第百六話 少女の覚醒 ― 戦士と少女編 5+ ―
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「アハトさん!」
謎の女性、私、馬車使いのエイミー。
別々の立場の三人が同じ場所へと駆け寄る。
突然倒れてしまった彼の下に、
私たちはわけも分からず走っていた。
眼下に無言でうずくまる姿がある。
半ば無敵と信じていた彼が、今にも死にそうな表情でそこにいる。
息は荒く、顔面は蒼白。
この人にいったい何があったの?
時を待たずして、動揺する私たちをよそに、この中で今いちばん彼の状況を理解しているであろう見知らぬ女性が、真っ先に声をあげた。
「彼は毒に犯されています! 早く横になれる場所に……」
「毒!? どんな毒ですか? 手持ちの解毒薬でイケそうなら――」
「ど、どうして……」
そして明かされる緊急事態。
毒という自身にとってまったくの無縁だったモノに、戸惑っているのは私だけだろうか。そんな私とは違い、エイミーは毒の知識も持ち合わせているらしく、女性に詳しい説明を求めている。
「わかりません。でもアハトさまは元Aランク冒険者。たいていの毒や麻痺に耐えられるはずです」
「じゃあ、まさかの帝国産? でも王国にそんな物騒なシロモノが手に入る経路なんて今……いや、王国だからこそ?」
なにか思い当たるようすのエイミー。
現在、敵対同士である帝国と王国は、停戦状態でこそあるけれど、人やモノの出入りがほとんど止まっているらしい。それくらいの情報は、他国出身の私でも知っている常識だ。
「はい。元ですが、私は国境警備兵です。あなたの予想通り、国境を違法で越えることを上層部が認め、一部の流通経路が秘密裏に存在しているのは事実です」
「も、元? ど、どうしてあなたがアハトさんと」
「そんな堕落した王国に、愛想が尽きたので」
「な、なるほど」
彼女も私たちと同行する理由があるらしい。
自らポーラと名乗る彼女に、私たちもそれぞれ自己紹介を済ませる。
馬車に運ばれた彼は意識を失ったまま。
私はともかく、毒に対する知識は持っていても、その解毒の方法を持ちえない他のふたりも途方にくれる。聞けば解毒薬となる薬は、その毒の由来を知り、それに見合った適切な処置をしないと意味がないらしい。
そんななか、深刻な表情のエイミーが口を開く。
「以前、帝国の旅商人に聞いた話ですが、帝国産の毒で一番やっかいなモノは、ドウマの殺草だと」
「ドウマの殺草……ですか。エイミーさん、それはいったいどんな……」
「殺草と呼ばれているモノは、触れるだけで死に至ります。帝国ではそれらを劇薬に変える秘術があるようでして、主に暗躍組織が用いるとそのときに聞きました」
「くっ! あの僧兵、どうしてそんな劇薬を……」
「そんな劇薬なのに、アハトさんがすぐに命を落とさないことが唯一の救いです」
「「……」」
エイミーの言葉に少しの希望を見い出す。
今も私たちが囲むなか、馬車の荷台中央に運ばれた彼は、尋常ではない熱に苦しんでいる。もしその猛毒が彼をむしばんでいるのなら、今ここで試されることはひとつしかない。
「あ、あの! と、とにかく手当たり次第、この辺りの薬草を探しませんか」
「「――!」」
突然過ぎる私からの提案にふたりが唖然とする。
分かっている。今の私がどんなに滑稽なのかも。
エイミーのようにいろんな経験なんて皆無。
ポーラみたいに国境警備兵でもない、普通の娘。
無知であることも無力であることも十分承知。
そして彼に守られているだけの存在であることも。
今まではすべて誰かがやってくれた。
私は親の権力によって甘やかされた貴族の娘。
自分で何かを成し遂げることもない。
時が来れば誰かのモノになればいい。
そして惰眠と堕落を死ぬまで貪り続ける。
奴隷に堕ちたときに思い知らされた。
解放されたときに気付かされた。
家族を救おうと決めたときにようやく理解した。
何も出来ない自分を救うのは行動することだと。
それに同行してくれた彼。
ここまで私は彼に守られて旅をした。
それでいいの?
守ってもらうだけなら、今までと同じじゃない。
決意したはず、変わろうとしたはずの私じゃなかったの?
彼もそう思っているはず。
何も出来ない貴族の娘だと。
だったら彼を見返そう。
そう決めた。
そんな私が彼に対して出来ること。
分からないなりに、とにかく模索してみる。
彼を知ろうとした。
彼に知ってもらおうとした。
いろいろとあがいてみた。
なら今もあがくべきだ。
このまま何もせずに彼を死なせるわけにはいかない。たとえ、私に彼を救う知識はなくても、それが見殺しにする理由にはならない。
なら無駄なあがきをしよう。
たくさんたくさんあがいてみよう。
そして必ず彼に認めてもらうから。
私がただの貴族の娘じゃないことを。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「いいですか、ソフィーさん。とにかく紫の草を集めてください」
エイミーと共に周辺の薬草採取に向かった。
ポーラは彼と馬車でお留守番をしている。何かあれば攻撃魔法を使える彼女の方が安心という理由で。
エイミーの説明によると、解毒効果のある薬草はすべて葉の色が紫だという。効果の違いはその先に咲く花の種類で変わるらしい。なので今回はとにかく紫の草だけを集めればいいとのこと。それだけなら私でも採取できそうなのでホッとする。
そして幸運だったのが、この地域には数多くの解毒薬草が自生していたことだ。私の提案に唖然としていたエイミーたちだったけれど、周辺を確認した結果、紫の薬草が多く視界に映ったこともあり、何もしないよりはマシだと、この案が受け入れられた。
「流石ですソフィーさん。私もまだまだですね、この提案がなかったら普通に諦めていました」
「こちらこそありがとうございます。私の意見に賛成してもらえて良かったです」
エイミーの言葉に胸が熱くなる。
私の提案が受け入れられたこともあるけれど、基本、彼を誉めることの方が多い彼女に、自分も認められた気がして嬉しかった。
ふたりで森を奥へと進む。
道中いくつかの薬草が密集する場所があった。でも目的地はそこじゃない。エイミーによれば解毒薬草には甘い香りを発するという特徴もあるらしい。それを聞いたポーラの風魔法によって、周辺から順番に風を運んでもらった結果、一番香りが強い方角を見つけた。
今はその方向へと歩いている。
馬車からは少し遠くなるけれど、時間をかけて少しずつ集めるよりも効果的だというエイミーの判断だ。途中魔物と遭遇したけれど、彼女のミラージュ・エフェクトという魔法で気付かれずに済んだ。
「匂いが強くなってきましたね」
「すごく甘い香りです。本当にこれが薬草から?」
「そうです。見つけやすい条件ばかりの草で助かりましたね」
「本当です。あっ、もしやあれでは?」
馬車から少し離れた場所にそれはあった。
数多くの紫が目に映る群生地に、思わずお互いに顔を見合わせた。ここなら多くの薬草が手に入りそうだと同時にうなずいた瞬間、その草原に向かって私たちは走り出す。
「大漁です! ソフィーさん」
「はいっ!」
甘い香りのする薬草の群れにふたりして飛び込む。
下品だ上品だなんて言っていられない。私たちは飢えた狼のように薬草を求めた。
「エイミーさん」
「はい、なんでしょう!」
「……ありがとうございます」
「あーあはは……な、なんですか急に。やめて下さいよお」
旅の仲間にエイミーがいてくれたことを感謝する。
彼女がいなければ、私ひとりで何が出来ただろうかと思うと、少し怖くなるくらい。
私は無心で薬草を詰んだ。
手や服がどんなに草の汁で変色しようとも、それがまったく気にならないほど必死だった。以前の私ならこんな鬱蒼とした森での草詰みなんて、身震いしながら敬遠していただろう。
でもそんな私はもういない。
一刻も早く彼を治したい。
集めた薬草の数だけ希望がある。
効果がないなんて悪い想像などしたくなかった。
それどころか可能性を期待して、出来るだけ種類の違う薬草をたくさん詰んだ。
「ソフィーさん、そろそろ私の籠もいっぱいです」
「あ、はいっ、こちらもです」
気付けば籠に入る量を大きく超えていた。
これだけあれば解毒薬は十分に違いない。
あとは彼のいる所へ戻らないと。
エイミーの魔法でふたたび姿を隠す。
静かにすれば相手に見つからない便利な魔法。
あのとき兵たちに見つかったのが不思議なくらい。
お互い山のように詰んだ薬草籠を背負い、無言で道中を進むなか、エイミーがそっと語りかけてきた。
「私、ソフィーさんのことを誤解してました」
「えっ? 急にどうし――!!」
突然、何か含んだ物言いをするエイミーに私も思わず返事をしてしまう。自分が声を出したことに気付き、あわてて口元をおさえて周りを見渡すも、幸い魔物の気配はない。すぐに苦情の意味で睨み返すが、それにも動じず彼女はニコリと微笑んで言葉を続ける。
「貴族のご令嬢であるソフィーさんが、ここまでアハトさんのために頑張っているのを見て反省したんです。貴族の方にもこんな風に従者を想う優しい方がいるんだって。私たち一般の者から見れば貴族ってホラ、すごく偉そうで強引じゃないですか。従者も使い捨てーみたいな?」
「うぅー、そういう貴族が多いのは存じていますし、エイミーさんたちから見れば、そう映るのも仕方がありません。それとは別に、私、そこまで頑張っているのでしょうか。そもそも彼が何度も危険な目にあうのは、私の始めた旅が原因ですし……って、何ニヤニヤしてるのです?」
自分の思うがままに答える。
なぜかニヤリとするエイミーの胸の内は謎だけれど、私が彼に負い目を感じているのは事実だ。直接的には彼にまったく関係のない両親たちの救出。そのせいで彼は死にかけているのだから。
「むっふふふーん。ソフィーさんも意外におニブちゃんですねえ。貴族のお嬢さまが薬草の汁まみれで従者のために奔走するっていえば、ひとつしかないじゃないですかあー」
「へ?」
魔法で隠れているのにも関わらず、声が大きいエイミー。そんな彼女の挙動を注意することも忘れ、私もずいぶんと間の抜けた声をあげてしまった。彼女の過度なニヤつきからして、これはどう考えても悪い予感しかしない。
「私、手に汗握る冒険譚が大好物なんですが、実は恋バナもイケるクチでしてー」
「こっ、恋!?」
あ、これはダメなやつでした。
「出会った当初は仲違いする貴族令嬢と従者。やがて多くの戦火のなか、ふたりの絆は深まるのです! その果てに満身創痍の従者のため、自らが汚れることもいとわない姫の決起! そして命を拾った従者と彼を愛することに戸惑う姫の苦悩! やがて迫る強大な敵を前に、二人の愛と絆が大成就するっ!!!」
「なっ、なななななななななななななななななななななあああああああぁぁぁぁ!!!」
「ガルルッッ!!!」
「「――っ!!」」
エイミーの暴走に大声で反応してしまう。
当然、周辺でそれを察知した魔物が即座に飛び出して来た。
まずい。私たちは何も武器を持っていない。
ならば無防備な戦いの素人たちが取る行動はひとつ。
「魔物出たあああああ!!!」
「きゃあああああ!!!」
ただ大声で叫ぶしかなかった。
魔法の効果はすでに消え去ってしまい、誰の目にも容易にこの姿が見えるはず。魔物に見つけられてしまった私たちは、まるで堰を切ったかのように叫びながら、夢中で森の中を走った。
追従する魔物はたった一匹の狼型。
だとしても私たちにとっては十分脅威。
足の早い魔物に追いつかれるのは時間の問題。
それでも走った。足がもつれそうになりながらも必死にーー
あ、ダメ。
私、こけた。
飛び出した木の根につま先を取られる。
勢いよく転んでしまった私を、追いついた魔物が前足で押さえつけた。
グウと声が洩れると同時に、命の終わりを実感する。
そんな私でも褒められる行動があるとするならば、
この状況下でも背負った薬草籠を落とさないこと。
私が魔物に食べられたあとでもいい、どうかこの薬草籠だけは彼のもとに届けて欲しい。
――。
――。
ううう。
どうしてだろうか。
エイミーのせいで、私がどう想いを伝えても、すべてそちら方向に解釈されそうな気がして、最期なのにすごく恥ずかしい。
「ソフィーさんっ!!」
エイミーが叫ぶ。
ダメ、立ち止まらないで。
今はあなただけでも逃げて。
魔物の息が首元に迫るのを感じる。
私の短い人生に終止符を打つ瞬間が来た。
「【エアーズロック】!!」
突然、魔法の名称が轟き、頭上の魔物が苦しみだした。振り返ると顔面を空気の層のようなモノに包まれ、白目を向いた狼型がもがいている。
「ポーラさんっ!!」
エイミーが歓喜する声と同時に、そこにポーラがいたことを知る。どうやら私は彼女の風魔法によって救われたらしい。もう私を捕まえるどころではなくなった魔物の拘束から抜け出し、少し離れた場所に立つエイミーとポーラの下へ向かう。
「ご無事ですか、ソフィーさん」
「た、助かりました、ポーラさん。ありがとうございます」
「良かった。大きな声が聞こえたので急いで駆けつけたんですが、まさか魔物に襲われていたとは」
「申し訳ないです。私が調子に乗って騒いでしまったので、ミラージュ・エフェクトが切れちゃいました……」
「ごめんなさい。私も大声を出してしまって」
「とにかく無事で良かったです、お二人とも。それと薬草採取、お疲れさまでした」
ポーラの機転によって私たちは救われた。
彼女が近くまでようすを見に来てくれなかったら、今こうして安堵することもなかっただろう。再びエイミーに魔法をかけてもらい、三人で彼のいる馬車へと急いだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「では、始めますっ!」
準備した鍋にエイミーが薬草を落とす。
ぐつぐつと煮えたぎる熱湯に沈む紫の薬草。瞬きする間もなく一瞬にして湯の色が紫に変化すると、周囲に甘い香りが広がる。
「解毒薬草に含まれる紫の液は、毒の動きを封じ込める膜を作るそうです」
エイミーが解毒薬を作りながら、私たちに説明を始める。今後、似たような事態になったとき、自分でも作れるようにと私がお願いしたからだ。
難しい内容だろうなと覚悟していたけれど、エイミーは優しくわかりやすく言葉を選んでくれる。
「そして次に先ほど別にした花やつぼみをこう――」
「まあ!」
「ほう……これは綺麗ですね」
エイミーが花やつぼみを鍋に放り込む。
すると今度はキラキラと湯の表面が輝きだし、何か神々しい雰囲気を放った。
「幕で動きを封じられた毒を、今度は花やつぼみに含まれるさまざまな効果が退治するそうです。ちなみにこんな風に光を放つのは、花やつぼみの持つ毒に対する攻撃魔力が洩れてるっていう説もありますが、実際よくわかっていません」
輝く解毒薬が出来上がる。
通常なら毒の種類によって入れる花は別にするけれど、今回はどの解毒薬が効くのかわからない。なのであるだけの種類を一度に入れようと三人で決めた。
「……これで、一応の完成です」
「一応? まだ何か工程があるのですか」
少し間をおいてエイミーが薬の完成を宣言する。
そのようすに疑問を感じたポーラが問いかけ、それに対しエイミーも少し唸ってみせた。当然同じ場所にいる私も少し不安を感じつつ、ふたりの会話を見守った。
「いえ、通常ならこれで完成なのですが、効果の効き目を増すためにはもうひとつ特別な工程が必要なのです」
「「特別な工程?」」
私とポーラが声を揃える。
そしてなぜか勿体ぶったようすのエイミーは、チラりと私を見てから話を続ける。
「はい。それは毒をもらった相手に近い者、例えば今回アハトさんに一番近い縁者、つまりはソフィーさんのとっておきが必要なのです」
「な、なんですか、そのとっておきというのは」
また嫌な予感がする。
今回はエミリーが二ヤついていないので、真意のほどはわからないけれど、それでも私にとって、なにかとてつもなく重要な試練でもあるかのような重責感が頭をよぎる。
「エミリーさん。そのソフィーさんのとっておきとは、いったい何でしょうか」
「ポ、ポーラさん、その先は彼女に聞かな――」
「ズバリ! ソフィーさんの体液です!!」
「な、なんですってえええ!?」
「だから、体液です」
「無、無、無、無理、無理、無理ですっ! じ、実際、その体液って何なのですかあ!? わ、私からいったい何を奪うおつもりなんですか! エミリーっ!!」
軽くめまいを覚えながら、思わずエイミーと呼び捨てをしてしまう。でも失礼は彼女のせいなのだから許してもらわないと。いや違う、体液って何? どこの体液なの? それよりも本当にそんなことが実際、許されるの?
頭のなかで巡るは体液のことばかり。
そんな私に追い打ちをかけるように、エイミーが平然としながら、
「あー唾液ですね」
「だっ――――」
私の思考が止まる。
唾液と聞いて羞恥心どころか、私という自我が崩壊しそうになる。
異性の方に自分の唾液を与えるなど、お母さまにだって聞かされていない。ましてやお父さまにそんなことを知られたら、たとえこの先再会することがあったとしても、私は間違いなく家を追い出されてしまうだろう。
「つかぬことをお聞きしますが、本当にソフィーさんの唾液でないとダメなのでしょうか。さすがに異性の方に間接的とはいえ、唾液を送り込むというのは……」
「まあ、ホントは血でもいいんですけど、ちょっと雰囲気――いえ! 体内への吸収性も考えると、唾液以上の効果は望めないと聞き及んでおります!」
「……い、嫌です、無理です……私にそ、そんな不埒なこと……出来るはずがありませんっ!!」
これは断るしかない。
さすがに私も貴族の娘としての矜持がある。
いくら世話になっているとはいえ、男性である彼に何の同意もないうえに、恥も外聞もなく、自分の唾液を飲ませるなんて痴態、無理に決まっている。仮にそれを付け加えない薬を飲ませたとして、薬が効かない原因とはならないはず。私の意思はここに締結する。
「ソフィーさん、よく聞いて下さい! 今回の毒はただの毒ではありません、帝国産の猛毒なのですよ? それに対抗するには、なるべく効果的な解毒薬を使うほうが良いに決まってます!」
「――っ!」
馬車使いとはいえ、さすがは商売人エミリーとでもいうべきでしょうか。早くも彼女の説得に折れてしまいそうになる自分がいる。
そうだった。
この毒は帝国産の猛毒。元Aランク冒険者でさえ亡き者にしようとするほどの脅威だ。私のささいな羞恥心や矜持などと、わがままを言っていられない状況だった。
「うぐっ!! ぐあああ……!」
「――!!」
「まずいです! アハトさん、しっかりっ!」
「アハトさまっ!!」
とうとう毒の猛攻が始まったのか、毒々しい紫の肌になっていく彼が、大声をあげてもがき苦しみだした。苦悩する私はともかく、エミリーやポーラが彼の名を呼びながら、先ほどから一変して深刻な表情へと変わる。そしてそれは彼に残された時間が少ないことを意味していた。
「ソフィーさん、アハトさんが危険です! ご決断下さいっ!!」
「ソフィーさん、アハトさまのためにどうか……!」
「でっ、でも……!」
私に懇願するふたり。
貴族としての矜持。
女としての羞恥心。
自分の気持ちと、彼の復活への願いを天秤にかけ、私は揺れる。
そして――
「わ、わかりました……ア、アハトさんを早く助けましょう」
「流石です! ソフィーさん!」
「ありがとうございます! ソフィーさん」
私の今の願いは彼を救うこと。
ふたりのためじゃない、私の意地のために彼を救って見せる。
彼に認めてもらうた――
「ではさっそくここに、ソフィーさんどうぞ!」
「えっ、も、もうですか!?」
私の思考を遮るエイミーが、熱湯を指差してにこやかに微笑む。私の決心を鈍らせないようにするためとはいえ、展開が早すぎるし、圧が強い。
「ソフィーさんっ! アハトさまが……」
「わ、わかりましたから、す、少し気持ちの整理を……」
急かすのは何もエイミーだけじゃなかった。
彼のこと案ずるポーラも、断るのをはばかられるほどに真剣な眼差しをこちらに向けてくる。
ふたりともどうにかして私に、唾液を早く提供させたいらしい。
一刻も早くという気持ちはわかるけれど、同性なのだから乙女の気持ちをまずは優先して欲しいという気持ちもある。
そんなふたりが見守るなか、私は深呼吸をする。
そしてこの眼下で煮えたぎる熱湯のなかへ、これから自分の唾液を差し出すことへの覚悟を決める。
なんてことはない、ただの唾液。
そう思うことにより気持ちを抑える。
胸を痛いほどの鼓動が脈打つなかで、私は意識を集中させる。
いきます――
そう自分に勢いをつけて口元を動かす。
その瞬間、ポトリと一筋の糸をまといながら、真っすぐに墜ちていく私のしずく。
まるで私がそこへ身投げするかのような感覚に襲われながらも、紫に輝く熱湯のなかへ、それが小さな輪を広げて消えていくのを最後まで見守った。
なんだ、意外に簡単なことじゃない。
私は、さも平然とした顔で他のふたりを見据えた。
「な、なんかすごくエッチでしたね、ポーラさん……」
「えっと、私に意見を求めないでいただけると助かります、エイミーさん」
目を凝らして私をまじまじと見つめるふたり。
そのヤケに昂った表情を見た瞬間、こらえていた感情が私のほほを赤く染めていく。
「もおっ! ふたりとも嫌いですうう!!!」
二度と人前ではするまいと私は誓った。
そんな私の唾液を受け入れた解毒薬には、特に真新しい変化はなく、完成した当初と同じようにぐつぐつと煮えたぎったままだ。ただ効果の変化まではわからないため、今はエイミーの言葉を信じるしかない。
「ではさっそくアハトさまに飲ませましょう」
「ですね! じゃあ続けて申し訳ありませんが、ソフィーさんにアハトさんを膝枕をしてもらい、ついでに薬を飲ませてもらいましょう」
「えっ!? わ、私が飲ませるのですか?」
「ええ、早くアハトさんの頭を起こしてあげないと、寝たままで薬は飲めませんから」
エイミーの言葉に反論出来ない。
仕方なく彼の頭の下へ自分の膝を入れ、膝枕の状態で薬を飲みやすい状態に起こす。
全身が紫に変色した状態の彼は、頭を起こされるとき、少し痛みを訴えるような声をあげた。すでに毒が全体にまわり、肉体が徐々に死滅しているのだとエイミーが隣でつぶやいた。
その言葉にいたたまれなくなり、思わず顔を背けてしまった私に代わり、解毒薬を飲ませる役はポーラが引き受けてくれた。
「では、アハトさま、どうかこの薬をお飲みになってください」
「……」
ポーラがそう語りかけながら、彼の口元に解毒薬の入った湯呑みを近付ける。それを昏睡状態の彼が無意識のなか、ゆっくりと飲み込むようすを、私たち三人が祈るような気持ちで見守った。
「アハトさま……」
「少しようすを見ましょう。薬に効き目があれば、まずは肉体の崩壊からでも、すぐに改善するはずです」
エイミーの言葉に従い、私たちは彼の回復を待つ。そのあいだ時が過ぎるのをもどかしく感じながらも、三人の視線は彼から離れることはなく、ただ祈るように黙って見つめていた。
しかし――
「おかしいです。すでに時間はかなり経ちました」
「そんな……あれだけの種類があった薬草を一度に投与したはずなのに……」
「もしかして私の唾液が逆効果だったのでは!?」
「いえ、薬自体がまったく効果を示していません!」
「では、もうどうすることも出来ないのですか」
「残念ながら、私たちのチカラでは……」
「アハトさんっ!!」
薬の投与は失敗に終わった。
絶望する私たちはそれぞれが意見をぶつけ合いながらも、何か可能性を見い出そうと必死にもがいた。これまでの苦労が一瞬にして無駄に終わったこと。それを悔やむ暇もないほどに。
「王国警備兵内で聞いたことがあります。軽度の回復しか扱えない王国や帝国に仕える【下級僧侶】を、はるかに凌ぐチカラを持った【上級僧侶】なる者たちがいるらしいと」
「私も両親に聞いたことがあります。神国カーディナルがそのような僧侶ばかりを抱えた国であると」
「あーおふたりとも、残念ながら神国カーディナルは高額な寄付をしないと、他国に協力しないそうですよ。まあ、最近起きた政変のあと、そういう方針になったらしいんですけど、以前はそのチカラを秘匿していましたからねえ、あの国は」
私とポーラの聞きかじった小さな希望は、仕事柄、国家間を旅慣れた事情通のエイミーによって、早くも否定されてしまった。それでも全員が落ち込まないのは、残念ながらこのような場所に、それほどのチカラを持つ僧侶がいるわけがないと諦めているから。
ただ、半ば諦めのような話題だったことが、少し私の心に引っかかった。もし話にあったような【上級僧侶】がいれば、すぐにでも彼を治せるのにと。
私はそこで愚かな過去を思い出してしまう。
貴族の娘として生まれた私、ソフィー・ベルモントの、誰にも話せない過去のことを。
それを最も象徴する証がこれだ。
― ステータス画面 ―
誰しもが十二歳になれば、必ず眼前に現れる。
可能性を秘めた複数のジョブがそこに示され、
その場で自らの道を選ぶことを強いられる。
でも私はあれから一度たりとも、自分のステータス画面を見ることはなかった。いや、見るのが怖かった。
十二歳で知った私の限界はそこで終わっていた。
並んだジョブはただひとつ。
【庶民】だった。
なんのスキルも持たない不遇のジョブ。
ただの一般人を示すモノだった。
これでも自分の出自についてはそれなりに自負していた。父はアスラマサクスの貴族。そして母は先ほど話にも出ていた、神国カーディナルの出自を持つ者。当然その両親から生まれた娘ならば、父のように【大商人】や【宮廷士官】といったジョブに見劣りしないだけの能力を期待されてしまう。あわよくば母の【占星術師】や【下級僧侶】のようなジョブでもそれなりの道はあるはずだった。
けれども私に示された限界は【庶民】。
十二歳で絶望のどん底に落とされた私は、娘の不幸を悲観する父に願い、アスラマサクス教団のもとでジョブの放棄を実行した。寄付次第で誰もが気に入らないジョブを放棄し、その後の行いで新たに示されるジョブを選び直すことが出来ると言う禁断の術に、私は迷わずすがりついた。
そして私は【庶民】という屈辱の啓示を自ら否定し、抹消した。
その後はずっと気持ちの整理もつかず、新たなジョブを得ようともせず、ただ何もない時間を過ごしただけ。けれどもその当時は後悔などなかった。むしろ【庶民】を選ぶくらいなら、なにもジョブを持たない方がマシだとさえ思っていた。
それを最近になってひどく後悔する自分がいた。
奴隷に堕ち、あの方に解放されたとき、自由になった自分には、それまで辿ってきた道がないことに気付いてしまった。すぐさま元通りに進む自分の道さえ私には存在しないことを。
許されるなら、もう一度イチからやり直したい。
そう願って何度もステータス画面を、自ら念じ出現させようと努力してみた。
でも出来なかった。
とても怖かった。
またあのジョブだったらどうしようかと。
神の示す道から逃げ出した私。
そんな私には、あの画面を開く勇気が未だに湧いてこない。
「――さん」
「―フィーさん」
「ソフィーさんっ!!」
「は、はいっ!!」
「どうしたんですか! こんな大変な事態に」
「す、すみません……」
悪夢のような過去から呼び戻される。
気付けば何度もエイミーに呼びかけられていたらしい。
「それよりも大変です! アハトさんが吐血を……」
「えっ」
覚悟していた事態が思ったよりも早く訪れた。
私の膝元で口元から血を流す彼を直視した瞬間、背筋が凍った。
それと同時に自分の過去に絶望する比ではないほどの消失感に見舞われ、無意識に彼の名を叫んだ。
「ダメ! アハトさん、待って! 私はまだ貴方に何も返していないの! だから……」
私の涙が彼へと零れ落ちていく。
自分でも気付かなかった大きな焦りが、今になって襲いかかる。
彼を失うわけにはいかない。
彼を救うと決めたのだ。
私は絶対に彼を死なせない。
「……だからお願い! 死なないで、アハト!!」
そこで私――いや、私たち全員の視覚と聴覚が光と共に奪われた。
神のお迎えが来たのかと錯覚した。
私がアハトの名を呼ぶと同時に、光が自分を真正面から照らしていることに気付く。
神々しいほどの眩しい輝きが辺りを覆い、なぜか私だけが視認出来る場所にそれは現れた。
「まさか、そんな……!」
それを私は知っていた。
知っているからこそ、受け入れることも早かった。
迷わずそこへ手を伸ばす私と、それを了承するかのような加護の光が、自身を貫く感覚を覚える。
「な、なんですかこれ……ソフィーさんご無事ですかあ!!」
「眩しすぎて、私には何も見えません。おふたりとも大丈夫ですか? ア、アハトさまは――」
ようやく戻った聴覚。
近くにいるはずのふたりの声が遠くに聞こえる。
そんなふたりに無事を伝えることよりも、大事なことに目覚めた私は、自らの意思に従い、それを実行する。
唱える言葉はもう知っていた。
神に与えられしチカラを初めて体感する。
迷いはもうない。
私はこの道を進むことに決めた。
さあ戻って来て。
私たちにとってあなたは大事な人だから。
誰にも奪うことを許さない。
たとえもし奪われたとしても、必ず取り戻してみせる。
そう、
このチカラで。
「ディスペライト」
願ったのは癒すチカラ。
淡い緑の光がアハトを包み込み、毒色に変質した肉体を正常へと導いていく。
「ソ、ソフィーさん……」
「き、奇跡でしょうか、アハトさまのお身体が元通りに……」
奇跡を目の当たりにしたふたりが言葉に詰まる。
それは私も同じ気持ちだった。誰もが信じて――いや、最も私が信じていなかったから。
手にした奇跡は癒しを司る道。
【上級僧侶】のジョブは、なぜか私のステータス画面に示されていた。
祈りのチカラが奇跡を呼んだのか。
迷わずそれを選んだ私に、神の御業が託された。
頭に浮かんだのは、アハトを救う言葉。
それを唱える代償と引き換えに、私の身体は今、とてつもない疲労感に見舞われている。
「あと……お願いしま……すね」
その一言を絞りだすようにふたりへと伝え、私は意識を手放した。
このうえない達成感と共に。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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