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第一話   悪役令嬢との遭遇

2024.10

すべてのシーンにおいて加筆・修正しました。



「ん……」


 気が付けばそこは草原と森の境目だった。

 光に包まれたところまでは覚えている。あの妙に祖母寄りな言葉遣いをする女神のことも。


 もしかすると、あれもこれも実は全部夢で、たまたま僕はこの草原で昼寝をしていて、たった今、目覚めたばかりじゃないのか。


 などと疑ってはみたけれど、すぐ傍にある小さな池に自分の顔を映せば、それが全部現実だったことを思い知らされる。


「そっか。本当に今までの伏見陽介(ぼく)はもう死んだんだな」


 水面にぼんやりと映る顔はまったくの別人。

 日本人としての面影など、そこにはなかった。

 

 それほど明確には映らない水面に見える僕の髪は白銀、瞳は紺碧に似た色。そして白人のような顔は、以前とは全然違うモノだった。

 いや、ちょっと待って、あれ? 以前はどんな顔だったっけ? 


 以前とは異なる存在に転生した影響なのか、それとも今世で余計な知識が変な邪魔をしないようにするための処置なのか、急に前世の記憶が薄れていくような感覚を覚える。

 すでにこの時点で僕は前世での顔はおろか、家族構成さえも忘れかけているらしい。

 ついでにいえば、前世の色んな知識なんてのも徐々に失われつつあるようす。


 よくある異世界転生モノだと、前世の知識を使って――なんてチート技があったはず。

 それがここにきて記憶の喪失現象。

 なので正直、出鼻をくじかれた気分だ。


 とまあ、そんな記憶の部分初期化は一旦おくとして、顔の次は体の確認をしないと。

 立ち上がったときの身長は前世とあまり変わりないらしく、目線の高さは見慣れた視覚だ。

 体格についても変化なしかと思ったけれど、ひとつ嬉しい発見があった。

 それは以前よりも少しだけ逞しい身体つきになっていたこと。

 厳しい異世界を生き抜くためか、お腹や腕まわりの筋肉が前世よりもほんのりと鍛えられている気がする。

 などと、ちょっとした満足感に浸りながら、自分に出来たイイ感じの腹筋を撫で、あの下級神にわずかばかりの感謝をする。


 そんな風にざっと自分自身の確認を終え、残すところはある意味肝心かなめな装備まわりのみ。

 

 服装はいたって異世界風。

 どこかの古代民族衣装のようなシンプルな造りだ。

 色はベージュっぽく長袖の上着と同色の長ズボン。

 ズボンのベルト通しには、幅広なバックル付き革ベルトが巻いてある。

 この世界で最低限の生地だからか、多少突っ張る感じのある固い厚手の上下だ。


 あと下着まで履いていたのが驚きだった。

 こういう異世界に下着の概念があるのか、少し不安だったから。

 ただし、化学繊維なんて当然あるわけもなく、履き心地は……うん、微妙。


 そして残念なことに、武器や防具なんかの携帯はなかったようだ。

 まあ、出来れば街にたどり着くまで、心の拠り所としては欲しかったけれど。

 最後に重くて頑丈そうな革製のブーツ。

 これは長距離だといろんな筋を痛めそうな予感がするけれど、贅沢は言えない。

 丸裸で転生させられるよりは、断然恵まれてると思うべきなんだろう。


 とりあえず初期装備? には大きな不満はない。

 これからの衣食住は、自分次第ってところかな。

 異世界生活とは、何も最初から万全てパターンばかりでもないはず。

 自分の場合、これが与えられた条件ということ。

 そう思い改め、これから自分が生きていく世界を見渡す。


 視界のほとんどを占める大草原。

 まばらに大小の岩が地面から突き出してるのも、自然の醍醐味だろう。

 すぐそばには大きな森が鬱蒼とした雰囲気を漂わせている。

 森の中に転生しなくて良かったと小さく安堵する。


 草原と森の境目には、先ほど顔を覗かせた小さな水たまりがいくつかある。

 少し遠くには川が森に向かって流れているのが見えた。

 水たまりは、あの川の枯れた名残りなのかもしれない。


 そしてさっきまで気付かなかったけれど、すぐ近くの地面には人の手が入った街道らしき道が。

 きっとここを辿れば、やがて街へと繋がるはず。

 最初の一歩を踏み出せば、それは新しい人生の旅路が始まる合図となる。


「よしっ。たった今、僕の異世界転生生活……スタートっ」


 そう声に出してみる。

 決意の第一声は大事だ。


 これまでの流れや原因はともかく、今日からこの異世界を生きていくしかない。

 前世の自分という魂を持ちつつ、新しい人生として。

 ――。

 ――。


 そうだった。

 自分の新しい人生は、奴隷ディーラーとしての人生だったんだ。

 自分が投げたダーツで決まったとはいえ、とんでもないことになってしまった。

 重たい気分が胸の内から染み出してくるのを感じる。

 

 たった今、引き締めたばかりの気持ちが揺らいでいく。

 最初の一歩はまだ踏み出せていない。

 モヤモヤする気持ちが、それを躊躇わせた。


 奴隷ディーラー。

 きっと自分とは真逆の考えを強いられるであろう、奴隷たちを物同然として扱うことを生業とする、忌み嫌われし不遇のジョブ、奴隷ディーラー。


 それを軽く受け入れろと言い切ったあの人物。

 当然ながらあの下級神の顔が、頭に思い浮かんでくる。


 

 ― そんなスキル、この世界に出したらあかーん!! ―



 その言葉が、今も耳に響いているような気がした。

 あのとき、彼女は確かスキルと言ったはず。

 

「――!」


 それは、彼女が重要視したはずの言葉が、僕には無関心なモノとなった瞬間だった。

 

「……そうだ。確かにスキルと言った」


 あの白い世界で開いていたアレを思い出す。

 きっとこの世界でも通じるはずの大切な機能。


 あのとき勝手に現れたせいで、実際言葉には発していなかった。

 けれど、絶対共通言語に違いない、お約束ワード。



【ステータス・オープン】


【名前】    

ヨースケ

【固定ジョブ】

奴隷ディーラー レベル1

【業】

     

【人種】    

人族

【年齢】    

16

【ステータス】 

良好

【装備】    

良質な普段着

革のベルト

良質なズボン

硬質なブーツ

【所持スキル】 

奴隷契約 1

奴隷売買 1 

                

                    □



 何もない空間に一つの光が灯る。

 それは決まったかのように、素早く機械的な動きでもって、そこに四角い図形を描き始めた。

 やがて光は停止。電子音のような音と共に、半透明のステータス画面となって具現化された。


 そこにあるべきは僕の新しい名前、ヨースケと表示――って、あれ? 

 目のまえにあるステータス画面には、前世とは明らかに違う異界の文字。

 なのに、当然のように理解出来る自分がいる。

 ただし、言葉の変換は日本語で理解しているみたいだ。

 もしかしてこれは、僕が別世界からの転移ではなく転生したことが関係してる?

 転生とはいえ、この世界に生まれた人間として、言葉もちゃんと身についてるという理解でいいのかな。


 残念ながら、それに答えられるはずの下級神がここには居ない。

 とにかく異世界の文字も理解出来るのは嬉しい。

 日本語ではないのは当然だろう。

 わざわざ最初から学ぶ必要がないのは助かった。


 と、それはさておき、改めてステータス画面を眺める。

 確か前世も陽介って名前だったはず。

 なのにこの世界でもヨースケって名前だ。

 これは偶然か。それとも下級神の心付けか。

 どちらにせよ、同じ名前という安心感はある。

 

 あと会話はどうだろうか。

 言葉は違っても理解している言語は日本語だった。

 会話もそれと同じ仕組みなのかは少し気になる。

 とはいっても、こればかりは、この世界の住人と会話することでしか確かめようがないな。


 まあ、とにかくありがたいことに、名前はヨースケで続投出来るとのこと。

 あと苗字といったモノは、今のところステータスでは確認できていない。

 なくても気にはならないので問題はないけれど。


 まずは名前を確認。

 続いてそれに続く以下の項目も確認を続けることにする。

 名前の下には【固定ジョブ】奴隷ディーラーと表示されていた。

 やはり奴隷っていうのがちょっと気になる。

 当然レベルは1。体力や力といった、ゲーム的なステータス数値はないようだ。

 

 【業】という項目。

 これは何だろうか。

 今はとくに何も表示されてないし、よくわからないのでスルー。


 【種族】は人間じゃなくて、ここでは人族と呼ぶそうだ。

 下に年齢も表示されている。

 偶然なのか前世と同じ年齢。

 転生なので赤ん坊から――とかじゃなくて良かった。


 【ステータス】の下には【良好】とある。

 きっと体調とかそういった身体状況を示すのだろう。

 風邪とか引けば【風邪】って出そうな気がする。


 【装備】は、下着を省略したのか、上着などの主要な装備だけが表示されている。

 まあ下着に防御力とかなさそうだし、いちいち靴下とかまで表示されても面倒だ。


 そして【所持スキル】の奴隷契約と奴隷売買。

 これが奴隷ディーラーのスキルらしい。

 ちょっと物々しさを感じるスキル名だ。

 隣りの数字は今のところ意味不明。

 レベル? それとも使用回数? 

 調べようがないし、これは追々調査予定で。


 そして最後に右下にある、四角いボタンのようなアイコン。

 これを指で触れると、あの白い世界と同じく、画面がノートでもめくるかのように切り替わる。

 その先の画面の中心には【特殊スキル】と銘打ってあり、その下に、謎のスキル【リセット】の文字。 



 ― そんなスキル、この世界に出したらあかーん!! ―



 再び耳に響くあのときの言葉。

 下級神ノアが叫んだ最後の台詞。

 その真意は不明のままだけれど、どうにもこの特殊って言葉に惹かれるのは否定できない。


 特殊ってことは、もちろんレアって意味でもあるはず。

 めずらしいスキルなら大歓迎だし、心躍るのは男子なら当然のこと。

 ゲームで取得スキルをコンプするがデフォだったし、特にレアスキルは胸が熱くなる性分だ。


「最悪なジョブになっちゃったんだし、そのぶんレアスキルに期待……かな」


 そう気持ちを切り替えたと同時に、草原側を通る街道の向こうから何かの気配を感じる。


「――!!」


 何かがこちらへ向かって来ると直感した。

 あわてて閉じるように念じたステータス画面が消える。

 それと同時に森側の方へと移動し、適当な草陰に身を隠した。


 残念ながら、正体不明な集団との遭遇を無条件で受け入れるほど、僕は不用心ではない。

 元世界でも、知らない人にはついて行かないというのが、身を守るための常識だ。

 当然、この世界でもそれは正解だと思っている。

 

 そのまま草むらに隠れ、じっと息を潜める。

 しばらくすると、今度はその気配がハッキリとした複数の音へと変化した。


 車輪が回るような音。

 地面が何かに蹴られる音。

 馬のような生き物が吐く息の音。

 何者かが作業をする音。


 きっと馬車のような乗り物が往来するのだろう。

 この街道も実は安全で、ごく普通の人たちが使っているのかもしれない。

 

 しかし僕はまだこの世界に転生したばかりだ。

 どんな仕組みなのかも知らない世界で、容易に誰かと接触するのは危険だろう。

 なので一応、最初くらいは馬車をやり過ごし、様子をみる必要がある。


 しばしの時間と共に騒音は大きくなり、やがて豪華な馬車が現れた。

 黒塗りに細部を金細工で装飾した車体。

 たぶんそこには貴族が乗っているのかもしれない。

 箱車両の前を走るのは、元世界とほぼ同じ姿をした馬だ。

 四頭立てのそれは、少し舗装の荒い地面を颯爽と走り、あっという間に僕の目前へと迫る。

 僕は自然とその動きに呼応し、見つからないよう頭を低くした。


 ガラガラと音を立てる車輪。

 誰かを乗せているであろう漆黒の馬車が、僕の潜む草陰の前を何事もなく通り過ぎて行く――はずだった。


「どオォ! どオォッッッ!!」

 

 突然、馬を御する者の叫び声があがる。

 それに呼応するかのように、馬の嘶きが草原に響き渡る。

 合わせて急停止する馬車が、制動距離に抗う術もなく大きく前へと揺れた。

 それはあきらかに車内にいる誰かが、こちらに気付いたからの行動でしかない。


 緊張感がさらに増し、身が引き締まるのを感じる。

 恐れていたとおり、馬車の扉がゆっくりと開かれていく。

 そして扉が動きを止め、そこから美しいドレス姿の女性が颯爽と姿を見せると、その品のある顔をこちらへと向けた。


「――っ!」


 一瞬、赤い瞳と視線が合いそうになるも、僕はあわてて顔を伏せる。

 幸いにもバレなかったのか、女性はこちらに気付くことなく、手に道具のようなモノを携えたまま、訝しんだ目付きで辺りをじろじろと見渡し始めた。


 しばらくの間、女性の監視の目は止まらず、辺りを睨みつけたままだった。

 相手は是が非でも、この場に潜む何者かを見つけたいと必死のようだ。

 そんな女性の視線に、ある種の恐怖を感じたのか、僕の背筋は震えた。


 これは絶対見つかるわけにいかない。

 見つかれば最後、マズいことになると直感した。

 黙って息を潜め、今はこの状況をやり過ごすことに専念すると決める。


「……」

 

 沈黙が続く。

 このまま潜んでいれば、やがて相手は去ってくれるに違いない。

 そう僕は祈っていたし、きっとそうなるだろうと踏んでいた。

 しかし女性はここで目視での発見を諦めたのか、今度は辺りへと呼びかけるように声をあげた。


「隠れているのはわかっていますわ。大人しく(ワタクシ)の前に出てらっしゃい」


 貴族のような礼儀を重んじた丁寧な言葉遣い。

 ゆっくりと語りかけてはいるものの、凜としたその声色には圧があった。

 ただそのプレッシャーに屈して、のこのこと出ることは決してあってはならない。

 僕はそれに耐えつつ、沈黙を続ける。


 ただそんな緊張感のなか、それとは別のことに僕は気を取られてしまう。

 それは女性の発した言葉についてだ。


 口元の動きまではわからないが、女性の言葉は日本語のそれとは違っていた。

 けれどもそれがまるで日本語で話しているかのように――いや、もう日本語にしか聞こえなかった。

 文字に続いて、言葉も異世界のモノだったのは当然として、それらを問題なくクリア出来たことに安堵する。


「良かった……でも、綺麗な声――」


 と言いかけ、慌てて口を手で覆う。

 思わず漏らした独り言は、今この場でやってはいけないことだった。

 距離もあり、安堵したせいもあってか、ふいについた言葉だった。

 それなのにその小さな声を聞き洩らすことなく反応したのか、女性が眉をひそめたのが目に入ってしまった。 

 

 これはやってしまったか。 

 その的は外れることなく、彼女は、はぁ、とため息をつくと、


「もう出て来なくても結構……焼き尽くすのみですわ」


 女性は突如、攻撃的な一声を放った。

 そしておもむろに手のひらを掲げると、そこから炎の塊が生まれた。


「――なっ!?」


 いきなりの展開にパニックになる。

 そんな状況の僕をさし置いて、女性の手から生まれた火の玉は、馬車よりもはるか上空へと移動するにつれて巨大化し、あっという間におよそ数十メートルの火球へと変貌を遂げた。


 まさかの転生後すぐの危機。

 女性の乗る馬車をやり過ごそうとした結果、こんな絡まれ方になるとは思ってもみなかった僕は、焦りとショックによって、まともな判断力を失っていた。


 上空には巨大な火球――ファイアーボールが。

 もしかしなくても、あれが魔法だということは一目瞭然だ。

 そのひとつである有名な魔法が今、僕に向かって放たれようとしているのだ。

 すぐ上空から殺意のある熱量を感じているにもかかわらず、背筋を冷たいモノが走った僕は、脊髄反射のごとく、その場を動いた。


「ご、ごめんなさいっ! こ、降参しますっ!! だから、い、命だけはっ……!!!」


 いきなり登場した謎の女性との駆け引き合戦は、こうして僕の命乞いにより幕を閉じた。



 ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



「で、貴方は何者ですの?」


 僕は今、馬車の横で正座をさせられている。

 彼女の最初の投降勧告に対し、潜伏を選んだせいだ。

 そりゃあ怪しまれても仕方がない。いや、当然のこと。

 結果、巨大火球を前に両手を上げて降参した僕は、その後、馬車から現れた複数のメイド姿の女性数名によって取り押さえられ、ただいま尋問中。


「あ、いや、僕はその……ただの商人でして」

「商人?」


 もし疑われてステータスを見られたとしても、間違ったことは言ってないつもり。

 ただ品物として扱うのが奴隷ってだけで。

 しかし商人――奴隷ディーラーとはいえ、現状まったくのソロ活動中、いわゆるぼっちで手ぶら状態。

 そんな僕を胡散臭げに見る彼女たちの目は、まるで犯罪者でも見るかのように冷ややかだ。


「私が知る商人の方々は、自分の商隊を率いて堂々と街道を行き来しておりますわ。たったひとりで何も持たず、しかも徒歩。挙句のはて草陰にコソコソと隠れるような商人なんて存じ上げませんことよ?」

「ははは……」


 火球女性の言葉は正論でしかない。

 剣と魔法の世界なら街道も危険なはず。

 そんな状況のなか、豪華な貴族の馬車が通るとすぐ草陰に潜伏するような奴なんて、誰が見ても不審者でしかない。

 見るからに貴族である彼女が、それを警戒するのも無理はない。

 ただ、こちらにも言い分はある。


「か、隠れたのは謝ります! で、でも――」


 突然、地面へと押さえつけられる。

 やったのは後ろに控えていた若いメイドの一人だ。

 その手に持った柄の長い棒先が、僕の肩に食い込む。


「ディアミスお嬢様のご意見に反論するか、この不届き者め!」


 (あるじ)に忠実なメイドらしい。

 僕の反論が気に障ったのか、その眉間には溝が入っている。

 ただ、白い世界とは違い、実体のある世界では普通に痛い。

 

 そしてさらにここで追い撃ちが。

 メイドに打ち据えられた僕の肩を、ディアミスと呼ばれた件の火球女性が、真っ赤なピンヒールの踵で容赦なく踏みつけたのだ。

 立て続く仕打ちへ驚くのと同時に、この理不尽な扱いに対して多少の苛立ちを覚えた僕は、思わず彼女をきつく睨んでしまう。


「フフッ、その目付き……いい度胸ですわ。まさかこの私に逆らう者などもう存在しないと思っておりましたが、どうやらこの国の者ではないのでしょうか……フフッ、良いですわ。その身をもってお知りなさい」


 ディアミスの瞳が嗤う。

 先ほどの火魔法を放った人物と同一は思えないほど、その冷たい微笑に悪寒が走る。

 同時に後ろに控えたメイドたちも、主の言葉に呼応するかのように手元の武器を構え直した。


「――っ!」


 ギラリと光る短刀の刃と長物の棒先がじりじりと迫る。

 ディアミスも新たな魔法に集中するためか、瞑目したまま動かない。

 やがて沸々と沸き上がる疑念と怒り。

 ここまで虐げられる必要性が果たしてあるのかと。


 それは半ばヤケクソ気味となり、どうせやられるならと肝が据わり始めていく。

 すでに棒先で押さえつけられていることもあり、反撃の機会は皆無。

 ならばせめて言葉で仕返ししてやろうと思った僕は、頭上にあった状況を冷静に整理する。

 そうか、これなら彼女に意趣返し出来るかも。


 すでに殺気が周囲に充満するなか、僕は思い切って彼女――ディアミスへと進言する。


「あの――ぐっ!!」

「悪あがきなど、みっともないですわ」


 踵に力を込めたのか、さらにディアミス嬢のヒールが肩に食い込む。

 それにキレた僕は、彼女に大声で忠告する。


「悪あがき? あ、あのですねえ……デ、ディアミスさんでしたっけ? さっきからスカートのままで僕の肩を踏んでる貴女の下着がですねえ……! ずーっと僕から丸見えなんですけど! は、恥ずかしくないんですかねえ!?」

「な、なあっ!?」


 我ながら最悪な最期の台詞だと思う。

 元世界ならセクハラで訴えられるレベル。

 ただしこちらは命を懸けた最後の反抗だ。

 これくらいの意趣返しは罰も当たらないはず。

 なので貴族令嬢さまには、僕を踏みつけてからこれまで、ずっと見えっぱなしの下着を大声で注意してやることにした。


「はわわっ!!」

「「お、お嬢さまああああ!!」」


 耳まで赤いディアミス嬢が、大慌てでスカートを押さえるも時すでに遅し。

 メイドたちも主の狼狽ぶりにオロオロする始末。


「しっ……しししし、淑女の下着を……のののの、覗き見るとは……ななな、なんて、は、はしたないぃぃぃぃぃ――」


 激しく動揺するディアミス令嬢。

 こちらに背を向けながらも肩越しに僕を睨みつけてくるが、すでに相当な大ダメージを受けたも同じ。

 もう言ってもイイかな。ザマアミロって。


 そして肩で息を整えながら、僕を睨むディアミス。


「よ、よくもこの悪名高きベリアル家の娘である私に、とんでもない恥を掻かせてくれましたわね!」

「ええ普通、自分で言いますか? 悪名って……あ、もしかしてディアミスさんて、物語とかによく出て来る悪役令嬢?」


「「――!!」」


 ディアミスの台詞に対し思うことがあり、思ったままをぶつけてみる。

 すると動揺するメイドたちの視線が一斉にディアミスへと集まり、さらに真っ赤になった彼女が突然、大声をあげた。


「うっさいわねっ!! ええそうよ! その悪役令嬢よ! 悪い? みんなして極悪令嬢だの、冷血火球温度差公女だの、ムッカッつくっっ……!! 私だって好きで令嬢やってんじゃないわよ! あれもこれも全部っ! お父さまのせいなんだからっっ!! ってかアンタ失礼じゃない!? 普通、初対面なのにそこまで言う? 下着だって勝手に見てんじゃないわよっ!! このっ……どスケベエェェェっ!!」

「――え?」

 

 そこまでは言ってないと言おうとした瞬間ハッとする。

 これまで貴族令嬢らしい口調だったディアミスが、僕の悪徳令嬢という言葉によって瓦解してしまった。


 怒りに任せた暴言の数々。

 そのなかに垣間見えるディアミスの苦労や本音。

 それはきっと彼女の実年齢に応じた、ごく普通な悩める女の子の姿なのだろう。

 これまで貴族の公女という重圧に対し、仮面を被り続けて来たモノが、何気ない僕の問いかけでふと壊れてしまっただけ。


 もしディアミスが最初の彼女のままだったら、さっきの問いかけ時点で僕は火球で消し飛んでいただろう。

 でもそうじゃない以上、今の彼女は普通の女の子として僕に怒っている。

 そしてこれが、ディアミス本来の姿なんだと知った。

 

 その一瞬、僕とディアミスの視線が絡み合い、戸惑いが生まれる。


「「ああっ! い、いけませんっ! お嬢様っ!!」」

「――ハッ!!」


 主のキャラ崩壊? を諫めようとメイドたちが慌てふためくなか、自身の異変に気付いた彼女は慌てて口元を押さえ、真っ赤な顔のまま後ろを向く。


「か、帰るわよ!」

「「は、はいっ!」」


「あっ……」



 メイド達に号令をかけながら、足早に馬車へと戻るディアミス。

 後に続くメイドたちが全員馬車に撤収すると同時に、バタンと扉が固く閉じられた。

 だがすぐさま扉の窓から未だ赤い顔のディアミスがチラリと顔を覗かせると、こちらをジトと睨みつける。


「こ、この件は誰にも内緒ですますわっ……よ! いっ、言ったら……タダじゃおかないんだからっ!」


 混乱気味にそう告げるディアミス。

 そのまま一度顔を引っ込めたかと思うと、また再び顔を見せ、今度は僕の足元に向かって丸い何かを投げつけてきた。


「これは……」


 足元の丸い何かに近付き、おそるおそる手に取ってみる。

 それは手のひら大の少し重い革袋だった。

 困惑し、彼女へと視線を戻す。


「そ、それは口止め……料……あ、ありがたく受け取りなさいっ!」


 そんな捨て台詞を残して、彼女を乗せた馬車はこの場から去って行く。

 やがてその姿が見えなくなりホッとした僕は、先ほど手にした革袋の中身を確認し、驚いた。

 なんと袋には大量の金貨が。


「うわっ! 口止め料って……こ、こんなに!?」


 まだこの世界の貨幣の価値は知らないけれど、この量からしてけっこうな大金に違いない。

 絶対殺されると思ったのに、どういう流れからか、大金を手に入れてしまった。

 転生して最初に困るのがお金だと思っていただけに、実はこんな神イベントだったなんて。


 思わぬ収入に気を良くしながらも、これからのことを考える。


 悪役令嬢が去った方角にはきっと街があるに違いない。

 太陽はどこからもまだ真上に登っていないし、明るさから言って今は午前中だろう。

 さすがに馬車に追いつくのは無理でも、この方角に向かって歩けば、いずれ街にたどり着くはず。

 ただすぐまたディアミスたちに出会うのも、正直勘弁して欲しい気持ちもある。


「かと言ってわざわざ反対方向に向かって、何も無いってのも嫌だしなあ……」


 そう呟きながら、僕は躊躇したままだったその一歩を踏み出した。


 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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