第八話 未熟な僕の皮算用
2025.6
一部シーンにおいて加筆・修正しました。
「やったよ、アルテシア! 薬草畑だ!」
思わず声をあげた。
アルテシアには軽く目でたしなめられてしまう。
今はレイクゴブリンたちの追跡途中。
なるべく静かに行動するようにと、彼女に忠告されていた。
でも、この薬草畑を前にすれば、声をあげずにはいられない。
それだけのモノが、ここにはあった。
一面に広がる巨大な薬草の絨毯――
とでも、表現してしまいそうなほどに広大な薬草畑だ。
ここから見える薬草は、どれも青紫の花を咲かせ、まるでラベンダー畑のよう。
次に備え、薬草の外見を忘れないようにと目を凝らす。
青紫色の花びらは、一枚一枚がとても大きくて美しい。
その花の重みで折れそうなほどに白くて細い茎は、
意外と弾力があるのか、バネのようにしなやかだ。
そこから広がる大きな葉は肉厚で、おまけにトゲを持っている。
そして、邪悪さを漂わせるようなドス黒い色をしていた。
アルテシアから聞いた説明では、
その邪悪な葉の部分に、回復の効果があるとのこと。
逆にあの綺麗な花には毒があるそうだ。
騎士団にポーションを卸す、道具屋から聞いた話らしい。
ちなみにポーションは、あの葉から作られる。
絞ったエキスに回復効果があるそうだ。
振りかけると傷口の痛みを軽減させ、
飲むと体力を回復させるという。
肉厚の葉っぱといえば、アロエを思い出す。
トゲもあるし、薬用として利用されているところもそっくりだ。
もしかして葉の部分も、果肉として食べられるのかもしれない。
「それにしても長いな」
「ですね。もう少し待ちましょう」
僕らは今、この薬草畑を前にしてお預けを食らっている。
現在薬草畑では、件のレイクゴブリンが薬草に貪りついていた。
それも葉っぱだけでなく、茎や花も丸ごとだ。
毒とか平気なのか。
人族は、薬草をポーションに加工することが出来る。
対して魔物はそういった知識や技術がないためか、
そのまま摂取するしか術がない。
もしそれで回復するなら、人族も丸ごと食べても良いんじゃないかな。
そう思って見ていると、花の毒素にあたったのか、
卑しく貪りついていたレイクゴブリンの何匹かは、天を仰ぎながら悶え苦しんだ。
――
――
食べるのはリスクがありそうだ。
そんなわけで奴らが満足に回復し終えるまでは、
下手に刺激せず、ここで待機することに。
しかし、長い。
かれこれ一時間くらい待っている。
数が数だけに時間がかかるようだ。
そのうえ、奴らは丸ごと摂取なので、毒にあたる奴も多い。
そいつらが毒を回復するために、薬草を丸ごと食べる。
そして運の悪い奴は、また毒にあたっている。
一応、毒消し草よりも効果は薄いが、何とか回復はするみたい。
そんなわけで、今はレイクゴブリン全員の回復待ちだ。
アルテシアに促され、交代で仮眠も取る。
やがて最後の一匹が回復した頃には、ずいぶんと辺りが暗くなっていた。
回復を終えたレイクゴブリンたちが去っていくのを確認し、
僕らは薬草畑に足を踏み入れた。
誰もいない薬草畑は、青紫の花が咲き乱れ、
美しい庭園のようにも見える。
前世のようにスマホなんかがあれば、
この薬草畑を背景に、アルテシアと一枚記念に撮れるのに。
「ずいぶん待たされたなあ。もう真っ暗だよ」
「でも暗いおかげで、すごく綺麗です……」
感動したようすで薬草畑を見つめるアルテシア。
彼女に言われて、改めて花の部分を見ると、確かに淡く光っている。
そんな能力なのか、もしくはそういった物質が含まれているのか。
どちらにせよ、広い薬草畑全体が光りを放ち、
僕らをまるで幻想の世界に誘うかのような気分にさせる。
デートスポットという概念がこの世界にあれば、
ここは間違いなくそう呼ばれるに違いない。
「なんだか、採取するのがもったいないな」
「ええ、ホントに。でもそうも言ってられませんし……」
そうなんだ。
僕らには時間に猶予がない。
少し残念そうなアルテシアと頷き合い、
なるべく薬草を踏まないよう慎重に進んでいく。
レイクゴブリンが食い荒らした場所は、そう大きくはない。
残る面積には、まだまだ余裕がある。
六百本の確保も問題なさそうだ。
「結構な人数で食べ散らかしたけど、まだまだ余裕あるね」
「もしかすると、ここが噂に聞く未開の薬草畑なのかもしれません」
そういえば聞いたな。
マーガレットさんの情報で、森の奥地にはまだ未開拓の薬草畑があると。
ここがその薬草畑なら、僕らはとてもツイてる。
レイクゴブリンたちに、お礼を言いたいくらいだ。
「でも今日はもう遅いし、また明日来ようか」
「え? でもせっかくここまで来たのに」
「だって、摘み取るには、ちょっと暗すぎるし、これ以上遅くなるのは危険だよ」
お宝を前にして、何を弱気なことを。
そう言いたげなアルテシア。
出来れば僕も、ここで採取まで終わらせたいと思っている。
でも、花の発光も幻想的に感じる程度の明るさだ。
今から採取すれば、途中でどんどん視界が悪くなるだろう。
ここで引き返して、明日また来ればいいと僕は判断した。
「それなら大丈夫です。私に任せて下さい」
「えっ」
またしてもアルテシアの安心発言。
さすがに無理だと思っていた僕は、思わず彼女を覗き込んでしまう。
彼女はそんな僕の反応を見て、微笑みながら頷く。
えーっと。これはもしや――
「危ないので、少し離れて下さい」
「やっぱり……!」
予感した通りだった。
笑みを浮かべたアルテシアから何やら物騒な指示が。
あわてて距離を取ると、すでに剣を構えていた。
抜刀の速さに、こちらの目が追い付けない。
「な、何するの、アルテシア」
返事はない。
アルテシアは集中している。
そしてゆっくりと剣を下段にかまえた。
直後、周囲の薬草畑が、彼女を中心として風が巻き起こる。
細い茎も風圧から葉や花を守るように大きく揺れた。
僕も同じく、腕を盾にして腰を低く構える。
―【騎士スキル】 高速剣 ―
「――っ!」
またアルテシアの姿がブレた。
これはあの湖で見た現象と同じだ。
唯一違うのは、僕と彼女の距離。
前回よりも近いのか、彼女が剣を振るうたび、剣圧がここまで届く。
無数の剣線が彼女から繰り出されると共に、青紫の花吹雪が舞い上がる。
淡く光る薬草が、次々と頭上に広がる闇で踊りだす。
そのひとつが僕の足元に落ちたので、手に取ってみる。
花びらに目だった外傷はない。
それどころか、切られても未だに淡く光を保っている。
瑞々しく、栄養素を含んだ黒く分厚い葉は、
地面に近い位置で切断されたためか、長く白い茎と共に健在だ。
「すごい……」
最初はすべてスキルのおかげだと思っていた
でもここはそんな甘い世界じゃない。
ゲームのように楽な能力ばかりじゃない。
この世界の人々は現実に生きているんだ。
このスキルを現実のモノとするには、
アルテシアの類まれな才能と努力の成果だ。
例えば僕が同じスキルを持っていたとしても、
こんな風に扱うことは不可能だろう。
レイクゴブリンに対する手心も、
このいたわりを感じる薬草の切り口さえも、
きっと、彼女の優しさの表れかもしれない。
「アルテシア!」
アルテシアに声をかけた。
同時に彼女を取り囲む剣線が消え、
宙を舞う薬草がゆっくりと舞い降りていく。
今回の薬草採取は、結局のところ彼女ひとりの活躍だ。
ただ僕はついて来ただけだった。
役目を終えた剣が鞘へと戻る。
そこでフウと一息つくアルテシア。
いくらスキルとはいえ、体力は消耗されるらしい。
もしかするとスキルの使用回数は、
本人の体力にも関与しているのかもしれない。
そうでないと、回復ポーションの存在意義がなくなってしまう。
「お疲れさま、アルテシア。すごく助かった!」
「いえ、ヨースケさんこそ、お疲れさまでした」
ひと汗かいた風のアルテシアを労う。
この場合、ポーションを差し入れるのがベターなんだろうか。
今回はポーションの材料を採取しに来たので、残念ながら手元には無い。
さすがに生の薬草を渡すにも失礼だよな。
「あ、でもこのあと薬草を回収する役目あったんだ」
「はい。アイテムバッグですね」
やっと僕にも出番が回って来たらしい。
冒険者ギルドで借りた、アイテムバッグだ。
これがあれば、大量の素材を持ち帰ることが出来る。
受付のマーガレットには感謝しかない。
使い方はギルドを出る際に教えてもらった。
たしか、バッグを開けたままで――
「収納! 刈り取った薬……草? うわっ!!」
呪文を唱えると、瞬時に薬草が瞬時に消える。
山のようにあった薬草は、アイテムバッグのなかへと収められたようだ。
ちなみに、ここでそのまま薬草と唱えるのはダメらしい。
刈り取った薬草と唱えないと無効になるそうだ。
間違って薬草畑全体を選ぶミスを起こすからだとか。
そのあたりは結構シビアだな。
アイテムバッグのなかを覗く。
薬草の姿はなく、代わりに異次元のような、暗い空間が広がっている。
名前を呼べば、たちまち吸い込まれるなんて、なんだか昔聞いた物語みたいだ。
マーガレットによれば、生きている人間を収納するのは不可能とのこと。
では、生きていない場合は? という質問には答えてくれなかった。
魔物の死体なども収納するから、わかるでしょという顔はされたけれど。
ちなみに今回借りているバッグは、時間経過タイプとのこと。
もっと高価な場合は、時間停止タイプになるんだそうだ。
「アイテムバッグ、便利だなあ」
「その効果に見合う高価なものですから」
やはり高いのか。
アルテシアも値段までは知らないと言っている。
もちろん今は買えないけれど、いつかは手に入れたい物候補かも。
これでクエストは無事に達成。
なんとか今日中に採取も出来た。
確認のため、ステータス画面を呼び出してみる。
【ステータス・オープン】
【名前】
ヨースケ
【固定ジョブ】
奴隷ディーラー レベル2
【業】
【人種】
人族
【年齢】
16
【ステータス】
良好
【装備】
良質な普段着
革のベルト
良質なズボン
硬質なブーツ
アイテムバッグ
【刈り取った薬草753】
【所持スキル】
奴隷契約 2
奴隷解除 2
奴隷売買 2
□
暗い薬草畑に、ひと際輝く画面が現れる。
今まで気付かなかったけれど、
ステータス画面て明るいんだな。
暗い場所でも問題なく見れる。
ちょっとした照明の代わりになるなんて、
罰当たりなことを考えながら画面を確認。
アイテムバッグは装備品として認識されていた。
薬草の数を確認すると、思ったよりも多く入っている。
これなら銀貨六枚以上の報酬も期待できるだろう。
「あっ! ヨースケさん、レベルが!」
「えっ! あっ、ホントだ、レベル2になってる!」
アルテシアに指摘され、
自分のレベルが上がっていたことに気付く。
勝手に上がったわけでもなく、これには身に覚えがあった。
薬草畑に向かう途中で、いくつか魔物に遭遇した。
大型の鹿のような魔物が数体。
別の群れらしきレイクゴブリンたち。
これらはすべて、アルテシアが討伐してくれた。
そのせいもあり、レベルが上昇したのだろう。
ここでアルテシアに経験値について教えてもらった。
経験値とざっくり言ってるけれど、アルテシアの説明では、
この世界には【魔素】という力の源があるのだそうだ。
相手を倒して得られる魔素が一定値貯まると、
それが身体強化やスキルなどを発現させるきっかけとなるんだと。
そして、貯まった魔素はレベルアップによる身体能力の向上や、
スキル取得に消費されてしまい、ほとんど体内に残らないとのこと。
なので、次にレベルアップまで、また魔素を溜めていくという流れになる。
パーティー戦での魔素の分配方法はごく簡単だ。
仲間と同じ戦いの場にいるだけで、他の仲間にも配分される。
倒すのは誰でもいいのだそうだ。
「スキルも増えてる。奴隷――解除? なんだろ……」
「契約――に、関するものでしょうか。解除なら奴隷契約を解除とか」
スキル欄に追加された、新たなスキルを発見する。
レベルアップで増えたか、他のスキルを使用したことで派生したのか。
アルテシアの言う通り、これは奴隷契約を解除するスキルに違いない。
だとすれば、彼女と奴隷契約を結んだときに取得した可能性もある。
「……」
一瞬、アルテシアのことを考えてしまう。
奴隷解除を使えば、彼女を自由に出来るなんて。
その結論にたどり着くと、急に寂しくなった。
これは、ギルド登録後にも思い浮かんだことだ。
アルテシアとは、登録のために奴隷契約してもらった。
結果、もう彼女と一緒にいる理由がないと。
あのときは僕の護衛だなんだと理由を付けた。
彼女もそれを受け入れてくれた。
でも本当にこれで良かったのか。
アルテシアを奴隷として束縛しても。
彼女なら騎士として他にすべきこと、
守るべき場所があるんじゃないのか。
もちろん奴隷解除をすれば、僕らの繋がりは終わってしまう。
解除されたら、彼女の気も変わってしまうかもしれない。
そうなった場合、僕は平気なのか。
「あ、あの……! アルテシ――」
「そろそろ戻りましょうか。街にも門限がありますし」
「え? あ、うん。それはわかった。でも僕は――」
「急がないと。外で野宿になってしまいます」
「えっ、ちょ! 僕は話が――」
言葉はそこで断ち切れられた。
湖の森から一気に空へと担ぎ上げられた僕はそこで気絶。
幸いにもその後のことは覚えていない。
気付けば街に戻っていたから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お客さんですか。宿をお探しの方は」
ぼうっとしたままの頭に、聞き慣れない声がした。
一瞬、例の猫耳娘がよぎったけれど、別の声だ。
重い頭を動かし、声のする方を見上げる。
そこには見知らぬ少女とアルテシアが。
ああ、街に戻って来たんだった。
気絶から気が付くと、そこはペイルバインの大広場だった。
目覚めたばかりの僕は、アルテシアから宿を探しに行くと告げられた。
まだぼうっとした状態だったので、了解とだけ返事をしたような覚えがある。
僕よりも少し若い少女。
簡素なメイド風のエプロンをまとい、明るい表情で僕を見つめる。
まだしっかりと覚醒したわけでもないので、適当に相槌を打つ。
あとの交渉はアルテシアとしているみたいだ。
彼女に任せれば、なんとかなるだろう。
などと、少し上の空な状態でそのやり取りを見ていた。
「ヨースケさん、宿が取れましたよ」
アルテシアが、優しく僕に語りかける。
交渉は成立し、彼女の肩を借りながら、僕は少女のあとを歩く。
北大通りには、宿や商業区画が集中していて、
領主の邸宅もその奥にあるらしい。
いわゆるメインストリートだ。
その北大通は坂に面している。
僕が最初にジーナと歩いた場所だ。
そして当然、例の宿屋の前を通り過ぎることになる。
嫌な記憶が思い浮かぶけれど、僕もアルテシアも無言だ。
少女が案内してくれる宿屋は、そのさらに上にあるらしい。
領主の館に近いほど、この辺りは地価が高いとのこと。
もしかして、あそこより高い宿屋に泊まることになったのか?
心配になったので、小声でアルテシアに尋ねる。
『大丈夫です。まあ、少しあの宿より高いですけど……』
いつもの大丈夫で済ませるアルテシア。
安心したいけれど、最期の言葉が気になる。
え、高いの?
道中、少女の説明もあり、宿の情報を知ることが出来た。
部屋はひとつ。しかもベッドは二台あるそうだ。
お値段は一泊が銀貨一枚と大銅貨九枚。
うん、ほぼ倍だ。
アルテシアの言う、少しとは?
高いけれど、仕方がない。
こんな遅くに泊まれる場所があるだけでも助かる。
明日になれば薬草の報酬が得られるはずだ。
クエストも続けて受ければいい。
それに、ここの宿泊料くらい捻出できないと、
この先やっていけないだろう。
少しぐらいの贅沢をしても罰はあたらない。
宿に入り、カウンターで記帳をし、すでに聞いた説明が重複される。
そういえば、あの宿は記帳なんてしなかったな。
やはりあそこは店主もだが、ちょっと変わっていたのだろうか。
前払いで宿代を支払い、残金は銀貨二枚となった。
「ああ、ベッド、ベッドだ……」
部屋に着くなり、ベッドにすがりつく。
これをずっと求めていた。
部屋も広くて清潔だし、なによりベッドには枕と布団があった。
最高だ。ここでずっと暮らしてもいい。
最初の宿を基準に考えていたけれど、
異世界の宿もまだまだ捨てたものじゃない。
ちゃんと枕や布団なんて文明もあるじゃないか。
シーツだけなんて、あの宿がおかしいだけだろう。
そんな歴然とした差を感じつつ、ベッドで横になった。
「ヨースケさんは先に休んでください。私は剣の手入れをしてきます」
アルテシアはそういって部屋を出て行く。
宿屋の少女のはからいで、手入れ用の道具が借りれたらしい。
親切な宿で良かった。
部屋には僕ひとり。
ベッドの上で仰向けになる。
枕の近くには、小さなランプが火を灯している。
入り口側の壁沿いには暖炉もあるが、今は火が入っていない。
無言のまま、ランプの灯りに手をかざす。
そこに刻まれた【エンゲージメント】の印がぼんやりと照らされる。
赤黒い痣は、今も僕に制限時間があることを証明する。
いろいろあったけれど、この痣とも明日でおさらばだ。
そう、明日になれば、お金にも余裕が出来る。
ようやくまともな生活が出来るんだ。
そんな明るい未来を想像しているうちに
僕は夢のなかへと静かに堕ちていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「どうしてダメなんですかっ!!」
冒険者ギルド内に響く怒声。
朝早くから何事だと、周囲の冒険者たちが訝しむ。
カウンターを力任せに叩き、その音がさらに注目を集める。
そのカウンターには見知った受付嬢がひとり。
怒鳴った声にも動揺せず、涼しい顔で椅子にふんぞり返っている。
彼女の名は確かシャーリー。
怒鳴っているのはこの僕だ。
なぜそんな状況になっているのか。
それはほんの数分前のできごとが原因だ。
――
――
僕らは朝一番に冒険者ギルドを訪れた。
もちろん、クエストの報酬をもらうのが目的だ。
でももうあまり時間がない。
武器屋の老婆との時間まで、あと数時間と迫っていた。
何の問題もなく、クエストは達成だと思っていた。
薬草採取も成功したし、目標数もクリア出来た。
あとはそれを提出し、報酬を受け取るだけ。
そう確信していたんだ。
カウンターに寄ると、嫌な気持ちが蘇る。
受付にいたのは、シャーリーだった。
マルガリータの姿はない。
言葉に詰まる僕。
そんな僕を見るなり、ニヤリと笑うシャーリー。
その表情は明らかに、昨日受けた屈辱の仕返しを考えている顔だ。
仕方なく彼女にクエストの完了を報告する。
持参した薬草の一部をカウンターの上に置いた。
しかし、それをまるで汚いモノでも触るように摘まみあげながら、彼女は言った。
「はあい、ざんねーん。これは無効ですねえー」
「えっ?」
「あれえー聞こえませんでしたあー? クエスト未達でえーす! お引き取りくださーい」
「いや、ちょっと待ってください! クエスト未達成って……ちゃんと薬草を――」
「うっさいなあー! 奴隷屋のくせに、私に意見する気ぃ?」
悪意のある目付きで、シャーリーがこちらを睨む。
そして、持っていた薬草をこちらに向かって投げつけた。
ここで、僕の我慢が切れ、件の怒声をあげてしまう。
「意味がわかりません! ちゃんと理由を教えてください!」
納得出来ない僕はシャーリーに詰め寄る。
ここで黙って引き返すわけにはいかない。
報酬をもらうつもりでここに来たんだ。
お金だってこれを見込んで使ってしまった。
残りもあと銀貨二枚とわずかだ。
もう後がない。
「だってえー、決まりなんだからあー、仕方ないでしょーお?」
シャーリーがめんどくさそうに返事をし始める。
もう強引に受付を終わらせる気なのかもしれない。
そんなことを許すわけにはいかない僕は、別の作戦に移る。
「マルガリータさんをお願いします! 彼女に受付を――」
「先輩は席を外しておりますうー。ざんねえーん。きゃはっ」
憎々し気な表情で、あざ笑うシャーリー。
マルガリータが不在だということすら怪しく思えてくる。
しかし、こちらに確認する術はない。
かといって、まだ諦めるつもりもない。
「じゃあ、他の受付の方をお願いします! あなたじゃ話にならない」
「はあ?」
シャーリーではもう話は進まない。
そう判断し、他のカウンター席にいる受付嬢たちに視線を向ける。
しかし、彼女たちは視線を逸らすと、次々に奥へと去ってしまう。
さらに僕の要求が気に障ったのか、シャーリーの態度が豹変した。
「何をさっきから偉そうに……じゃあさあ、あんたみたいなクズでも分かるように、ハッキリ言ってさしあげるわよ。いい? その薬草はもうとっくに光を失ってるの! わかる? ポーションの材料としての価値はゼロ! ゼロなの!」
「か、価値が……ゼ、ゼロ?」
豹変したシャーリーの口調は、以前にも増して辛辣だった。
そのうえ、彼女の口から信じがたい事実を知ってしまう。
薬草が光りを失う? 価値がない?
頭を思いきり殴られたような衝撃が走る。
「なあんだ。そんなことも知らないの? だから奴隷屋って嫌いなのよ」
「お、教えてください……どうしてゼロなんですか! き、昨日取って来たばかりなんですよ?」
困惑したまま、シャーリーにすがりつく。
薬草に不備はない。そう思っていたのは自分だけなのか。
これがすべて無駄になってしまった理由を、聞かずに帰れるわけがない。
何でもいいから、僕が諦められる言い訳を作って欲しい。
「ひっ……!」
僕の変化を薄気味悪く感じたのか、シャーリーが怖気づく。
教えて欲しい。ただそれだけを一心に、彼女へ詰め寄っていく。
僕の喪失感を。この誰にもぶつけようのない憤りを。
アルテシアにも何て言えばいい?
あれだけ僕のために尽くしてくれたんだよ、彼女は。
そう、僕のすぐうしろにいるんだ。
ねえ、どんな顔して振り向けばいい?
ねえ、シャーリー。僕はどうすればいいんだ?
「――さん。――ケさんっ。――スケ――! ――」
――
――
「ヨースケさんっ!!」
ずっと呼ばれていた。
それがようやく自分だと気付いた。
同時にほほを熱いものが走った。
痛い。僕は殴られたらしい。
しかも、殴ったのはアルテシアだった。
「しっかりしてください……ヨースケさんっっ!」
「アルテシア……ごめん」
なぜか謝ってしまう。
自分が殴られたはずなのに。
でも自然と声に出てしまった。
アルテシアを見る。
すごく悲し気な表情だった。
「はい、私なら大丈夫です……良かった」
僕を抱きしめるアルテシア。
少し震えているのがわかる。
何だったんだ――今の。
僕は――何を。
「フンッ。ど、奴隷屋が奴隷にぶたれるって、無様ね……」
アルテシアの向こうで皮肉を言う、シャーリーに気付く。
そうだった。僕は彼女に理由を教えてもらいたかったんだ。
「……教えて下さい。シャーリーさん」
「――っ!」
再度、シャーリーに懇願する。
正気を失っているときに何かやらかしたのか、
僕に対して、明らかに彼女が怯えているのを感じる。
そんな自身の弱さを気付かれたくなかったのか、
強気な性格の彼女が声を荒げた。
「あ、あんた馬鹿なの!? 薬草は光を保ってる当日中に加工しないと意味ないの!! だから採取した日に提出が基本だっての! あんたのクエストは失敗したの!!」
「「えっ!?」」
その事実に僕らはただ驚くしかなかった。
今さら言われてもという気持ちもなくはない。
それはアルテシアも同じだったはず。
すでに薬草を刈ってから時間が経ちすぎている。
光を失ったという意味は、鮮度のことだったのか。
「そんな……アルテシアがあれだけ頑張ったのに……」
「ヨースケさん……」
「やあーっと、理解出来たあ? 所詮あんたたちには無理だったってことがあ。わかったらさっさと消えてくれません? 目ざわりなのよねえ」
ふたたび調子を取り戻したシャーリーが暴言を吐く。
そんな声さえも、今の僕らには届かなかった。
手ごたえを感じないと理解したのか、
彼女は鼻で笑いながら、カウンターから去って行った。
静かなカウンターで、残された僕らは無言だった。
遠巻きの冒険者たちも、すでにこちらに興味はない。
誰の視線も感じなくなったと知り、
ようやく僕は、この場から立ち去るべきだと理解した。
カウンターに残った、薬草を手に取る。
すでに光を失くしたせいか、茎や葉に元気はない。
これも含め、すべてが無駄になったのだ。
悔しい。
自分のことじゃない。
アルテシアの成果が無駄に終わってしまうことがだ。
彼女のおかげで成し遂げられたはずが、
すべては無知な僕のせいで、失敗してしまった。
僕だけのせいじゃないとアルテシアは言うだろう。
でも、もっと念入りに準備していれば良かったのでは?
無知は無知なりに、回避出来ることもあったはずでは?
知るべき情報を、僕が率先して集めるべきだった。
すべては僕の怠慢にあった。
もう達成したと思いこんでいた。
報酬をすでに手にしたと勘違いしていたんだ。
取らぬ狸の皮算用という、元世界のことわざが頭をよぎる。
未熟なりに何か予知する危機感があったはずなんだと。
僕がそれを怠っていた結果、この有様だ。
トボトボとギルドの出入り口を抜ける。
力なく歩く僕に気を遣ってか、アルテシアの歩みも遅い。
手の甲を眺めると、そこには消えるはずだった印が残っていた。
これも消せるはずだった。
すべてがはずだった。
全部、僕の妄想だった。
確実ではない皮算用の結果、何も得ることが出来なかった。
「アルテシア……ごめん。僕の考えが甘かった」
「……いえ。ヨースケさんだけのせいじゃないです。私もそこまで知りませんでしたし」
「……」
アルテシアは予想通りの返事を返してくれる。
それに安堵するのと同く、怒りも沸き起こる。
今度は僕が言う番なんだ。
彼女を不安から救うため、僕の方から彼女に言うんだ。
アルテシア、大丈夫だよと。
まだ諦めるな。
何かあるだろう。
ちゃんと考えろ。
可能性を絞り出せ。
手元には薬草がある。
アイテムバッグは借りたままだ。
そこから何か導き出せ。
僕にしかできないことはないのか。
そう、僕にしかできないこと。
そうだ。
それだ。
「アルテシア、場所を移そう」
「あっ、はい……!」
アルテシアと共に、ギルドから移動する。
僕の歩みが早くなったせいか、
彼女は少し戸惑っている。
自暴自棄になっていないかと、心配している目だ。
大丈夫。
僕は諦めていない。
今度は僕がそうキミに伝える番だから。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。