第十四話 アルテシアの涙
「なにしてんだい、坊や」
ジロりと睨むローザの目が怖い。
なにと言われても答えようがない。
小首をかしげる僕にローザの目付きがさらに鋭く光る。
「いつまでここでボーっとしてるんだよ! さっさと騎士っ娘のとこに帰りな!」
「うわあっ!」
痺れを切らしたローザが突然怒鳴り声をあげた。
いきなりパイプを投げつけ、それが地面やら商品などに当たり、それがそこかしこへと跳ねまわる始末。思わず避けようとした瞬間、ローザの舌打ちまでが聞こえた。そして床に跳ねたところでその跳躍を終えたパイプは、灰をまき散らしながら台の下へと転がっていく。それを横目で追いながら、なおも手にしたガラクタをこちらへと投げつけてくるローザに苦言を呈する。
「ち、ちょっと待ってよ! なんでいきなり……」
「うるさいね! あたしは忙しいんだよ。早く出て行きな!」
急に怒り出す彼女の真意がわからず、とりあえず飛来物を避けつつ急いで店から退散する。その去り際に彼女が大声で叫んだ。
「いいかい。あたしはあんたたちに依頼してるんだ。そんなことくらいでいちいち仲間割れするようじゃ、到底報酬なんて夢のまた夢みたいなもんだからね! それが嫌ならさっさと仲直りして奴隷を連れて来な!」
ローザが投げた最後のガラクタが扉に当たると、そこでようやく周囲に静寂が訪れた。突然わけもわからずに追い出され、店の軒先に出てきた僕は、ため息をつきながらも彼女が怒鳴りつけた言葉を思い返す。
「はあ。仲直りったって、あんなひどいことを言ったのに、今更どんな顔して会えばいいんだよ……」
思わず弱音を吐いてしまう。
あんな状況で別れたあとでさっきはごめんねなんて、ヘラヘラしながら戻れるわけがない。それに彼女の背負った覚悟にも気付かず一任したくせに、結果が気にくわなければ怒鳴り散らす理不尽な主など、きっと彼女も愛想をつかしたに違いない。
「ううう……」
いろいろと酷い主のテンプレみたくなっている。
頭を抱え、そう自分で結論付けると、余計自己嫌悪に陥ってしまった。
これはマズい流れだ。
扉に背もたれながら、そんな悪い方へと考え込む状況を一旦リセットするため、他のことを考えることにした。
さっきの話は本当なのだろうか。
ローザが言っていた、レベルアップの先にある奴隷ディーラーの真の強さ。もしそれが本当なら地道にレベルを上げていくことで、いつか何かしらの奇跡が起こるということだろう。ただそれよりも肝心な部分を聞き忘れている。レベルっていくつまでなんだ?
まだまだ詰めが甘い。
まあ、伝承にあるくらいだから低いレベルじゃないことは間違いない。そこはまだ駆け出しレベルの僕が心配することではないだろう。それに機会があればローザに尋ねることだって出来る。さすがに今は追い出されるだろうけど……。
正直なところ、奴隷ディーラー単体で魔物相手にレベリングなんて不可能に近い。結局はアルテシアの手を借りないと、何も前に進まないという答えに行き着く。
「どう転んでも……なんだろうな。きっと僕にはこの先もずっとアルテシアが必要なんだ」
そんな呟きが無意識にこぼれ落ちた。
まるで奥さんに逃げられた旦那さんの独り言のような台詞。そんな本心とも悟りともつかない言葉が出たことに自分自身驚き、あわてて周囲を見渡すが幸いにも僕ひとりしか聞いていなかった。ホッとしながら扉にもたれていた背中をズルズルと地面近くへと滑り降ろし、暗くなった空を見上げる。
「ん……雨か」
見上げたとほぼ同時に冷たい雨雫が頬へと堕ちる。
やがてそれは一筋がそれぞれ認識出来るほどにまとまっていき、バラバラと音を立て始めた。
この世界にも当然降るであろう雨に、なぜか新鮮さを感じてしまう。こうやって傘もささずに雨を素直に受け入れるなんて、子供のころ以来かもしれない。そういえばここにも傘やカッパなんてモノがあるのだろうか。そういった前世での当たり前が、異世界となると極端に難易度が上がるような気がする。
暗い空から地面へと挑む雨粒たちを眺めながら、小雨の間に急いで宿へと戻るか、それともこのまま雨が止むのを待つかで少しばかり迷う。しばらく悩んだ末、どうせすぐに止むだろうと予想し待つことに決めた。
けれどもそれはすぐに結果となる。
その予想に反発されたのか、それとも実は僕が雨男だったのかは未確認だ。やがて雨はだんだんと勢いを増し、夜の訪れと共に本降りへと変化していった。
あまりきちんと舗装されていない地面は、あっという間にぬかるんだ水たまりへとようすを変え、傾斜の下がった方向へと川の流れのように合流していく。
マズいな……選択をミスったかも。
夜になって雨が激しさを増したせいか少し肌寒くなり、遠くに見える街の明かりは、もうぼんやりとしか確認出来ない。
ふと扉の向こうが気になって振り向いたけれど、すでに店の明かりは消えている。ローザも雨のせいか早めの店仕舞いをして奥へと戻ってしまったようだ。そうなるとこのままここで雨が止むのを待っていても宿に戻るのが遅くなるだけだ。
なぜか気持ちが急いた僕は、久しぶりの大雨に濡れ鼠となる覚悟を決め、まったく止む気配のないようすの土砂降りの雨へと飛び込んだ。
そしてアルテシアが待つ宿へと急ぐ。
出来ることならば、この雨と共に彼女との険悪な状態が流れ去ってくれたら良いのになと、身勝手な期待を寄せながら、
暗い雨のなかを無邪気にも走って行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あーおかえりなさい、ヨースケさん。あらーこれまたずいぶんとずぶ濡れですね」
「ただいま、パフィー。あーもう最悪だよ、ははは……」
宿ではパフィーが出迎えてくれた。
あいさつを交わすと、彼女からバスタオルのような大きさの布を手渡される。
「これで拭いてくださいな。それにしてもすっごい雨ですね! 私、こんな大雨生まれて初めてかも」
「へえ、そうなんだ。あ、これ助かるよ」
パフィーにバスタオルの礼を述べ、濡れた身体を急いで拭き始める。とは言っても、すでに濡れ鼠な僕は、素肌の部分しか拭うことが出来ない状態だ。濡れた服は部屋に戻って乾かすしかない。
そのまま借りたバスタオルを片手に、アルテシアが待つ部屋に戻ろうとすると、ふいにパフィーから声をかけられる。
「あれ? あの、ヨースケさん? お姉ちゃんは――」
「えっ?」
さきほどからしきりと僕のうしろを気にしていたパフィー。それはアルテシアの姿を探していたようだ。その居場所を尋ねられた僕は自然と眉間を寄せていた。
「帰ってないのか?」
「えっ! 一緒じゃないんですか!?」
お互いの主張が見事に食い違う。
まさかこの大雨のなか戻ってないなんて、それじゃあまだ外に?
その瞬間、頭のなかで最悪の図式が完成する。
「ごめん、パフィー。もう一度出かけてくる……」
「えっ! この大雨のなか!?」
僕の顔色で察したのか、パフィーがびっくりした声をあげる。そんな彼女の意見を無視しながらも受け取ったバスタオルを返し、宿の出入り口へと急いだ。
「ヨースケさん、待って!」
扉をくぐる瞬間、パフィーに呼び止められる。
振り返ると彼女の手には先ほどのバスタオルとは違う、別のモノが携えられていた。
「それは?」
「お父さんの外套です! この雨のなか大変ですから、これを!」
自分の背丈半分ほどの厚手の外套を受け取る。
わざわざ用意してくれたパフィーに感謝を述べ、僕は再び大雨の街へと舞い戻っていく。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「アルテシア!!」
暗闇の雨のなかを佇む彼女を見つけ、大声でその名を叫んだ。
いる場所はわかっていた。
僕のせいだ。すべて僕がいけなかったんだ。
彼女を、
アルテシアを独りにした僕の責任だ。
彼女はこの広場で、
あのとき僕がそこを動くなと言ったこの場所でずっと、
ずっと僕を待ち続けたんだ。
後悔の念が刺すように押し寄せてくる。
どうしてもっと早くに気付けなかったのだろう。
ローザと話をしていた時点でわかったはずだ。
僕の放つ制約の言葉。
奴隷ディーラーである僕の命令は、奴隷になったアルテシアにとっては、逃れることの出来ない絶対服従の呪い。
その赤い首輪により強制されるということを。
いや、今なら分かる気がする。
彼女はきっと首輪がなかったとしても、迷わず従ったに違いない。主である僕の命令を遵守し、自らの意志と決意を持ってあの場所に立ち続けただろう。
その確信と共に、耐えがたき自分自身への怒りを無理矢理に抑えつつ、彼女の下へと走り寄る。
朝市があった広場には誰もいない。
賑やかだった情景はすべて黒く塗りつぶされた。
今も土砂降りは続き、石畳を激しい雨が叩きつける。
暗闇のなか、全身濡れそぼったアルテシアは、美しく輝いていたはずの髪も濡れ落ち、新たに再生した腕も寒さのせいか、青白く生気もない状態で地面に向かって真っすぐと伸びきったままだ。
その柔らかい唇は紫に変色し、全身が小刻みに震えている。
僕がローザの店先で雨を認識したときからずっと、ここで濡れ耐えていたのだろう。その苦痛を肩代わり出来なかったことの悔しさが僕を激しく責め立てる。
急いで外套を脱ぎ、アルテシアの冷え切った身体を覆う。
それにゆっくりと反応する彼女の虚ろな瞳に、嫌悪に歪んだ僕の顔が映る。
「よーすけ……さ……ん?」
アルテシアはたった一言、僕の名を呼んだ。
その一言が、僕の我慢を一撃のもとに消し去っていく。
刹那、これまで我慢によって堰き止められていたモノがその場から解放されていき、僕の喉元を通り過ぎたところで、一気にこの世界へと飛び出していった。
「……ごめん、ごめん、アルテシア、ごめん、ごめんなさい、許してアルテシア、僕が悪かった、僕のせいだ、僕がすべて悪いんだ。ごめん、ごめん、ごめん、ごめん――」
口をついて出る懺悔の言葉。
自分を信じてくれる女の子を、
こんなも不安にさせた自分を消し去りたかった。
土砂降りの雨に溶けるように涙が流れる。
自身に対する悔しさと、怒りと、やるせなさが入り混じったグチャグチャな感情は爆発し、熱い涙が一瞬で冷たい雨によって冷めていくのを頬に感じながら、ただひたすら彼女に謝る機械と化した。
そんな人工物でしかない僕を見て、
アルテシアが微笑み、そして安堵した。
「よかった……ごぶじ……だったん……ですね」
「――っ!」
その儚げな笑みによって僕は決意した。
決意は行動となり僕の手足へと命令を下す。
「な、なにを……」
とっさに僕が始めた行動を彼女が訝しがる。
二人の前に現れたのは僕のステータス画面だ。
それを呆然と見つめる彼女に向かって、僕は優しく伝える。
「もう終わりにしよう」
「えっ」
新たに取得したスキルへと視線を向ける。
【奴隷解除】
アルテシアを奴隷から解放すればいい。
これで僕から逃げることも、故郷へ戻ることも出来る。
元々は奴隷商ギルドへの登録のために仕方なく行った行為だ。それを当初の予定を変更し、僕との奴隷契約を破棄すれば良いだけのこと。
最初から僕は奴隷というものに嫌悪感もあったし、人の自由を縛り付けることにも抵抗がある。なにも気に病むことはない。この街に来た当初に戻るだけだ。
まだ僕らが知り会って日も浅いし、
変な情が芽生える前に解散しよう。
どうせ離れてしまえば、いずれ記憶からも消えていく。正直に言えば今この瞬間、彼女と離れるのは多少は辛い。でもこれ以上、僕らがお互いに悩み、苦しむことはないんだ。
そう想いを締めくくると同時に【奴隷解除】のスキルに触れた。
《【奴隷解除】の要求を受け付けました。只今、解除可能な奴隷は約一名。問題がなければ【奴隷解除】を執行しますか?》
アナウンスが耳に響きわたり、【奴隷解除】の要求がスムーズに行われる。手探り状態でやってみたが、どうやらうまく機能したようだ。
「そ、そんな、いきなり……」
「もうこれでキミは奴隷として生きる必要もなくなるんだ。短い間だったけど、今までありがとう」
困惑するアルテシアに、僕は今までのお詫びも込め深々と頭を下げた。そしてなおも続くアナウンスの指示通り画面に向かって叫ぶ。
「アルテシアを解放してやってくれ!」
《了解しました。【奴隷解除】の要求を執行。次の段階へ進んでください。所有者が【奴隷の絆】を自らの手で外すことで解除は完了となります》
アナウンスの言葉はそれで終わった。
僕はその言葉の通り、最後の仕上げをするため、彼女へと振り向く。
「ウ……ソ……じ、冗談です……よね? そ、そんな簡単に……」
まだ自由への実感がないのだろうか。
首輪を両手で隠しながら困惑するアルテシア。
僕がその赤い枷に手を伸ばすと、彼女はそれを力なく拒んだ。
「アルテシア、なにをそんなに嫌が――」
「私はもう……必要ないのですか」
必死に懇願する瞳が僕の決意を鈍らせる。
迷いを断つ短い沈黙のあと、奥歯を噛みしめる。
これが僕らにとって最良の判断だと信じ。
「……うん」
その瞬間、アルテシアの瞳が大きく見開き、拒む両の手に込められた力がゆっくりと失われていく。それを優しく払いのけ、僕が彼女に負わせた枷を外しにかかる。
最後の抵抗もなく首元にある大きな鎖の輪に指が届く。それを躊躇せず左右に向けて力を込めた。
パキリという感触が指へと伝わると同時に、鎖は音もなく左右へと離れていく。そしてそれに呼応するかのように、アルテシアの首を覆う赤い首輪は光となって消えていった。
「外れたよ」
そう声をかけると、依然降りしきる雨のなか、彼女の額から瞳の下へと流れていく雨の糸とは別に、一筋の涙がゆっくりと瞳から頬へと伝い落ちていくのを視界に捉える。
それに気付かないフリをしながら、僕は密かにアルテシアに渡そうと隠し持っていた金貨を数枚、彼女に握らせたあと、その脇をすり抜けながら最後の声をかけた。
「サヨナラ」と。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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