第十六話 レイウォルド工房への訪問
「朝か……」
いつの間にか寝ていたらしい。
あれだけ降っていた雨は止んだようだ。
窓から聞こえる鳥の鳴き声が、この部屋に朝を告げる。
暖炉の火も薪を燃やし尽くしたようすで、部屋の気温も少し肌寒い。寒いと言えば、僕は裸だった。昨日ずぶ濡れになった服は、乾かすために暖炉の近くに掛けてある。体を覆っていたシーツやパフィーに借りた布は少し薄いので寒いのはそのせいだろう。
ふと隣を見るとアルテシアが背中を向けている。少し寝相の悪い彼女は、知らない間に僕のところから移動したようだ。ん? 彼女の身体が震えている。まだ寒いのか? 少し気になったので、彼女の肌が冷たくなってないかを確認するために少し触れてみた。
「ひゃあ!」
「うわ!」
僕がアルテシアの肌に触れたとたん、彼女が小さく声をあげる。思わず僕も驚いて声をあげてしまった。どうやら彼女は起きていたらしい。
「お、おはよ。アルテシア」
「……」
返事がない。まさかまだ昨日のことを引きずっているのか? 夜が明ければ大丈夫だと言っていたけれど、目の前の彼女は昨日となんら変わらないようすだ。
「ア、アルテシア……?」
「……わ、私は気にしてませんから」
「へ?」
アルテシアがしゃべったかと思えば、突然意味不明なことを言い出した。こちらを振り返りもしない彼女は、なぜか耳まで赤い。
「は、母上には男性の方々は……朝が、その……た、大変だと聞いてますっ! しばらくすれば……お、収まるとも……は、母上にはそんなときは優しくお手伝いをしなさいと教えられたのですが、わ、私には何をどうすれば……ご、ごめんなさいお役に立てなくて……」
「は……?」
収まるとはなんのことだ?
いや……まさか……。
彼女の言葉の意味を理解するのに、さほど時間はかからなかった。僕の視線の先、そこには腰から下に掛かっていたシーツを、激しく突きあげる僕の僕……。元気の有り余る青少年にとって、それは至極当然の生理現象。いわゆる■●▲だ。
「うわわああ! いやっそのっ! こここれは、な、なんというか、べ、べつにやましい気持ちの表れじゃなくてですね! い、いわゆる、男の子として当然のことと言いますかその……と、とにかく、ご、ごめんなさあああいいい!!」
いろんなものがテンパった僕は、とりあえず彼女に土下座をした。いや、なんかいつもこんなことで謝っているような気がしないでもないが……。
とにかく彼女が先に起きて、僕のそれを見てしまったことは理解した。純情な彼女が背中を向けていたことも。寝ている状態の僕には、こうなってしまった激しく自己主張をする乱暴な僕の僕を、いつもの大人しい従順な僕の僕に戻すコントロールなど出来るわけもない。不可抗力なのだ。というかアルテシアの母親は、彼女に何をどう教えているのか……。
彼女は騎士であると共に、とても純粋な少女だ。
昨日の大胆な行動は、きっと不安からくる衝動だったに違いない。いやー変な気を起こさなくてホント良かった……。あそこで手を出そうものなら、僕は彼女の信頼を二度と取り戻せなかったかも。自分の理性が仕事をしてくれたことに感謝する。
やはりアルテシアと一緒のベッドに寝るという行為は、ロクなことがないということがわかった六日目の朝を、僕たちは迎えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「昨日あれから大丈夫でした? おふたりっ」
昨日世話になったこともあり、宿への感謝のお返しに、少し遅い朝食を一階でとることにした。ひとりあたり大銅貨4枚もするだけのことはあり、広場の露店で済ませていた朝食とは比べ物にならなかった。少し広めの丸テーブルでプレートに乗った料理を食べていると、昨日散々迷惑をかけてしまった宿の看板娘パフィーに声をかけられる。なぜかニヤニヤしている彼女。いや、なにもありませんから僕ら。
マセた彼女になんでもなかったことを伝え、僕はアルテシアに視線を向け、声をかける。ちょうどデザートのプリンのようなものを食べ終えた彼女は、機嫌の良い返事を返してくれた。
「昨日言ってたドワーフの店主なんだけど、今日行ってみないか」
「そうですね。私も詳しく用件は伺っていないので、気になってました」
「えっ! ドワーフってあの有名なアイテムバッグを作ってる【レイウォルド工房】のことですか?」
僕らの話を横で聞いていたパフィーが、ドワーフと聞いたとたん話に食いついてきた。宿屋の看板娘だけあって、冒険者や旅人からの情報で知っているのだろう、その後、彼女からアイテムバッグのお勧めデザインやら価格相場、女の子に贈るアイテムバッグの選び方まで教わるハメになった。
「では行ってらっしゃいませ」
深々とお辞儀をするパフィーに見送られ、僕らは今日最初の目的であるドワーフの店へと向かうことにした。呼ばれた理由はわからないが、パフィーの話によれば本業はアイテムバッグ屋ではなく、武器工房なのだそうだ。アイテムバッグ作りは親方の趣味のひとつらしい。
それを聞いて、もしかするとアルテシアが例の狼男たちをあっという間に戦闘不能にした実力を買われでもして、主である僕に彼女専用の武器の売り込みでもするのだろうかなどと、ふたりで邪推してみたりもする。押し売りだった場合は、アルテシアと事前に話し合った結果、そのまま店を出ようということになっている。僕らはまだまだお金に余裕がないというのが大きな理由だ。
趣味のアイテムバッグだけでもあの値段だ。本業の武器となると天井知らずという可能性だってある。今は余計な出費を控えて、堅実にお金を増やすことを考えようと思う。そんな考えをパフィーの両親が経営する宿、【ジェニファー&ローガンの止まり木】での朝食時、それとなくアルテシアに伝えると、すごく喜んで賛成してくれた。
前回の【極薬草】で気が大きくなってしまった前科もあるので、彼女が僕のお金管理に関して評価してくれるのが何気に嬉しい。まあその結果、アイテムバッグの購入も延期になってしまったけど。
ドワーフの店は、宿から三十分ほど歩いた場所にあった。
工房には【レイウォルド工房】と看板が出ており、横には工房のトレードマークなのだろうか、ウサギがハンマーを持っている絵が描いてあった。日本だと十五夜のうさぎのイメージだけれど、こっちは違うらしい。建物は大きく、屋根から突き出た煙突からはもうもうと煙が上がっていた。
「いらっさい!」
なかに入ると、武器を販売する店舗になっており、店主のレイウォルド氏とは別のドワーフの店番が、僕らに威勢の良い声をかけてくれた。そんな彼に、武器を買いに来たのではないことを伝え、昨日のことを話すと、事前に聞いていたのか、自分たちの頭目を助けてもらった礼を何度もされ、裏の工房へと案内される。
途中何人かのドワーフとすれ違うところをみると、ここはドワーフだけの工房なのかもしれない。パフィーの話によれば、ドワーフひとりがいるだけでも、その工房のレベルは格段に高くなるらしく、これだけ多くのドワーフがいるとなると、その技術力の高さは想像もつかないとのこと。さきほどの販売コーナーにも数多くの冒険者たちがいたので、相当人気の工房であることがうかがえた。
長い廊下をあるくと、ムッとする熱気を感じる。熱い鉄を叩く音が響き渡る、鍛冶場へと案内された僕らは、数名のドワーフが渾身の力を込めて鉄を鍛えているなか、昨日のアイテムバッグ屋にいたぬいぐるみ店主、レイウォルド氏を見つけた。
「あ、あの! 昨日の朝市の件でお伺いした、ヨースケという者ですが!」
鉄を叩く音がうるさいため、大声をあげて店主にあいさつをする。最初は僕の顔を胡散臭げに見ていた店主は、後ろにいるアルテシアを見て思い出したらしく、その分厚い手でがっしりと握手をされたあと、店主と一緒に別の部屋に移動した。
「すまないなあ、わざわざ来てもらって。ワシはこの工房の店主レイウォルドだ」
部屋に入ると開口一番、労いの言葉をくれるレイウォルド氏。なんかこの世界に来て、二番目にまともな商売人に会ったような気がする。彼は店の娘に指示を出していたのか、女性のドワーフがお茶を運んできてくれた。
工房らしいといえばいいのか、なぜか鉄の器に入っているので少しというか、かなり重い。他のお客はこれを普通に持っているのだろうか、僕には結構な重さだ。それと一応奴隷という立場上、後ろに控えていたアルテシアにもそれは用意されており、彼の計らいで彼女も僕の隣に座ることが出来た。
「えっと、御用件と言うのは?」
単刀直入に尋ねる。
もしセールスだけが目的なら、ここをいち早くおいとまし、冒険者ギルドでクエストを受けようと考えていたからだ。僕の率直な対応を見て、ふむ、といった風に自身のモフモフのヒゲを撫でるレイウォルド氏。
「いや、別にうちの商品を買ってもらうために、あんたたちを呼んだんじゃないんだよ。単純に礼が言いたかっただけだ。本当に昨日は助かったよ」
「あ、いえ、何のお役にも立ってない、僕が言うのもなんですが、ご無事で良かったです」
少し身構えて尋ねたけれど、レイウォルド氏は僕の雰囲気を見て、誤解があるようだと見抜いたようだ。それが商品を勧めるのではなく、単なるお礼だけだとなると、僕の返答も変わってくる。実際は黙って見ていただけで、ホントはアルテシアが彼を助けたのだけれど、一応主として最低限の言葉を彼に返す。
「いやいや、あんたがお嬢さんに指示してくれなきゃ、あの忌々しい黒狼族に殺されてしまうとこだったよ」
「黒狼族……」
店主によれば、あの狼男たちは冒険者ではあるが、あまり種族的にドワーフ族と友好的ではない集団らしく、たびたびああやって嫌がらせを受けていたらしい。今までは工房で嫌がらせをするだけだったので、他のドワーフの弟子たちが対応してくれたらしいのだけれど、今回初めて、レイウォルド氏個人の趣味でやっていた朝市での出店時を狙って襲われたようだ。
「でも、どうしてそんな執拗な嫌がらせを?」
聞いては悪いかと思ったが、仮にも冒険者ギルドの一員だった彼らが、問題になることを前提に悪事を働くとは思えなかった僕は、なにか理由があるのではと思い、レイウォルド氏に尋ねてみた。それを聞いて彼は少し困った顔になったが、しぶしぶといった感じで理由を説明してくれた。
「昔、あの一族の統領に頼まれたのさ、一族の家宝にする宝剣を作ってくれってな。だが、ワシは昔から宝石やら金やらをちりばめた剣という物が苦手でな。統領の依頼を断ったんだよ」
なるほど。断られたことによる逆恨みらしい。
でも一族の恨みとなると、あの狼たちをこらしめたのはマズかったのかもしれない。いずれ報復に出る可能性だってあるのだ。僕がそのことを懸念していると、隣のアルテシアが発言する。
「あの、昨日の件はやはりご迷惑だったのでは……私が彼らを酷く傷付けたばかりに、その……」
アルテシアも同じことを考えていたらしく、レイウォルド氏にそう告げると少し俯いてしまう。
「いや、どのみちいつかは流血さわぎになると思っていたよ。まあ、流すのはワシらだったかもしれんんが、とにかくお嬢さんはそんなこと気にしなくて良いんだ。ありがとう」
レイウォルド氏は優しくアルテシアに微笑むと、懐から何かが入った袋を取り出した。おもむろに彼がそれを開けると、なかには結構な量の金貨が入っていた。
「これは少ないが取っといてくれ。命を助けてもらった額としては少ないかもしれないが、あまり大金を渡すと、かえってあんたたちが受け取ってくれないかもしれんしなあ」
「いやいやいや! そ、そんな物受け取れませんて!!」
思わず受け取りを拒否するが、どうしてもと言って譲らない店主に根負けしてしまった僕らは、素直にそれを受け取ることにした。だが、ここで僕はまたしても余計なおせっかいを思いついてしまう。
「あ、あの! 黒狼族は報復に現れたりしないのでしょうか……」
僕の訴えを聞き、店主が少し唸るような声をあげる。
「うむ。一応今回のことと、今までの嫌がらせの件は警備兵を通して、街に駐留する王国騎士団には伝えてあるんだがね。彼らもすぐには動かないだろうし、数日は警戒するつもりだよ」
レイウォルド氏も一応最低限の対応をしているようだけれど、日本でもよくあるとおり、警察などといった組織は、事件が起きてこそ、昨日のように動くかもしれないが、それまではあてにならない。この世界の騎士団がどれだけ迅速に行動するかはわからないけれど、たぶん同じようなことだと思う。
僕はチラっとアルテシアを見た。
彼女も僕を見つめ返すと、静かに頷く。
それを見て、僕は昨日のことを一瞬思い出すが、彼女もそう何度も同じことを繰り返さないはず。そう判断した僕は、思い切って店主にある相談を持ち掛けた。
「あの……その騎士団が動いてくれるまでの間、ぼ、僕って言うか、彼女を護衛として雇ってみませんか? 報酬はさっき頂いたもので十分なんで」
「……お嬢さんをうちで?」
レイウォルド氏は少し困惑する、理由は自分たちの問題ごとに、巻き込みたくないのだろう。一度はその申し入れを渋っていたが、僕とアルテシアの熱意が伝わったのか、今日から数日間、この工房に寝泊まりして警備にあたることを彼と約束した。
「ごめんね、アルテシア。なんか強引に決めちゃって」
「いえ。私も次はちゃんとやりますので、お任せ下さい」
僕らはここで一旦別れることにした。
アルテシアは工房の警備。僕はパフィーの宿に数日間、戻らないことを伝えるためだ。
工房の店先でそんな会話を交わしたあと、僕は急いで宿に向かう。
宿に戻るには、街の広場を経由する必要があるため、僕は石畳の大通りを広場に向かって歩く。まだ午前中なので、宿に戻って往復しても遅くはならないだろうと思いながら、次の通りとのつなぎ目辺りを渡ろうとしたとき、視界の先に見覚えのある人物を発見した。
「あ、あれは……!」
それは、もう会うことはないと思っていた人物。
僕に金貨を一枚だけ置いて、大金を奪っていった少女、
ジーナだった。
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