閑話 クリスマス企画長編 銀世界でキミと
久しぶりの投稿です。
本編ではなく閑話の長編ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
「お久しぶりですね」
白の世界に突如それは現れた。
久しく会っていないそれは、人と同じ呼称で良いのだろうか。
それにしても、しばらく会わないうちに彼女は――こんな話し方だったか? 以前は僕から祖母の記憶を読み取り、それを利用してずいぶんと乱暴な言葉使いだったはず。それが第一声にどうしたことか、にこりと笑みを浮かべて僕に丁寧な言葉使いで挨拶をしたのだ。
もしやイメチェンとか?
あの話し方ではやはり品位とか神格? そこを疑われてしまうのかもしれない。さすがに下級神とはいえ、彼女はれっきとした女神。見た目は申し分のないところもあり、今の話し方のほうがしっくりとくる――のだけれど、なんだかムズ痒い気がするのはどうしてだろうか。
そもそも僕と彼女は一度しか会っていない。
あの事故のあとに漆黒の闇に呑み込まれ、新たな世界に転生するまでの、ほんの短い時間の間――それは僕にとって忘れられない衝撃的な出来事だったせいか、なんだか彼女とは以前からずっと知り合いだったような気がしてならない。初対面なのに、こんな風に彼女を身近に感じられるのは、女神であるにも関わらず、まるで僕とは親友か何かだったかのように、親し気に接してきた彼女の影響なのかもしれない。
だが今の彼女は違う。
前回見たときとまったく同じ姿なのに、何かが違う。
これは久しぶりに会ったせいなのか、それとも彼女はあの女神に似ているが、実はまったくの別人だとか?
「どうかしましたか? 陽介さん」
「――!」
僕が返事をせずにいるのを不思議に思ったのか、彼女は小首をかしげながら笑みを浮かべ、再び話しかけてきた。
だが、そこで確信した。
実のところ本当の彼女はこれなのだと。
あの短い時間での出来事は本来、彼女の不注意で僕をこの世界に呼んでしまったことに対しての謝罪のための時間だった。そして僕の許しを得るため、仕方なく身内の記憶を探り、こちらに対して向こうが有利に話を進めるための作戦だった。結果として僕にバレて洗いざらい白状してしまったのは、彼女としては予想外だったのだろうけど、問題はそこではない。あの話し方は彼女の素ではないのだ。神の力で身につけたいわゆるスキルと同じ能力。なのになぜか僕はアレを――あの話し方をする彼女が、彼女自身だと勝手に思い込んでいた。
そうか。
あのときの彼女はもういないのか。
そう思うとひどく寂しい気分になってしまうが、どうしようもない。僕が勝手に思い込んでいた彼女らしさという偶像を、思っていたのと違ったので、すみませんが、もう一度あれに戻して下さいなんて言えるわけもないし。
そんな僕の内心の葛藤を知らずか、いや、女神なのだからそれくらい読み取ってはいるだろうけれど、あえてそれに反応もせずに黙ってこちらを見つめている彼女――下級神ノアに言葉を返す。
「ごめんなさい。久しぶりなうえに、いきなりこんな銀世界に来たもんでつい……」
そう言って辺り一面を見渡す。
なぜか周りは雪景色だった。
これが夢か現実なのか、今は区別が出来ない。
とりあえず景色と比例するような寒さは感じられないのが幸いだ。寒いのは苦手な僕だが、吐く息は白くても、体が凍えることはなかった。
「ごめんなさい。いきなりこんな場所にお呼びしてしまって。お気を悪くしてしまいましたか」
「あ、い、いえ。そんなことはないですけど、突然なんでびっくりしただけです。き、綺麗な雪景色でですね。あ、あはは……」
ウソではない。本当にただ驚いただけだ。
困り顔の彼女に対して忖度するわけでもなく、ただ単になぜ一面雪の世界にいるのかが疑問だった。だが、そんな僕の顔色を見たのか、あるいは心を読んだのかは知らないが、女神ノアはニコリと微笑んだ。
「良かった。実は陽介さんの世界では、ちょうど今が12月なんですよ。なので以前、世界神さまに伺った、【クリスマス】というものを、異世界に転生した貴方にもちゃんと楽しんでもらえたらどうかと――」
「ク、クリスマス……ですか? これまたどうしてそんな……」
当然ながら異世界にクリスマスなんて文化はない。
そのきっかけとなる出来事や人物が存在しないからだ。したがってサンタクロースなる人物が、あきらかに周りにバレるような派手な衣装を身にまとい、真夜中、人様の家に煙突から勝手に忍び込んできたりとか、ケーキやキャンドルの灯で楽しい雰囲気になることもない。
ちょっとトゲのある言い方になるのは、僕がクリスマスに対して、あまり良い思い出がないせいもある。記憶は薄れてきているけれど、両親は共働きだった。当然誰しもが忙しい12月。特にクリスマス時期など、家には僕しか居なかったし、プレゼントは子供のことをよく知らない親たちなので、オモチャとかではなく、千円札が数枚ほどテーブルに置いてあるだけ。自分で買うプレゼントなんて嬉しくもない。
だからサンタなんて、物心つく頃には存在しないって分かっていたし、世間の景気を良くするためのイベントだってのも知っていた。要するに可愛くない子供だったんだ。クリスマスの翌日、サンタにもらったプレゼントの内容を、学校で嬉しそうに話す友達たちの笑い声がなぜか辛かった。
でも信じている友達に真実は言えなかった。
羨ましかったのかもしれない。現実を見せない優しい親たちの元に生まれたことを。だからといって、それを恨んで友達に真実を話すなんてことはしちゃダメだろうと子供ながらに思っていた。違うだろう、そんな家族の関係を壊すなんてことはしてはいけない。寂しいのは僕ひとりだけで十分だろうと。
「ん? クリスマスをちゃん楽しんでもらおうとって……まさか、僕の記憶を読んで、こんなことを?」
「……」
思わず声に出てしまう。
僕しか知らないクリスマスの思い出。わざわざこんな世界に呼び出して、地球のイベントをやろうなんておかしい。きっと記憶を読んだ女神ノアが僕を不憫に思い、こんな企画を思いついたに違いない。
余計なお世話だと言いそうになるが、女神の憂いのある眼差しがそれを中断させた。きっと悪気はなかったのだろう。事実、その瞳には揶揄いとか冗談といった雰囲気は感じられない。
「あ、いや、ごめんなさい。わざわざ僕のために」
「ふふふ。良いんですよ。これも貴方に対するお詫びのひとつでもありますし」
お詫びか。
まあ、あのまま死んでいたかもしれない僕を、事故とはいえ、あの世界に転生させてくれた女神には、正直感謝しかない。向こうは迷惑をかけたなんて思っているようだけれど。
とりあえずここは素直に女神のクリスマス企画に乗るしかないな。と言うか、何もない、銀世界のこの場所で、一体なにをするのかは知らないが。
「では早速クリスマスを始めましょう。まずはえっと……」
「えっと?」
そう言って口ごもる女神ノアが、何もない空間から一冊の本を出現させる。少し角の痛んだ全体が緑色の本。どこかで見たことのある表紙には、サンタクロースがトナカイたちの引くソリに乗って夜空を飛び、クリスマスツリーの飾りつけが綺麗な大地では、多くの子供たちがサンタクロースご一行を指差して喜んでいる姿の絵が描かれている。本と言ったが正確には絵本だった。
「あれっ? そ、それって、もしかして僕の絵本……!」
小さい頃、自分で買った絵本。
その当時、クリスマスの雰囲気を味わうことが出来る唯一の品だったものだ。先ほど信じていないなんて言ったけれど、アレを女神に見せられて思い出した。僕は信じていないサンタを本当は信じたかったのだ。
でもなぜそれを女神ノアが。
ここまでくるともう、彼女が僕のクリスマスに関する記憶を読んだのは確実だ。それにしてもどうしてこんな時にアレを出したのか。世界神なる人物に聞いた話で、クリスマスくらい再現出来るだろうに。なぜわざわざこんな絵本を、しかも僕のモノだったやつを。
「世界神さまは日本で見かけた【クリスマス】に女性が着る衣装がとにかくエ……す、凄かったとしか教えてくれなかったもので、その【クリスマス】自体がどんな催しかは、特に何も仰っていなかったのですよ」
「い、衣装……?」
「偶然にも貴方の記憶からこれを見つけ出しましたので、これを使って再現することにしました」
「えっ! でもそれって子供の本ですよ!? 現実の世界とはちょっと――うわああっ!!!」
僕の制止も聞かずに空へと手を挙げた女神ノア。
彼女の指先が光り、眩い閃光が白銀の世界を覆う。
思わず目を防ごうとするが、そんな暇も与える隙も無く、地面から突如として騒音と共に地響きが起き、雪の大地を割って飛び出すかのように、巨大なもみの木――いや、【クリスマスツリー】が現れた。
「どうです? 立派な【クリスマスツリー】でしょう」
「いや、デカ過ぎですって!! 何十メートルあるんですかこれっ!!」
自慢げにそびえ立つツリーを両手で仰ぐ女神ノア。
天高く雲を貫く程に伸びた木は、その先端にある星の飾りが、まるで夜空の星のように見えるほどだ。そして飾り付けられた装飾品はどれも規格外の大きさで、ツリーに比例して巨大化している。
「家の形をしたオーナメントが、実物の家と同じサイズって嘘でしょ」
「なんでしたら住むことも可能ですよ。家財道具もちゃんと中に――」
「結構ですっ!」
勘弁してほしい。本物の家だったようだ。
天空に吊り下げられた家に住みたくはない。
それよりも実物の家を吊り下げても折れるどころか、わずかにたわみもしない、屈強なもみの木とか冗談でしかない。
「なんでこんな大きなツリーを作ったんです!? 普通のサイズでいいじゃないですか」
「え? でもこの書物にはちゃんと――」
「え?」
「ほら」
そう言うと女神は僕に絵本を渡す。
それを受け取り、最初のページを開いてみると、子供の絵本にありがちな多少というか、かなり盛ったクリスマスツリーが描かれている。一緒に描かれている子供たちのサイズと比較すれば、なるほど目の前にある巨大なもみの木に嘘はない。
地球の絵本が悪いのだ。
「申し訳ありませんでした。僕の世界の絵本がとんだご無礼を」
「良いんですよ。大は小を兼ねるって言いますから」
「……」
どこでそんな言葉を覚えたのかは知らないけれど、とりあえず謝罪を受け入れてくれたのでヨシとするが、まさか幼少期には気にもしていなかったことを、今更ながらに気付かされるとは思わなかった。絵本の絵は空想の世界を描いている話もあるので、現実には無い巨大なクリスマスツリーだってあるのだ。ただそれをそのまま再現してみせた女神の力はある意味怖い。
「では、次にケーキとキャンドルをご用意しますね」
「えっ!! あ、そ、それは普通サイズでお願いしますっ!!」
クスクスと笑う女神ノア。
本当に理解してくれたのか。
次はツリーの時と違い、絵本を開くようなことはせず、普通に手に持った呼び鈴を鳴らす女神。それと同時に巨大なツリーしか存在しない白銀の世界に、突然薄っすらとドアの形の筋が付いたと思ったとたん、空間がギイと音を立てて開き、そこから数名の女性たちが僕らの世界に入ってきた。
「えっ!? な、なんなんですか! 貴女たちのソレは……!!」
女性たちは女神ノアと同じく、神々しいほどに美しい者ばかりで構成されている集団だった。それぞれが手の上にトレイを持ち、そこには食欲をそそる料理の品々や、オレンジ色の柔らかな光を放つ色とりどりのキャンドルが乗せられており、ケータリング形式なのか、突然配達された注文の品のようにテキパキと、いつのまにか目の前に現れたテーブルの上に次々とセッティングされていく。
だが問題はそこではない。
彼女たちが身につけている衣装に対して、僕は思わず叫んでしまった。
「あれえぇ? なあにこの人間。どこから入って来たのぉ? もしかしてえ、ノアちんの知り合い?」
僕の訴えに反応したひとりが、まったりとした口調で僕に質問で質問返しをしてくる。いや、入って来たのは彼方達の方でしょうが。だがそれに対し女神ノアが返答する。
「ごめんなさい。すぐに共有するから」
「「りょ!」」
意味の分からない言葉を返す女神ノア。
当然のように頷く女性たち。
だが、その理由はその後の言葉で理解出来た。
「――なるほどぉ。ノアちんが転生させた人間の男の子ってぇ、キミのことだったんだあ」
「あらあら、ノアったらいきなりこんな場所に呼んだりして、彼が困ってるじゃないの。ヨースケくん、ごめんなさいね」
「ノアっちがご飯持って来いって言ったから来たけど、この子の思い出が理由なんだね。なんかちょっとイケメンなんだけど。これってノアっちの趣味ぃ?」
「オイなんだ! 筋肉が少ないぞ、人間ヨースケ。ノア下級神! もっとこいつを鍛えたらどうだ」
突然堰を切ったように僕に話しかける女性たち。
さっきまで知らない人たちだったはずが、一方的ではあるけれども、女神ノアと同様の情報を得ているかのような話題を僕に対して展開する。さきほどノアが言った〝共有〟とはもしやこれのことか。
そして皆が皆、まるで昔からの知り合いだったかのような態度で僕に語り掛けるなか、ただひとり隅にいる女性が念話? そんな感じの能力で「なんだ。女の子じゃなかったんだ。残念」と念を飛ばしてくるのが少し怖い。
あきらかに彼女たちは女神ノアと同格、もしくはそれよりも上の女神たちなのだろう。ノアが共有した僕に関する情報を瞬時にして会得するなど、ただの配達員ではないはず。
「はあ。やっぱり神さまの能力ってすご――じゃなくて!! 僕の問いかけの答えはっ!?」
危うく納得と感心で忘れる所だった。
問題は彼女たちの衣装。それはまさしく地球、僕の住んでいた世界の衣装。それもちょっと外では着れないんじゃないかっていう類のやつ。
「あーこれ? 可愛いでしょ! んーと。〝こすぷれ〟? って言うんだって」
「うわっ! ち、ちょっと、自分でスカートをめくらないでくださいって!!」
少し活発そうな、どことなくジーナに似ている少女っぽい女神が、ニコニコしながら自分のスカートをチラとめくって見せる。僕が慌ててそれを制するが、あまり男性からの人目など気にもしていないようすだ。
さまざまなデザインの真っ赤な衣装に身を包んだ、美しい女神たちが数名、僕の周りを取り囲んでいる。これはいったいどこのお店――いや、行ったことないですからね。僕、未成年だし。
女神たちの衣装はいわゆるサンタコスと呼ばれる代物だ。僕のいた世界ではクリスマスシーズンになると、こういうちょっと派手でエッチな衣装を身につける風習が最近流行っているらしい。以前は素朴なサンタクロースの衣装しかなかったはずが、いつのまにかこんなコスプレと称した過激な衣装が出回り、それを女の子たちが着て写真を撮ったりと、それはもう、ちょっとエッチでにぎやかな世間になってしまったのだ。彼女たちが着ている衣装の出所は分かったが、でもどうして僕の世界にあった衣装がここに。変な話、女神たちの前でなんだけど、神に誓って僕の記憶から作ったってことは絶対にないと断言したい。
「あぁ、それはぁ安心して。実はぁ、私たちの世界神さまがぁ、結構頻繁にヨーちんの世界にぃー訪問してるからだよぉ」
「ヨ、ヨーちん……てか、僕の心を……」
おっとりした女神が僕の心を勝手に読んだのはともかく、彼女の話によれば、その世界神という最高神は、僕の住んでいた世界、地球をまるで観光でもするかのように訪れ、そこで気に入った品を土産と称して女神たちに持ち帰るのが趣味らしい。タグを取るといった習慣が神の世界にはないのか、彼女たちが身に着けるサンタコス衣装の襟首に、購入した日本の量販店の名前と値段が見え隠れしている。
日本の女の子たちが着てもヤバいのに、それを異世界の女神たちが着用すればどうなるか。答えはひとつ。僕の目のやり場が渋滞中です。
「地球の人間て変わってるのね。こんなに布が少ないなら、もう着なくていいのに」
「うわわっ!! それをめくっちゃダメですって!! どことは言いませんけどっ!!」
大人っぽい別の女神がそう言うと、ほとんど紐のような赤いロープ状のモノが、ただ乗っかっているだけのある部分がめくられ、以前見た、あのアルテシアを越えるほどのモノが一瞬見えてしまった。
「ふふっ。人間の男の子ってちょっと純粋過ぎやしないかしら。私たちの裸でこんなに困ってるなんて」
「いや! 喜ぶ人だって絶対いると思いますよ。ぼ、僕はその……な、慣れていないだけで」
「ふーん。じゃあ向こうに戻っても困らないように、アタシたちで慣れておくってのはどう?」
「えっ!? うわわわああっ!!」
「あ」
いきなりジーナっぽい女神に抱きつかれてしまい、激しく動揺する。そのとき彼女のサンタコス衣装がするりと着崩れ、見てはいけない特別な部分が思いっ切り見えてしまう。思わず絶叫する僕と同時に、そこまでする気はなかった彼女も声をあげる。あまりに過激なハプニングによって僕の意識も朦朧としてきた。
「えへへ。ちょっとやり過ぎちゃった! ごめんね。ノアっちのオモチャなのに」
「そうですよ、ハレ。ちょっとやり過ぎです」
力強く腕を引っ張られ、僕は女神ノアのそばに。
心なしか、腕を掴むチカラは強い。
「そんなに怒んなくていいじゃない。別に取って食おうってわけじゃ」
「いいえ! 食べたらただじゃ済みませんから!」
あれ?
怒っていたのか。
ノアは。
どうにも最初の出会いの印象が強くて、異性として見れない相手だったが、どうやら彼女に嫉妬されたらしい。なんだか少し気まずい。
「いいですか。この料理はすべて陽介さんのために用意した物です。勝手に食べてはなりません」
「「え」」
僕とハレと呼ばれた女神が同時に声をあげる。
なんだ、料理の方だったのか。
少しホッとする。
「今日は陽介さんのクリスマスの思い出を良いものにする会です。あなたたちはもうお引き取り下さい」
「えー! こんなにたくさんの料理持ってきたのに、アタシたちは食べられないって酷くない!?」
「ここにあるケーキと料理とローソクを全部用意したの私だよお。ちょっとくらい食べてもいいでしょ? ノアちん」
「せっかくのパーティなんだから意地を張らないの。ノア」
「タンパク質の多い料理はないのか、ヒレ上級神。こんな甘いモノはいらんぞ」
「ヘラちんはあ、そこの鶏の丸焼きでも食べてよぉ」
ノアと他の女神たちが揉めだした。
神々が僕のせいで揉めるのは困るが、さきほど女神ノアがつい口走ったことに少し心がジンとくる。彼女はやはり僕のクリスマスの思い出を、良きモノに変えようとしてくれていたらしい。ただし異世界の女神の感覚での範疇らしいけれど。
目の前の巨大なツリーとたくさんの料理にケーキ。
ゆらゆらと揺れるキャンドルの小さな明かり。
これらはすべて僕が幼い頃に憧れたモノばかりだ。
誰もこんな機会をくれないまま、僕は命を失い、そしてこの世界へとたどりついた。
その原因を作ったのは女神ノアだったのかもしれないけれど、こうして僕の気持ちを汲んでくれたのも彼女だ。
それは彼女が僕に感じている、贖罪からの行動だとは思う。でも、それでも嬉しい。
そしてこのクリスマス会に、あと少し足りないモノがあるとすれば、それは間違いなくこれだろう。
「あ、あの……!」
僕は、隣で言い争いを続ける彼女たちに向かって声をかける。それに反応したのか、全員がこちらを振り向いた。
「ひ、ひとりじゃ食べきれないし、せっかくのクリスマスだから、みんなで仲良く一緒に」
「陽介さん……」
「ごめん、ノア。僕は……みんなとクリスマスを祝い……たい」
「……」
なんか恥ずかしい。
今まで僕はクリスマスが好きでも嫌いでもなかった。まあどっちかといえば嫌い寄りだったかもしれない。それがなぜこうなったのか、自分からクリスマスパーティーに誰かを誘うなんて。これもあの巨大なツリーやこのケーキや料理、そしてキャンドルの灯というこの上もなくワクワクとさせる雰囲気に、まんまとやられてしまったのかもしれないな。
赤くなった僕の顔を皆が見つめる。
一番先に表情を崩したのは女神ノアだった。
「そうですね。皆で食べましょう」
ノアが折れ、ここにみんなが集うクリスマスパーティが開かれることになった。
「さっすが話が分かるじゃない! スケっち!!」
「ス、スケっち……」
「ごめんなさいね。みんなでお邪魔しちゃって。迷惑じゃなかった?」
「い、いえ。大丈夫です」
「ふう。ノアちんのせいで食べられないところだったあ。ありがとねえ。ヨーちん」
「その変なアダ名付けるのって、もしかして流行ってるんですか。神々の中で」
「おい人間ヨースケ。そんなケーキなど食わずに、ホラ! 肉を食え、肉を!」
「ええっ! そ、そんな丸ごと……」
……。
「いやなんで念話で僕のことディスるんですか。文句ならノアに言ってくださいよっ!」
白銀の世界で皆と楽しむクリスマスのひととき。
あれだけの量があったはずの食事も、皆で一緒に食べればあっという間に終わってしまい、この会の終わりがゆっくりと近付いてきたと誰しもが思った頃。
「ん? この音……って……」
少し降り出した雪。
薄っすらと新たに積もりだす雪の大地。
暗い夜空のシンとした空気の中にリズムを刻みつけるように、シャンシャンと鳴る鈴の音が聞こえる。
「これって……も、もしや……!!」
思わず期待する僕。
クリスマスというモノの中で、一番憧れたモノ。そして同時に諦めていたモノ。決して信じてはいけないと幼心に誓ったその存在に、まさか異世界に来て遭遇するなんて。
「「あれは――」」
全員が上空に視線を向けるその先。
二頭のトナカイに引かれた小さなソリ。
その上に鎮座する赤い定番衣装の人物。
僕たちが見つめる中、それはゆっくりと旋回しながら雪の大地へと舞い降りて来る。
キャンドルの明かりが弱いせいもあり、辺りは結構な暗さだが、多少見え辛くともそのシチュエーションで疑う事は不可能というもの。
サ――。
思わず声が出そうになったその名前。
降り立ったふくよかな体格の人物。
真っ白な袋状のモノを背中に掲げた、誰しもが間違えることのない有名人。あの袋にはプレゼントが。初めてもらえるモノに酷く興奮してしまう僕。
「サ――」と声をあげる僕。
「セ――」と声をあげる皆。
『えっ! せっ……【せ】!?』
最初のひと文字目が違うのは異世界だからなのか。
いいや違ったっていい。あれは彼に間違いないのだから。
皆の言葉を押しのけるように僕は絶対の自信と共に彼の名を叫んだ。
「サンタさんっ!!」
「「世界神さまっ!!」」
え?
世界神?
この世界のサンタクロースって世界神て呼ぶのか。
困惑する僕に構わず、皆がその人物に駆け寄った。そして皆が手にした小さなキャンドルの明かりに照らされ、やがてその疑惑に包まれた全貌がゆっくりと姿を現す。
「あ、ああ……そ、そんな……」
それを目で確認するに、徐々に明らかになる真実と対になり僕を襲う絶望感。微かな陰影でふくよかだと思っていたその体型は、実のところ巨大な胸であり、サンタクロースの赤い衣装だと思ったのは、なぜか赤く火照った艶めかしいほどに強烈な色気を放つ肌の色だった。となると、もしかして全裸なのか。
いや――。
サンタの恰好、コスプレの範囲だが、確かに彼ではなく彼女は身にまとっていた。それも本当に申し訳程度に。
「な、なんて恰好なんですかあああ!!!」
そう声を荒げるのは僕ひとりだった。
それもそのはず。男性はこの場で僕ひとり。
周りは女性。しかも女神たちだ。
かく言う世界神も女神だったのだ。
女性同士ならどんな格好でも良いだろう。
だけど僕という男がいるんだ。
彼女に対して非を訴えてもいいはず。
それにしてもなんて強烈な姿をしているんだ。
およそ着るという概念から外れた赤いひも状の衣装。サンタへの敬意さえ忘れ去られてしまったようなその姿に、ここが彼の存在しない異世界であることを痛烈に思い知らされる。隠す場所は一応あるようだがそれも機能しているかは怪しい。というか隠せてない。その柔らかい綿菓子を薄い求肥で覆ったようなモノ。呼吸するたび――いや、常人では捉えきれないはずの、惑星が自転する微かな動きにさえ敏感に反応して揺れているような、プルプルとした赤く火照った大きな胸のその先、円錐の形をした小さな突起物がまるで隠せていない。
「せ、せめて、む、胸の先だけでも隠してくれませんか! し……刺激が強すぎますっ!!」
「ん? いや、隠してはいるのだが」
僕の要望に応えるつもりだったのか、世界神と思われる女性はそう言い返した。いやいや隠してませんてと思いつつ、反射的にその先を見てしまった。
「――なっ!?」
胸の先がフリーだと思いきや、その先端には何かが付いていた。てっきり丸出しだと思ったのだけれど、どうやら違ったようだ。一応は隠れている。そう、一応は。
「どうだ?」
「逆にもっと卑猥になってますっ!!!」
どうだと言われても、その円錐の飾りって、よくあるパーティ用のクラッカーでしょうが。それを胸の先に付け、さもセンシティブに配慮している風な世界神。加えてその人類が想像する域を越えてしまったかのような、究極の美貌でドヤ顔されても返答に困る。
「「世界神さま――」」
僕と世界神の平行線なやり取りに構うことなく、他の女神たちが世界神に対し、我も我もと寄り添い話しかけようとする。流石はこの神の世界の頂点に立つだけのことはあるのだろう。衣装の趣味はともかく、人望は高いようだ。
「お前たち。テルメのサウナで火照ったとはいえ、それを冷ます部屋に長居し過ぎではないのか」
「えっ……? テ、テルメ? サ、サウナ?」
よく分からない世界神の発言。
いや、十分に意味は理解できるけれど、今の状況に合っている内容ではないと思う。けれどもその時、困惑しっぱなしの僕の視界に、しまったという顔をしたノアを見つけてしまった。
「えーでもノアっちが、先に自分が涼んでるから、なんか食べ物持って【整いの間】に来いってさっき念話で……」
「整いの間……ってこの空間か」
だんだんと埋まっていくパズルのように、明らかにされていく今回の企み。ハレを始め、女神たちは何も知らないでここへやって来たらしい。
「ノア……お前……」
「あ、あはははは。陽介さん、ど、どうなさいました?」
「正直に言え。また何を企んでたんだ?」
「ううっ」
「言え」
「くっ! わかりま……わかったからその目ぇヤメぇや!!」
祖母から嫌々学んだ秘儀【自白への疾走】という名の眼圧に観念したのか、ブツブツと文句を言いながら、ノアの化けの皮が剥がれ落ちていく。彼女が白状したのはこんな理由だった。
世界神さまの意向でサウナに長時間監禁。
全員が蒸し上がってしまう。
真っ先に体を冷ますため、ノアがこの部屋に来た。
とりあえずなんか暇。
暇つぶしに僕の過去の記憶を読み返す。
クリスマスの思い出を見つける。
ある目的のため、僕を呼び出す。
楽しい時間。お互いにwinwin。
良い感じに僕がお腹いっぱいになったところで、計画を実行(未遂)の以上だ。
「また浅はかな悪だくみを。最初に会った時と同じじゃないか」
「うっさいわ! ワシの計画は完璧やったんや。それをお前がみんなで飯わけようって言うから、腹いっぱいにならへんかっただけやねんて!」
「じゃあ、僕の思い出を上書きするって話は……」
「ついでやついで! そうでもせんとお前呼び出す理由にならへんやんけ」
「わざわざしゃべり方を変えたのはどうして?」
「あのな。クリスマスに絡んでくる親戚の酔っぱらったオッサンみたいな口調で「おいクリスマスせえへんか」って誘うのと清楚な感じで「私とクリスマスしませんか」と言うのと、お前どっちに釣られる?」
「後者」
「ほらみてみ」
「うわぁ。最悪なんだけど」
「アホっ! こっちのがサイアクやっちゅうねん!」
再び以前と同じ乱暴な態度の下級神ノア。
言葉使いはともかく、やはり性格はこっちが真実だったようだ。
「はあ。さっきまでキミにはいろいろと感謝してたのに、今はそれが後悔でしかないよ……」
「ボケ。神を敬うのは当たり前やんけ。いつだってワシに感謝しとけっちゅうねん」
「でも下級神でしょ」
「うっわ! 神差別しよったでこいつ! ワシにそんな口の利き方すると、そこの世界神さまに言いつけるからな!」
「言いつけるもなにも、すぐそこにいるじゃん」
「あげ足取るなっちゅうねん!」
「仲良いな。お前たち……」
「「――っ!」」
僕らの口喧嘩に、なぜかジト目の世界神が呟く。
仲裁するわけでもなく、嫉妬にも似た視線に僕たちは思わずたじろいでしまう。そしておもむろに傍にいた別の女神へと顔を向けた世界神が、なにやらボソボソと話し出す。
「ここに私がいない間の内容を共有したい。ホロ」
「はい、世界神さま」
ホロと呼ばれた大人っぽい女神がそっと世界神の傍に近付く。きっと先ほどノアたちがやった例の〝共有〟とやらで、僕たちのここでの行動を知る為だろう。特にやましいことはしていないので、それに関してとやかく口を挟むつもりはなかった。
「そうか。お前は人間……し、しかも……男っっ……!」
「そうなんですよ、世界神さま。久しぶりですよね? この神界に男が居るなんて。男神たちを追放してからだと、うーん。五千年ぶり?」
気安く世界神に話しかけるのは、ジーナに似た女神ハレ。男神を追放? 五千年間も男がいない世界? よく分からない会話の内容が耳に聞こえた。だが、彼女の何気ないその言葉が世界神の逆鱗に触れたようだ。
「許さん。この私のテリトリーに、お前たち男が立ち入るなど、言語道断!! あの惨劇以降、人間への処罰は禁じられている故に、この男への過度な手出しは不可能……。ノア! これは私への当てつけか?」
「へっ!? え……っと、あの……その……こ、これには理由が……」
蛇に睨まれた蛙のような下級神ノア。
僕の隣で脂汗が流れ落ち、ガタガタと震えるようすは、見ていて少し気の毒だった。実際、世界神の怒りの矛先は僕にも向いてはいるのだけれど、その原因を作ったと言うか、呼んだのはノア自身だ。僕も世界神の鋭い眼光に怯えはしているが、彼女の視線は僕ではなくノアへと向いている。
何か企みがあったために僕を呼び出したらしいが、もうそれどころではない。それにそろそろ僕にも世界神の怒りが浴びせられるに違いない。先ほど過度な手出しは不可能とは言ったけれど、過度じゃない怒られ方はするかもしれない。残念だけれどクリスマスはまたしても嫌な思い出となってしまった。
「ごめんな。ワシのせいで」
「えっ」
僕の心を読んだのか、隣で怯えているはずのノアがボソリと呟いた。こんな状況になっていても素直に謝るところは評価するけれど、もう取り返しがつかない事態に僕も苦笑いするだけだった。
「忌々しいが人間の男よ。貴様は大人しく自分の世界へと戻るがいい。二度とここへは立ち入るな! 今すぐ立ち去れい!!」
「うわあああ!!!」
全裸に近い世界神のナニかが、激しくプルンと揺れたのと同時に、念を込められた何かが迫り、僕の視界が暗く暗転する。
「ああっ! せっかく例のルーレットの件についてちゃんと調べたかったのにっ!! クソボケぇ!!」
感覚が遠のいていくなか、隣で独り言ちる下級神ノアの企みを知ったが、もうすでに遅かった。前回同様、そこで僕の意識は途絶え、体はあの異世界へと飛ばされていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「かはっ!!」
押し出すような息を吐いて、僕は目覚めた。
その瞬間、さっきまでの出来事が回想される。
薄暗い部屋の中は僕の知っている場所だった。
たしかに昨日ここで就寝したはずだ。その後ノアによって神の世界へと呼ばれたのか。
それにやはり夢ではないらしい。
実際にあのとき食べた食べ物によって、寝ているような状態でも僕の胃袋は満腹だ。無意識に一杯になったお腹を手でさすっていたことで確信する。
「あのバカ。あれだけの量を計画では僕ひとりに食べさせようと企んでいたのか。冗談にも程があるっての」
ベッドの上で上半身だけを起こし、俯きながら独り言ちる。まったくとんだ目に遭ったものだ。【リセット】を得た原因を確かめるために企てたとはいえ、もう少し限度ってものを考えてもらいたい。まあ、その人間とはかけ離れた非常識なところが、女神たる所以なのかもしれないけれど。
「へっくしっっ!!」
先ほどまであの銀世界にいたせいか、あの場では感じられなかった寒さが、今になって戻ってきたようだ。大きなくしゃみをしたあと、ぶるぶると震えがきたので、慌てて周りを見渡す。
「寝る前、こんなに寒かったっけ」
ひんやりと冷たい床板に素足を下ろし、あきらかに冷気を放っているであろう窓辺へと近付く。そして、ただ切って縫っただけの無骨なカーテンをそっと開けて見ると、外は夜明けに近い雪景色となっていた。
「ははは。この世界に戻ってきても外は銀世界かあ」
思わず笑い、皮肉でもなく冗談でもなく、もしかしてあの神の世界は、ここと地続きだったとかと真面目に思案しながら、再びまだ温かさの残るベッドへと戻ろうと踵を返した。
「――!」
ドンドンドンと扉を叩く音に少し驚く。
一瞬、あの厄介女神が追いかけて来たのではと頭をよぎったが、それこそまだ寝ぼけているなと頭を振り、訪問者の待つ扉へと足を運んだ。そしてせっかちな扉が怒鳴る音を適当に無視しながら、自分を急かす相手に出会うために真鍮の取手を掴み、ゆっくりと引き寄せた。
「メリークリスマスっ! お兄さん」
「――!」
あの活発な女神かと一瞬思った。
クリスマスの文化を、この猫耳娘が知るはずがない。これはよく似たあのハレといったあの女神の冗談に違いないと。
しかしこれはどう見てもジーナだ。
ピンと尖った耳をピクピクと動かして、人懐っこい表情で僕に微笑みながら、乱暴に叩いた扉の状態を特に気にかけることなく、自分の話題を優先するところなど、まさに彼女そのものだ。
それよりも気になるのはクリスマスのこと。
ドキドキと胸が鳴るなか、おそるおそる彼女に問いかける。
「おはようジーナ。寒い朝から元気だけど、クリスマスって何?」
もちろん知っていたけれど、あえて尋ねてみた。
僕の知るクリスマスと異世界のクリスマスではまったく違う風習かもしれないし、間違っていたら後々弁解が面倒だ。それこそクリスマスという言葉だけが偶然一致した、ただの朝の挨拶なのかもしれないし。
しかし、僕がそう尋ねると、あきれたようすのジーナが、ため息をつきながら僕をジロリと睨んだ。
「はあ。ホントお兄さんてそういうとこ、たまに無知なんだよねえ……。いい? クリスマスって言うのは、昔の【世渡りびと】が――」
「ちょっと待った! わかった! その先は言わなくてもわかった! い、いや! 今思い出したから!」
ドヤ顔で語り始めようとするジーナを制し、忘れていただけだと説明する。すっかり失念していたのだ。この世界には僕と同じ世界から、過去何人もの転移者が居たことを。それらの故人が過去にクリスマスの文化を伝えたとしても、それは不思議ではない。というか、そもそもクリスマスって元世界の歴史から根付いたんじゃないのか。
「じゃあ許したげる! ねっねっ、それよりさあ、そのクリスマスのお祭りの準備が出来たからって、アル姉がお兄さん呼んでくるように言われたんだけど、早く来て!」
「えっ! お祭り? 朝から?」
朝からクリスマスの催しと聞いて、ギクリとする。
もしやクリスマスはまったく違う文化として、この異世界に伝わったのではないのかと。
「だからじゃん! 今年もちゃんと雪が降ったから、朝からみんな待ち構えてるんだって」
「ま、待ち構えてるって……い、一体何かな?」
「まーた、ド忘れ? もお。しっかりしてよね、お兄さん。朝からって言えばアレしかないでしょ?」
「……」
な、なんなんだ。
ま、まさか僕の知らないクリスマス文化ってモノが、元世界には存在していて、それを知らない僕だけが残念な人ってことはないだろうかと、急に寒さのせいではない悪寒が背筋を走っていく。
そしてそのまま強引なジーナに引っ張られながら、僕たちは部屋から外へと向かった。
「ひ、広場? 周りで街のみんなが輪になってるけど、これって……」
「うっわ、マジで忘れたの? お兄さん。まあいいけど、早くアル姉のとこに行こ」
まだ薄暗い夜明けの広場を、ぐるりと取り囲むように街の住人たちが待機していた。白い息を吐きながら寒さを堪えてまでここで待ち構えている理由が分からない。そこまでする異世界のクリスマスとはなんなのか。彼らのようすをよく見ると皆、手に何かの袋をぶら下げている。それも同じ形のモノだ。ますます謎が深まるなか、アルテシアが待つという場所までたどり着いた。
「あ。ヨースケさん。おはようございます」
「おはよ、アルテシア。今朝から大変だね」
いつもより厚着をしたアルテシアがそこにいた。
ジーナに引っ張られた僕が近付くと、彼女は白い息を見せながらニコリと笑みを浮かべ、丁寧に朝のあいさつをする。部屋を出る時に着の身着のままで来たせいか、周りの人たちよりも少し薄着の僕に気付いたアルテシアは、慌てて僕に毛布を渡してくれた。
「ありがとう。で、この集まりは一体何のさわぎ?」
「ね! 酷いでしょアル姉。せっかくお兄さんのために朝から準備したっていうのに、お兄さんたらクリスマスのこれを覚えてないんだよ!」
毛布に包まりながら、この騒動の理由をアルテシアに尋ねるが、横からジーナに茶々を入れられてしまう。忘れたと言うか、これは僕の知っているクリスマス行事とは違うんだけど。そんな彼女たちに対して、説明という名の弁解をただの苦笑いで省略する。
少し困り顔のアルテシアにお詫びをし、朝からの準備に感謝と労いの言葉をかける。隣でプンプンと怒るジーナには、だまって猫耳を撫でて落ち着いてもらう。
「おはようございます、ペイルバインの皆さま方。今年も恒例の行事がやってまいりました」
しばらく寒さに耐えていると、住人たちの囲む円の北側に置かれた台に、この街の領主らしき人物が演説を始めだした。初めて見る人物だが、年齢はそこまでいっていない感じだ。元世界で暮らす僕の親たちくらいだろうか。僕と同じで寒さに弱いのか、十分厚着の重装備に包まれた領主は魔道具の拡声器を使い、自分を中心に広場に輪を作る住人に向けて、気になっていたクリスマス行事の説明を始めるようだ。
「えー。毎年のことですので、今更説明など不要でしよう。寒さも厳しいので早速恒例行事を始めたいと思います!」
寒さに弱い領主は説明を放棄したようだ。
その説明を心待ちにしていた僕がいるんですけど。
早々と退散してしまった領主に代わり、僕たちが見知った人物が台に上がった。
「うむ。こちらも火には強いが寒さに強い、ただのドワーフ親父ですが、領主に代わり頑張りますぞ」
その人物が領主を皮肉ったジョークに対して、どっと会場が湧いた。大きな街の領主をディスっても許される人物などひとりしかいないだろう。この国の王と親しいあの人だけしか。
「レイウォルドさん」
クリスマス行事に鍛冶屋の長が出ることに驚いたが、まさかあのレイウォルド工房のレイウォルド氏自らが参加するとは思わなかった。まさかクリスマス行事って実は彼の店の新しい武器を披露する剣術大会か何かなのか。
「今からワシの弟子たちが恒例の準備作業をするので、もうしばらくの間、みなさんにはお待ちいただきたい」
物騒な予感がするなか、レイウォルド氏の合図により、工房で見かけた彼の弟子たちが、まだ新雪が積もったままの踏み荒らされていない広間に立ち入る。そして手に持ったロープを金槌と鉄の杭を使って、次々と地面に打ちつけていく。
「あれ、何やってるんだろ。クリスマス会場規制のロープでも張ってるのかな」
「まあ、忘れん坊は黙って見とけーみたいな」
何気に思いついた予想を、ジーナに揶揄されてしまう。知らないと言うだけでこの扱い。それほどまでにこの世界ではメジャーなモノなのか。知っている行事のはずなのに、今はまったく予想がつかないことで、なんだかモヤモヤした気分になる。
「変なイベントじゃないことだけ、祈るしかないか」
そうこうしているうちに、レイウォルド工房の集団は役目を終えたのか、無言で人混みの中へと消えていった。あとにはロープで張られた広場が残された。
「お待たせした。さあ、いつも通り街の住人の方々には、このロープの外側に沿って歩いてもらうとするかね」
再び壇上で拡声器を持ったレイウォルド氏が声をあげる。
その彼の合図で、待ってましたとばかりに大勢の住人たちが、どんどんと広場へと入って行く。
「あーこれこれ! そこの坊主たち。ロープの内側には入っちゃいかん。ちゃんと外を歩くように」
「「はーい」」
はしゃいだ子供たちに注意を促すレイウォルド氏。子供たちは皆一斉に声をあげて再びロープの外側を親たちと一緒に歩きだす。
「ヨースケさん、私たちも行きましょう」
「そだそだ。みんなでお祭りに参加しないと楽しくないよ!」
「えっ? こ、これがお祭りなの? って、ジーナあんまり引っ張らないで――」
彼女たちに連れられ、僕も広場へと入る。
今朝方に降った、ふんわりした雪が積もった石畳をゆっくりと踏みしめていくと、先ほど張られたロープの外側にたどりつく。街の住人たちはその外側をゆっくりと歩きながら、楽しそうに会話をしているが、この行動にまったく楽しさが感じられない。なぜ朝からこんな意味不明な行動をしているのか。
工房の弟子たちが張ったロープは、ある一定の法則で張られているためか、直線が多く、途中で何度かカクカクと入り組んだ場所を歩かされたりもしたが、アルテシアやジーナと会話をしながら歩いていくうちに、もう何だっていいやって気分になっていった。
「よーし。良い具合になってきたようなので、ここで終了としようかね。住人の方々はいつも通り、広場周辺の建物に入ってもらおう」
「えっ! これで終わり?」
レイウォルド氏の呼びかけで、ロープ際での変な行事は終了となった。このあっけない内容に思わず声が出てしまうが、アルテシアとジーナに背中を押されながら、僕らも街の人たちと一緒に広場周辺の家にお邪魔させてもらう。
「すまないね。邪魔するよ」
「いつもありがとうね」
「いいえー。毎度のお祭りですから」
「ささ。あなたたちも上にお上がりなさい」
建物に住む住人たちと中へ進む人々の間で、そのような会話が交わされる。住人たちはいつものことのように笑顔で皆を出迎え、入る人たちも一応の挨拶をしながら、部屋の奥の階段へと順に上って行くようすだ。僕たちも優しそうなご婦人の薦めで階段へと向かう。
「広場周辺の建物って、結構広くて高さもあるけど、もしかしてこのため?」
「そうそう。この広場周辺に住んでる人たちは、クリスマスのために毎年ああやって皆を出迎えてくれるんだよ。アタシは去年、反対側の建物に登ったなあ」
「私のいた帝国ではお城に登ってました。皇帝がそういうの好きなお人でしたから」
「お城……またずいぶんと大掛かりなクリスマスだったんだね。アルテシアの国は」
アルテシアとジーナが、クリスマスの思い出を語るなか、いつの間にか僕たちは最上階の部屋へと辿り着いた。すでに大勢の人が、その部屋の窓から外を眺めて騒いでいるが、何が始まるんだろうか。
「私たちも行きましょう。ヨースケさんは初めての気分ですし、きっと驚きますよ」
「う、うん」
アルテシアに手を引かれ、窓の辺りへと人混みをわけて進んだ。すぐに大きな窓枠が近付き、開かれたその傍に立つと、僕は彼女の言ったとおりに驚いてしまう。
「うわあ」
それは圧巻だった。
街の住人たちと一緒に、ロープの外側から雪を踏み歩いていたのは、このためだと知った。
「これは……クリスマスツリー?」
踏みしめられた広場は雪が解け、黒っぽく泥のような地面になってしまっているが、ロープの張られた内側は、それに沿ってもみの木の形に雪が残っている。
「途中カクカクとした部分て、あの木の枝の形だったんだ」
歩いているときには気付かなかったが、工房の人たちはそれを狙ってロープを張っていたらしい。その成果がこの広場に浮かび上がった、巨大な雪のクリスマスツリーだった。
僕たちが階段を上るあいだに、工房の人たちがツリーの枝先の辺りに大きな魔導ランプを置いてくれたらしく、薄暗い街に浮かび上がる明かりで照らされた雪のツリーは、まさに幻想的な雰囲気を醸し出している。
「ずっと昔はこの広場に、これよりもっと大きなもみの木が立っていたらしいんだけど、魔神戦争でなくなっちゃったんだって」
「そんな大きなもみの木が?」
ジーナの話に驚いてしまう。
この世界にも巨大なクリスマスツリーが存在したらしいのだ。
「うんうん。んで、なくなったツリーの代わりに街の人たちがみんなで協力して、この雪のツリーが出来たってわけ。なんかすっごくロマンチックでしょ。お兄さん」
「うんうん。これは凄いよ、ジーナ」
ペイルバイン育ちのジーナが微笑みながら語る。
彼女の自慢の雪のツリー。ここに登るまではまったく意味不明だった作業が、街の住人たちの協力によって成し遂げられるという絆の行事だったのだ。みんなの結束力も感心してしまうが、それよりもその昔、こんな大きなもみの木が存在したことに驚く。あの絵本のとおりに下級神ノアの作りだした巨大なツリーも、あながち嘘じゃないのかもしれない。
「皆、ちゃんと上ったみたいだな。では各自で用意した例の物を手に持ってくれ」
再びレイウォルド氏が建物に上がった住人たちに呼びかける。彼の口から例の物と言われ、ハッと気付いた。そう言えば広場へ来たとき、皆が手にしていた袋があったな。もしかしてあれのことか。
「ど、どうしよう……僕、それ準備してないや」
初めて知った行事だ。そんなモノをあらかじめ用意出来るはずもなく、ひとり取り残された気分になってオロオロとしてしまう。中学生の夏ごろ、ひとりだけ制服が冬服用だったときの疎外感を思い出してしまった。まさにあのときの気分だ。
「だーから。準備したって言ったでしょ? お兄さんてば、アル姉に感謝しなよ」
「えっ! ぼ、僕の分も用意してくれていたのか。さすがアルテシア! 感謝するよ」
どうやらアルテシアのおかげで、行事から外れることは免れたらしい。彼女に感謝しつつ、その準備したという、あまり重さを感じない真っ白な袋を手にした。
「ありがとう。でもこれを持ってどうするの?」
「今からレイウォルドさんの合図がありますよ」
アルテシアの言う通り、続いてレイウォルド氏から次の指示が説明される。
「じゃあ、その手にした袋を、皆一斉に窓からツリーに向かって投げてくれ。届かなくても大丈夫」
「ツリーに? ああ、なるほど。建物に上がったのはその為でもあったのか」
ようやく袋の意味と建物にあがった理由がわかりかけてきた。たぶんこれはきっとアレだ。
「では。投げてくれい!」
魔導拡声器から轟くレイウォルド氏の掛け声と共に、歓声のなか、広場周辺の建物から一斉に雪のツリーに向かって、真っ白な袋が投げられる。夜明けの空に舞う無数の袋は、自分で投げながらも楽しかった。
ポスポスという音がツリーの近くで響く。
それは皆が投げた袋が、雪の絨毯に落ちた音だ。なかには袋に重い何かを入れたのか、ドスッ、ガシャンといった音も紛れている。家族で投げる人たちのなかには、小さな子供が投げたいと親にせがみ、その非力なチカラで投げたせいで、当然ツリーまで届かず、建物のひさしの上の落ちてしまうといった一面も見られた。
各々がそれぞれの袋を投げ終えた頃、広場には無数の袋で飾り付けられたツリーがあった。
「ではいつも通り、投げた袋をひとつだけ持ち帰ってくれ。まあいつものことだが、中身が自分の欲しいものと違っていても、文句は言わないことだ。それも今年最後の運試しだからの」
レイウォルド氏の定番ジョークなのか、窓辺から顔を出した住人たちに笑いが起こる。やはり予想通り、この袋はそれぞれの住人たちが用意した【クリスマスプレゼント】だった。
そしてそれを袋に入れてツリーへと投げ、どれがもらえるか分からないという、いわゆるお楽しみプレゼント交換会となっているらしい。僕が投げた袋は途中で他の袋と紛れてしまい、今はどこに落ちたのかも不明だ。まあ、お楽しみ交換だから、どれが当たっても文句は言いっこなしだけれど、出来れば、あのガシャンと音を立てた袋は受け取りたくない。
「オイ! 早く行こうぜ」
「あ! ねえ。ちょっと待ってよ。あたしも行くから」
我先にと階段を下りていくのは若い男女たちだ。
目当ての袋をいち早くゲットしたいのはどの世界でも同じ心情らしい。彼らのように僕らも急がないと、良いプレゼントに当たらないかもしれない。ワクワクというか、ソワソワした気分になるのは、こういう行事のお約束だろう。
「えっと、僕らもそろそろ袋を取りに急がないと」
「お兄さん、あの恋人たちに影響されたんでしょお? ふふっ。せっかちなんだから」
「えー。でもある意味僕らも参加者として努力を――」
「大丈夫ですよ。ヨースケさん」
「「ええっ!?」」
うしろから声をかけられた、僕とジーナが振り向くと、窓際に足をかけたアルテシアの姿が。思わず声をあげてしまう僕らに、彼女はニコリと微笑んだ。
「私たちが投げた袋は、ちゃんとどこに落ちたか分かっていますので」
「あ、あの無数の袋の中から、僕らの袋を!?」
「アル姉、それって凄いことなんじゃ……」
信じられないことだが、アルテシアの目にはちゃんと僕らの投げた袋の追跡が出来ていたらしい。窓枠に足をかけていることに、少し不安がよぎる。
「ここで待っていて下さい。すぐに取って来ますから」
「えっ! こ、ここは五階だよ? あ、あぶな――」
「アル姉! ストップ!!」
僕らが止めた甲斐もなく、アルテシアが窓から飛び出していく。
慌てて窓の方へ向かい下を見下ろすと、目にも止まらぬほどの速さで動く彼女が、驚く民衆のすき間をぬって、僕たちの袋を次々に回収する姿が見えた。彼女の凄さは認めるけど、せっかくのんびりしたクリスマスムードのなか、出来れば普通にみんなで和気あいあいと取りに行きたかった。
「あんまりいなんじゃない? 自分が投げた袋をちゃんと人数分回収出来た人って……」
急いで階段を下り、アルテシアの下へ向かう。
少し泥で汚れた袋を三つ、嬉しそうに掲げる彼女に対し、僕の隣でボソリとそう呟いたのはジーナだった。
周辺では未だにどれがいいだとか、袋の選別で騒ぐ住人たちがいる。僕の足元に落ちている袋からは、赤い液体が染み出しているモノもあり、これがあの音を立てて割れた袋だと確信する。きっと持ち主がワインか何かを入れたのだろう。割れてしまったら元も子もないのに。
「ねえねえっ、お兄さん、早く中身を開けて見ようよ!」
「え? あ、そっかプレゼントだったんだよな。これ」
「ではこれがヨースケさんへのプレゼントです」
「あ、うん。ありがとう、アルテシア」
アルテシアが同じような袋から一つを選別し、僕にくれた。最初に持った時と同じ、軽い袋の中身が何か気になり、袋を閉じている紐をゆっくりと解いていく。
「あ。これは……」
袋を開けると、なかに入っていたのはマフラーだった。白と茶色と茶色の中に、細いブルーのラインが入った手編みのやつだ。
袋からそれを取り出し、自分の首に巻く。
朝方、冬の寒空の下、首元が冷気から守られるのを感じる。
「アタシのはオレンジ一色だね。可愛いじゃん」
僕の隣で袋を受け取ったジーナも、中身はマフラーだ。
オレンジ一色で出来た、これもざっくり感のある手編みのやつで、彼女に似合っている。
「私のは青です」
最後に袋を開けたのはアルテシア。
真っ青な色が彼女の首に巻かれていた。
「いいね。アルテシアに似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます。徹夜して編んだ甲斐がありました」
「えっ! キミが編んでくれたの? これ三つとも?」
徹夜と聞いて、アルテシアの目の下が赤いことに気付く。彼女はこれを三本共、自分で編んだのだと頷いた。
「今年はアル姉が自分で全部用意するって言ったんだけど、来年はアタシが考える番だから、お兄さん、楽しみにしといてね!」
「えっ!? そ、そっか……う、うん。楽しみにしとくよ、ジーナ」
「今お兄さん、けっこうムカつく事考えてね? 言葉の節々に表れてんですけど!」
「いや、きっと気のせいです……」
感の鋭いジーナの攻撃をかわしつつ、マフラーを口元まで押し上げる。なんだかアルテシアに包まれているような気分になり、同時に初めてのクリスマスプレゼントに心が躍る。
「ありがとう、アルテシア。ジーナもね」
「メリークリスマス。ヨースケさん」
「メリクリっ! お兄さんっ」
それぞれがマフラーに包まれ、クリスマスのひと時を感じる。これが僕が望んでいた、待ち焦がれた、クリスマスの醍醐味なのだろうか。すべてが平和で、ひとつひとつの時間と行動が愛おしく、流れる空気も心を温めてくれる。そんなクリスマスを僕は待っていたのかもしれない。
「これが幸せという時間――」
― まーだ、終わりじゃないぞ! ―
「――!?」
突然、暗い空から聞こえる声に、周りの住人も含め、僕たちも見上げる。そこには黒塗りの黒檀で出来たような仏具風のソリと、見覚えのある面子が寄り集まって宙に浮かんでいた。
「そ、その姿は――」
一番中心人物であろう女性は、あの赤い衣装を身にまとい、どこかで見たような雰囲気を醸し出している。あれは世界神と同じ類の人種なのか。
「クリスマスはまだこれからではないか。私はそのためにここへ来たのだ。貴様らの喜ぶ顔を見るためにな」
彼女の眼下に立つ人々はあっけにとられ、ポカンと口を開けたまま空を、彼女を見上げている。派手な衣装で言っている言葉はまさにサンタクロースっぽいのだけれど、その尊大な態度の物腰のせいか、どうにも魔王的な言葉に聞こえるのは気のせいだろうか。
「まさにその通りさ! さすがは我が孫だね。ロザリー」
「「「ローザ!?」」」
いつの間にいたのか、上ばかりに気を取られていると、背後から見知った人物の声、ペイルバインの影の支配者、武器商人ローザの姿が。全員が引き気味であるにも関わらず、ただひとり自らの孫を応援しているのはやはり孫娘可愛さ故か。
「これはこれは、私の愛しいおばあさまではないか。孫娘である私の晴れ姿をとくとご覧あれ」
ロザリア扮する禍々しいサンタクロースが乗っているソリの前方に目を向けると、そこには死んだ目をしたペイトンが、トナカイを率いているかと思いきや、黒狼族のメンバーたちが四つん這いで待機している姿もある。彼らもペイトンと同様、なにかを諦めた目をしていた。
「ペ、ペイトン。な、なんでそんなとこに……」
「うるせーよ。俺だって好きでやってんじゃねえ。いきなり首根っこ掴まれてロザリアさんにソリの御者をやらされてんだ! トナカイ役でこの無駄に重いソリを引っ張ってる、黒狼族のみなさんも同じさ」
たしか黒狼族たちは皆呪いを解いて見た目は人間だったはず。なのにソリを引く四つん這いの彼らは、以前の狼風の姿のままだった。
「ごめんよ兄貴……せっかく呪いを解いてもらったのに、またこんな役目のために元に戻っちまった」
トナカイの役をさせられているキースが、僕に向かって涙をこぼしながら謝罪する。それと同時に他の黒狼族たちもさめざめと泣き始めた。
「適材適所! 無駄な人選など私はしない!!」
ソリの中央でふんぞり返るロザリアサンタ。
いったい何しに来たんですか。この人は。
「クリスマスツリーも良いが、もっと楽しみはあるであろう。食事という楽しみが!」
「し、食事……」
恍惚な表情のロザリアサンタが言い放つ。
食事と聞いて、僕の心が少し波立ち始めた。
さっき散々、下級神ノアのところで食べたあとだ。出来れば遠慮したい。
「すみません、ロザリアさん。朝からそんなに食べられませんし、ここはまだ住人の皆さんもいることだし――」
「シャアラアアアッププププッッッ!!!」
とりあえずお帰り願おうと話しかけたが、逆にロザリアサンタの逆鱗に触れてしまったようだ。ひどくお怒りの彼女が、その手を高々と上げ、こう叫んだ。
「もう決まった運命だ。貴様らはサンタである私のもてなしを、黙って受け入れるしかないのだ」
「な、何を――!?」
空に暗雲が立ち込めると、稲光と共に照らされる、ロザリアサンタの鬼気迫る表情がそこにあった。そして彼女はゆっくりと手を振り下ろす。
「食らえっ! 【ミールストライク】!!」
ロザリアサンタの言葉と共に、空から無数の食事が降り注ぐ。おもてなしと言う割には本気で攻撃しにきている彼女。空から降る料理の品々に、一瞬喜びかけた民衆だが、それが恐怖に変わるには時間は必要なかった。人々は叫び、広場全体が大パニックとなっていく。それと同時に、この高さから降り注ぐ食事の流星弾に危機感を覚えた僕は、うしろに控えるアルテシアたちに向かって叫んだ。
「アルテシアっ、ジーナっ!!」
「「はいっ!!」」
僕の指示に応えてくれた二人が、それぞれの力を振り絞る。
アルテシアの七聖剣が次々と食事を破壊し、人々の頭上に落ちるのを防ぐ。一方、ジーナのスナッチによって、子供たちの頭に当たる寸前であった、パスタの盛られた皿が消えていく。
「いいぞ! その調子だ。ふたりとも!」
僕の奴隷である彼女たちの活躍により、多くの人命が救われて行く。だがその傍らで、黒檀のソリの上でようすを見ていたロザリアサンタが、激しく怒りに身を震わせた。
「貴様らあー食べ物をー粗末にーするなああああ!!!」
「きゃああ!」
「あうっ!!」
「ああっ!! ふ、二人ともっ!!」
猛るロザリアサンタが投げたのはトマトだった。
剛速球で投げられたそのトマトは、アルテシアとジーナの顔面を捕らえ、はげしく弾けた。そしてトマトによって真っ赤な顔になってしまった彼女たちは、その場にうずくまってしまう。テレビで見たトマト祭りであれが当たったときの痛さはわからないけれど、二人が倒れるほどだ。たぶん痛いんだろうな――って言うか、あのトマトは粗末ではないのか。
戦闘から離脱してしまった二人。
これでもうあの【ミールストライク】の被害からは逃れられない。絶望のなか、民衆を含め、僕の頭上に迫るビーフストロガノフとその他たち。
「残さず食うがよい!! ふははははははっっ!!」
ロザリアサンタの勝ち誇った声が、ペイルバインの街に響き渡る。
ごめん。
アルテシア。
ジーナ。
僕ではどうにも出来ない。
満腹な僕では、あの量の食事に耐えられないよ。
少食な僕を許して欲しい。
次に生まれ変われることがあれば、
今度はもっと――
「食いしん坊に――」
そう言い残す前に皿が当り、
またしても僕の意識が途絶えた。
きっとこれが最後だろう。
さようなら
クリスマス
さようなら
銀世界――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「くはあっ!! ぐっ! 痛っ!!」
何かの夢にうなされて目覚めた。
なぜか多少の痛みを伴って。
目覚めればまたもやベッドの上、
そばにはなぜかもんどり打って震えている、
金髪の女性の姿が。
あれはアルテシアか。
昨日ずぶ濡れになってしまった僕は、
それからの記憶がない。
「朝か……」
いつの間にか寝ていたらしい。
あれだけ降っていた雨は止んだようだ。
窓から聞こえる鳥の鳴き声が、この部屋に朝を告げる。
暖炉の火も薪を燃やし尽くしたようすで、部屋の気温も少し肌寒い。寒いと言えば、僕は裸だった。昨日ずぶ濡れになった服は、乾かすために暖炉の近くに掛けてある。体を覆っていたシーツやパフィーに借りた布は少し薄いので、寒いのはそのせいだろう。
アルテシアは依然として背中を向けて震えている。
まだ寒いのか? 少し気になったので、彼女の肌が冷たくなってないかを確認するために少し触れてみた。
「ひゃあ!」
「うわ!」
僕がアルテシアの肌に触れたとたん、彼女が小さく声をあげる。思わず僕も驚いて声をあげてしまった。どうやら彼女は起きていたらしい。
「お、おはよ。アルテシア」
「……」
返事がない。まさかまだ昨日のことを引きずっているのか? 夜が明ければ大丈夫だと言っていたけれど、目の前の彼女は昨日となんら変わらないようすだ。
「ア、アルテシア……?」
「……わ、私は気にしてませんから」
「へ?」
アルテシアがしゃべったかと思えば、突然意味不明なことを言い出した。こちらを振り返りもしない彼女は、なぜか耳まで赤い。
「は、母上には男性の方々は……朝が、その……た、大変だと聞いてますっ! しばらくすれば……お、収まるとも……は、母上にはそんなときは優しくお手伝いをしなさいと教えられたのですが、わ、私には何をどうすれば……ご、ごめんなさいお役に立てなくて……」
「は……?」
収まるとはなんのことだ?
いや……まさか……。
彼女の言葉の意味を理解するのに、さほど時間はかからなかった。僕の視線の先、そこには腰から下に掛かっていたシーツを、激しく突きあげる僕の僕……。元気の有り余る青少年にとって、それは至極当然の生理現象。いわゆる■●▲だ。
「うわわああ! いやっそのっ! こここれは、な、なんというか、べ、べつにやましい気持ちの表れじゃなくてですね! い、いわゆる、男の子として当然のことと言いますかその……と、とにかく、ご、ごめんなさあああいいい!!」
いろんなものがテンパった僕は、とりあえず彼女に土下座をした。いや、なんかいつもこんなことで謝っているような気がしないでもないが……。
とにかく彼女が先に起きて、僕のそれを見てしまったことは理解した。純情な彼女が背中を向けていたことも。寝ている状態の僕には、こうなってしまった激しく自己主張をする乱暴な僕の僕を、いつもの大人しい従順な僕の僕に戻すコントロールなど出来るわけもない。不可抗力なのだ。というかアルテシアの母親は、彼女に何をどう教えているのか……。
彼女は騎士であると共に、とても純粋な少女だ。
昨日の大胆な行動は、きっと不安からくる衝動だったに違いない。いやー変な気を起こさなくてホント良かった……。あそこで手を出そうものなら、僕は彼女の信頼を二度と取り戻せなかったかも。自分の理性が仕事をしてくれたことに感謝する。
「ところでアルテシア。なんでさっきから鼻を手で隠してるんだい」
「な、内緒でふ。お気になさらずに」
僕の指摘に顔を赤く染めるアルテシア。
本人が大丈夫なら問題ないのだけれど、そういや僕も起きた時から額が少し痛い。
「寒いね。もう朝だし、カーテンを開けるよ」
アルテシアの了承を得て、僕は窓の方へと向かう。
暗がりのなか、床に素足を下ろすと冷えた床がとても冷たい。
あれ。
以前もこんな感覚をどこかで――。
デジャブのような現象に少し動きを止めて思考するが、すぐに忘れて目的の窓へと辿り着く。無骨なカーテンを開けると、窓から見える街の景色に驚き、思わず背後のアルテシアに叫んでしまった。
「見てごらん、アルテシア! 雪! 雪だよ! 辺り一面真っ白だ!」
「雪――ですか」
僕の呼びかけに応えたアルテシアが、シーツをまといながらもこちらへとやって来る。隣に立つ彼女の息が一層白くなったのは、この銀世界の寒さが原因だろう。
「昨日雨が降ったからかな。夜更け過ぎに気温が下がって、雪に変わったのかもしれない」
「あ。昨日パフィーが言ってました。ペイルバインではめったに雪は降らないけど、寒い季節に大雨が降った次の日の朝だけは、一瞬だけ雪景色になる日があるって」
「へえ」
「すぐにお日様によって溶けてなくなってしまうので、この街では【はかない銀世界の日】って呼ばれているらしいですよ」
「……」
はかない銀世界。
それを聞いた瞬間、少しだけ夢のなかの出来事を思い出す。クリスマスの嫌な思い出も同時に蘇ってきた。これも目の前に広がる銀世界のせいか。
夢の中ではアルテシアの他にもうひとり、気安い相手が居たはずだ。今もその会話の居心地の良さが微かに残っている。あれは誰だったんだろうか。他にも僕には友達や知り合いもたくさんいて、みんなでクリスマスで盛り上がっていたような気がする。でもあれは夢。僕だって現実と夢の区別くらいは心得ている。実際には起きていない出来事だったんだ。
「あ、アルテシア。今日お伺いするドワーフの工房って、なんて名前だっけ」
「えっと、確か【レイウォルド工房】だと聞いてます」
「レイウォルド……工房……」
「工房がどうかしましたか」
少し怖くなった。
アルテシアに聞いたその名前を僕は知っている。初めて知った名前なのに、なぜか憶えている。そう、確かに夢のなかで叫んだ記憶が。そして人の良いドワーフの主人の顔まで薄っすらと記憶していた。もしやあの夢は正夢? いや、これから起きる予知夢だったのか。
「じゃあ、もしかしてあのクリスマスは、これから起きる出来事だとでも?」
「クリスマスがどうかしましたか」
「アルテシア! クリスマスって行事があるよね? ツリーに色々飾り付けたり、ご馳走食べて騒ぐ……」
「えっ! ええ……【世渡りびと】が伝承されたという行事なら私も――きゃっ!」
アルテシアが軽く声をあげる。
それはボクが隣でガッツポーズをしたからだ。突然隣で無言で喜びだす主に驚くのも無理はない。
「そうか。やっぱりそうだったんだ。あれは夢じゃなかったんだ!」
「夢――ですか?」
「そうさ! 僕のクリスマスはきっと良い思い出になるんだよ。アルテシア!」
「えっと、お、おめでとうござい……ます?」
「うん。ありがとう! アルテシアもぜひクリスマスを祝おう!!」
「ふふっ。今年はもう終わってしまいましたが、また来年にでもきっと」
アルテシアが笑みを浮かべる。
鼻を隠したままだったが、その瞬間、彼女が急にのけぞった。
「クシュン」
「大丈夫かい。アルテシア」
「ええ。だいじょ――」
「あ」
「あっ!」
くしゃみをしたせいか、手を離したことで、アルテシアの隠していた鼻が僕の目に映った。
「ど、どうしたの? その鼻。真っ赤だけど」
「あ……そ、その……さっきヨースケさんの頭とゴツンて……なって……ごめんなさい」
真っ赤な顔のアルテシアがそう言って頭を下げる。
さっき起きあけに痛みを感じたのはそれか。
「大丈夫かい? 少し見せてごらん」
「いえっ! だ、大丈夫ですから」
寒い窓際でふたりの手が攻防を繰り広げる。
そんなやり取りを繰り返しているうちに、あることを思い出した僕は、思わずぷっと吹き出してしまった。
「えっ!? な、なぜ笑うんですか? もしかして私の鼻がとんでもないことに……」
笑いが止まらなくなった僕の原因が自分だと思ったアルテシアが隣であたふたする。そんな彼女にごめんと謝り、息を整えながらじっと彼女を見つめた。
「いや実はさ。僕の故郷の唄で赤い鼻のトナカイっていう――」
僕のクリスマスは嫌な思い出ばかりだった。
毎年それがやって来るのが怖いくらいに。
でももう怖いことなんてない。
僕のクリスマスはまたやって来る。
今度は楽しい思い出を真っ白な袋に詰め込んで。
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