に彼女は奴隷に堕ちる運命だったのか?

 僕は彼女を救えてなんかいない、それどころか逆に捻じ曲げてしまったかもしかない。

 

「はあ」 


 ダメだ。

 会話するたびに落ち込む自分が情けない。

 思わずため息も出てしまったし。彼女にまた余計な気を遣わせるかも。


「……」

 

 しかし、そんな僕のようすを知ってか、彼女が何か言いたげな表情を見せる。


「あ、ごめんなさい。これは別にさっきのと全然関係なくて……その――」 

「……あの……あなたは……奴隷ディーラーなんです……よね」


「――っ! あ、まあ……そ、そうですけど」


 彼女の問いかけに、自然と動揺が隠せなくなる。

 今は自分が奴隷ディーラーであることがすごく恥ずかしい。

 そして、彼女にそれを指摘されることが、とても悲しく感じた。

 

 思わず視線が泳ぐ僕に、彼女は不安な表情で詰め寄って来る。

 

「やはり私のことは……()()として、助けて頂いたんでしょうか」

「え? あ、いや、それはちょっと違くて、先にお話したように、僕がギルドに登録するための条け――」


 そこまで言いかけて、はたと気付いた。

 慌てて窓の外を見ると、街の景色はもう薄暗い。

 まさか――。


「ご、ごめん! ぼ、僕、どれくらい気を失ってた?」

「あ、実は丸一日ほど眠っていらしたんで、今は翌日の夕――」


 その先を聞かずして、僕は彼女の腕を掴んだ。


「きゃっ」

「ヤバいヤバい、ヤバいって!!」


 僕は彼女を連れて部屋を飛び出した。

 やらかしてしまった。まさか丸一日も寝ていただなんて完全にアウトだ。


 ギルドの出した期限は二日間。

 運良く奴隷契約は出来たはずなのに、その期限はもう間近に迫っていた。

 ミッションを失敗すれば、ペナルティーによって登録は一年持ち越しとなる。

 そうなったら僕は、新たな人生でいきなり路頭に迷うことになってしまう。


 彼女の腕を引きながら、大通りの坂を大広場へと走り降りていく。

 彼女も訳が分からないといったようすで、風になびくシーツを気にしながらも、僕の後を追従する。


「ど、どうしたんですか、急に――」

「ギルドの登録期限が今日までなんだ!」


「えっ?」

「急いでキミを連れて行かないと、ぼ、僕はギルドに登録出来ずに失格になる!」


 僕の切羽詰まる状況を彼女に説明する。

 ここで彼女に理由を言っても、間に合うかどうかなんてわからない。

 きっとこのペースだと間に合わないだろうと半ば諦めつつも、僕はこの息が続く限り、必死に走り続けるしかない。


「あ、あのっ! ギルドの方角は?」

「ハアハア……えっ? あ、あの先に見える大広場から繋がった別の道を……西大通りに……へ、並行する南に一本ズ……ズレた道の……まっ、真っすぐ突き当たったところっ!」


 突然どうでもいいことを問いかける彼女。

 もう息があがりつつある状態で走る僕は、少し苛立ちを感じるも、言葉をかえす。

 だが、彼女は突然、僕の腕を強く引っ張ると、あろうことか強引に停止させたのだ。

 

 あまりにも意味不明で理解が追い付けない。

 急いでるって言ってるのに何故止めた?

 

「ええっ!? ち、ちょっと話聞いてたっ!? 僕たちは急いで――」

「ごめんなさいっ、失礼しますっ」


 苦言を呈する僕に向かって、口早に謝罪する彼女。

 その刹那、僕は自身の体が宙に引き寄せられたような感覚に襲われる。

 

「えっ!?」


 なぜ僕は抱きかかえられているんだ。

 それも女の子にお姫さまだっこで。

 あまりにも突然過ぎて脳が停止しそうになる。


「えっと、何? これ」

「では、急ぎますね!」


「――!!」


 理由を尋ねると、答えが返ってくる。

 それも、全身に経験のないレベルの負荷がかかった状態で。


「ングゥゥゥ!!」


 いきなり上空に打ち上げられたような衝撃。

 喉から出そうな声を重力で押し戻される経験。

 目の前の景色が線画のように移動する不可思議な世界。

 涙なんて流すつもりもないのに、その線画に引き寄せられるように伸びていく。


 この永遠がこのまま続くのか。

 そう絶望視した瞬間、体がふわりと安心させられる。

 景色は線画から開放感のある情景へと様変わりし、同時にまた新たな衝撃を受けた。


「うわあああ!! な、なんでこんな高い場所に……!?」

「はい。屋根を伝った方が早いので」


 僕を抱えた彼女が降り立った場所は、街の建物の屋根だった。

 先ほど僕を襲った強力な負荷も、地面から飛び上がったことによる現象だったらしい――


「――って、いやいやいや! なんで!? どうやったの今!? 人間のすることじゃないよね!? 瞬間移動かと思ったよ!?」


 矢継ぎ早に質問攻めをするも、キョトンとする彼女。

 え、僕の言ってること、変?


「あっ、そう言えば、お名前をお伺いしていませんでしたね」

「えっ!? そ、そう言えばそうかも……って、今はそんなことよりも――」


「私、アルテシアと申します」

「――って、えっ、あ、ヨ、ヨースケ……です。よ、よろしく……お願いします……です」


 微笑みを浮かべ、彼女はアルテシアと名乗った。

 西日の眩しさか、それともそれに照らされてキラキラと輝く、彼女の笑顔にあてられてしまったのか。

 僕は急に沸き上がる照れを抑えきれないまま、女の子に抱っこされて名乗りをあげるという、あまりスマートとは言えない自己紹介を後悔しつつ、彼女の名前を心のなかで復唱する。


 アルテシア。

 アルテシア。

 素敵な響きだ。


「ヨースケさん。先ほどのご質問ですが」

「え? あ、はい、アルテシアさん。な、何でしたっけ……」


 アルテシアに話しかけられ、妄想から引き戻される。

 そんな僕に笑みを浮かべながら、彼女は言葉を続けた。


「先ほどの急激な脚力上昇は、私の持つスキルです」

「ス、スキル……そんなすごいスキルが」


「はい。私のスキルはこれです。【身体強化(ブースト)】!!」

「――!!」


 アルテシアがスキルの名称を唱えた瞬間、彼女を取り巻く空気の質が一変した。

 抱っこされて密着している部分も、熱い脈動のようなものを感じ、彼女の内から湧き上がるエネルギーを、直接自分の身に受けた錯覚を起こす。


「す、すごい……」 

「ありがとうございます。では、急ぎますね」


「へゅぃ――」


 女神の微笑を浮かべたアルテシアが、悪魔に見えた瞬間だ。

 僕が再び絶望を味わうのは、間抜けな返事をした直後だった。


「ひぎぃぃ!!」


 一度目の風景は、縦に流れる線画だった。

 二度目の今、夕空を含む赤い線画は横に流れた。

 酸素は前回よりも、僕の気管へ流れるのを拒むかのようにすり抜けていく。

 悲鳴は最初に降り立った屋根から絶え間なく持続中。

 恐怖のあまり、情けなくもアルテシアにしがみついてしまう。

 すると、呼吸だけは、彼女の胸元のなかで楽になった。 


「ヨースケさん」

「な、なんですか……!」


 高速で屋根を移動する最中、アルテシアが僕の名を呼んだ。

 かろうじて聴覚だけは難を逃れたようで、僕も片目で彼女を見つつ返事をする。

 そして少しの間があり、彼女は笑みを浮かべながら言った。



「それでもあなたは、私の救世主さまです」



 その言葉が熱く僕の胸を打つ。

 鼻の奥がツンと痛い。

 僕の無謀な偽善ごっこが、ここに報われた気がした。


「どうされました」

「ううん、大丈夫」


 アルテシアに優しく問いかけられる。

 情けない顔を見られたくない僕は、何でもないフリをする。

 僕はギルドまでの道中、彼女に少しだけ胸元を貸りることを、そっと心のなかで願った。



 ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



「着きましたよ。ヨースケさん」

「あ、あはは……あ、ありがとうアルテシアさん……た、助かりました」



 最初に言っておく。

 僕はジェットコースターの類は苦手だ。


 もう一度念を押す。

 僕はジェットコースターの類は苦手なんだってば。


 ふわりと屋根から舞い降りたアルテシアと、終始置物だった僕。

 目の前には間違いなく奴隷商ギルドの看板が。

 ここまでおよそ二分ほど。

 前回訪問したときは、けっこう時間をかけた気がする。


 アルテシアにお姫様だっこを解除してもらう。

 とても気恥ずかしいひとときだった。

 街の路地だったら、軽く死ねたかもしれない。

 誰もいない屋根の上で良かった。


「おうふ……」


 地面を踏んだ瞬間、言い知れぬ安堵感に包まれる。

 やはり人間は、地に足をつけて生きていかねば。

 大地の女神に感謝したい気分のまま、僕らは再び奴隷商ギルドの前に立つ。


 まさか僕が奴隷を連れて、再びこの建物に戻れるとは思わなかった。

 正直、アルテシアを宿に連れて帰ったときから、僕は内心諦めていたかも。

 だって、受付嬢には申し訳ないけど、あの条件は不可能だよな。

 ひん死のアルテシアが、まさか復活するなんて思ってもみなかったし。

 ここに連れて来ることもなく、力尽きる可能性は十分あった。


 でもアルテシアが。

 彼女とあの力が、僕をここへ呼び戻してくれたんだ。


「さあ、ヨースケさん」

「うん」


 すぐうしろに立つアルテシアに促され、僕はギルドの扉に触れた。

 昨日と同じ音が響き、扉は僕らを招き入れる。

 すでに夕日は落ちかけており、室内にシンとした暗闇が広がる。

 ギルドの閉門時間がいつまでだったかは知らない。

 開くってことは、まだ希望があるって解釈したけど、これはかなり微妙だ。

 

 案の定、ギルドのなかは同業者の影すらない。

 失格という言葉が頭の中を駆け巡り、不安を増長させていく。


 ダメか。 

 そう思ったとき、奥に並ぶカウンターのなかに、灯りが見えた。

 

「あっ!」


 まだ誰かが居た。

 居てくれるなら、まだ可能性はある。

 僕はその灯に一縷の望みかけて近付いた。

 暗いカウンターのなか、ランプの灯りが影を揺らす。

 そこに人影を確認すると、受付嬢の制服が見えた。


 黒いゴシック調の制服が、漆黒の闇に浮き彫りになってくる。

 誰が残ってくれたんだろうか。

 そう思って、僕は駆け寄った。


「……いらっしゃいませ」

「あっ」


 受付カウンターに近付くと女性の声が出迎えてくれる。

 それはたまたまの偶然なのか。

 そこにいたのは、あのときの受付嬢だった。

 相変わらず愛想のない表情は、昨日よりも暗くてわかりにくい。

 

「あの……昨日、特例を受けた者ですが」

「……申し訳ございません。ギルドの受付時間はすでに終了しております」


 おそるおそる受付嬢に問いかけると、非情な宣告が返ってきた。

 僕らは間に合わなかったのだ。


「そ、そんな……やっと奴隷を連れて来たっていうのに……」

「ヨースケさん……」


 視界が収束するような感覚。

 周りの闇が僕の目の前をすべて覆い尽くす。

 心配するアルテシアの声も、遠くにしか聞こえない。


 血の気が引き、ガクガクと足が震える。

 僕は終わった。さらに一年のブランクを与えられた。


 受付嬢がいたことで安心しきっていた。

 これは条件達成だと。

 でも違った、ギルドはもう閉ざされていたのだ。


 じっと受付嬢を睨みつける。

 なんでこんなぬか喜びをさせたんだ。

 てっきり合格だと思うだろう。


 受付嬢は無言のまま宙を見つめる。

 そんな思いは当然、届くはずもない。

 彼女は闇に心を閉ざしている人なのだから。


 そりゃそうだ。わざわざ僕を待っているはずがない。

 昨日会ったばかりの自分に、何を義理立てする必要がある。

 たまたま用事で残っていただけ。それも偶然昨日の受付嬢だっただけ。


「わかりました。すごく残念です」

「ヨースケさん!」


 もう諦めよう。

 諦めて宿に帰ろう。

 アルテシアには謝らないとイケないな。

 せっかくここまで付いて来てくれたのに。

 ああ、不甲斐ない。

 明日からどうするか考えないと。


 心配するアルテシアに微笑みかける。

 彼女の表情は困惑したままだ。

 僕だって未だに信じたくないよ。

 でも決まりは決まりだ。


 受付嬢に一礼し背を向ける。

 内心悪態をついたことを恥じた。

 彼女は悪くない。 


「……ですが……本日残業で残っている私の仕事は……時間外でも受け付けておりますので」

「……」


「……」

「「……え!?」」


 一瞬、固まってしまった。

 背中越しに受付嬢から形勢逆転とも言える言葉をかけられ、僕もアルテシアもキョトンとした。

 お互いに目が合い、今の言葉が間違いなく両者の耳に入ったことを、アイコンタクトで確認し、そこでようやくふたりで受付嬢に振り返り、驚きの声を同時にあげた。


「……」


 受付嬢の態度は頑なに変わらない。

 それでもその言葉を信じ、おそるおそるカウンターに近付く。


「そ、それじゃあ、特例の達成受付を……お願いします」

「……かしこまりました……確認のため、おふたりのステータス画面を」


 受付嬢は淡々と事務的に対応する。

 そのあいだ嬉しさのあまり、アルテシアと喜びを分かち合う。

 僕の視線を微笑んで見つめ返してくれる彼女を見て、ニヤニヤが止まらない。


 そして、各々ステータス画面と念じ、浮かんだ画面を受付嬢に確認してもらう。

 そこでも彼女は一瞥をくれるだけで、表情は氷のように微動だにしない。


「……確認しました……奴隷契約達成のため……ギルドへの加入を許可します」

「やったっ!」


 思わずガッツポーズをあげた。

 こんなに嬉しいことはない。

 地の底に堕ちたと思ったのに、一気に天国へ呼ばれた気分だ。


「ヨースケさん、おめでとうございます」

「うん! ありがとう、キミのおかげだよ、アルテシアさんっ!」


 アルテシアと喜びを分かち合う。

 彼女も心から喜んでくれているようで、とても嬉しくなる。

 まあ、奴隷になったことを喜ぶのだから、ちょっと複雑な思いはあるけど。

 

「ん?」


 ふと、違和感を感じ、そちらへ目を向ける。

 一瞬、じっと僕らを見つめる、受付嬢の視線と交差する。

 それもほんの数秒の出来事で、彼女がすっと逸らしてしまう。

 だがそこで、これまで事務的な会話しか交わさなかった彼女が、なんと口を開いた。


「……おふたりは、奴隷ディーラーとその奴隷……ですよね」

「えっ、そ、そうです……が」


 受付嬢の真意が掴めず、無難な返事をかえす。

 黒縁眼鏡に隠れた瞳に、何か変化を感じた気がする。


 ただ、相手はあの受付嬢。

 これ以上の干渉は否定されると思い断念する。

 

「……いえ……余計なことでした……申し訳ございません」

「あ、はい……ども」


 謝罪のあと、受付嬢は何事もなく事務処理をこなしていく。

 あの視線は何だったんだろうか。

 いつか答えてもらえたらいいな。


「……お客様の情報を登録します……魔道具に……手を」


 受付嬢がどこからか魔道具を取り出した。

 特に何の変哲もない黒い球体だ。

 言われるがままに手を乗せた。


「痛っ!」

「ヨースケさん!」


 球体に手を乗せた瞬間、手のひらに痛みが走る。

 確認すると血が出ていた。

 球体を見ると小さな針が出ており、当然そこには僕の血が。

 アルテシアが心配の声をあげるが、それを手で制する。


「……魔道具は、個人情報を血によって採取しますので」

「先に言ってください。ヨースケさんが痛がってます!」


「……申し訳ございません」

「あはは……だ、大丈夫です。アルテシアさんも、ね」


 アルテシアの強い抗議に、受付嬢の視線が揺らいだような気がした。

 なぜか過保護になるアルテシアに驚く。

 受付嬢の変化も少し気になった。


 僕の血がすっと魔道具に吸い込まれていく。

 奴隷契約でも思ったけど、この世界では登録や契約といった重要な場面には、血が不可欠らしい。

 前世のように戸籍とか身分を証明する確かなモノがない異世界だと、血が一番信用される手段なんだろう。まあ、毎回痛い思いは嫌だけど。


 それほど時間を待たずして、魔道具から手のひらサイズほどのカードが排出される。


「……これがギルドカードとなります……ご確認を」


 受け取ったカードを確認する。

 冷たい金属のような薄い板には、いくつかの情報が記されていた。



【奴隷商ギルド登録証明書】

 

【ギルドランク】   

 F

【登録者名】  

 ヨースケ 

【ディーラーレベル】   

 1

【現商品数】

 1


 

 内容の少ないシンプルなカードだ。

 【ギルドランク】のFは、よく見る最低ランクだろう。

 一番下の【現商品数】は、たぶんアルテシアのことだ。

 なんか人を商品扱いしているようで嫌な感じだ。

 とりあえず確認したとだけ受付嬢に伝える。

 

 そして、そのままちょっとした説明会が、受付嬢によって行われた。

 ギルドランクは奴隷商ギルド内において、奴隷ディーラーの地位を示す目安らしい。最高ランクはSランクとのこと。

 これは奴隷の人数が、ある一定の数値を超えるごとにランクアップする仕組みとなっている。

 それと、いちいち更新に来なくても、さっき血を収取したときに、カードと僕の魂が連動したので、自動的に更新されるそうだ。そう聞くとちょっと怖い気もするけど。

 

 続いて受付嬢から、先日ギルドを利用する際に恩恵があると聞いていたので、その説明もあった。


 奴隷商ギルドには次の施設があるらしい。


 1F 受付カウンター

 B1 元王宮料理人の食堂

 B2 賭け奴隷格闘場

 B3 闇奴隷オークション

 B4 奴隷処理施設


 このギルドが他の建物に比べ、こじんまりしているのは地下が多いせいだな。

 施設内容はざっくり説明を受けたけれど、今のところすぐ利用する用事もない。

 なんか、どれも訳ありっぽいので、出来れば避けたい気分だ。


「……なにかご質問は」

「えっと、まあ、すぐに使うわけでもないので……」


「あの、先ほど伺った、元王宮料理人の食堂って言うのは」

「……とある王国の料理人が、国王に対し謀反を起こしたため奴隷堕ち……世界中で食堂や酒場を経営されている某伯爵に拾われた末……当ギルドの地下食堂を任されたと聞いております」


 うん、なかなか危険な香りがする食堂であることは理解した。

 質問したアルテシアを見ると、少し複雑な表情をしている。

 何か思い当たることでもあるのだろうか。

 まだ出会ったばかりで、お互いのことは何も知らない。

 この先、もっと彼女を知ることが出来るんだろうか。

 

 アルテシアが質問したので、今度は僕も頑張ってみる。


「えっと、奴隷処理施設って、もしかして昨日、あの大男が言ってた?」

「……通称ゴミ箱部屋……価値のない奴隷が、最後に行き着く場所です」


「価値がないって……」

「酷い……」


 アルテシアに聞かせるべきじゃなかった。

 彼女はあのままだと、この部屋送りになっていたかもしれない。

 やはり人が行くべき場所ではなかったようだ。


「……昨日お引き取りになられた奴隷……お客様は入会済みです……ご利用なさいますか」

「え? な、何言ってるんですか、そんな場所、利用するわけがないでしょう!?」


「ヨースケさん……大丈夫ですから」


 思わず受付嬢に激情しそうになった。

 いや、してしまったかも。

 張本人であるアルテシアも、僕を気遣って穏便に済ませようとしてくれている。

 彼女に関係しているのもあってか、いささか過剰に反応し過ぎたかもしれない。

 少し反省。


「……失礼しました……今回、あの奴隷ではなく、このような美しい奴隷をお連れになられていたので」

「あ……いや、僕もつい熱くなってしまって……ごめんなさい」


 お互いに謝罪して矛を収める。

 僕も言い過ぎたし、彼女も知らないとはいえ、その辺の配慮が足りなかった。

 アルテシアの手前、ここはお互い聞かなかったことにする。


 その後、少し荒れた説明会は終了した。

 

「……では、特に御用がなければ……すみやかにお引き取りを」

「「……」」


 もう少し言い方というものがあるだろう。

 アルテシアも少し苦笑気味だ。

 僕はもうそれに慣れてきているのが怖い。


 まあ、これで用件もすべて終了した。

 アルテシアと目で合図をし、宿に戻ることに。

 受付嬢の言う通り、すみやかにお引き取りするのだ。

 そのままふたりして、カウンターから出入口へと向かう。


「……お待ちください」

「「?」」


 なぜか受付嬢から呼び止められてしまう。

 さっきお引き取りをと、冷たくあしらわれたばかりなのに。

 アルテシアも同意見なのか、困惑気味で僕の動向を気にしている。

 呼ばれた以上仕方がないと、ふたりして振り返る。

 カウンターではちょうど受付嬢が、魔導書を取り出したところだった。


「それは?」

「……当ギルドの要人来訪時にお貸しする、ペイルバインの地図です……用法は先日の魔導書と同じ仕様です」


 先日、受付嬢から借りた魔導書は、奴隷契約の手引きだった。

 開くだけで頭に内容がインストールされるという、究極のマジックアイテムだ。

 それだけでも貴重な魔道具なのに、今度はこの街の地図まで。


「え? そんな大事な物をなんで……」

「……奴隷とは言え、若い女性を裸同然で連れまわすのは如何なものかと」


「あ……」

「ごめんなさい」


 アルテシアのためらしい。

 現在、彼女は裸同然。

 唯一の装備はただのシーツのみ。

 慌てて彼女がシーツを胸元に引き寄せる。

 受付嬢に指摘され、僕も気まずくなる。

 奴隷の管理はディーラーである僕の責任でもあるからだ。

 

「……これを」

「「――!」」


 続いて取り出したモノは魔導書ではなく、薄い印刷物だった。

 僕とアルテシアがカウンターを覗き込む。


「ペイルバイン淑女御用達の店、アモンヌ……?」

「な、何かのお店でしょうか」


 チラシを受け取ったアルテシアが遠慮がちにつぶやく。

 彼女の言ったとおり、チラシはこの街にある洋服店のようだ。

 商品の名称とその元の値段を消し、新たな値段が書かれている。

 読めば特価という意味だった。


「……この街で一番安い婦人服を扱う店です。まだ営業していると思いますので」

「「……あ、ありがとうございます……」」


 まさか受付嬢からそんな世話まで受けるとは驚きだった。

 アルテシアの恰好がさぞかし不憫に思えたのだろうか。

 そう考えると、まったく感情がないわけでもないらしい。

 実は何かの理由でそう装っているだけとか?


 受付嬢に礼を述べ、魔導書の内容をアルテシアとふたり取得。

 チラシもありがたく利用させてもらうことにした。


「……では……すみやかにお引き取りを」


 ふたたび元の受付嬢に戻ったようだ。

 僕とアルテシアは、互いに顔を見合わせながら苦笑した。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ