第九十九話 影
「ふう……」
ようやく落ち着いた。
今朝早くから王城に入り、姫や王子と出会い、そして王とまで謁見を済ませ、誰も居ない部屋にロジとふたりきりで待つことになった。この部屋に来た理由はひとつ。王の影と呼ばれる者から、ロジの両親についての情報を得るためだ。
王と僕らの会話をどこかで聞いていた影は、すでにロジのために動いているらしい。半日もせずにすべてがわかるというセナの言葉を信じ、僕らはこの部屋でその吉報を待つ。
部屋はそれほど広くなく、応接室のような作りになっている。高そうなソファーが並び、真ん中には大理石で出来たようなテーブルが設置されており、そのうえにメイドの女性によって運ばれた、ハーブティーのような飲み物とお菓子が皿に盛られている。しかも無くなればいくらでもお持ちしますよとメイドに言われた。まさに至れり尽くせりな待ち時間。
そのお菓子をロジと共に食べながら、部屋の壁を眺めると、そこには大きな肖像画が飾られている。幸せそうな王とその隣には王妃。ふたりがその手を差し伸べるのは、まだ幼い頃の王子と姫だろう。仲睦まじい家族の肖像画からは、さきほど王が言ったような複雑な親子間とは別物の雰囲気を感じる。
世間体を考えた絵だと言われればそれまでだが、この絵の子供たちが数年後、自分の地位を巡って画策するなど、出来れば信じたくはなかっただろう。だが、よくある物語ではそれが王族の宿命であり、逃れられない道だという。
「ジョブが王とかじゃなくて良かった」
「え?」
ボソリと出てしまった言葉に、隣でお菓子をくわえたロジが反応する。彼もそんな王族と似た環境にある貴族の生まれなのだ。もし彼の両親がまともで、彼をちゃんと手元に置いていたとしたら、双子の妹と言い争うような貴族に育っていたのだろうか。
無垢な眼差しを向けるロジからは想像もつかない。
もし彼の父親が、アレックス・レイモンドのような貴族なら安心して引き渡すことが出来るが、生まれたときから息子を軟禁するような親に、わずかな期待も出来そうにない。そういった相手に渡すくらいなら、いっそのことこちらで面倒を見る方がマシだ。などと、ロジを見ながらいろいろと考えるが、そんなにひどい目に遭っても、両親を探したいという彼には余計なお世話だと言われそうだ。
どうしたって実の両親という存在は大きい。
前世で見た、虐待を受けた子供のなかには親を怨むどころか、離れ離れにした行政側を憎む子供だっているのだ。血を分けた者に対して、赤の他人は所詮他人であり、その間に入るすき間さえないことを知った。
こればかりはロジの思い通りにしてあげるしかないのか。やるせない気持ちと悔しさだけがモヤモヤと心のなかを走り回るけれど、僕も彼にとって他人なのだ。どうあがいたって親にはなれないし、ましてや家族にだってなれないのかもしれない。
仲間ならどうかと言われても、それなら家族くらいいたっていいだろうという話になる。
結局何も答えが出ないまま、時間だけが過ぎていく――と思っていたが、
「「うわあああ――」」
「お待たせしました」
突然、目の前で人が染み出るように現れた。
ロジとふたりで大声をあげ、持っていたお菓子を放り投げてしまう。どう見てもただ者ではない人物に、最大限の警戒をするが、その人物からお待たせしましたという言葉を聞き、僕らは呆気にとられる。
セナの話によれば、影と呼ばれる人物が訪れるのは、半日ほどだと言った。今はまだ数時間も経ってはいないはず。もしや僕らに何か聞き忘れた事でもあったのか。
どす黒い衣装に身を包み、影と呼ばれる者はそこにいる。日本生まれの自分なら、まずこれを見て思い浮かぶモノがあるはずだ。
「忍……者?」
それ以外ないだろう。
こんな全身黒ずくめの得体の知れない人物。前世でも職務質問を受けそうなこの風貌。明らかにそれを意識した服装はきっと世渡りびとの影響だろう。いや、そうでなくてもきっとそうだ。
「えっと。ヨースケ殿ですかね。すみません。遅くなりまして」
「……」
なんだこの低姿勢な忍者は。
まるで宅配する時刻に遅れた配達の人じゃないか。忍者というにはイメージが違い過ぎるし。逆にちょっと良い人そうって思っちゃったし。
「あれ? ヨースケ殿ではありませんでした? おかしいな。部屋を間違えたかな……」
「えっ! あ、いえ! あってます! 僕がヨースケです!」
返事をしなかった僕が悪い。
忍者に自身が間違えたのかと勘違いをさせてしまった。あわててそうだと答えると、忍者はホッとしたようすで、頭巾の奥に見える黒い瞳を細める。
声からしてどうやら女性のようだ。
それも若い。達人の域に達する渋い忍者を想像していたが、下手をすれば年下かもしれない。
「いやー良かった。あやうくまた一から部屋を探さないといけないところでした。王城は部屋数が多くて大変なんですよ」
フランク過ぎる忍者――改め、くノ一。
そんな彼女にここに来た理由を尋ねる。
「えーやだなあ、そんなの決まってるじゃないですかあ。依頼が完了したからですよお」
「えっ! 早くないですか!?」
なんと彼女はすでに任務を終えたらしい。
さすがに信じられずに思わず聞き返したが、ニコリと笑う彼女は否定もせずに、懐から巻物を取り出し始める。隣で一緒に驚いていたロジは、初めて見る巻物が珍しいのか、彼女が広げたそれを背伸びして覗いている。
「えっと、お隣にいらっしゃるのがロジさんですね。貴方のご両親ですが、王都にいらっしゃいましたのですぐ見つかりました。それで家名の方なんですが――」
「それはボクも聞きたいな」
突然部屋の扉が開き、セナが現れる。
ツカツカと僕らのいる所まで来た彼女は、ソファーの真ん中にどっかと座ると、立ったままの僕らにも座れと合図をする。彼女の両隣に陣取る僕らの向かいには、なぜかソファーで普通にくつろぐくノ一の姿が。そこは片膝をついた姿勢で、背中の刀にでも手をかけて欲しかった。
「なあんだ。セナちゃんの知り合いだったんだねー。傍聴者から聞いてなかったなあ」
「ああ。僕のダーリンさ」
「ちょっ! セナさんっ!」
僕にとっては初対面の女性の前で、さも両想いであるかのように腕組みをしてくるセナ。さすがに看過出来ないので、彼女に苦言を呈し、ついでに腕も解く。
つれなくされて少し不貞腐れるセナ。
甘くするとどんどん悪化するので、あえて無視を決め込む。僕らのやり取りを目の当たりにしたくノ一は、あまり気にしたようすもなく、先ほど広げた巻物をテーブルの上に置いた。
「まあ、セナちゃんも色々と大変だから、彼氏さんも優しくしたげてね」
「彼氏じゃないんですけど!?」
「ほら彼女だって、こう言ってるじゃないか、ダーリン」
「ちがーう!!」
「セナ様、頑張って下さいね」
「ロジィィィィィ!!」
外堀を埋められそうになり、全力で否定する僕の声ばかりが部屋に響く。
たった今、気付いた。
この三人を近付けてはダメだ。
今後この三人がいる場所には、極力近付かないようにしないと。
「じゃあ、報告始めるねー」
だが、これ以上興味がなかったのか、くノ一の女性が話を戻す。それによって全員が聞く姿勢になったところで、その報告が行われた。
「えっと、まずはロジさんのご両親の家名ですが、これまたセナちゃん驚きの、マーヴェリック家でしたー」
「なんだって!?」
ソファーの真ん中に座っていたセナが突然立ち上がる。両脇にいる僕らは、彼女がなぜそんなにも驚くのかがわからず、ただ呆然と見上げるだけだった。
「しかも、ロジくんはマーヴェリック家の次男でして、生まれてすぐに死亡。双子の妹さん? が、いらっしゃるそうですね。彼女も報告書によれば、数年前に事故で亡くなったとされています」
「ええっ!?」
今度はロジが立ち上がった。
無理もない。自分がすでに亡き者にされたうえ、つい最近まで世話をしていた双子の妹さえも死人扱いになっていたのだから。不安そうな彼の肩をセナがそっと抱き、彼女と共にソファーへ座ることを促される。
「セナちゃんなら知ってると思うけど、最近マーヴェリックの跡継ぎが病を克服したって噂。あれ、どうも本当らしいよ。学者が言ってたんだけど、カーディナルの政変で国外に呪法が解禁されたことが原因だろうって」
「そうか。これでいろいろと話が繋がったな」
「え? ちょっと話が読めないんだけど……」
セナたちだけが勝手に納得しているため、彼女たちに説明を求める。くノ一が口を開けようとすると、それを手で制したセナが、僕らにこれまでの話に対し、順を追って説明し始めた。
まずはマーヴェリック家のこと。
伯爵の地位にあるが、今世の王であるレオナルド・ライル・バルトランザ11世とは意見が対立している。それというのも、近年この国で問題視されている奴隷推進派のトップでもあるからだ。対する王の主張はあくまでも奴隷は流動的なもので、無理に増やす必要はないという意見らしい。
デュラン・バルト・マーヴェリック伯爵。
マーヴェリック家、現当主でもあるロジの父親の一族は、政略結婚を積み重ねて今の地位まで上り詰めた新興貴族と呼ばれる、一種の成り上がりらしい。多くの愛人に子を産ませ、それを有力者にあてがうといった外道を繰り返し、民衆からは種馬王と揶揄されるほどらしい。だが不思議とロジの誕生以降、男児には恵まれておらず、病弱だった嫡男を溺愛し、大切に育てていたという。
それが先の法皇国、カーディナルでの政変により、禁呪とされた呪法が外界にも解禁され、それによって最愛の嫡男の病も解消されたことは、患者だった本人が姿を見せないため、国の内外にも噂程度にしか伝わっていないらしい。
「ロジ君の手前、これを言うことは心苦しいが、たぶん次男として生まれたことを、これまで秘匿とされていたのは、もしものとき、キミが嫡男と入れ替わるように、生かさーー」
「セナさんっ!!」
セナの言葉を遮る。
じっと押し黙るロジを見ていられなくなったからだ。いくら報告だからといって、そこまで話す必要はない。彼もおのずと理解しているはずだ。
「妹さんの場合はもっとひどいですね。カーディナルの呪法をもってしても、聞こえなくなった耳は治らなかったそうです。なので政略結婚で役に立たない彼女は――」
セナと違い、くノ一はそこで話を止めた。
ロジの方をじっと見つめながら、その塩梅を見極めていたらしい。セナを挟んで、隣に座るロジを見ると、涙を溜めているのがわかる。もうこれ以上の報告は彼にとって苦痛でしかない。
「で、どうします? マーヴェリック家のお屋敷は、ここから歩いて一時間ほどですが。ちょうど今現在、マーヴェリック卿は朝の会議中のようですね。数名の部下に向かって怒鳴ってます。あ、嫡男が現れたようです。傍らには奥方が付き添っておられますね」
「な、なんでそんなリアルタイムな状況が……」
「影同士の視覚を直結しているのさ。ちょうど向こうに斥候が忍び込んでいるらしい」
なるほど。さすが異世界のくノ一。
どういう仕組みなのかは不明だが、とにかく向こうの状況がわかる便利なスキルなのだろう。
「ロジ。キミの意志に任せるよ。どうしたい? 会いに行くか、それとも――」
「ヨースケ様。僕、会います。そのためにここまで来たから……」
すでにロジの意志は決まっていた。
ここまで聞いてもなお、両親に会いたいという彼を止める者など誰もいない。頭巾の奥からじっと彼を見つめるくノ一や、彼の言葉に目を閉じ、頭を振る仕草をするセナ。そして宿で留守番をしている仲間たちを代表して、彼を誰よりも心配しているであろう僕。
それぞれが内心やめた方がいいと思いながらも、健気な少年の希望を打ち砕くことは出来なかった。
「じゃあ行こう」
「はい」
「では、サービスでこれを」
ロジと一緒に立ち上がると、くノ一が一冊の魔導書を取り出した。二度も見ているので使い方はわかる。きっとこの王都の地図が入ったモノだろう。予想通り魔導書を開くと、頭のなかにこの場所の地図が入ってきた。ついでなのでロジにも見せる。
「馬車を用意しますので、それに乗ればマーヴェリック邸に着くでしょう。帰りもここまで戻って来ますからお使いください」
「何から何まで、ありがとうございます」
「いーえー。職務ですからー」
地図をくれたので、まさか馬車まで用意してもらえるとは思っていなかった。サービスと言っていたのは本当らしい。気前の良いくノ一に礼を述べ、僕らは部屋の扉へと向かう。
「ボクもついて行こうか」
背中越しにセナの声がする。
その言葉に僕は振り返り、「大丈夫」と言って断る。
ここからは僕とロジの問題だ。
彼がこの先どうなるかを、見届ける義務が僕にはある。
何があってもロジを守るんだと心に誓った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ここがそのマーヴェリック邸か」
馬車に揺られること数十分。
僕らふたりは、マーヴェリック邸のある高台までたどり着いた。途中、馬車から見えた高台を上り、美しい森を抜けるとそこには豪華な屋敷と思われる建物があった。敷地を囲う鉄柵は高く、鋭いトゲが天に向かって伸びている。
誰も立ち入ることを許さない。
そういった気概を感じさせる、強固な砦とも言えるその建物の前で、この砦を守る屈強な騎士たちが、ふたりして僕らを睨んでいる。
「何用か」
「奴隷ディーラーのヨースケと申します。伯爵さまにお目通りをお願いしたいと……」
用件を聞く騎士たちに、取り次いでもらう。あとでバレるよりはいいかと、奴隷ディーラーということもちゃんと最初に説明した。ここで断られたらそのときはセナのチカラを借りようと思っていたが、
「奴隷屋か。しばし待て」
以外にもあっさりと受け入れられ、しばらくして僕らは屋敷内に通された。
広い応接間に通された僕らは、じっと伯爵――ロジの父親、デュラン・バルト・マーヴェリック卿の登場を待つ。緊張した顔のロジの肩を叩き、大丈夫だと元気付ける。そして、一度メイドが茶菓子を持ってきたあと、少し経ってから、再び部屋の扉が叩かれた。
身の丈は僕よりも少し高い、中年の美男子が扉から現れ、僕らの前に立った。
「なんだ。いつもの奴隷屋じゃないな。門番の奴め。間違えおったか」
無表情のまま、こちらを見下すような視線を向ける伯爵。彼こそがロジの父親、マーヴェリック卿だ。それを証明するかのように、どことなくどころか、ロジとうり二つの顔を持つ伯爵は、目の前に息子が立っているのにも関わらず、それをまったく気にもしない。
その態度に思わず苛立つ心を鎮め、冷静になったところで彼に声をかける。
「申し訳ございません伯爵さま。初めまして。奴隷ディーラーのヨースケと申します」
「ああ。隣にどこで拾ったか知らんが、奴隷を一匹連れているからわかる」
「「――!」」
ワザと言っているのか。
それとも本当に自分の息子を、奴隷だと思っているのだろうか。沸き上がる怒りを抑え、もう一度彼に話しかける。
「なにをおっしゃいますか、伯爵さま。彼は貴方の御子息じゃないですか。ペイルバインで行方知れずになった――」
「行方知れずではない。私が自ら捨てたのだ。それをわざわざ拾ってきおって……」
「お、お父……様」
「父ではない。お前など最初から子とも思っておらぬ。ただの代替品だ」
「そ、そんな……」
「いい加減にしろ!!!」
悲しい親子のやり取りに、とうとう僕の我慢は限界を迎えた。
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