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第二話   初めての奴隷契約

2024.2

すべてのシーンにおいて加筆・修正しました。



「おー! これがこの世界の街かあ」


 僕は今、ペイルバインという街の入り口から、入ってすぐの大広場に立っている。

 

 転生してすぐに出会った悪役令嬢ディアミスの一行。

 その彼女たちが乗った馬車が去って行った先に街があると推測し、後を追うようにして向かった結果、意外と近くにあったようで、日が暮れる前にはたどり着けた。


 下手をすれば野宿も覚悟していたのだけれど、正直、無事に着いてホッとしている。


 街の入り口にある大きな門を過ぎる際、ギルドカードなどの身分を示すものを持っていない場合は、普通にステータス画面を見せるだけで問題なく通過出来た。特に入場税なんかも要らないようだ。

 そのとき僕のジョブを知った門番兵の、軽蔑した目つきが少し気になったけれど、これはまあ仕方がない。奴隷を扱うなんて誰が見ても気分が良いものではないしね。


 ペイルバインの街は広いが、さすがに前世の街並みとは違う。

 自動車はもちろんのこと高層ビルなんかも当然存在しない。

 ここは剣と魔法の世界だし、せいぜい数階建ての建造物があるくらい。まあ、それでも結構な文明だと思う。

 自動車の代わりには、街道で遭遇したような馬車が石畳の道路を走っている。

 木造はもちろん、前世の外国にもあったようなレンガ造りの街並みが続く風景。

 まさにこれぞ、ザ・異世界といった感じだ。


 そして、ここ大広場からは、各方角に向かって数本の道が繋がっている。

 大小さまざまな道があるけれど、基本は大通りと呼ばれる東大通り、西大通り、北大通り、計三本の道が主体だそうだ。南大通りがないのは、この大広場が南門の近くにあるから。

 だからこの国の街は基本、大広場を中心として道が広がっている造りになっている。

 それは王さまが住む王都も同じらしい。


 ちなみに王城や領主の城は、北大通りの先と決まっている。

 ただし、それはこの国に限ってのことで、当然、他の国は違うとのことだ。


 異世界に転生したばっかなのに、街の作りに詳しいのは、ここ大広場のモニュメントに書かれている説明そのまんまの受け売りだからである。


 そのモニュメントで気が付いたのは、この世界の文字についてだ。

 言葉と一緒で日本語で書いてあるのかと思いきや、まさかのまったく知らない文字だった。

 だとすればやはり転生したことで、この世界の言語や文字を自然と理解出来るようになっているのだろう。


 あと、ディアミス嬢とのトラブル時も、本当はそれどころじゃなかったけれど、ちゃんと確認してあることがある。

 

 それは言葉と口の動きだ。

 

 やはり口元はまったく日本語どおりに動いていなかった。

 ただ僕が彼女たちの話す言葉を、日本語として理解しているだけで、実際にはこの世界の言語で話しているみたい。当然僕もこの世界の言語で話しているのだろう。でないと通じないし。

 要は脳内変換フィルターが日本語設定なだけなんだと思う。

 それを証明するエビデンスは? ってことになると、やはり異世界特有ってことで納得せざるを得ない。


 うん、だいたい分かればいっか。

 


「さてと。やっぱり街に着いたら、まずは宿だよな」


 前世で学んだ通り、まずは宿を探すのが定説だ。

 学んだと言っても、ほぼゲームや小説からなんだけど。


 それとステータス画面には、マップ機能みたいな便利スキルはなく、地道に人づてに聞くという手段しかない。

 幸いにも街の規模は大きいので、人には困らないのが唯一の救いだ。


「すみません。宿はどちらに行けば――」


 ちょうど目の前に、人の良さそうなおじさん? が立って居たので尋ねてみる。

 たぶん僕と同じ種族だと思うけれど、日本人だった感覚だと外国人の風貌は少し老けて見えるというし、この男性もこう見えて若いのかもしれない。


「おおっと! こ、この街は初めてか? え、えーっと、宿なら確か――」

「ちょっとおじさん! 宿の案内はアタシの仕事!」


 僕の問いかけに応えようと、少し慌てたようすの男性。

 そんな彼と僕の間に突然割り込んできた女性の声。


 そして真っ先に目を奪われたのは、その女性――いや、女の子の容姿だった。

 


 猫耳少女。



 異世界に転生したら、いつかは会えるんじゃないかと思っていた種族。

 突然割り込んできた、頭に三角の猫耳が付いたオレンジ色の長い髪の少女は、僕より少し背が低く、少し気の強そうな美少女風ギャル。


 思わずギャルと表現してしまったのは、彼女の服装のせいだ。

 革製っぽい灰染めのベストの中に、長袖のワイシャツのような白い服。

 袖は肘あたりで腕まくりにし、前世の女子高校生が好んで履くような、とても短い赤のミニスカートと、ショートブーツの上には、昔流行ったという、ルーズソックスみたいな靴下を履いている。

 そんな猫耳美少女ギャルが、こちらを見て少しほほを膨らませる。


「お兄さん! そういったお仕事は、このアタシに頼んでくださいよお」

「えっ! そ、そうなの?」


 僕がその猫耳ギャルからの抗議に動揺していると、男性は肩をすくめながら去って行った。

 おじさん、なんかごめんなさい。


「お兄さん、宿をお探しなんですよね? アタシがいいところ案内しますからっ!」

「いや、さっきの人に尋ねてる途中だったんだけど……」


「あははーごめんね。まあ、こっちも仕事だから」

「あー仕事ね……ごめん、やっぱり自分で探すよ」


 突然割り込んできた猫耳ギャルに、苦言を呈する。

 彼女も仕事のためとは言うものの、可愛く舌を出して謝罪する。

 まあ異世界とはいえ、こんな格好だし、もしかして変な店なんかに案内されたり?

 そんな嫌な予感がしたので、彼女からの勧誘を断る。


「いやいやいや、ちょっと待ってよ、お兄さん!」

「――っ! ちょっと、し――」


「ま、街のことならやっぱりアタシに頼まないと! ね! ホラ! なんでも屋のジーナにお任せあーれ」


 まさか僕に断られると思っていなかったのか、少し焦ったようすのジーナと名乗る猫耳ギャルは、慌ててその場から離れようとする僕の胸を、ぐいと腕押しで引きとめる。

 さすがにちょっとしつこいので文句を言おうとすると、彼女は一礼し、なんとこの大広場の真ん中で、いきなりアクロバティックな曲芸を披露し始めた。


「えっ、ちょ、ちょっと!」


 身軽な猫の獣人ということもあるのか、ジーナは宙返りや反転、バク転なども上手だ。

 そんな彼女のパフォーマンスに周囲の人がだんだんと集まり始め、拍手や歓声をあげる。

 なかには僕を元締めと勘違いした人が、こちらにチップを投げだす始末。

 いきなり変な注目を浴びてしまい焦った僕は、たまらず彼女に降参した。


「ああもう、分かった! 分かったから、ジーナ! 踊るのストップ! 案内お願いするから!」

「ははっ! まいどありー」


 ジーナが曲芸を終えたことで、観客もそこで終了だと判断したのか、その場から移動を始め、街は元通りのようすに戻った。


「ふふん。お兄さん、やっぱ人目を気にしちゃうタイプなんだ」

「悪かったな。そうだよ、キミの言う通り僕は小心者ですよ」


 まさか突然踊り出すとは思わなかった。

 僕の性格を見抜いてのことなのか、はたまたいつもの手口なのか、確信犯な猫耳ギャルにより、僕は余計な出費をする羽目になった。

 一瞬、法外な値段を取られやしないかと心配するが、意外にもジーナから良心的な値段を提示されてホッとする。聞けばそういった値段は、ちゃんと街で定められているらしい。


「じゃあ、その金額でお願いするよ」

「わかった! ついて来て、お兄さん」


 こうして街の案内人ジーナと、短い間だけど行動を共にすることになってしまった。

 仕事をゲットして上機嫌なのか、彼女が鼻歌交じりで前を歩く。

 赤いミニスカートからのぞく長いしっぽが、ふりふりと動いているを見ると、改めて異世界に転生したんだなと感慨深いものを感じた。


「ここ?」

「そ! わかりやすいでしょ?」


 猫耳ギャルのジーナに案内され、歩くこと約十五分。

 さっきの大広場から、ただまっすぐ北に向かった大通りの坂をを上ったところに、その宿はあった。

 いや、これを案内して報酬って、さっきの男性に聞けば済んだのでは?

 異世界の道案内は、ちょっとボッタクリ的な要素も含まれているのだと学んだ。


 まあ、そんなに報酬が惜しいってわけじゃないけど、僕の手持ちの資金はあの悪役令嬢からもらった口止め料だ。

 せっかく頂いたお金を、むやみやたらと無駄遣いするのもなあといった気持ちなので、別にケチというわけじゃない。


 そんなもらい物のお金。

 懐に忍ばせた袋のなかには、道中ちょっと見ただけで結構な金額が入っていた。

 贅沢を言えば、残念なことにすべてが金貨だったこと。

 なので先に宿で支払いを済ませ、そこでお釣りか両替をして提示された報酬を渡すことをジーナに告げる。


「いってらっしゃーい!」


 外で待つというジーナに見送られ、僕は宿に入る。

 それなりに大きな宿らしく、立派な入り口は両開きの扉だ。

 その片側をぐっと中に向かって押し返すと、ゆっくり扉が開いていく。


「……らっしゃい」


 入るとすぐ声をかけられた。

 建物の奥、中央にあるカウンターには中年男性が一人座っていた。

 僕を見るなりめんどくさそうに立ち上り、カウンターの上に両手をついて待ち構える。


 少し見渡すと、左手には併設する食堂の入り口が。

 こちらは後から増設したのか、少し新しく、奥に何人か客らしき者が食事を取っている。

 そして、カウンター向かって右手には、二階に上がる階段があった。

 たぶん一階にはカウンターと食堂だけで、宿泊施設は二階からなのだろう。

 宿の設備は前世とほぼ同じみたいだけど、見た目はやはり異世界風だ。


 そうして物珍しく宿のなかを見渡していると、主人の咳払いがしたので慌てて中断する。


「え、えーっと……宿泊をお願いしたいんですが」

「素泊まりだと一泊、銀貨一枚だ」


「――っ! あれっ!?」

「ん、なにか?」


「いや、別に」


 都合が良いことに僕が貨幣の話をした途端、この世界の通貨についての知識が頭にすっと入ってきた。転生者基礎知識セットというやつかもしれない。

 それによれば、この世界の貨幣は、銅貨、大銅貨、銀貨、金貨、白金貨とあり、銅貨一枚が三十円、大銅貨は三百円、銀貨は三千円、金貨三万円、白金貨三十万円くらいの価値と見ていいようだ。

 貨幣のクラスアップは十枚ごと。例えば銅貨十枚で大銅貨一枚って感じ。

 ちなみに大きな商売などで売り買いされる金額は、基本すべて白金貨で取引されるらしい。


 ディアミスにもらった金貨を見ても、その価値がわからなかったのは、きっと誰かとお金の話をしなかったからだろう。そう納得することにした。


「じゃあ、十五日分をお支払いしますんで、お釣りを銅貨と大銅貨で適当にお願いします」


 そう言って懐から金貨二枚を出そうと手を入れた。


 あれ? なんだこれ……。


 慌てて自分の懐をまさぐって見る。どういうわけか、もらった袋には、金貨の代わりに拳大の石が入っていた。


(まずい! やられた!)


 カウンターの前ですべてを悟った僕は、訝しがる宿の主人に断りを入れ、外へと走り出た。扉を開け、そこにいるであろうジーナを目で探す。


「遅かった……か」


 やはり宿屋の前で待っているはずの、ジーナの姿はどこにもになく、彼女が金貨を奪ったことは明白だった。

 一日にしてお金持ちとなり、その日のうちに文無しになった僕は、ショックのあまりその場に崩れ落ちる。

 そして、自分の愚かさを猛省しつつ、呆然としたまま視線を彷徨わせると、地面に何か光るモノを見つけた。


「き……金貨!?」


 地面に落ちていたのは一枚の金貨だ。

 宿屋に入る前にはまったく気付かなかった場所にあるそれは、もしかするとジーナが置いて行ったのかもしれない。

 そうだとすれば、なぜ僕の懐から全てを奪ったのにも関わらずこんなことを?

 

 いや、彼女は猫の獣人だった。

 罪悪感からでもなく、単なる猫の気まぐれなのかもしれない。

 なのでそこから彼女の真意など、見つけようもなかった。


 今さらジーナを探しても見つかるはずもない。

 唯一救いだったのは、一文無しを免れたことだけ。

 そして、彼女を探すことを諦めた僕は、残された金貨を拾い、宿へと振り返った。


「どうすんの、お客さん。泊まるのかい? 泊まらないのかい?」


 意気消沈のまま宿屋の扉をくぐると、カウンターで待ちくたびれた主人が、宿泊の意向を尋ねてきた。

 すでに大金は消え失せ、十五日分の代金など到底支払えなくなった僕は、とりあえず二日間だけお世話になることを伝える。

 そして、貴重な金貨一枚を支払い、お釣りの銀貨八枚と部屋の鍵を受け取る。


「あの……」

「あん? なんだ?」


「いや、えっと、その……実は――」


 長期宿泊がたった二日になったせいか、あからさまに機嫌の悪くなった宿の主人。

 そんな彼に気後れしながらも、冒険者ギルドの存在について尋ねてみる。

 さっきまで余裕のあった懐は、残すところ銀貨八枚のみ。

 今後の見通しも一気にに厳しくなってしまった。

 急いで何か仕事を探さないと、異世界での生活がここで詰んでしまうことになる。


「あんた、ジョブは?」

「あ……ど、奴隷ディーラーです」


「はあ? 奴隷屋だあ!?」


 言いたくなかったけど仕方がない。

 予想通り僕を見る店主の視線が一層厳しくなる。

 奴隷ディーラーであることを知ったとたん、先ほどまでの態度がさらに悪化した。


 だがそんな彼でも質問には、ちゃんと答えてくれたのが唯一の救いだ。

 このペイルバインにも、冒険者ギルドはあるとのこと。

 ただ、一般的には固定ジョブのギルドにそれぞれ所属するらしい。

 僕で言えば、まず奴隷商ギルドに登録するのが基本だそうだ。


 そして、冒険者ギルドも先に固定ジョブの登録証がないと、加入出来ない決まりらしく、僕は否応なしに奴隷商ギルドへ向かわなくてはならなくなった。


「フン。よりにもよって奴隷ディーラーねえ。ああ、奴隷商ギルドの場所か。大広場から西大通りより一本南の通りを進んだ、突き当りにある日当たりの悪い場所だ。あんたの部屋も二階の突き当り。出かけるときも鍵はそのまま自分で持ってろ。それと特に必要なければ、俺をいちいち呼ぶんじゃないぞ」


 蔑んだ目でこちらを見る主人から、部屋と奴隷商ギルドの場所を聞く。

 どうみても宿の店主が、客に対してするべきじゃない言葉遣いだ。 

 そして一通りの内容をこちらに告げると、主人はカウンターの奥へと消えていった。


 やはり奴隷ディーラーに対して世間の目は冷たい。

 この世界で相当嫌われているジョブであることは、彼らの視線が物語っている。

 もうそれだけで十分気が滅入ってしまうくらいに。


 いや、なってしまったものは今更どうにもならない。

 それよりもまず、お金のない自分は、そんなことで落ち込んでいる暇などないのだから。


 気持ちを切り替えて二階へとあがる。

 そして、二日間の滞在を確保出来た部屋をざっくりと目視したあと、僕はジョブと並行して世間から忌み嫌われているであろう、奴隷商ギルドへと向かった。



 ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



 西大通りに並行して伸びた、一本南側にある通りの突き当りは、三方を大きな建物に囲まれていた。

 そのせいもあり、まだ陽が落ちるまでの時間があるのにもかかわらず、西日を遮られたこの場所はすでに夜のように暗い。

 その暗い突き当りには、宿の主人からの説明通り、奴隷商ギルドと思われる建物があった。

 奴隷商であることを象徴するかのように、看板には首輪と鎖をモチーフとしたデザインの意匠が施されており、誰かのイタズラなのか、果物か何かをぶつけられたような跡を残している。


 その建物に設けられた、分厚い木製の扉を力任せに押し開けると、ギイと言う音を立ててそれは開いた。部屋は薄暗く少し目を凝らさないと見えづらい。

 そのまま目を細めながら、踏むたびにギシギシと鳴る床を気にしつつ、ゆっくりとその先へと進んでいく。


 向かった奥には受付のカウンターが横一列に数台並んでいる。

 奴隷商ギルドのメンバーなのだろうか、周辺に散らばった配置のテーブル席からは、いかにも怪しい人物たちが座ったまま、こちらを無言で見つめている。

 その無言の圧力を背に受けながら、僕は数ある受付カウンターのひとつにおそるおそる座ってみた。


「ん?」


 座った一瞬、ふと気付いてしまう。

 僕の選んだカウンター以外はそれなりに列が出来ていた。

 でも、なぜかこのカウンターには、誰ひとりとして並んでいなかった。

 わざわざ列に並ぶなら、ここのカウンターを利用すればいいのにと思いつつ座った瞬間、その理由を思い知らされた。


「――っ!」

「……いらっしゃいませ」


 カウンター越しに受付嬢と対面した瞬間、思わず身じろいでしまう。

 決して恐怖を感じたわけじゃない。

 見た目はきちんとしている。


 お雛様のような長い黒髪は、前世の日本人のようで親近感が湧いてくる。

 女性秘書がかけてるような黒縁の眼鏡は、いかにも出来る受付嬢のよう。

 受付嬢全員が身に着けている、黒のゴシック調ドレスのような制服を上品に着こなし、座った姿勢も完璧だ。


 だったら何がおかしいのか。

 なぜ誰も彼女のカウンターを利用していなかったのか。

 答えは彼女の醸し出す雰囲気だ。


 黒縁の眼鏡の奥に潜む、生気を失った眼差し。

 それは僕の姿を見ておらず、どこか虚ろなる場所でも見ているかのよう。

 わずかに発せられた声に感情の色はなく、すべての事象に絶望したような表情は、まるで時が止まったように微動だにしない。


 そしてその陰鬱な空気が、ほんの数十センチのカウンターを越えて、こちらにも浸食してきそうなほど、受付嬢の秘めた闇は計り知れないほど深くみえる。


 こうして何も知らずに座ってしまった僕自身、この空気感はちょっとツラい。

 もしこれがお見合いだったら、誰もが即座に帰ってしまうレベルかも。


 座った瞬間、間違えましたって席を立つ人もいただろう。

 それくらい他のカウンターとの空気感の差がここにはある。


 正直、なぜ彼女を受付嬢に? と思わなくもないけど、ここが奴隷商ギルドである以上、従業員の中にも、そういった訳ありの人たちが多いのかもしれない。


 嫌われ者の奴隷ディーラーから敬遠される受付嬢って、ある意味凄いけど。


「……受付……おやめになられますか」

「え? あっ、いや、大丈夫……です」


 この一瞬でさまざまな想像に耽っていたのを見透かされたのか、受付嬢は僕に席を立つことを勧めてきた。にもかかわらず僕はそれを断ってしまう。


 やはり自分でもわかっているらしい。

 ただ、わかっていながらも改められない事情があるのかもしれない。


 それに僕の方も今は、そんな空気感を気にしていられない事情もある。


「よ、よろしくお願いします……」

「……初めての方ですか」


 挨拶をすると、無表情でも返事が返ってきたことにホッとする。

 とりあえず意思疎通には問題なさそうだ。


 僕が奴隷商ギルドへの入会を希望すると、彼女は表情も変えずに説明を始めた。


「……当ギルドは、奴隷ディーラーの方のみのギルドとなります……ご登録された方は世界各地に点在する奴隷商ギルドをご利用いただけます……当然ながらそれらの施設で各恩恵を受けることも可能です……恩恵の内容は正式登録後に説明致しますので……まずはご登録のため……こちらの必要事項にご記入を」


 まったくこちらを見ることなく、遠くを見たまま説明を終える受付嬢。

 続いて手元から紙とペンをこちらに差し出した。


 奴隷商ギルド会員の登録用紙だ。

 名前と主な活動拠点、奴隷売買の経験の有無。

 たったこれだけの内容だけで登録出来るらしいけど、大丈夫かな。


 ペンを取りながら名前をヨースケと記入。

 活動拠点はとりあえずこの街、ペイルバインと書いた。

 奴隷売買は当然ない。


 まあ、固定ジョブだから、無登録の人間でも奴隷売買の経験はあるんだろう。

 今日奴隷ディーラーになったばかりの僕には当然経験がないため、そこはナシと記入するしかない。


 ちなみに書く方もとくに問題はなかった。スラスラとこの世界の文字が書けてしまうのには驚いたが、僕には自分で書いた文字も、ちゃんと日本語で理解出来るので問題ない。


 そして書き終えた僕が用紙を彼女に返却す。

 やはりそこはさすがに視線を用紙に移さないといけないようで、彼女は内容をチラリと一瞥したあと、いきなり僕に対し頭を下げたのだ。


「……申し訳ありません」

「えっ!? な、何か不備が?」


 不備と言っても記入項目はたったの三つしかない。

 不備をしようにも無理がある。

 それでも不都合があったから、わざわざこの受付嬢は頭を下げ謝罪したはず。


「……いえ。こちらの説明不足です……実は当ギルド規定により、奴隷売買未経験の方はご登録出来ません」

「ええっ! と、登録出来ないんですか!?」


 思わず声をあげてしまう。

 いきなり詰んでしまった。

 

 奴隷ディーラーとして転生したばかりの僕に、そんな経験あるわけない。

 今すぐにでも登録して、早く仕事しないとって思っていた矢先に、とんでもない壁にぶつかってしまった。


「ああ、もう終わった……」


 大きな声を出してしまったせいか、他のカウンターにいる同業者からも注目されてしまう。

 しかし今はそんなことどうでもよくて、とにかく登録出来ないショックの方が大きい。


 すると、わかりやすいほどに落ち込んだ僕を見かねたのか


「……加入出来ないと申しましたが……条件さえ整えばすぐに可能です」

「えっ、条件?」


 受付嬢の言葉が、一瞬救いの手に思えたのは本当だ。

 ただその条件というのが気になる。

 

「……はい……条件とはもちろん加入規定である売買契約を成立させることですが……資金的にお厳しいようでしたら、特例として資金のかからない奴隷契約……いわゆる本人同意のもとに自由奴隷契約を行い、その者をこちらに連れて来ていただければ、加入許可が下ります」

「特例……ですか」


「……ただし特例を利用される場合、期限は今日と明日の二日間限りとなります。それまでに連れて来れなかった場合は、奴隷ディーラーとしての力量不足と見なされ、罰則として再登録は一年後となります」

「ば、罰則で一年っ!? いやいやいや、そんな急に……そもそも好んで奴隷になりたがる人ってどこに……」


 言葉に詰まってしまう。

 そんな条件、クリアするなんて無理だ。

 この世界の奴隷事情は知らないけれど、自ら奴隷になりたがる人なんていないだろう。

 ましてや人をさらって来て無理矢理、奴隷契約するなんてことも言語道断だ。

 これって救済どころか、さらに詰んだんじゃないのか。


「ぷっ! おいおい、あのガキ、終わってんなあ」

「このジョブで詰むとか、もう生きる才能すらねーんじゃないの?」


「……」


 僕らの会話が聞こえていたのか、周囲の同業者たちからの失笑が聞こえる。

 それに言い返す気力も、睨み返す度胸もない僕は、黙って俯くしかなかった。


「……他にご質問が無ければ、これでお引き取りを」

「……」


 加えて受付嬢からの無慈悲な言葉が、僕をさらに憂鬱にさせる。

 そして失意のまま彼女の言う通り、力なく席を立とうとした。


「うわはははははは!」

「――!?」


 突然、背後から爽快な笑い声の洗礼を受ける。

 ギルド出入口の扉が豪快に開かれ、屈強な大男が大笑いしながら入って来た。

 その騒動に驚いて振り向いた僕は、愚かにもその大男とばっちり目が合ってしまう。


「んー?」

(まずい。ヤバい人に睨まれたかも)


 最悪なことに、相手も僕と目が合ったことに気づいたらしく、こちらをジロリと睨んでいる。

 慌てて視線を逸らすも、大男は無言のままこちらへと向かって来た。


 存在するだけで相手に威圧感を与える人は結構いるものだ。

 それがまさにこの大男であり、僕は務めて相手を出来るだけ視線に入れないようにしたが、それは不可能だった。

 あっという間に距離を詰められ、カウンターから席を立つ暇を与えないよう僕を追い詰めた大男は、じっとその大きな顔面を僕に近付け、視線を逸らす機会すら奪っていく。


 大男は無言で睨みつけたまま微動だにしない。

 何か用があってこちらに来たのか、それとも目が合ったことに対する因縁か。

 どちらにせよ、このまま時間が流れるだけでは埒が明かないと思い、勇気を出して声を振り絞った。


「あ、あの……」


 そう問いかけるだけで精一杯だった。

 ただ、そのおかげといってはなんだけれど、一瞬視線を大男の肩越しに向けることが出来た。


(あれって、人か?)


 さっき目が合ったときには、全く気付かなかった。

 大男は、自分の肩に包帯で包まれたような物体を担いでいたらしい。

 そこから微かに鼻をつく血の匂いと、小さな息遣いを感じる。

 

 人らしきモノは生きているらしく、大男が僕から距離を取ると共にその全容が明らかとなった。


 僕くらい? いやもう少し小さいな。

 包帯でぐるぐる巻きにされ、至る所にじんわりと血が滲んでいる。

 ケガ人だろうか。それに性別も不明だ。あと、どう見ても重傷者にしか見えない。

 

 まさか、これってヤバい事件とかじゃないのか?

 嫌な予感がするなか、大男がようやく発言した。


「お前……見ない顔だな。新入りか」


 どれほど大きな男なのだろうか。

 室内の天井に届くほど遥かに高い場所から、ジッとこちらを見下ろす巨人。

 まるでゲームや小説の世界に出て来る、オーガのようだ。

 肩に担がれた相手も気になるけど、こちらは一刻も早くこの大男からの質問に答えないと、今度は自分がもう片方の肩に担がれるかもしれないと思い、しどろもどろになりつつも返事をする。


「あ……いや、きょ、今日、と、登録に……」

「フン。物好きなガキだな。わざわざ奴隷商ギルドに登録とは、親もきっと泣いてるだろうよ」


 大男の言葉に、周囲の同業者がどっと笑いだす。

 彼はこのギルドでは一目置かれているのか、誰も大男を蔑むような態度を取っていない。

 むしろ気を遣っているようにも思える。


 そして、大男も同業者たちの笑いに釣られ、一緒に笑いだす。

 それに連動して肩に担いだ血濡れの包帯人間も、揺れるたびに息が荒くなっていく。

 思わずそれを目で追ってしまった僕の視線に気付いたのか、大男はいきなり無造作に包帯人間を地面へと放り投げた。

 その衝撃のせいで、初めて包帯人間から小さなうめき声があがる。


「あっ!」 

「フン。こいつは帝国から流れてきた商品だ。わざわざ引き取りに行ってやったのに、両腕は無えし、足の腱やらもブチ切られてる。おまけに舌まで切り飛ばされてる、ただの不良品(ゴミ)だったぜ」


 言葉通りゴミを見るような目つきで、その包帯のケガ人を見下ろす大男。

 ケガ人に商品価値はないという奴の言動に、嫌悪感を抱いてしまう。


「まあ、俺さまの顧客にはこういった手負いの奴隷を、男女構わず嗜むのが好きな変態貴族がいるんでな。それを期待してさっき連れてったんだが、さすがにしゃべらない奴隷は壊し甲斐がないって、旦那に断られちまったあーっはっはっはあ!」


 下卑た顔で大笑いする大男。

 それに同調するかのように、周囲の奴隷ディーラーたちも一斉に笑い出す。

 下品な笑い声がギルド内に響くなか、僕はこの奴隷ディーラーというジョブが嫌われている理由をやっと理解する。


 こいつらは人を人とは思わないクズの集まりだ。

 でもそんなクズみたいな奴らと同じ奴隷ディーラーである僕は、いったいなんなんだ。

 同じクズにまみれて、このまま奴らと同じクズになってしまうのか。

 いや、そんな人間にはなりたくない。

 奴隷ディーラーにだって希望はあるかもしれない。

 でも奴隷ディーラーの希望って何だ。


 そんな風に自問自答を繰り返すうちに、ふと、何かが吹っ切れるような感覚に襲われる。


「……その人を……そのケガしてる人を助けましょうよ」


 僕の発言と同時に周囲の歓声がピタリと止んだ。

 全員がこちらを睨みつけ、まさに四面楚歌の状況に。

 助けると言っただけで、そこまで敵意を向けられるものなのか。


 困惑するなか、一番近くにいる諸悪の権現である大男が、静かに口を開く。


「は? 今、なんて言った?」


 その視線は今にも僕をひねりつぶそうかというくらい恐ろしく、そしてまるで異物を見るかのように醜悪な表情だ。


 思わず背筋がゾクリとする。

 恐怖で発狂したい気持ちに駆られる。


 人をゴミと言える価値観の者たちのなかで、この発言は確かにマズかったかもしれない。

 空気を読める奴なら、ヘラヘラ笑って同調しているだろう。

 それが一番、平和的に収まるからだ。

 ただ、僕は自分が自然とそう言えたことを誇りに思う。

 それが人として正常であり、人間同士の絆だと信じたい。

 

 それによって大男に殺されたとしても悔いはない。

 僕は正しいと判断したことを恐怖で曲げたりはしない。

 

 そう心に決めた瞬間、大男が動いた。

 僕はとっさに恐怖と覚悟が入り混じったまま、カッと目を見開いた。

 そして来る――っと思った時、

 

「じゃあ、お前がやれっ!!」

「えっ!? ぐはっ!!」


 突然腹部にのしかかってくる重圧に、息が止まりそうになる。

 そのまま大きくうしろに尻もちを付き、僕は何かと共に倒れ込んだ。


 一瞬、大男からの攻撃かと思ったが、違うらしい。

 奴が地面に放ったままのケガ人を、僕に向かって拾い投げたようだ。


「ぐ……」

「だ、大丈夫ですか!? し、しっかりしてっ!!」


 僕に覆いかぶさったケガ人も、突然の衝撃に堪えたようだ。

 濁ったうめき声をあげるだけで、肩で息をしている。

 舌を失っているので、痛みを訴えようにも出来ないのだ。


「いつもならこんなゴミ、ギルドの()()()()()に放り出すんだが、お前が偉そうなことを言うもんだから止めだ。そのゴミはお前にくれてやる。治すも奴隷にするのも自由だが、お前にそれが出来か見物だな。綺麗事にちゃんと責任持てるかは知らんが、出来なかったときに絶望するお前を見ながら、ここの連中と一杯やるのも楽しみだ! ぐははははは!」

「……っ!!」


 どこまでも悪趣味な大男は、僕に絶望を味あわせたいらしい。

 たしかに助けようと言ったのは自分だけど、まさか一人でどうにか出来るなんて思っていなかった。

 どう見ても重傷なうえに、それをどうやって治すのかさえ見当もつかない。

 自分で吐いた言葉に、重くのしかかる何かを感じる。


「ホラ、頑張って偽善者ごっこしな。早くしねーと、そいつもあんまし長く持たねえぞ? 包帯も放ったらかしだし、そろそろ腐りかけてるかもしれんな」

「ひ、酷い……せめて治療だけでも……」


 ケガ人がここまで衰弱したのは、ワザとそのまま放置していたのが原因らしい。

 どこまでも非情な大男と、それを嘲笑っている周囲の連中にも反吐が出る。


「さあ、お前ら! あとはこいつに任せて、俺たちは酒場にでも繰り出すとするか!」


 大男がそうひと声をかけると、途端に大歓声が沸き起こる。

 それに気を良くした奴は、上機嫌のまま仲間たちを連れ、ギルドから出て行った。


 あとに残されたのは僕とケガ人のみ。

 シンと静まり返ったギルド内に、ケガ人の息遣いだけが聞こえる。


「ど、どうしよう……」


 焦るだけで時間が過ぎていく。

 この世界に病院なんてものがあるかどうか知らない。

 お金が欲しくて仕事を得るために登録に来た僕に、治療費が払えるわけもなく、ただ気持ちだけが急いてしまう。

 その間にもケガ人は衰弱していくし、僕は転生初日にして人生最大のプレッシャーを経験することになった。

 やっぱり僕の言葉はただの偽善で、あいつらが本当は正しいのか。

 どれだけ偉そうに発言しても、それを貫く力がないと、その言葉の正当性さえ守れない。

 

 悔しい。

 とてつもなく悔しい。

 僕は何の力も持っていないんだ。


「くそっ! くそぉ!! なんでだよ……! どうしてこんなことにっ!! 僕が……僕さえっ……!!」


 悔しさは自身への怒りに変わり、いつしか汚いだけの言葉が口をついて出てしまう。

 このまま僕は何も出来ず、大男たちに罵られ、自分の無力さに絶望するしかないのか。


 いや、もう分かっている。

 僕には何も出来やしない。

 ついさっきまで、ただの無力な学生だったのだから。


 涙が視界をボヤけさせていく。

 諦めと無念さが心の全体を染めようとした――

 ――が。


「……お困りでしょうか」

「へ?」


 まさかの受付嬢だった。

 先ほどと変わらず眼鏡の奥の視線は宙を見つめたままだ。

 そんな彼女が手元から一冊の小冊子を取り出し、カウンターの上に置いた。

 その冊子には【奴隷契約の手引き】と書かれている。

 まるで僕のためにあるかのようなタイトルだ。


 受付嬢は無言のままだ。

 僕にこれを手に取れと言うのか。


「い、いいんですか?」

「……どうぞ」


 しかし、今これを受け取っても、ケガ人を救うこととは関係ない。

 それでも彼女は良かれと思って、これを差し出してくれたのだろう。

 その親切心を無下には出来ない。


 机に置かれた冊子を手に取る僕。

 手引き書とはいえ奴隷商ギルドの冊子だ。

 奴隷契約という非道な行いに関しての手引書だ。

 目を背けたくなるような内容が書かれているかもしれない。

 そんな妄想に怯えつつ、おそるおそるページをそっとめくる。


「うわぁっ!!」


 突然冊子の隙間から光が溢れだした瞬間、自分の頭の中に奴隷契約のすべてがインストールされたかのように脳内へと記憶される。

 それはもうすでに最初から知っていたかのように、スラスラと説明出来るほどだ。


「えっ!? これって……」

「……開くだけで内容が記憶される魔導書です……御用がお済みなら返却を」


 放心状態のまま魔導書を返却すると、彼女は黙ってそれを受け取り、またどこかへ仕舞い込んだ。


「でも、これだけじゃこのケガ人を救えない」

「……でもその方を奴隷にすれば、条件は達成です」


「いや、そんなことより!!」

「……当ギルドに加入後……助ける道もあるかもしれません」


「――!」


 彼女の言葉は冷酷だが真実でもあった。

 僕は一足飛びに何でも出来ると思いがちだ。

 結果ばかりを気にして、いつも過程を見失う。

 順を追って何かを成すということを失念していた。


 今すぐには無理かもしれない。

 途中、ケガ人の命が尽きる可能性だってある。

 でも、何も出来ないなら、それに向かって一歩ずつ頑張るしかない。

 無理だと諦めるくらいなら、例え結果が悲しいことになっても、後悔の意味が違う。


 いや、諦めちゃイケないんだ。

 少しでも早く、このケガ人を救わないと。


「わ、わかりました! では早速――」

「……お待ちください」


 覚えたばかりの奴隷契約方法を試すべく、倒れたままのケガ人に手をかざすと、受付嬢から待ったがかかる。


「な、なんですか?」

「……スキルを初めて使う場合、まれに気絶される方もいらっしゃいます……こういったことはお帰りになって試される方が良いかと」


 聞いておいて良かった。

 こんなところで気絶すれば、戻ってきた奴らに何をされるか分からない。

 僕は彼女に礼を述べ、血濡れのケガ人をどうにか背中に背負うと、そのままギルドをあとにした。



 ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



 両腕が無いせいでもあるのか、ケガ人は非常に軽かった。

 たまにバランスを崩して左右どちらかにずり落ちそうになるも、なんとか宿屋の二階にある僕の部屋にまで連れて帰ることが出来た。


 ただ、ケガ人はここへ戻る途中に気絶していたらしい。

 ベッドに寝かせた途端、意識を取り戻したのか、急に身をよじらせ始めた。

 いきなり知らない場所に来たことに驚いたのだろう。慌てて声をかける。


「だ、大丈夫です! あのとき聞こえていたかどうかは知りませんが、ギルドであなたのことを任された者です。とりあえず僕が借りている宿にお連れしました」

「――っ!」


 僕が説明をすると、事態を把握したのか、けが人は大人しくなった。

 出血による意識混濁も心配していたが、何とか理解してもらえたらしい。

 そのことを踏まえたうえで、僕はこの人にこれからのことを話す覚悟を決める。


「あ、あの……今から僕とあなたで、その……奴隷契約を結ばせてもらいますが、よ、よろしいでしょうか?」

「……」


 ケガ人にこれまでの事情を説明する。

 ケガの治療費のため、まずは収入から確保しなくてはならないこと。

 それにはギルドに登録しないといけない。

 登録には条件があり、奴隷がひとり必要なこと。


 僕の説明を黙って聞いていたけが人は、説明の度にコクリと頷いてくれる。

 誠意をもって話せば、相手も理解してくれることを知り、少し嬉しかった。

 そして、最期に奴隷契約には本人の許可が欲しいことを告げると、黙って大きく頷いてくれた。

 

「えっと、じゃあ始めます」


 いよいよ奴隷契約へ。

 緊張のなか、先ほど覚えた手順を思い出す。


 まずは呪文だ。

 これは奴隷候補と契約者の間に、魔力によるパイプを繋ぐ呪文らしく、それによって契約をスムーズに進める効果があるそうだ。


 手順通り、頭に浮かぶ呪文を口に出してみる。


「汝、我が力、我が糧となりてこれを助け。我、汝を従え、汝を我が物とする」


 呪文を唱え終えると同時に、眼前に上半身を覆うくらいの魔方陣が具現化する。

 その中心から光が射し、僕と奴隷の胸に向かって伸びていく。

 そして、光がふたりと魔方陣をそれぞれに繋いだ瞬間、二人のステータス画面が勝手に立ち上がり、それがひとつに重なっていく。


《契約者と奴隷の魂が繋がりました。次の段階へ進んで下さい》

 

 突然、頭に響く声。

 魔導書から得た知識により事前に構えていたがさすがに驚いた。

 きっとケガ人の方も同意見に違いない。

 

 声に導かれるまま、僕はその言葉に今一度覚悟を決める。

 これからこの人が僕の奴隷になってしまう。

 もう後戻りは出来ない。


 そしてもう一度、自分自身に言い聞かせる。

 僕はこの人を助けるためとはいえ、奴隷に堕とすのだという贖罪を。

 そしてその存在自体を嫌悪する奴隷を今、自らの手で生み出す覚悟を。


 緊張と罪悪感の混ざる気持ちが胸を衝く。

 それに耐えつつ、どうにか自分の純心に決別をつける。

 異世界で生きるためだと自分に言い聞かせ、前世での価値観を払拭する。

 転生した以上、元の世界のようにはいかないんだと。


 どう考えても言いわけにしかならない、

 その許しがたい詭弁に対する反発心を、僕は自分を諭すようにして抑え込む。

 

 しかし普通の高校生だった僕にこの仕打ちは酷くないか? 

 そんな愚痴を播州弁の女神に内心吐きつつ、ここでもう一度フウと息を整えたあと、自分の指を口元に近付け、一気にそれを嚙みしめた。


「――痛っ!」


 ズキっとした痛みが、わずかに残る後悔と共に、指先から出る血に混じりながら流れて行く。

 そしてその血を一度握りしめ、再び開いた手のひらを赤黒に染めさせた。

 そのまま僕は、血に染まった手のひらをステータス画面へと向け、重なり合う二つのステータス画面の中心に思いきりぶつける。

 その瞬間、血の手形のよって穢れたはずのステータス画面は、まるで乾いた砂のようにあっという間にその血を吸い込んでいく。

 そのようすに唖然とする僕をよそに、ステータス画面が淡い血色(ちいろ)の光を放ちだす。


 それを確認した僕は、ベッドに横たわるケガ人の包帯に付着した血痕を指でなぞり、光り続けるステータス画面へと捧げる。


《両者の血が混じり合い、【奴隷の絆】が形成されます》


 二度目の血を取り込んだことで、淡い血色で光っていたステータス画面は、真っ赤に発光し始めた。

 そして、アナウンスの言葉どおり、ケガ人の首に真っ赤な血色の首輪が生み出されていく。

 どうやらこの深紅の首輪が奴隷の絆らしい。


 その真っ赤な首輪がケガ人――いや、僕の奴隷の首に発現すると同時に猛烈なめまいに襲われる。

 そして大地がグワンとひっくり返るような感覚。

 さすがに堪えきれず片膝をつく。


「こ、これって……う、受付嬢の言っていたやつ……か」


 初めてスキルを使うと気絶する者がいる。

 そう受付嬢が忠告したとおりに、僕の意識が徐々に低下していく。

 朦朧とする意識のなかで、僕は気を失わないよう必死に抵抗する。


 でもこれで契約は終了だ。

 あとは奴隷となったこの人を、ギルドに連れて行けばいいだけ。


 そう安堵した瞬間、新たなアナウンスが脳内に響いた。


《奴隷契約を完了しました。それに伴い、対象は特殊スキル【リセット】の恩恵を受けることが可能となります》


「え?」



 手引書には無い文言。

 特殊スキルの恩恵?

 覚えた手順には存在しないはずの、特殊スキルへの移行という状況に戸惑いを隠せない。

 そしてそんな僕を追い立てるかのように、新たなアナウンスが続く。


《対象の【ステータス】に、状態異常として欠損部位を多数確認。特殊スキル【リセット】を使用しますか》



「し……使用って、命令するの……か?」


 めまいと動揺で正直、冷静な判断が出来そうもない。

 欠損部位って、たぶんこのケガ人の両腕や足の腱のことだよな。

 それをリセットってどうなるんだ? 

 ああもう、頭がフラフラして何がなんだか分からない。


 意識を保つのに必死なせいか、思考が停止したままの僕は、そのアナウンスに向かってとっさの答えを出した。


「わ、分かった! と、特殊スキル【リセット】を……し、使用する!」

《了解しました》


 アナウンスの承認と共に、部屋中が眩い光に包み込まれた。

 それは部屋が発したのではなく、ベッドに横たわった奴隷から発せられたもので、驚くことに宙に身体が浮かんでいた。


《【リセット】します》

「うわああ!!」


 アナウンスの宣言どおり、謎のスキルが実行される。

 宿の部屋一帯を覆い尽くすほどの閃光が、奴隷の中心から拡散した瞬間、迫りくる膨大な光量を恐れた僕は、反射的に自分の両腕を盾にし、その光を拒む。

 そして、瞬く間に部屋を覆ったその光は、その後ゆっくりと収束し、やがて元の薄暗い部屋の景色を取り戻していく。

 意識が混濁しつつあるなか、かろうじて視界を奪われることを回避出来た僕は、眼前の光景に言葉を失う。


「……キ、キミは――」


 そこには、血濡れの奴隷ではなく、あの赤い首輪を身につけた、天使のような少女が光を帯びて立っていた。


「あ、赤い……首……輪?」


 そのあまりにも荘厳な光景を目の当たりにした僕は、そこで緊張の糸が切れたのか、あの転生したときのように、ふたたび意識を手放してしまった。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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