07. 《ティネル》
三人は、迷宮の近くに移動した。適当な岩に隠れて、入口をそっと窺う。
岩山を、丸くくりぬくように穿たれた洞窟の入口。その奥から、鋼色の何かがゆっくりと地上に這い出てくる。陽光に晒され、くっきりと姿をあらわした異形に、カレンは軽く息をのんだ。
壊れた《ティネル》を貰い受けて分解したことはあったが、実際に動く所を目の当たりしたのは、これが初めてだ。
細かな金属の部品で出来た体躯。外側を覆う、錆びの浮いた鋼鉄の装甲。"それ"が動いて、各々のパーツが擦れるたびに、キシキシ、ギシ……と耳ざわりな摩擦音が空気を震わせる。
揺らめく青い光を纏った鋼の眼球が、油断なく辺りを窺う。
四つ足の獣を模倣した、正体不明の金属生命体────《ティネル》。それは、地上ではあまりに異質な存在に見えた。
………《ティネル》を目にした瞬間。
水中で気泡が弾けるように、カレンのなかに既視感がぶわっとわきあがった。おぼろげなイメージの欠片が、頭の奥に浮かんでは消える。
記憶にはないはずの。
でも、ひどく懐かしい。どうして───
「カレン、大丈夫か?」
急に静かになったカレンに、幼馴染が怪訝な声をかける。記憶の断片にとらわれていた意識がふっと戻ってきて、彼女は我に返った。
…………開きかけた扉が閉じた。そんな気がした。
しかしそのことさえも、次の瞬間には記憶から消えてしまう。
ふと横を見ると、幼馴染の騎士が眉を寄せて、こちらを覗きこんでいた。
「気分でも悪いのか」
「ううん大丈夫……心配してくれて、ありがと。
ね、レファ。今見えてるやつ以外に、近くに《ティネル》はいる?」
「いや、探知にかかったのはこの一体だけかな。……それじゃ二人とも、ちょっと退がっててくれる?」
仲間に注意を促して、レファは詠唱を始める。
「打ち合わせ通り、僕が先に行くよ」
にこりと笑って二人に告げると、ダークエルフの魔導師は魔方陣ごとふっと消えた。直後、金属の獣の前に、濃紺のローブを翻した細身の影があらわれる。
「……さて、お手並み拝見といこうか」
ダークエルフの涼しげな声に、獣型の《ティネル》が反応した。警戒もあらわに体を低くする。
軍や錬金術師たちが解析した結果、《ティネル》は生命の持つ魔力を取りこみ、そのエネルギーで可動することが判っている。
それなら、膨大な魔力を誇るダークエルフのレファは、優秀な囮になるはずだ。そう踏んで、カレンはレファに作戦への参加を頼みこんだ。
予想どおり、獣型の《ティネル》は"獲物"に狙いを定めた。姿勢を低くして、レファの様子を窺っている。
ぐっと鈍色の体が深く沈む。
縮んだバネが弾けるように、《ティネル》は高く跳躍した。上から襲いかかる機械の獣に、穏やかに微笑した魔導師は、前に伸ばした手をすうっと横に薙いだ。
レファの指先から生まれた雷が、バリバリと空気を裂いた。光の蛇に似た電撃の鞭がしなって、《ティネル》を捕らえる。
強烈な雷の直撃を受けて、《ティネル》はガクガクと痙攣しながら倒れ伏した。そちらに向かって、パウルが岩陰から駆け出した。
ガキン!
金属同士が、激しくぶつかりあう鋭い音が響く。見ると、《ティネル》の右後ろ足がすっぱりと切断されていた。
「うわぁ、すごい馬鹿力。さすが脳筋……!」
「誰が、脳筋だ!」
カレンの歓声に怒鳴り返して、騎士は残る一方の後ろ足をも叩き斬った。
カリカリカリ……
バケモノの胴体の歯車が、キュルキュル……と急激に回転数を上げていく。
残った前足で、地面を掻くように上体を起こした《ティネル》が、金属の板を擦りあわせるような咆哮を上げたその時────
ガンッ!
鋭く重い打撃音が響き渡った。同時に、《ティネル》はギシリと軋んだ音を立てて、砂だらけの地面に崩れ落ちる。そしてmバケモノの青い炎のような双眸は、急速に光を失っていった。
「ふぅ、私の腕も悪くないね……」
構えていた鉄の筒を下ろしたカレンが、やる気なさげに胸を張った。
「お前なぁ、おれが接近してる時に撃ちやがって……! 万一当たったらどうするんだよ!」
「当たらないよ……そのために、徹夜で魔導具作ったもん……」
錬金術師は、自作の手甲をつけた手を、パウルにひらひらと振った。これは狙撃がブレないように固定する補助器具だ。急遽作ったわりには出来がよい、自信作だった。
「あぁ、そうかよ……」
パウルは渋々だが納得する。
カレンの錬金術の腕は確かだ。そこには彼も絶対の信頼を置いている。彼女が当たらないと言うなら、本当に当たらないのだろう。
「ったく……で、何なんだそっちの筒は」
「これは……新規で開発した魔導銃」
「……武器は作れないんじゃなかったのか?」
「生き物を殺傷するわけじゃないからいいんですぅ」
言い合いする二人を横目に、レファはひくりと震えて動かなくなった《ティネル》に手をかざした。
「なるほど、"魔力吸収"だね」
魔導師の言葉に、カレンはこくりと頷く。
「……うん。弾丸に付与した術式で、《ティネル》の魔力を吸い上げて、一時的に活動停止させてるだけ。麻酔銃みたいなものだから、家訓には引っ掛からないってわけ……」
「はぁ……なんだそれ……」
パウルは脱力して、呆れたため息をついた。フェーデルラント家の家訓には、いろいろと抜け道があるらしい。
とりあえず三人は、一体目の《ティネル》を回収し、仮死状態にする処置を施したあとで、専用の天幕に放りこんだ。作業を終えたカレンは、ほくほくと日除けのテントの下に戻っていく。
「この調子でバンバン捕まえようー」
テンション低めに拳を上げた彼女の後に、半眼の騎士と、にこにこ笑っている魔導師が続いた。