表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/114

第十二話  ペイルバインの朝市

2024.2

すべてのシーンにおいて加筆・修正しました。



「あっ、おふたりさん、おかえりなさーい」


 宿の扉を開けると、元気な声に迎えられる。

 声の主はこの宿の看板娘パフィー。

 僕らをこの宿まで案内してくれた子だ。

 宿の出入り口に立った僕らを見つけるなり、笑顔で出迎えてくれた。


 カウンターから走る姿はとても愛らしく、オレンジ色のメイド服風エプロンをひるがえしながらこちらへとやって来る。


 そんなパフィーのお目当てはアルテシアだ。

 昨日、武器を手入れする道具を用意してくれたのは彼女らしい。

 そのときに仲良くなり、すっかりアルテシアに懐いてしまった。


 ひとつ編みにした、艶やかな赤い髪。

 長いまつ毛と大きな緑の瞳。

 手足はすらっと細く、身長は僕の肩より少し低いくらい。

 一見しっかりしたようにも見えるが、まだまだあどけなさの残る十二歳。

 笑ったときに膨らむ頬は子供のようにほんのりと赤く、それがまたパフィーの可愛らしさを引き立てている。


「お客さま、今日もお泊りですか?」


 パフィーの大きな瞳がこちらを覗く。

 キラキラと輝く湖の底を思わせる深い緑。

 その瞳に吸い寄せられそうになりながら僕は答えた。


「うん。もう少しお世話になると思う」

「やったあ。おねえちゃんも一緒だよね」


「はい。またよろしくお願いしますね、パフィー」

「こちらこそっ!」


 パフィーはアルテシアをおねえちゃんと呼ぶ。

 僕の場合は普通にお客さま。

 その辺に関しては、宿の店員として礼儀をわきまえているらしい。

 主の僕には客として対応。その奴隷であるアルテシアに対しては、お友達感覚なのだろう。

 ただ少し寂しい。

 

 そしてパフィーは僕らの素性を知っている。

 最初に宿の案内を受けたとき、正直に話した。

 それでも普通に僕らと接してくれる貴重な存在だ。


「では、昨日と同じ部屋をご用意しますね」

「あーうん。でもほんとに良いの? あの部屋」


「もちろんです!」


 昨日泊まった部屋は、アルテシアがパフィーとの交渉で取れた。

 宿代は銀貨一枚と大銅貨九枚。

 部屋は広く、ベッドもふたつある。

 しかし、カウンターにある部屋の料金表を見て驚いた。


 僕らの部屋は、通常だとその五割増しの値段だった。

 あわててパフィーに説明を求めると、彼女の回答はこう――


「お客さまのお連れしている女性の方がすごくお綺麗で。私、どうしてもうちに泊まって欲しくて、すっごくお勉強させてもらいました」


 だった。


 その言葉どおり、パフィーはアルテシアと意気投合。

 昨夜も宿の作業場で、武器の手入れに遅くまで付き合っていたらしい。

 そして今も僕の隣りでは、アルテシアが首に着けている、赤い首輪の話題で盛り上がっている。


「いいなあ。おねえちゃんの赤い首輪……」


 ファッションとでも思っているのだろうか。

 パフィーから羨望の眼差しを向けられる赤い首輪。

 聞けば宿に来る他の奴隷は皆、黒い首輪だそうだ。

 陰鬱な表情の奴隷に黒い首輪。

 彼女はそれを、とても悲しく怖いモノと感じていたらしい。


 だがそこに、それまでの印象を払拭するビビッドな赤の首輪が登場。

 それを見たパフィーは、一目で気に入ったらしい。

 そのうえ、それを身に着けたアルテシアを、とにかく褒めまくる。

 これにはさすがのアルテシアも、ただ苦笑するしかないみたい。


 奴隷の首輪が黒なのは知らなかった。

 てっきりこの世界では、みんな赤なのだと思い込んでいた。

 街でも奴隷とすれ違ったはずだけれど、首輪まで気にしていなかった。

 何度か訪れた奴隷商ギルドでも、まだ他の奴隷を見かけていない。

 同業者たちは意図的に奴隷をあの場に連れていないのか。

 赤い首輪が特別なのか、それともたまたまなのか。

 少し気になるけれど、またすぐに忘れそう。


「はーい。準備できましたよー」


 いつの間にか、パフィーが部屋の準備を終えて戻って来た。

 この宿では部屋が決まると、案内の前にもう一度、ここの従業員が部屋をチェックするらしい。

 内容は再度のベッドメイキング、部屋の掃除、窓を解放し空気の入れ替えなど。

 これは宿のオーナーの決め事で、他の宿にはないシステムと聞いた。

 なんでそんな手間を? と尋ねると、オーナーの性格上――とだけ返って来た。


 こんなに手間をかけたはずなのに、それがあっという間だから驚く。

 さっきまでアルテシアと会話していたパフィーは、それをほんの一瞬で仕上げてしまう。

 これは彼女のジョブが【宿職人】ということにも起因しているようだ。

 

 パフィーの持つスキルは自己申告ながら、宿の商売に適したものが多い。

 まずは【リメイク】という、ベッドメイキングと掃除を瞬時に完了させるスキル。

 もうひとつのスキル【マスキング】は、部屋の耐久性を高めるもので、湿気やカビ。客が原因で部屋が壊れたり傷付いたりするのを事前に防ぐ、丸ごと部屋コーティング的な要素があるらしい。


 ただし、それらのスキルを手にできたのも、並々ならぬ努力の賜物だとパフィーは豪語する。

 彼女の話では、十二歳で初めて【宿職人】をジョブパネルで見たときに、とても感動したそうだ。

 幼い頃から宿の手伝いをし、スキルがないために部屋の管理はすべて手作業。

 そんな作業を黙々とこなし、やがて看板娘と評されるまでに成長した彼女。


「おふたりも感動しましたよね! 十二歳で初めてステータス画面が具現化したとき! そこに自分がこれまで頑張ってきた証、ジョブがあったこと!」


 当たり前のように話すパフィーの笑顔。

 相槌と愛想笑いをするしかなかった。

 この世界の住人なら当然経験する常識。

 誰かに教えてと請えないその内容。

 それをダーツで決めたなんて言えない。

 早めにここで聞けて良かったと安堵する。

 

「パフィーはすごく頑張ったんですね」

「うん、おねえちゃん。私、すっごく頑張ったよ!」


 アルテシアに頭を撫でられ、満足げなパフィー。

 まだ幼い少女が、年上の綺麗な女性に憧れる姿にちょっと和んだ。

 ――

 ――

 羨ましいなんて思ってない。


「では、ごゆっくりー」


 パフィーの声に見送られ、カウンターをあとにした。

 昨日と同じ部屋は前回同様、彼女のスキルで完璧な状態で保たれている。

 部屋の空気は新鮮で、窓を見れば開いているのが見えた。


 調度品は壁に飾ってある絵のみ。

 暖炉もその下に位置し、火はついていない。

 その他には椅子が二脚とテーブルがひとつ。

 その上には水の入ったガラス製のポットとグラスがある。

 この辺りの内装はすべて前回と変わりはない。

 特に荷物なんて持ち合わせていない僕は、そのまま窓側へと移動。

 真新しい匂いのするベッドに腰かけ、アルテシアに声をかけた。


「アルテシア、夕飯はもう少し待ってくれるかな」

「はい。それは構いませんが、何か別件でもあるんですか」


「ん。ちょっと、ステータス画面を見たくなってさ」

「あーそうですね。私もご一緒していいですか」


 そう言ってアルテシアが自分の剣を壁に立てた。

 そして窓側にある僕のベッドに腰を下ろす。

 それを確認したあと、僕はステータス画面を呼び出した。

  

「……変化なし。レベルもそのままだね」

「そうですね。今日は戦闘もありませんでしたし」


 開いたステータス画面は、以前見たときと同じだ。

 アルテシアの言う通り、レベルを上げるような戦闘もない。

 でもそれはいい。これも想定内のこと。

 問題はその次だ。

  

「あれ?」

「どうされました」



【特殊スキル】

 リセット 20


                   □



 予想外の出来事に声が洩れた。

 確認するために開いたはずが、それ以上の事態になっていたから。

 アルテシアは気付いてなかったかもしれないが、僕は覚えていた。


 前回、この項目を開いたのは、薬草を【リセット】しようとしたときだ。

 そのとき、この数値に気付き、気にはなっていた。

 でもあのときは薬草の件でそれどころじゃなかった。

 たしかその時の数値は10だったはず。

 

「数字が増えてる」

「数字……あ、リセットの隣りに」

 

 アルテシアにこれまでの話をする。

 いつの間にか数値があったこと。

 数値が増えたこと。

 それを黙って聞く彼女が、何かを考え込んでいる。

 そしておもむろに立ち上がり、こう言った。


「……少し試してみますか」

「え」


 アルテシアはそう言ってテーブルの方へと向かう。

 そして置いてある空のグラスを手に取り、床へ落した。


「あっ」


 ガラスの割れる音が部屋に響き渡る。

 当然、床には破片が散乱している。

 すぐさま次の行動に移るアルテシア。

 彼女が破片のいくつかを手にした瞬間、それは起きた。

 

《対象の【装備品】に、規定を超える損傷を確認。特殊スキル【リセット】を使用しますか》 


 不意を突くように流れるアナウンスの声。

 ここでアルテシアのこれまでの行動を理解した。

 彼女はあのときと同じく、自分が手にしたガラス片に対し、僕に【リセット】を使わせるつもりだ。


「使用する!」


 一瞬の光のなか、アルテシアの手には元通りに戻ったグラスがあった。

 床に散らばったはずの欠片は、グラスが戻ったあとに消えていく。

 あくまでも装備品となった破片が元に戻り、それ以外の破片は消えるという仕組みのようだ。

 

 おかげでわかったことがある。

 もし悪意を持って金貨を半分にした場合、割れた片方を【リセット】で復元しても、もう片方が消えてしまうので、金貨の大量複製は不可能ということだ。


「ヨースケさん。数値の確認を」

「うん。わかった」


 アルテシアに促され、数値の確認をする。

 彼女の考えが正しければ、この数値に変化があるはず。

 


 【特殊スキル】

 リセット 22


                   □



「22に増えてる」

「やはり、これは【リセット】の使用で加算されていますね」


 アルテシアの予想は正しかったようだ。

 いきなりグラスを割ったのは驚いたけど。


 僕がこれまでに【リセット】を使ったのは二回。

 アルテシアを治したその後に、この数値があったのを見つけた。

 そのときの数値は10だ。

 それからアルテシアの装備品を四つと、薬草に使った。

 その後、さっき確認したら数値は20になっていた。


「アルテシアを治しただけで数値――いや、ポイントが10だった……」

「私の装備と薬草で五つ。それを【リセット】したら20ポイント。先ほどのグラスが2ポイント……」


「そうなると、人体なんかの大きなモノだと一回で10ポイント加算……」

「それ以外のアイテムや装備品は、ひとつにつき2ポイント……」


「「22ポイントのつじつまが合う!!」」


 ふたりで声をそろえ叫んだ。

 互いに手を取り合って喜び、称え合う。

 どちらも同じ方向を見ていたので、結論を出すのも早かった。

 これでまた新たな【リセット】の仕組みが解明された。


「ありがとう、アルテシア。キミがいなかったら、こんなにすぐに答えが出なかったと思う」

「お役に立てて光栄です。私もこの奇跡の解明が楽しくなってきました」


 そう言ってくれると嬉しい。

 【リセット】はいわば、自然の摂理に反するチートスキルだ。

 世界の理を根底から覆すこのスキルを、ひとは悪魔の力と呼んで恐れるかもしれない。

 欲深き権力者なら逆に利用し、僕を永久に束縛することだって可能だ。

 

 それを純粋に楽しいと言ってくれるアルテシア。

 僕はそれだけで救われた気がした。


「でも、このポイントって、いったい何のためのものですかね」

「うーん。今のところは謎としか……」


 解いたはいいが、使い道がわからない。

 それはどんな世界でもよくあること。

 手に余る謎は、次のチャンスに期待するしかない。

 とりあえずの成果を得た僕らは、このあと楽しいディナーを過ごしましたとさ。

 

 

 ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※



「ううぅ。なんか今日は肌寒いな」


 転生して五日目。

 今朝の街は肌寒さを感じる。

 昨日までは晴れていた空は、薄暗い雲に覆われている。

 もしかすると雨か雪になるかもしれない。

 傘なんてきっとこの世界にはないだろうし、やはりこの場合は雨合羽か。


 僕らは今、いつもの大広場で開催されている朝市に来ている。

 今日は宿で朝食を済ませ、冒険者ギルドでクエストを受ける予定だった。

 それが昨日、宿屋の看板娘パフィーからの朗報により、急きょ変更になった。


 ここペイルバインの大広場の朝市は、ほぼ毎日開催している。

 そのなかで月に一度、特別な朝市の日があるらしい。

 そしてその日には、周辺の国々からわざわざ貴族たちもやってくるそうだ。

 もちろんただの朝市ではなく、貴重な品を売っている店も出店するらしい。

 それが今日だとパフィーから聞き、僕らは朝食を兼ねてここへやって来た。


「す、すごい人混みですね」


 アルテシアが戸惑っている。

 それくらい今日の朝市は人でごった返していた。

 初めて見る種族や貴族風の人族。商人も大勢いる。

 それらがこの大広場を埋め尽くす勢いで押し寄せている。

 普段から常設の露天商に加え、それをさらに取り囲むように、見知らぬ店が立ち並び、まるで何かの記念式典でもあるのかというくらいの盛況ぶりだ。


「ヨースケさん、あの店が」


 アルテシアの指す方向には、以前立ち寄ったガーク鳥の串焼き店が。

 ただ、いつもとは様相が一変し、おびただしい人混みに囲まれている。

 あれは並ぶというより、押し寄せていると言ったほうがいいな。

 

「あっ、店の店主が……」


 その群衆から逃げるようにして、見知った顔が出て来た。

 アルテシアの言った通り、それは串焼き店の店主だった。

 心配になった僕らは近くへ駆け寄った。


「だ、大丈夫ですか」

「はあ、はあ、ああ……こ、この前のお客さんか……な、なんとかな」


 あきらかに衰弱しかけの店主は、息も絶え絶えになりながらも返事をする。

 着ていた服もところどころが引き裂かれており、さながら襲撃にでも遭ったような風貌だ。


「み、店はどうにか奴隷に任せて、逃げてきたんだ。ちょっと休まないと体が持たねえ」

「い、いつもこの日はこんな感じなんですか」


 奴隷が気の毒に思えたけれど、店主もそろそろ限界のようだ。

 月に一度のレア朝市おそるべし。


「いや、今日は特別ヤバい日なんだ。なんたって、あの工房が出店する日だからな」

「工房?」


「ああ、だから貴族やら商人やらが多いのもそのせいだ。なんせあの貴重なアイテムバッグが出品されてるんだ。無理もねえ」

「えっ!」


 耳を疑う店主のひと言。

 あの便利なアイテムバッグが、この朝市で売られている?

 そんな話、パフィーにも聞いていないぞ。

 無礼を承知で店主に詰め寄る。

 なんならもう胸ぐらだって掴んでいる。

 

「ど、どこで売っているんですか、それっ!」

「ぐえっ! ち、中央の……ふん……水、ち……近くっ!」


 情報を得た僕は店主に謝り、その足で大広場中央の噴水広場へと――


「いや無理でしょ!!」


 大広場中央まで埋め尽くす人混み。

 いや、これはもう肉の壁と言っていい。

 普段ならすぐにたどり着けるはずの距離が、その予測さえできない物量によって行く手を阻まれていた。


 どう考えても、たどり着ける気がしない。

 たしかにアイテムバッグは欲しい。

 今すぐに購入できないとはいえ、その相場だけでも知りたい。

 そのチャンスがすぐ近く――いや、もう距離のことは考えない。

 これは諦めるしかないかな。

 

「ヨースケさん」


 アルテシアが僕の腕にそっと手を添える。

 彼女もこの群衆を見てあきらめたに違いない。

 アイテムバッグの便利さは彼女だって知っている。

 ただ、ここを中央の噴水まで行くとなれば躊躇するはず。


「いつもので……いいですか」

「はっ!?」


「すぐに済みますから」

「えっ! うわおっ! ちょおお!!」


 アルテシアはニコリと微笑んだ。

 それは悪魔の笑顔。

 僕は確か言ったはず。

 許可を得てからと。


「どぅおおおぉぉ!」


 垂直に受ける衝撃。

 それは一瞬にして鋭角に地面へと突き進む。

 そのとき、普段は鳴らない骨が鳴った気がした。

 前回、同じシチュエーションだった湖の森からの帰還。

 あれってこうやって街に帰ったんだと初めて知った。 

 そしてアルテシアにお願いがあります。

 最高到達地点では、優しく進路変更をして欲しいです。


 そんな願いも空しく、僕は一瞬にして噴水広場に着いた。

 つづく。


「い、いや、ここで終わりじゃない……まだ続くから」


 気絶エンドにはさせない。

 僕にはまだやるべきことが残っている。

 動くたびに元の位置へと戻っていく骨の音を聞きながら、僕は噴水広場へと進む。


 未だ行く手を阻む壁をかいくぐり、その先へと手を伸ばす。

 アルテシアも僕の手を引きながら、多くの人たちのすき間を器用にすり抜けていく。

 何度も潰されそうになりながらも、彼女の手を信じて先へと挑む。

 人の立つ感覚が広がって来た。わずかに光も見えてくる。

 もうすぐだ。あともう少しでそこへと辿り着く。

 

「あっ」


 ふっと、すべてから解放された気がした。

 爽やかな風が頬を撫でたような感覚。

 視界は広がり、何も僕らの前には存在しない。

 空間がぽっかりと空いたそこは、アイテムバッグをずらりと並べた棚のすぐ目の前。

 少し手を伸ばすだけで、お目当ての品がすぐに自分の物となるような錯覚。

 

「ヨースケさんっ!」


 突然引っ張られる感覚が僕を襲う。

 一瞬、また空へ打ち上げられる恐怖を感じるも、そこまで酷くはなかった。

 気付けば僕はふたたび人に囲まれた場所にいた。

 丸い輪を描くように、誰もがその中心から距離を置く人だかりのなかに。


「大丈夫ですか。すみませんいきなり……」


 呆けた僕に語りかけるアルテシア。

 彼女のおかげで人混みから飛び出た僕は、そのまま露店の棚へと突っ込むのを回避できたらしい。

 

 そして改めて周囲を見たときの微かな違和感。

 これだけの人数を街へと招き寄せた店に、なぜ誰も並んでいないんだ。

 普通なら行列ができたっておかしくないはず。

 

 隣も。その隣の人も。

 この店を取り囲む輪の端々に立つ人たち全員が、訝し気な視線を送るのはなぜなんだ。

 そしてその答えはすぐにわかる。

 

「だから、俺たちが貰ってやるって言ってんだよ!!」

 

 怒声があがると同時に、アイテムバッグが並ぶ棚の一部が吹き飛んだ。

 音を立てて崩れ落ちるバッグの下敷きになっているのは、小柄な老人。

 僕の立つ取り巻きの列からは小さな悲鳴がいくつもあがり、この状況がイベントや寸劇ではないことを証明する。


 これはあきらかに揉め事だ。

 それを起こした張本人。声をあげた人物を見て僕はハッとする。

 黒い毛に覆われた人ならざる頭部を持ち、その手足は振るうだけで相手を粉砕する術を持つ、強靭な武器となりうるもの。

 人とは異なる口元から覗くのは鋭利な牙。

 鋭い眼光は獲物を狙うしたたかさを持ち、そんな恵まれた体躯を持ちながらも、目の前の小さな老人を痛めつけることでしか、自身の存在を主張できない哀れな者たち。


 あのすれ違いざまの威圧感は、決して忘れることはできない。

 人々にとって避けられない敵対すべき相手。

 その種族の名は黒狼族。


 ――と、意気込んでみたものの、僕はあまり彼らのことを知らない。


 でもこれだけの人たちが、遠巻きに奴らを非難の目で見ていればわかる。

 そして、棚の下敷きになっている老人の苦しむ顔を見れば。


「高けぇんだよ! こんな値段で誰が買うってんだあ? ボロい商売しやがってクソがっ!!」


 また別の黒狼族が声をあげる。

 苦しむ老人の表情はここからは窺えないが、難癖をつけられる言われなんてないはずだ。

 高いか安いかを決めるのは、その物の価値を一番知っている人じゃないか。

 それを知らない者が怒りや暴力で解決しようとするのは、決して許されることじゃない。


「おいジジイ! そろそろ起きろ」


 周囲の非難を浴びながらも、また別の黒狼族のひとりが店に近付き、うめき声をあげる老人を片手で掴みあげた。

 その頭上高く吊り上げられた老人は、まるで壊れた玩具のようにぶらぶらと力なく揺れる。

 その光景に僕の周りからも、女性の声で悲鳴があがる。

 誰もがその行為を悪だと知りながら、何も出来ない無念さに押しつぶされて沈黙する。


 暴力がすべてなのか。声高に強ければこの世界では幸せなのか。

 生きるため、誰かを傷付ける者もいる。

 食べるため、何かを殺すこともある。

 でも、何も生まれない。何も解決しない殺りくは、ひとの性なんかじゃないはずだ。

 

「おいそこのガキ。お前さっきから、なんて面で俺たちを睨んでんだ」

「えっ」


 黒狼族が僕に話しかけた。

 全身の血が引くのを感じる。

 これは恐怖だ。

 さっきまで息巻いていた僕の熱が、奴のひと言で一気に冷めていく。

 ダメだ。何も言い返せない。

 怖い。怖くて何も考えられない。

 

 想像ばかりで最後に損をする。

 誰かに言われた言葉が頭をよぎる。

 頭では非難しても、いざという場面で言葉にできないとか。

 なんて僕は弱くて情けないんだ。


「あうぐっ!」

「よお、坊主。お前もジジイみてえにバッグに埋もれてみっか」


 恐怖で前が見えなくなっていたのか。

 いつの間にか僕は黒狼族に掴まっていた。

 すぐ近くに狼の口元が。

 牙が。爪が。そして目が。

 体が浮いた感覚。

 あの老人のように僕も吊られたのか。

 苦しい。なんて力なんだ。

 ダメだ。目もかすんできた。

 首が折れる。死にそうだ。

 怖い。助けて。誰か僕を。



「その汚い手を離しなさい」


 

 声が聞こえた。

 僕を救う声が。

 苦しかった首元が解放される。

 薄っすらと目を開けると、黒狼族は僕を見ていなかった。

 奴が見ているのは彼女。

 剣を自分の喉元に向けたアルテシアだった。


「その構え……騎士か。それも帝国流」


 アルテシアの剣先がピクリと動く。

 僕は地面へと解放され、そのまま後ろにたじろいでしまう。

 カッコ悪い。なんて僕は情けないんだ。


 アルテシアの顔が見れない。

 解放されたとたん、自分の非力さを恥ずかしがるなんて。

 僕は彼女の主を演じきれなかった。


「女。我ら黒狼族四人を相手に強がるな」

「帝国流かなんだか知らんが、人族のお前ひとりで何が出来るってんだ!」


「仲間を離しやがれ! クソがっ!!」


 最後に叫んだ黒狼族の言葉で、アルテシアが剣を引く。

 解放された奴は、自分の喉元をさすりながら、他の三人と合流する。

 これで彼女対黒狼族四人の対峙が出来てしまった。

 

「礼を言うぜ。帝国流がどれほどのモノか試してみたかったんでな」


 僕を襲った奴が、牙を見せながらニヤリと笑う。

 そんな奴の言葉に、アルテシアは冷たい目をしてこう言った。


「……帝国など関係ありません。そして……私はただの奴隷です」と。 


ここまでお読みいただきありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ