第九十四話 またいつか
「じゃあ、お別れだね」
目の前には涙目のリサメイ。
彼女のうしろには、しんみりとした白狼族たちが。相対して僕のうしろにはアルテシアにジーナとロジ。そしてそのさらにうしろに控えるのは、新たに加わったパニシャをはじめとする、黒狼族の少女たち。もちろん依頼を終えたペイトンもこちら側になる。
リサメイたちとはここでいったんお別れだ。
彼女たちの新たな主はロザリアとなった。その証拠に、彼女たちの奴隷の絆は黒く変わり、僕の奴隷ではないことを物語っている。当然彼女たちにもう【リセット】を使うこともないのだ。
「あるじぃぃ」
いつものハツラツさを失っているリサメイ。
普段の豪快さに反し、甘え下手なところがある彼女は、こういった大勢の目がある場所では、気軽に僕へと接してはこない。そんな彼女の不器用さに我慢できず、こちらからその肩にそっと手をおいた。
それと同時にリサメイのほほを伝う涙。
こらえきれず涙する彼女に、優しく微笑む。
「リサメイ」
頷くリサメイには伝わっている。
あの夜交わした、彼女との約束は忘れてはいない。借金を払い終え、いつかまた共に暮らしたいと願う僕と彼女の誓い。少し援助しようかなどと野暮なことを申し出てみたが、頑なにそれを彼女に拒まれてしまった。ちゃんと自分のチカラで僕の下へ戻りたいという彼女の言葉に、僕はそれ以上なにも言えなくなってしまう。
そして、それまでは新たな主、ロザリアの下で、さらに強くなることを誓った彼女の決意は固い。だが、そう言いつつも、ついさっきまで、いち早く王都の冒険者ギルドで登録を済ませ、うしろに控える白狼族たちを連れ立って、一獲千金を狙うのだなどとおどけて言った笑顔の彼女は今、それとは真逆の表情を僕にさらす。
「ううぅ……リサ姉ぇぇ」
「じ、じぃなあぁぁ」
こらえきれずにうしろで泣くジーナ。
情に脆い、泣き虫な彼女に、同じく涙を流しながら返事を返すリサメイ。ふたりは抱きしめ合い、お互いのこれまでの時間を惜しむ様かのように声をあげて泣く。ここは少し彼女たちに時間を作ってあげたいと思い、僕とアルテシアはその場を離れる。
その傍らで、白狼族たちとパニシャたちが別れを惜しんでいた。
「ひいぃぃん。リュー兄様ぁぁ!!」
リュークの妹チルチルが兄の胸で泣いている。
パニシャたちとは違い、リュークらが新たな主につくことを知らなかった彼女は、さきほど行われた奴隷譲渡の際にそれを知り、以来ずっと泣いていた。
少し罪悪感を感じるが、彼らはそのために奴隷としてここにやってきたのだから、こればかりは仕方がない。そう割り切れる自分はもう十分奴隷ディーラーなのだと半ば諦めつつ、彼らの会話に耳を傾ける。
「わかってくれ、チルチル。私たちはもうロザリア様の奴隷なのだ」
「わかりたくありません! せっかくこうしてお会いできたのに、もうお別れだなんてえぇぇ」
「チル。もういい加減にしろ。リュークが困っているだろう」
困り果てるリュークたち。
彼から離れようとしないチルチルを、うしろに立つパニシャが窘める。
「いいえ! それなら私がそちらの騎士さまの奴隷になります! 兄様と一緒にいますぅ!!」
「チルーー!!」
パニシャが怒る前に、リュークの手がチルチルの頬を打った。愛する兄によってぶたれたほほを押さえ、呆然とする彼女。そんな彼女に、兄リュークはゆっくりと語りかける。
「チルチル。お前はどうして主さまの奴隷になったのだ」
「え」
漂っていた視線を兄へと向けるチルチル。
彼女のあげた声は、どうして今その答えが必要なのか、とでもいうような訴えを含んでいた。だが、兄の自分を見る目が真剣なものと知り、これまで特に考えずにいたのか、ただひたすら地面の一点を見つめたまま考え込む、妹チルチル。
「えっと。み、みんなが奴隷になったから……」
「そうか。お前はまったく成長していなかったのだね」
「え」
またも声をあげるチルチル。
今度は少し非難めいた声色で、兄を睨んでもいる。今さらリュークたち兄妹の過去を知ることは出来ないが、彼の言葉で、兄であるリュークと妹チルチルの今までの人生が、少し垣間見れたような気がした。
「ど、どうしてお兄様にそんな風に言われなければ……」
不満があったのか、チルチルは少し不貞腐れる。
せっかく自分が兄と同じ主の奴隷になると提案したのに、それを拒まれ、おまけに殴られ、最後のダメ出しには、成長までしていないと言われれば、彼女の態度もそうなるだろう。そんな彼女の態度に呆れることなく優しく語り掛ける、兄リューク。
「幼きころからいつもお前はそうだった。すぐ人の意見に流され、自分の意思を持たぬ甘ったれた性格。私はそんなお前の人生を心配していたのだよ。チルチル」
「……」
「私はもうお前の兄ではない。黒狼族を捨て、新たな種族となった私が、お前の将来に口を挟む資格はもうないのかもしれない。だが最後に、妹であったお前にこの言葉だけを送りたい……」
「兄様……」
兄ではないと言われ、また涙ぐむチルチル。
妹だった者の涙をそっと指で拭ってやる兄リュークは、じっと彼女を見つめ言った。
「自分を信じろ、チルチル。お前の意志はお前だけの宝箱だ。誰にも渡すものではないし、誰の意志も入るすき間さえないんだ。お前だけの心が詰まったその箱を大事にし、己の意志で明日を生きなさい」
「に、兄……様」
涙を流す妹の頭をそっと撫でる兄。
妹に最後の言葉を贈ったリュークが、僕の方を振り返ると、突然その場でひざをついた。
「ヨースケさま」
「え? あ、はい!」
突然僕にかしこまるリュークに戸惑う。
彼はひざをつき、下を見つめたまま、静かに言った。
「ヨースケさま。いろいろな因果もあり、兄であった私に代わり、この不肖な元妹があなたの奴隷となったこと、これも運命と感じずにはいられません。なにとぞ、この頼りない娘のことをよろしくお願いします」
「……うん、わかったよ。短い間だったけど、今までありがとうリューク。妹さんのことは僕が責任を持って面倒見るよ」
「はっ。ありがたき、お言葉」
深々と頭を下げるリューク。
僕も頼まれた以上、彼の妹を大事にすると、自然に言葉が出てしまった。そんな兄の姿を目の当たりにしたチルチルも、あわてて僕の前にひざまずき、頭を下げる。
「ヨースケさま。兄のことを救っていただき、ありがとうございます。これからは私が……私の意志で、兄に代わりヨースケさまをお守りいたします」
「チルチル……お前……」
横に並ぶ妹の小さな成長に、自分の言葉が確かに彼女に伝わったことを知る兄リューク。横目で彼女を見る彼の目に、薄っすらと涙が浮かんでいるのが見えた。
「うわああん。あるじいぃぃぃ!!」
「うわああん。お兄さああんんん!!」
「うわああ!! いきなりなんだよ、ふたりとも!!」
しんみりとした空気を断ち割るかのように、突然僕の胸になだれ込む、大きなふたつの泣き声。それは、高ぶった気持ちのまま、こちらへやってきたリサメイとジーナだ。ふたりは僕に抱きつき、おいおいと泣いている。リサメイはわかるが、なんでジーナまで僕に抱きつくのか。
「アタシもローザさんとこで酷い目にあったことを思い出したの! あんな気持ちマジでイヤ!! リサ姉見てたら、すっごく気持ちわかってチョーつらみなんだよお! だからお兄さん慰めてえぇぇ!!」
「バ、バカ! そんなのあとにしろって! 今はみんなが別れを惜しんでるとこだろ!! うわっ! どさくさに紛れてほっぺにキスするな!!」
「ジーナ!! ヨースケさんも酷いです!!」
「えええっ!?」
仲間との最後の別れの時間。
なぜか僕とアルテシアたちの騒動が始まり、台無しになってしまった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「みんな元気でね」
笑顔で別れの言葉を交わす。
もうしんみりとした別れは、僕らには似合わないとわかった。生きていればいつだって会える。別れは一時、培った絆は一生続くのだ。そんな話をしたらみんなもわかってくれたのか、もう誰も泣いている者はいない。
「元気でね、リサ姉。あんま白狼族たちをイジメ過ぎないよーにね」
「ああ。ジーナも主さんをあんま困らせるなよ」
さっきまで抱き合って泣いていた彼女たちも軽口を交わす。このふたりが再び同じ仲間として出会うのを、僕も密かに楽しみにしている。
「お嬢。お達者で」
「ああ。ロックたちも」
「兄さま、お体をお大事に」
「ああ。お前もな」
元黒狼族たちと現役種族である少女らも、わだかまりを捨て、別れを惜しんでいる。彼らにも元気でいて欲しい。いつかまた会えるときまで。
「兄貴。また一緒に旅しようぜ」
「そうだよな。もう兄貴は黒狼族と白狼族の保護者みたいなもんだし、切っても切れない縁が出来ちまったな」
キースもジェイも嬉しいことを言ってくれる。
僕もまた彼らと旅が出来ることを期待して、返事を返す。
「ああ。絶対にまたいつか」
固い握手を彼らと交わす。
ぎゅっと握りしめた彼らの手は以前と違い、人族と変わりない手をしている。白狼族の解放を促したのはリサメイだが、彼らの呪いを解いたのは僕だ。ロザリアに譲渡した僕が言うのもおこがましいが、獣人の新たな希望を背負った彼らには、早く奴隷から解放され、ぜひとも新しい人生を歩んでもらいたい。
「おい。お前らもう別れはそれくらいにしとけ。今から打ち合わせがあるから店に戻るように」
表に出てきたロザリアが別れの時間を告げる。
そのままさっさと彼女は店に入り、残された僕らは急に黙り込んでしまった。いよいよ時が来たのだ。
「じゃあ、ホントにお別れだ」
何度目かの別れの宣言。
今まではグダグダと言いながらもこの時間を楽しんでいたが、新たな主の呼びかけには、さすがのリサメイたちも無視は出来ない。
じっと僕を見つめるのは、リサメイ、ロック、リューク、ジェイ、キース、チルチル――って、え……チルチル!?
「馬鹿者。お前はあっちだろう」
「あっ! 兄様、痛いですぅ! 冗談ですってば」
なんだ冗談か。
兄に白狼族のなかからつまみ出されるチルチル。しれっと輪に入っていたのには驚いたが、彼女もこんな冗談をやるんだな。そんな彼女は、呆れたようすの黒狼族の少女たちによって回収された。
「じ、じゃあ気を取り直して……では、みんな元気で!」
「「「「「はいっ!!」」」」」
リサメイたちが声を揃える。
僕らはそれを聞き、うしろを振り返る。
もう別れは済んだ。
これ以上は気持ちが残るだけだ。そう言い聞かせて我慢し、僕は振り返らずに前を進む。
「あるじぃぃ!! あたし絶対……そこに戻ってみせるから!!」
リサメイの叫ぶ声が聞こえる。
だが、僕は振り返らない。彼女もそれをわかってくれるはず。
だんだんと遠くなる彼女の声。
やがてそれは途絶え、僕のざわついた心も、ようやく落ち着いたかに思えた。
「はは。リサメイの声は大きいね」
そんな軽口を吐くと、隣にジーナが。
「お兄さん……涙拭きなよ」
「え? あ……いや、これは……」
ジーナに言われて気が付いた。
あれだけ泣かないと決めていたのに、リサメイたちがいなくなってから、それは限界を超えていたらしい。気付かないうちに、僕のほほを止めどなく流れていた涙に、思わず躊躇する。
ふとその涙を拭う指がほほに触れた。
アルテシアも僕の隣にいたのだ。
「もう彼らはいません。いくらでも泣いて良いんですよ、ヨースケさん」
「え? アルテシアまで、な、なにを……な、なに……ううっ……ふぐっ!」
そんな言葉をかけられ、僕の声は嗚咽へと変わった。
ペイトンは黙って前を歩き、道行く人の盾になり、僕の両側をふたりの相棒が支える。そんな彼女たちの優しさに甘えながら、僕は今頃になって彼女たちとの別れに涙した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おい、ヨースケ。あれ見て見ろ」
ペイトンが街行く人を指差した。
それに釣られるようにして、彼の指先の向こうにいる人物を見ると、ありえないほどに鼻の長い男が歩いていた。あれは何だったか、昔ばなしで読んだことのある、木で出来た主人公の鼻がウソをつくと伸びてしまうやつ。そうだあれだ。あれにそっくりだ。
もう名前が思い出せないあたりで、いろいろな前世の記憶が薄れていることに、少なからずショックを受けるが、とにかくその男だけでなく、街にはあと何名か鼻の長い者たちが目についた。
ペイトンの話ではあの鼻の長い者たちは、元御者ギルド所属の馬車使いだったそうだ。なぜあんなにも鼻が長いのかと彼に尋ねる途中で、ある言葉を思い出す。
― 鼻も伸びておらんし、真実か ―
ロザリアの店で彼女が言った言葉だ。
そう言えばそのときにペイトンは言った。あとでわかるからと。
あれがこの答えだったようだ。
ペイトンの説明によると、彼ら御者ギルドは、さまざまな信用を得て成り立つ組織だ。そのひとつに御者はウソをつかないといういわれがある。
まず初めに、ギルドは御者として登録した者たちに【白日の誓い】という呪いをかける。それは道中に起きた出来事を依頼主に代わり、すべてウソ偽りなく報告する義務を持つ彼らにとって、当たり前とも言える制約だ。
そしてそれを偽る者、虚偽の報告を依頼者にもたらした者には罰が下る。それは単純明快。鼻が伸びるだけだった。だが、それはうそつきの証、信頼をモットーとする御者ギルドにおいて、それは明確な違法行為とされる。鼻の伸びた者は当然、ギルドから解雇され、一生鼻の長いままの人生を送らないとけない。
その厳しい掟に少し恐怖を感じるが、うその報告をしなければいいという、ペイトンの言葉に納得するしかない。ちなみに御者ギルドからフリーになった馬車使いは、この制約を解かれ、本当の意味で自由になれるという。
「というわけで、あいつらはやらかしちまった奴らなんだよ」
ため息をつくペイトン。
あの鼻の長い彼らのなかに、知り合いでも居たのだろうか、誰かをじっと見つめているような感じでそう語った。
「そのおかげで御者ギルド所属の馬車使いは、面倒くさい検問を受けることなく、自由に外を行き来できるんだけどな」
ペイトンは笑う。
そんな彼の言葉に軽く息を吐いて頷く。そして無言のまま街の路地を歩いた。彼の手には【砂上の義賊】から購入した馬が二頭繋がった手綱があり、大人しくついて来る彼らを従えて歩いている。その横には例の子馬が彼にぴたりと寄り添っていた。
「とまあ、俺がこうしてお前に何か説明してやれるのも……これが最後だな」
そうペイトンは目線を鎮めて言った。
その言葉の意味を僕は知っている。
リサメイたちに続き、彼との別れも迫っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。