第十五話 土砂降りの雨に濡れて
「サヨナラ」
アルテシアに最後の別れを告げた。
僕と彼女を繋ぐ【奴隷の絆】はもうない。
あの場でとっさにとった行動だけれど、後悔はない。もうこれで、彼女とは何の関係もないタダの他人だ。楽しかったけれど、いろいろ驚かされたりもしたな。
これから、僕はひとりで生きていかなければならない。仲直りをしろと言ってたローザになんて言おうか。残念だけど、依頼も断らないとイケない。お金もほとんど彼女に渡したし、これからは冒険者ギルドに通い詰めだな。そうだ、薬草が近場で生えていたら、それを――
「――!」
突然、僕の背中に何か固いものがいくつか当たった。それは、雨に濡れた広場の石畳の上に落ち、小さな音を立てる。振り向いて地面を見ると、暗闇のなかに淡い金色のなにかが落ちている。
それを投げた人物を僕は知っている。
投げた物は僕がさっき渡した金貨。地面に落ちた数枚の金貨は、僕の渡した数と一致している。そして投げた人物は金貨を投げたモーションのままこちらを睨んでいた。
「アルテシア……」
もう顔を見ることもないと思っていた。
振り返らなければ、会うこともないと。
だけど、まさか別れを告げた直後に、彼女の方からアクションを起こされるなんて思っていなかった。こんな情けない奴隷ディーラーなんかに、もうなんの用もないはずなのに。
僕を睨んだままのアルテシアは、腰にある剣の柄を握ると、降りしきる雨のなか、その剣先を雨空に向けるように鞘から抜き去った。
まさかそれで僕を切るなんてことは、決してないだろうとは思いたいが、さっきあんなひどい別れ方をした僕に、その覚えがないとは言えない。唾液なのか、雨水なのかわからないものをゴクリと呑み込み、彼女の出方を待つ。
自らが空に掲げた剣を顧みず、僕だけを睨むアルテシア。そんな彼女が、少しためらったあと、空いている方の腕を真横に突き出した。何をする気なんだと思ったのも束の間、一瞬にして、彼女はその腕を根元から剣で切り飛ばした!
「アルテシア――ッ!!」
自らの手で、再び腕を失い、その場に膝をつくアルテシア! 肩からは大量の流血が! 雨と共に地面へとその色をにじませていく!
慌ててそばに駆け寄る!
流血は止まることを知らず、アルテシアの足元へと広がっていく! ダメだ! 薬草も狼たちに渡してしまった! これを止める方法は僕には思いつかない! い、いや! 一つだけある! だ、だが、それをやれば、いったい彼女はなんのために! 僕はなんでこんな……! クソッ! クソッ! クソオオッッ!
「アルテシア、キミって奴はっ!」
やり切れない思いがあふれ、僕は思わず彼女を睨んでしまう。けれど、大量の出血のためか、その場に倒れ込んだ彼女は虫の息だった。
「汝、我が力、我が糧となりてこれを助け。我、汝を従え、汝を我が物とするっ!!」
《契約者と奴隷の魂が繋がりました。次の段階へ進んで下さい》
なんなんだこれは! 僕が何か間違っていたのか!? 痛っ!!
《両者の血が混じり合い、【奴隷の絆】が形成されます》
「わかったから早くっ!」
キミはこれで良いのか!? こんな僕なんかに――
《【奴隷契約】を完了しました。それに伴い、対象は特殊スキル【リセット】の恩恵を受けることが可能となります》
「いいから早く先に進んでくれ!!」
これがキミの望みなのか? なあ、答えてくれ――
《対象の【ステータス】に、状態異常として欠損部位を確認。特殊スキル【リセット】を使用しますか》
「使用するっ!!!」
アルテシア――!!
【リセット】の閃光が消え去ったあと、気が抜けたようにその場へと座り込んでしまう。間に合った。彼女の腕は元通りになった。その横で、息を切らせながら、ゆらりと上体を起こすアルテシア。黙って俯いたまま、こちらと目も合わさない彼女に僕の我慢が切れた。
「なんてことをしたんだキミは!! せっかく奴隷から解放されたのに、なんで奴隷に戻りたがるんだ! 僕がどんなおも――」
「私にはこれしかないのっ!!」
僕の言葉を遮ったアルテシアは、自分の首元に再度現れた赤い【奴隷の絆】に手を当てて叫んだ。彼女らしくない怒りが入り混じったその声に驚き、僕は言葉を詰まらせる。空から降り落ちる雨は激しさを増し、僕らの声を掻き消そうとするが、彼女はそれに構わず、なおも僕へと訴え続ける。
「どうしてダメなの!? 私が……私があなたに忠誠をつくすのが! あなたは私の人生を救ってくれた……それなのに、私は騎士として、奴隷としてあなたに仕えるしか、何も返すものがないのにっ!! この赤い首輪だってそう! あなたがそれを望まなくても、私にはこの奴隷の絆さえあれば、あなたとずっと繋がっていられる……私にとって、これがあなたへの忠誠の証だった……それをなんで、なんであなたは奪うの!? 私の居場所を……なんで……なんで奪うんですかあぁ……ううぅぅ……」
僕の胸を力なく叩くアルテシア。
そのまま僕の膝に寄りかかり泣き続ける。
何も言い返せなかった。
さっきの異常な行為は今も共感できない。
あんな思いは二度とごめんだ。
でもなぜ気付いてあげられなかったんだろうか。
彼女は自由を望んでいなかった。
僕は勝手に良かれと思って、彼女を自由にした。
ただ、僕のためだけに奴隷の道を再び選ぶなんで。
なんてバカなんだ。
彼女も、僕も。
「ヨースケさん……」
まだ涙に濡れたままの彼女が、僕の膝にもたれながらこちらを見上げる。
「……私は騎士です。この通り不器用な生き方しかできません。今日みたいに……あなたの思いを裏切る行動を取るかもしれません……それでも……それでもあなたのそばにいたら、ダメですか?」
「――」
「あっ」
彼女の健気さと自分の感情に押しつぶされた僕は、気が付けば彼女を抱きしめていた。それも大泣きしながら。今日一日で感じたわだかまりや、騎士への不信感、この世界の日常的な暴力。すべてどうでもよくなるくらいに、今の彼女を愛おしく想えた。土砂降りのなか、冷え切ったお互いの身体は、抱きしめ合うたびに冷たく感じるけれど、反省や後悔と一緒に流れていく自分の涙は、なぜか熱い気がした。
「ひぐっ……ご、ごめん。ごめん。アルテシア……」
僕自身、今でも納得できないところはいっぱいあるし、当然彼女にもあるだろう。それぞれ生きてきた人生が違うし、住んでいたところまでが別世界だ。そう簡単に折り合いをつけることなんて出来ないのかもしれない。
そう考えると、確かにふたりの距離はまだ離れているし、その穴を埋めるのには時間がかかる。でも、今すぐそれらを埋めるなにかを探す必要はないんじゃないかって、これからゆっくりとふたりで見つければ良いんじゃないかって。僕は彼女を抱きしめながら、ぼんやりとそう考えていた。
「な、泣かないでください、ヨースケさん。そ、そんなに泣かれたら……私だって……」
僕と一緒に大泣きするアルテシア。
あーあ。彼女と大ゲンカしてしまった。いや、これはケンカなのだろうか。そりゃあお互いの感情をぶつけ合ったのは確かだけれど……。とにかく僕と彼女の初めてのケンカは、情けなくも涙と鼻水を垂れ流しながらに終わる。そんな二人を未だ激しく打ちつける土砂降りの雨が、ぐしゃぐしゃになった顔を綺麗に洗い流してくれたのが、最後に何よりの救いとなった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ふたりで宿に戻った。
そのときに出迎えてくれたパフィーを、少し呆れさせてしまったけれど、ずぶ濡れな僕らに、まるで母親のように甲斐甲斐しく世話をしてくれる彼女は、まだ季節ではないのに、部屋の暖炉に火をおこし、熱いお湯の入った大きな樽までふたつ用意してくれた。
僕らはそのお湯に足をつけたまま、暖炉の前に椅子を置いて腰かけた。濡れた服は全部乾かしている最中なので、今はパフィーから借りた、大きな布やシーツを頭から被っている。アルテシアも当然同じ格好で、黙ったまま暖炉の火を見つめている。
暖炉の炎はゆらゆらと揺れ、ときおりパチパチと小さく火が弾ける音だけが部屋に響く。その隣にある木の柵に掛けられた僕らの服は、暖炉の火が放つオレンジ色の明かりに照らされながら、床に一定のリズムを刻んで雫を落としていく。それを意味なく数えている僕は、このシンとした空気のなかで、何かに気を紛らわせてないとイケない状況に追い込まれていた。
「「……」」
気まずい。
あんなことがあった上に、ふたりして大泣きした。僕もアルテシアも宿に戻ってからは、そのことに一切触れていない。それどころかまだ一言も会話していないのだ。あれはもう、ふたりの黒歴史に認定だな……。
ふと彼女のほうを見ると、長時間の雨に冷え切ったのか、まだ体を震えさせている。僕があんな命令をしたばかりに、降り始めからあの時間まで、ずっと雨に打たれていたのだから無理もない。申し訳ない気持ちでいっぱいになった僕は、おそるおそる彼女に声をかける。
「ア、アルテシア。も、もう少し暖炉の近くに寄れば?」
「……」
返事してくれないしっ!
今の言葉なんか変だった? うわずっていたのはヨシとして、普通だったよな? いやもう、どう話しかけるのが正解なの? これ。
いやいや、こんなことで凹んでいてはイケない。
僕らは新たに契約を結んだんだ。これからのこともあるし、お互いこんなことくらいで、毎回気まずくなってなんかいられない。ここは主である僕が、率先して良い雰囲気作りを目指さないと! うん、そうだ。それにはうまくなにか……なにかきっかけになる話題を……。
「あっ! そ、そう言えばさ。あ、あの狼男たちは、あの後どうなったのかなあ?」
「……!」
なに言ってんだ、僕はああああ!!!
余計に気まずくなるようなこと言ってどうするんだよ! ほら見ろ、アルテシアが俯いちゃったじゃないか! この、馬鹿馬鹿馬鹿!
自ら地雷を踏み抜いてしまう己の愚かさに絶望する。止まったはずの涙が、また出そうになった。
「……彼らは街の警備兵がすぐに連れて行ってしまいました」
「えっ?」
「ドワーフの主人が、彼らに暴行を受けたのを、周りの人たちが証言してくれたおかげで、私は罪に問われず、あの場に留まることが出来て……」
「そ、そうなんだ……」
ゆっくりだけれど、なんとかアルテシアが話してくれたことによって、僕の面目も保てたようだ。冒険者同士のケンカもよくあるのだろうか。周りの人が証言してくれたことで、彼女が無事だったのが本当に嬉しい。
「それと、そのドワーフの主人が、ヨースケさんに落ち着いたら店に来てもらいたいと伝言を」
「えっ!? な、なんだろう……僕、なんもしてないんだけど」
あのぬいぐるみみたいなドワーフの主人が、僕に何の用があるのだろうか。仲裁に入ったアルテシアに礼をするのなら、その場で終わっているはずだろうし、すぐにその場を立ち去った僕は、いわば無関係に近い。よく事情を呑み込めないのだけれど、かといって、今それをどうこうすることも出来ないので、とりあえず頭の片隅にだけ覚えておくことにする。
報告を終えたアルテシアは、またすぐに黙ってしまった。そんなやり取りの間に、樽に入っているお湯が冷めてしまったため、ふたりで樽のお湯を窓から流した後、空になった樽を廊下に出し、就寝の準備にかかる。服はまだ乾く気配もなかったので、僕たちはそれぞれシーツや布を、体に巻き付けたまま眠ることにした。
「おやすみ。アルテシア」
「……おやすみなさい」
まだ少しぎこちない彼女とあいさつを交わし、ふたり別々のベッドに横たわる。ランタンの明かりはさっき消したばかりだけれど、今夜は暖炉の火があるため、その明かりが天井の半分を照らしている。それをぼんやりと眺めながら、僕は物思いに耽る。
アルテシアが再び僕の奴隷になった。
それは喜ばしくもあり、悲しくもある。
彼女が失った場所については知る由もないけれど、新しい居場所が僕になったのは、それなりに責任もついてくる。彼女を不幸には出来ないし、そんな気も当然ないつもりだ。今まで漠然と生きてきたけれど、ここへきて何か目標を立てないとイケない気がしてきた。
前世なら学校に通って、なにもトラブルがなければ、いずれ就職といった風に、ほぼ決まった道があったはずだけれど、ここにはそんなものはない。僕はここで何を求めて生きればいいのだろうか。
人生経験の少ない僕には、それが何なのか、まだはっきりと見えていない。結局こんな感じで考えが行き詰ってしまった僕は、少し体勢が疲れたため、何気に寝返りをうった。
「ア、アルテシア、どうしたの?」
寝返りをうった先には、アルテシアが立っていた。
思わず起き上がって彼女に問いかけるが返事がない。僕のベッドの近くに立ち、こちらをじっと見つめている。
「ね、眠れないのかい?」
もう一度、彼女に話しかける。
少しの間をおいて彼女が、ポツリと呟いた。
「ひとつだけ、わがままを聞いてもらえますか」
俯き気味にこちらを見る彼女に、僕は無言で頷く。
そして気付いたときには、彼女が僕の胸に飛び込んでいた。いきなりのことに動揺する僕は、思わず彼女に問いかける。
「アルテシア。急にどう――」
「ヨースケさんのせいです」
「えっ?」
「私、まだ安心出来ません。このまま眠ったら、あなたが居なくなる気がして……」
「アルテシア……」
「今夜だけ……明日になれば、いつもの私に戻れるから……」
そう言ってギュッとしがみつくアルテシア。
僕は、布越しに伝わる彼女の柔らかさを感じながら、
まだ少し濡れた金色の髪をそっと撫でたあと、ゆっくりと彼女に向かってささやいた。
「もう二度と、どこにも行かないと誓うよ。アルテシア」
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