第百二話 国境突破 ― 戦士と少女編 2 ―
「ようやく国境付近か」
俺たちは今、ペイルバインの南西に来ている。
馬車使いエイミーを雇い入れたあと、ソフィーから着替えが欲しいとの申し出を受ける。仕方なく何度か訪れたことのある一式横丁で旅の準備を済ませる。散々買い物をしたはずなのに、まだ未練があるようすの彼女を、引っ張るようにして街を出た。
アフェトンはペイルバインから南西の方角だが、俺のいた南の国境は当然南西にも張られている。そこでの揉め事は、なるべくなら起こしたくないが、南西の砦に俺の知り合いがいた場合、それは難しくなる。なんせ俺は南の国境では反逆者、もしくは異端者として名が通っているからだ。
「やはり馬車使いの方がいる馬車は快適ですね。それに車内もとても広いし」
幌のなかからソフィーがそんな感想を漏らす。
さすがに十日前、十一人もの数を乗せてやって来ただけあって、馬車は大きく、幌のなかも広い。俺たち三人だけではもったいない荷馬車だ。そのためだけに、わざわざこれを借金して買ったエイミーには気の毒だが、これを支払うのはほぼ不可能だ。馬は節約のため一頭だけだが、それだけでも維持費としては苦しいはず。アフェトンに着いたときが彼女の正念場だろう。
すでに半日。太陽は西に傾きだしている。それまでのエイミーの御者としての操縦は完璧だ。彼女もソフィーの言葉に気を良くしているのか、横顔が若干ニヤついている。
「そおでしょう、そおでしょう! 私もこう見えてベテランですからね。そんじょそこらの馬車使いには負けませんよぉ」
調子に乗ったエイミーが自慢げに声をあげる。
それだけの実力がありながら、なんで馬車を手放したのか理解に苦しむが、きっと運が悪かっただけなのだろう。
見た目は幼いが、彼女はもう二十二だ。
馬車使いがフリーになるのは、だいたい彼女くらいの年齢が多いらしい。なかには史上最年少で十六、七でフリーになる努力者もいるらしいが、若いから良いというわけではない。才能やセンス、取得したスキルの差も大きな要素になる。能力の低い者はずっと御者ギルドに所属しながら、その一生を終えるなんてことはザラにある。
かくいう俺もそうだ。
十二で戦士のジョブを選び、以来ずっとその道を極めてきた。十六で自分のパーティ―を組むまでは、さまざまな冒険者たちの下で、下積みを続けながら力を蓄えた。ソニアたちと会ったのも十六。それから六年でAクラスまで上り詰めたときは、今のエイミーのように一番調子に乗っていたと思う。まあ、それからすぐにあの事故があったんだが。
南の国境地帯までは、ほとんど魔物はいない。
いたとしても途中にある湖の森くらいだろう。ここまでスムーズに来れたのも、普段から徹底したペイルバイン周辺の治安維持に努める、南部国境警備隊所属の平原討伐隊の活躍によるものだ。自慢ではないがそこに俺も所属していた。
だからこそ、ベナトゥレス王国からの難民に対して、捕縛とは名ばかりの虐殺と鎮圧を行ったことが信じられない。南部平原の治安維持を信条とする俺たちが、なぜ罪もない難民を殺さなけらばならないのかと。
だがすでに事は起きてしまったのだ。今更どうすることも出来ない。少し感傷的になった俺は、気を取り直し、近付いてくる南西の砦を見据える。警備兵時代には何度か訪れたが、あまり変化はなさそうだ。あそこにはたしか門番兵が四人いたはず。そいつらさえうまく誤魔化せば門を通過出来る。御者台にエイミーだけを残し、俺たちはうしろに積んでいる籠のなかにでも姿を隠せばいい。暇すぎてやる気のない奴らも、きっとそこまで調べたりはしないだろう。
俺は頭のなかでそう策をめぐらせ、ソフィーやエイミーにそれを説明をしようとしたとき、砦の陰になって見えない位置から、何かが現れたのに気が付く。
「ん?」
砦の門前に、ある集団がいた。
それは俺のよく知っている奴らだ。
「まずいな。なんで奴らがここに……」
俺の警戒心が最大にあがる。
門前にいたのは、俺の所属していた平原討伐隊だった。人数は少ないが五人だ。無意識に一式横丁で購入した、鉄の錫杖に手がかかる。砦の同僚たちなら問題ないが、奴らは別だ。
「えっと、アハトさん。許可証はお持ちで?」
「なんだそれは。俺がいたときはそんな物なかったぞ」
「最近必要になったんです。私が御者ギルド所属なら必要ないんですけど、それがないと小一時間は拘束されて馬車のなかをすべて調べられますし、私たちもいろいろと尋問されちゃいますよ? もしかして街の詰所で申請していないのですか?」
俺は唖然とする。
知らなかった。たった数日のうちに、そんな変化があったとは。今までは獣人の国とは仲が良かった。しかし、今回の虐殺があって、その辺の警備強化が実施されたらしい。このまま門前に行けば、間違いなく俺はあいつらと事を構えないとイケなくなる。
「なんとかならないのか!」
「えっ! えぇぇぇぇ……」
「アハトさん!」
焦る俺は、思わずエイミーの胸倉を掴んで、彼女に詰め寄ってしまう。うしろのソフィーがそれを非難するが、それどころではない。俺はともかく、奴らに掴まってしまえば、お前まで奴隷に逆戻りになるかもしれないんだぞ。
「も、もしかして、あなた方は、お、お尋ね者でしたか?」
「違う! 俺はともかく、ソフィーはまったくの被害者だ!」
俺がそう叫ぶと、エイミーは幌馬車をチラと見る。
その先には不安な表情を浮かべるソフィーが。
「エイミーさん……」
「……あの、苦しいので手を……」
「む」
じっと自分を見つめるソフィーを、黙って見つめ返すエイミー。彼女のなかの葛藤が、俺とソフィーという人間を見極めようとしている。彼女の決断次第で、俺たちの未来が決まる。悪気はなかったと謝り、胸倉を掴んでいた手を離す。彼女は着崩れた襟元を整えながら、咳ばらいをひとつしたあと、俺たちをじっと見据える。
「……わかりました。私もフリーの御者です。お客さまのご都合に合わせるのも、お仕事のひとつですし、あなた方には私の危機を救ってもらいました」
「エイミーさん!」
「それじゃあ……」
エイミーの言葉にホッとする。
そんな俺たちを制し、彼女は言った。
「このエイミーにお任せください。決して悪いようにはしませんので!」
そう言ってエイミーは片手を空に向ける。
一方では手綱を握り、もう片方を上げた彼女は、ある呪文を唱え始める。
「かの者は身を隠す術を得たり。ひれ伏す者はかの者の加護を得たり」
詠唱と共に、馬車周辺の大地に紋章が現れる。
それは金色に輝き、やがて俺たち全体を包みだす。そしてその詠唱を終えると同時に彼女が叫んだ。
「【ミラージュ・エフェクト】!!」
「そ、その魔法は……」
エイミーの唱えた呪文を俺は知っている。
スペルマスターというジョブを持つ者だけが使える魔法だ。魔方陣を使う防御魔法や隠ぺい魔法が得意なジョブで、そのなかのひとつ、認識阻害の効果を持つ魔法だ。この魔法が効果を発揮する間、相手から認識されなければ、たとえすぐ近くに居たとしても気付かれない。まさしく今、この場で最も必要な魔法だが、これは馬車使いが使える代物ではない。
「エイミー。その魔法どうやって覚えたんだ」
俺は呪文を唱え終えて少し疲れているエイミーに理由を尋ねた。どう考えても馬車使いがこの魔法を使えることが理解出来なかったからだ。
「ふふふ。これぞ我が一族に伝わる家宝なのです! いろいろと危ない橋を渡るお客さま向けに、代々馬車使いを営む我が一族、最大のウリですっ!」
「家宝だと? もしかして魔導書か」
「おっと! さすが戦士のアハトさんは鋭いですねえ。正解ですっ!」
「……」
俺は呆れた。
この娘がまさか、こんな魔法まで使えるとは思わなかった。たしかになんとかしろとは言ったが、ここまでやるとは当然期待していない。せいぜい御者のコネやらで、穏便に通過することくらいだろうと踏んでいたのだ。
「さらーに! これに加えて馬車使いのスキル【無音】まで使えば、彼らに気付かれることなく門をくぐれますので、ご安心くださいっ!」
「【無音】まで持っているのか!」
更にエイミーの発言に驚かされる。
忍者と呼ばれるジョブが使うらしい【無音】は、自分の任意の範囲で音を消すことが出来るスキルだ。忍者のスキルとしては初期に覚えるモノらしいが、高レベルの馬車使いでも習得するらしい。
まだフリーとしては世間知らずのエイミーだが、【無音】まで使えるとなれば話は別だ。
「エイミー。お前はハズレじゃなかったよ」
「えっ? ハズ……レ?」
俺は彼女の評価を間違えた。
これはアタリだ。それも大アタリだ。
小首をかしげるエイミーの頭をポンと叩き、俺は彼女に笑いかける。
『しっ! もう近くですよ!』
俺たちのうしろからソフィーが囁く。
気が付けば俺たちの馬車は門前の近くまで来ていた。
慌てて声を潜める。
すでにエイミーによって【無音】が発動され、俺たちの気配はまったく奴らには気付かれていない。少しの間見ていなかった同僚たちの顔を、俺は御者台の上からゆっくりと見ることに。
見知った顔が見え、奴らの会話が聞こえる。
馬上で雑談する元同僚たちとは例のこだわりもあり、ほとんど会話することはなかったが、どいつもあまり良い性格ではなかった。任務の性質上、戦い好きで残忍な奴らばかりが集められていたようだ。
「バストゥーザ隊長。そろそろ補充が来るってホントっスか」
「ああ。あのバカが奴隷になっちまったからな、申請出したら昨日決まったそうだ」
「ホント、あのオッサン。最後まで鬱陶しい奴だったわね」
「自分なんて入隊してから声も聞いたことないっスよ」
「ああ。お前は最近だもんな。俺らだってここ数年聞いてねーぞ」
「まあ。出て行ってくれて、私は清々していますがね」
ちょうどいつものように、俺の悪口で盛り上がっているらしい。十五年のうちに何度かこの部隊も、人員が移動になったり死んだりと、顔ぶれが変わっていったが、隊長のバストゥーザ以外は、俺のあとに入った奴らばかりだ。
年上を敬うことも知らない若者たちに囲まれ、年下の上司に疎まれる人生。それも俺に課せられた試練だと思い、これまで過ごしてきた。だが、あのときこいつらが、喜々として難民たちを殺していたことは忘れていない。
『クズどもめ』
思わず小さな声が洩れる。
隣のエイミーが目を見開き、無言で俺を非難するが、出たものは仕方がない。幸い奴らには聞こえなかったのがせめてもの救いだ。まあ、聞かれたとしても、そのときはそのときだが。
「あ、そうだ! 自分の親戚があのオッサンと同期の冒険者でして、その人から聞いたんスけど、あいつ自分の奥さんを迷宮で殺しちまったらしいんスよ。しかも他の仲間も一緒に! サイテ―な奴っスよね」
新入りのベイリッツが余計な噂を蒸し返す。
俺がソニアを失ったころ、冒険者のなかで流れた根も葉もない噂話だ。未だに覚えている奴がいたことに驚くが、それを一緒に聞いているソフィーとエイミーが、若干信じてしまったようで、俺を見る目が冷ややかになる。まあ、どうでもいいが。
「へえ。あのオッサン妻帯者だったのかい。そりゃあ笑えるねえ」
「くそっ! 俺だってまだなのに、あのオッサンめ!」
「私は女性よりも男性が良いので、なんとも意見は出ませんが」
いつも俺に色目を使って、討伐成果をかすめ取ろうとしていた、部隊唯一の女弓兵、カーラがベイリッツの話に乗り始め、それに続くようにして、無駄にガタイだけはいい盾兵のアーノルド、僧兵で男色のフーリエントが会話に加わる。
「ベイリッツ。あの男の話はもうするな。さっさと本部に戻るぞ」
魔法剣士のバストゥーザが、話を中断させた。
何を考えているかわからない俺を、入隊時から気に入らないらしいこの男は、俺の話題が盛り上がるとすぐに中断させようとする。まあ、そのほうが俺も助かっていたのだが、奴に感謝する気はない。
「あんたが毎回余計なネタを仕入れて来るからだよ! もっと空気読みな」
怒るバストゥーザによって気まずくなった空気のなか、普段から隊長であるバストゥーザに気に入られようと必死なカーラが、話題を提供した新人、槍兵のベイリッツが乗る馬に向かって蹴りを入れる。だがそれがうまく鼻に当たったらしく、いななきと共に、馬が暴れた。
「うわ!」
自分の馬が暴れたことで、驚くベイリッツ。
馬を落ち着かせようとして、とっさに後ろに手綱を引くと、それに伴い馬体が後退した。
「おっと!」
何かにぶつかったと思ったベイリッツの声と同時に、その馬のケツが、あと少しで門前を通過するところだった、俺たちの荷馬車の後部に当たる。
【ミラージュ・エフェクト】の効果が切れた。
「「――!!」」
その瞬間、全員の時間が止まる。
まったく意識していなかった場所に、突然荷馬車が現れたのだ。奴ら全員が無言で驚愕するのは無理もない。
俺たちも俺たちで、もう通過したと思っていたところでこの有り様だ。自分たちの運の悪さを呪うしかない。
「エイミー!!」
「スキル【激走】!!」
真っ先にこの状況を把握した俺は、認識されて姿を現した俺たちを見て、奴らが動き出す前に、エイミーの名を叫んだ。それに即座に反応してくれた彼女は、手綱を一気に振り上げ、馬車使いスキルの【激走】を馬たちに使用した。
放った矢よりも早い速度で、飛ぶように走り始める馬たち。素早い判断が効いたのか、若干だが俺たちの方が対処が早かった。
門前を飛び出し、国境の向こうへと走り出す荷馬車。ここでようやく奴らが叫び出す。
「不正出国者だ!! 追ええっ!!」
国境警備兵の通称で叫ぶ、バストゥーザ。
イグザールとは不正出国、他国への亡命者などを総じて、国境警備兵だった俺も呼んでいた名称だ。まさか自分がそう呼ばれる日が来るとは思っていなかったが。
そしてイグザールとなった者の処分は即刻処刑だ。
これも世界の取り決めで決定した処罰で、賊と並んで重罪扱いになる。たった数日で奴隷から重罪人。俺の残りの人生、わりと面白くなってきたらしい。
「うわああ!! 追ってきますよぉぉ!? どうするんですか、アハトさんっ!」
手綱を手にしながら、幌馬車を追ってくる兵士たちに狼狽えるエイミー。すでに俺や彼女、そしてソフィーも重罪人だ。となれば、答えはひとつしかない。
「逃げるんだ!」
「やっぱりぃぃぃぃ!!!」
効果の切れかけた【激走】を再度、馬に付与するエイミー。最初の【激走】によって息も絶え絶えの馬たちでは、追いつかれるのも時間の問題だ。すでに奴らはすぐそこまで迫っている。
「仕方ない。奴らには少し痛い目にあってもらうか」
「ア、アハトさん!」
「えっ、えっ!? な、何をするんですか!?」
俺がそう呟き、幌馬車の屋根に上がると、ソフィーやエイミーが狼狽えだす。そんな彼女たちに目的を告げず、屋根に上ると同時に一本の矢が俺に向かって来るが、エイミーの【矢避け】がそれを弾く。「ちっ! 【矢避け】かっ!」と言う女の声が聞こえたが、それはどうでもいい。俺は黙って屋根に立ち、矢を放った奴らを見据える。
「オ……オッサン!?」
「アハト!? なんであんたがここに……」
追っていた荷馬車の屋根に乗る、俺の存在に気付いたベイリッツとカーラ。イグザールが俺だと知った奴らは、驚きと悔しさが入り混じったような表情で、俺に向かって罵倒し始める。
「はんっ! あんたも落ちたねえ、アハト! 奴隷の次は重罪人ってか!」
「オッサンよお! 嫁殺しと仲間殺しのくせに、あんとき俺たちを非難しやがって! 死にやがれクソがよっ!!」
「……」
何も言い返すつもりはない。
奴らに何を言っても無駄だからだ。
部隊のなかで一番早く馬を走らせることが出来るこのふたり。こいつらを止めれば俺たちの勝ちだ。
「何とか言えよ、オッサン! ソニアさんも怒ってるぜ! ケケケッ!」
「――!」
妻の名前が出たとき、一瞬殺気が湧いた。
しかし、俺はそれに耐え、心のなかで念じる。
「「――!!」」
俺の周りに現れた物体に驚くふたり。
まさか、俺がこんなモノを扱うなど夢にも思っていなかったのだろう。
「そ、それは……魔剣!?」
「この野郎……なんてモノ持ってやがんだよ、チクショウ!」
俺は天才ドワーフふたりが作り上げた魔剣【五星剣】を空に展開した。宙に浮かぶ五つの剣。怒りに動揺した精神では扱えない、非常に神経を使う代物だ。
記念すべき最初の得物がこいつらでは、若干の役不足だが仕方がない。
「お前たちには少し痛い目を見てもらう。少しは反省しろ」
「――なっ!」
俺の言葉と同時に、奴らへと五つの星が降り注ぐ。
馬と奴らの周りを縦横無尽に走る五本の魔剣。なす術のない奴らから、霧状の血が漂い始める。
「殺してはダメです!!」
足元の幌のなかから、ソフィーの声がした。
殺しはしない。俺は痛い目を見ろと言ったんだ。
馬たちのいななきが聞こえ、一気にバランスを崩した奴らが、地面へと叩き落とされる。俺が狙ったのはあいつらではない。馬たちの足だ。
薄皮一枚を切り裂き、痛みとショックで気を動転させる。それだけで奴らの追撃を止めた。
それなりに修羅場をくぐって来た奴らだ。落馬くらいで死ぬはずがないだろう。俺はすでに豆粒ほどになっている二頭の馬と、大声で叫ぶ奴らの無事を確認したあと、再び御者台へと降りる。
「ん?」
刺すようなエイミーの視線を感じる。
何か言いたげなようすに首をかしげると、ムスッとした声で彼女は言った。
「馬を傷付ける人ってサイテーですっ!」
「む」
まあ……謝るしかないか。
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