第十三話 残酷なる仕打ち
「ただの奴隷です」
アルテシアの言葉が周囲に響き渡る。
狼男たちが犬歯をむき出しにして彼女をとり囲む。
黒い毛並みがわずかに逆立ち、敵意を込めた眼差しは赤く血走っていた。
周囲の人々は、彼女を取り囲む狼男たちをさらに取り囲む形で、ことの成り行きを見守っている。彼らのなかには奴隷の少女が屈強な狼男の冒険者たちに、いとも簡単に蹂躙されることを期待している者もいるのだろうか、ニヤけた顔の男たちが何人も見受けられ、その下衆な眼差しを、あろうことか彼女に向けているのだ。
思わすその集団にイラっとするが、そもそも彼らはアルテシアの強さを知らないのだ。そんな奴らは見て驚くがいい。直に彼女が奴らを適当に懲らしめて、僕の下に戻って来てくる姿を。
「オラっ!! 殺っちまえ!」
四人の狼男のうちの一人が合図を送ると共に、一斉に武器を構えたその仲間たちが、アルテシアに向けてその切っ先を飛び込ませた。
四方から繰り出された金属の武器が、その中心に向かって重なり合い、彼女の肉体を貫く感触を味わうかと思いきや、シャリッと擦れ合う音を奏でるだけに終わる。それを間近で聞いた狼男たちはギョッとした顔に変わっていく。なぜならアルテシアがその中心に存在しなかったからだ。
信じられないといった顔でまわりを見渡す狼男たち。近くで見守っていた僕や、彼らはおろか周囲の見物人たちまでもが、その瞬間、彼女を見失った。
「「ぎゃああああ!!」」
それは同時に起こった。
狼男たちの叫びと共に、武器を持った彼らの腕が、根元から断ち切れそれぞれ空を舞ったのだ。少なくない血が飛び散り、泣き叫ぶ狼男たちの黒い毛並みをさらにドス黒く染めていく。
そして、狼男たちが倒れた場所の真ん中には、血に染まった剣を持ったアルテシアが、冷たい目をして彼らを見下ろしていた。
「そ、そんな……」
僕はこの惨状に自分の目を疑った。
こんな状況になるとは思っていなかった。
いったい彼女は何をやっているんだ?
僕はただ、奴らを止めて欲しいだけだったのに。
「お、俺の腕がああ!!」
「い、痛えええよおおお!!」
狼男たちが自分の傷口を押さえ、叫び声をあげて地面をのたまう。置物のように地面に散らばったままの彼らの腕は、二度と血の通うことのない、ただの肉塊となり果てた。
周囲の野次馬はその惨状に眉をひそめる。同じようにそれを見ていた僕は、その光景に思わず血の気が引くと共に、胃から込み上げる物を素直に地面へと吐き出す。漫画や映画では見慣れたはずその惨劇は、血の匂いと共に、それが作り物ではない現実だということを、激しく僕の五感に訴えてくる。無理だった。僕は異世界での生活を、現実に起こりうる命のやり取りと言うものを、軽んじていた。
アルテシアのそれは確実に僕の心をえぐっていく。
騎士がカッコいい? 強くて頼りになるだって?
とんでもない! 彼ら、彼女らは、必要とあらば平気で人を殺せる術を持った殺戮集団だ。
先日のゴブリン程度ならまだ許せた。やつらは誰一人として致命傷を負っていなかったからだ。
それに人とは違う、倒すべき魔物。その思いがあったため、暴力を忌避する感覚もなかった。
目の前で痛みにもがき苦しむ狼男たち。傷口からは致死量にも届きそうなほどの流血もある。見た目は獣でも、彼らは同じ言葉を話す人間と同じだ。魔物とは違う。
まさか、こんなことになるなんて。
人の腕があんなにも簡単に飛ぶなんて。
まさか彼女がこんなにも簡単に人を傷つけるなん――
「ヨースケさん」
――!
気が付けばうしろに彼女がいた。
返り血を少し顔に浴びたのか、血の粒がほほにあった。
あったんだ――
「お待たせしました。無事あの者たちを――」
――るな。
「あとは警備兵に頼めば、彼らは――」
――かよるな。
「ヨースケさ――」
「近寄るなあああ!!」
僕の叫びによってアルテシアは固まる。
もうダメだ。止まらない。
感情は歯止めを失くした。
「僕はあんなことしてほしいなんて言ってない! ただあの人たちを止めて欲しかっただけなんだよっ! なのにキミは僕の目の前であんな……キミだって腕を失くしたんだよね? なのに彼らに対してのあの仕打ち…… ひ、酷過ぎるんじゃないのか!? 自分がやられたからって、キミは他の人にも同じことをするのか? ほら、あんなに痛がっているじゃないか! あれを見て何とも思わないのか!? キミは残酷だ! 冷徹だ! 最低だ! よくあんなこと出来るね!? 同じ人間じゃないか! 僕はキミを見損なったよ!」
次々に彼女への抗議の言葉があふれだす。
ここまで言うつもりなんてなかった。でもなぜか、どんどんと止めどなく彼女を罵倒する言葉が出てきてしまう。それに対し、彼女は何も言わず、僕を見つめているだけだ。
僕がようやく彼女への怒りを伝え終えたあと、一言だけ彼女が呟いた。
「相手も私を殺そうとしていたのですよ」
「――!」
そうか、そうなのか。
彼女たち、いやこの世界は、目には目を、歯には歯をの世界なんだ。僕とはまるで価値観が違う。相手が自分に刃物を向ければ、完膚なきまでに叩きのめし、自分を守る。やられたら、やりかえす。単純明快な世界なんだ。そうか、そうなんだ――
――ふざけるな!
だからと言って、そんなことを繰り返していたら、世の中に争いなんて無くならない。そりゃあ僕はまだ16の若造だ。頭もそんなに良くないし、世間だって知らない。今こうやって考えていることも、実は間違っているのかもしれない、この世界とはかけ離れた考えかたなのかもしれない、だから! でも! それでも! こんなことは間違っていると信じたいんだ!
― お前は異世界をちぃと舐めてるようやけど、
下手したら死ぬ可能性もあるんやで? ―
なんで今、あの下級神の言葉が浮かんでくるんだ? みんな僕の考えは間違っているとでも言いたいのか? だったら今すぐここに来て、僕にきちんと説明してくれよ、ノア――
「ヨースケさん……」
目の前の彼女が、今までとは別人のように見えた。
血濡れの剣からビッと血を振り飛ばしたあと、ゆっくりと鞘に納める仕草、返り血を浴びた姿は、まるで死神のようだ。
こんな……。
こんな彼女を見たくはなかった。
「……でも、僕は嫌だ」
「私は、あなたのご命令で――」
「ああ! たしかに命令したかもしれない! 彼らを止めてくれって意味でね。でも、殺す寸前までやれなんて誰も言ってない! そ、それじゃあ、なにか? キミは僕が命令すれば、赤ん坊だって殺すのか!?」
飛躍し過ぎているのはわかっていた。それでも言わずにはいられなかった。そんな僕を哀しい眼差しで見つめる彼女は、しばしの沈黙のあと、僕の目の前に剣をかかげ、静かにこう言った。
「……ご命令とあらば、私は神にでもこの剣を突き立てます」
「――っ!」
僕は思わず、彼女の剣を手で払いのけた。
アルテシアの手から離れた剣は、彼女の「あっ」と言う言葉と共に、地面を滑べるように転がっていく。
「ふざけるなっ!」
「えっ」
僕は彼女にそう吐き捨てると、未だもがき苦しむ狼男たちの下へと足を向けた。血だまりのなかで苦しむ彼らの姿を見て、またも、えずきそうになる。
「ご、ごめんなさい。こんなことになるなんて思ってなかったんです。これは僕の責任です。あ、あの……これ少ないですけど、みなさんで使って下さい」
そう言って、自分の懐から予備として持っていた【極薬草】を取り出し、彼らにすべて渡した。受け取った彼らの表情は、痛みと恐怖が入り混じった顔から、意味がわからないと言った表情へと変わる。
そんな彼らに頭を深く下げ、僕はこの場から立ち去ろうと踵を返した。
「ヨ、ヨースケさん」
「来るな!!」
僕を呼び止めようとするアルテシア。
今、僕はどんな表情をしているんだろうか。
彼女の顔を見れば、また怒りに我を忘れそうになるに違いない。
「ま、待ってください!」
「来るなと言っただろう! 僕を一人にさせてくれ! ついて来るんじゃない、命令だ! キミはそこから一歩も動くな」
アルテシアから背を向けたまま、大声でそう叫んだ。
うしろが静かになるのを背中に感じとった僕は、そのまま振り返ることなく、広場をあとにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――で、あたしのところに来たってわけかい」
あのあと、あてもなく街をさまよい歩いた。やがて陽が傾く頃になり、ふと気が付けば武器屋の前に立っていた。誰かに聞いてほしかったのか、僕はローザの店に入ると、訝し気な顔の彼女に、広場での一件をすべて話した。
いつの間にか手に持っていたパイプたばこの煙を、ゆっくりとくゆらせながら、彼女が、はあ~っとその吐いた煙を僕に向けてくる。ゴホゴホと咳き込む僕。そんな彼女を見ていると、なぜか自分の祖母を思い出す。そう言えばあの人もよく、僕をからかうために、こうやってタバコの煙を吹きかけてきたんだっけ。
「別にあたしはあんたたちの痴話げんかに、興味ないんだけどねえ」
ローザは面倒くさそうに言葉を吐き捨てた。まあ、こんなこと話しても彼女に関係ないのはわかっている。痴話げんかじゃないんだけれど、そう揶揄されて何も言い返せなかった僕。
「てか坊や。あんたよくそんな甘い考えで、これまで生き残ってこれたね」
「……」
やはり年配のローザからも、予想していた通りの言葉が返ってきた。うん、わかった。僕が甘いのはわかった。子供っぽい理想を掲げているだけのことも。
でもそれは仕方がないじゃないか。僕はこの世界に転生したばっかで、生き残るもなにも、生まれたてなんだから。しかも、平和慣れした前世で、16年も生きてきた僕に、いきなり死と隣り合わせの世界で生きろだなんて、無理に決まっている。そんな思いが顔に出ていたのか、不服そうにする僕に、フンと鼻を鳴らしなが、ローザが言った。
「まあ、その年でレベル1や2ってのが、そもそも甘ちゃんてことだしね」
「……じつは僕、先日別の世界から転生してきたばかりなんです。だからこの世界の生き方なんて、全然わかりませんしっ!」
重ね重ね僕を子供扱いするローザの言葉に我慢出来なくなった僕は、思わず自分の素性をバラしてしまう。だってさっきから甘いだの、レベルが低いだのと散々だったもんでつい……。しかし、僕の秘密を聞いた彼女は、俯いたまま肩を震わせると、ぶっと吹き出す。
「あーっはっはっは! こりゃーおめでたいねえ! 夢見る甘ちゃん坊やは、自分を【世渡りびと】だって言うのかい? そりゃー傑作だ!」
驚くどころか、彼女は僕の話を信じていないようだ。馬鹿にしたような笑い方で、まったく取り合おうともしない。まあ、こんなこと突然言っても、誰も信じないか。見た目もこちらの人間なんだし。
僕のすさんだこの気持ちは、結局ここでも晴れることはないようだ。諦めた僕は、このまま彼女との会話を適当に済ませ、この店を出ようと思い始めた。
「あの騎士っ娘のこと、そんなに許せないのかい?」
「ーー!」
突然、声色を変えたローザ。
許すもなにも、僕とアルテシアは価値観が違うんだ。どちらかが妥協しない限り、こんなの終わるわけがない。
答えに困っている僕に、ローザは言葉を続ける。
「その狼たちが、剣を抜かなければ、嬢ちゃんもそこまではやらなかったろうね」
「――?」
彼女の言っていることがあまりよく理解できなかった。たとえ相手が剣を抜いたとしても、なにか他にやりようがあっただろうに。腕を飛ばすことが最善だったとは思えない僕は、じっと彼女を睨みつける。
「あの娘はね。あんたを守るために剣を抜いたんだよ」
「えっ? いや、僕はそんな危険な目になんてあってな――」
「主の前で騎士に剣を向けるってことは、その主に剣を向けたことと同じ意味なのさ」
「そ、そんな……」
あまりにも身勝手過ぎる騎士の道理に言葉が詰まる。そりゃあ狼男たちの近くに居たことは確かだ。その集団の一人が僕を睨んでいたことも。最悪、アルテシアに向けられた剣が、そのまま僕に向かってくる場合もあったかもしれない。だからといって、いくら彼女が騎士で、僕が事実上、主だとしても、つい最近知り会ったばかりの僕に、そこまでして忠義を尽くす必要があるのだろうか。
「坊やは騎士の忠義を軽く考えすぎだよ。騎士が自分の剣を捧げるってのは、そんな簡単なものじゃない。主の命に背くってことは、騎士の存在を――しいては自分の信念を否定するのと同じことなのさ」
「自分の信念……」
あのとき僕はアルテシアに対して激しい怒りを覚えた。そして恐怖も。僕は彼女のやり方を否定し、激しく罵倒した。僕にすべて拒否された彼女の気持ちは、どれだけツラいものだったのか。悲しい眼差しで僕を見つめていたアルテシアの姿が目に浮かぶ。
「しかし健気な騎士っ娘だねえ。よほど坊やに恩義を感じているんだろう」
「……恩義なんて……」
― 私の窮地を救って下さいました ―
― 私の救世主さまです ―
ー あの時、覚悟しましたから ー
― 私が守りますから安心してください ―
僕へと向けられたアルテシアの言葉が、いろいろと思い出される。そのどれもが僕に対する恩義というものだったのなら、それはきっと【リセット】によるおかげだろう。偶然とはいえ、自分の本当の実力でもないことで忠義を尽くされることに、居心地の悪さを感じてしまう。
「だがね……」
「?」
「それもこれも、坊や。あんたが弱いからなんだよ」
「――っ!」
ローザの言葉が僕の心を激しく動揺させる。
その言葉は自分の不甲斐なさ、弱さを普段から感じていた僕にとって、とても痛いものだった。そうなのだ。どれも、あれも、これも、何もかもすべて僕の弱さが原因なんだ。僕さえ強ければ、アルテシアが剣を抜くこともなかったかもしれない。それなのに彼女に憤りを感じた自分は、いったい何様なんだ。
身体的な弱さだけでなく、心の弱さも含め、こんなにも弱い僕に、アルテシアを責める資格なんてない。広場での暴言の数々に後悔や不安が押し寄せる。今更どうしようもないはずが、なにか、挽回できるものはないものだろうかと、僕の心に焦りを生む。
「ど、どうしたら強くなれるんでしょうか……」
僕はローザにすがりつくような想いで問いかけた。
今の僕に足りない強さ。年長者の彼女なら、そこへ導いてくれるような気がしたからだ。
「そんなもん知らないね」
「……え?」
そう言うと、ローザは手にしていたパイプたばこを再び深く吸いこみ、またも僕に向かって吹きかける。煙たいのを我慢しながらも、僕は真剣な眼差しを彼女に向けた。
「まあ、そうさね……手っ取り早く強くなりたけりゃ、早く自分のレベルを上げな。そうすればあの娘を少しは安心させることも出来るだろうさ」
「レ、レベル……ですか。で、でもどんなにレベルを上げたって僕は奴隷ディーラーですよ? そんなジョブで彼女を安心させられることなんて――」
「確かにあんたのジョブは世間から嫌われているクズジョブさ。戦場にいても何の役に立たないゴミさ」
「そ、そんなストレートに言わなくっても……」
奴隷ディーラーに何か恨みでもあるのか。さらに毒舌を増すローザ。まあ、自分自身でもあまり良い印象がないことは確かだが、面と向かって言われると微妙に傷つく。
「まあ聞きな。そんなクズジョブの奴隷ディーラーだけどね。昔からの伝承によれば、レベルをあげた先に、とんでもないことが起きるっていうらしいんだよ」
「とんでもないこと?」
ローザの言葉に耳を向ける。
奴隷ディーラーに伝承?
下級神ノアには何も聞いていないぞ。
「実際そこまでレベルをあげた奴は、今までほとんどいないんだけどね。だいたいが恨まれて殺されちまうから」
「ち、ちょっと怖いこと言わないでくださいよっ!!」
ありえないことでもないので、ローザの言葉にビビる。いや、僕は誠実にやるから。
「くくく。年寄りの冗談さ。まあ実際あるにはあるんだがね。それよりもさ、その伝承のおかげで、奴隷ディーラーは昔から嫌われているのも確かなんだよ。奴らは危険だ、詐欺だなんてね」
「危険? 詐欺?」
彼女の言葉に何か引っかかるものがあったが、奴隷ディーラーのレベルアップの先に、なにか希望があるのなら、それに賭けてみるのも悪くないと、思い始める僕だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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