06. 捕獲作戦
──パウルがカレンの協力を取りつけた翌日から、さっそく二人は《ティネル》捕獲作戦の準備に乗り出した。
ネリスの予言によれば、《ティネル》の再襲来まで猶予はないらしい。
だが、なぜ活きのいい《ティネル》が必要なのか。パウルは理由を知らされていない。
理由を問うても、カレンは「それは内緒」と水色の瞳を怪しく輝かせるだけで、教えてはくれなかった。……正直、いやな予感しかない。
そして数日後。
彼らはその日、"忘れられた荒野"に立っていた。
遠くに聳える、赤茶けた岩山の中腹。そこに、岩を丸く抉り取ったような、真っ黒な空洞が顔をのぞかせている。
あれが、迷宮の入口らしい。はじめて目にしたカレンは、じっとその奥をうかがった。
闇に沈むような深い洞穴は、この世ならぬ場所に繋がっているかのようで、不吉な空気が漂っているように思えた。
迷宮入口からやや離れた正面に目をやれば、すっかり朽ちはてた、巨大な遺跡が佇んでいる。
元は半球形のドームであったと思われる建築物は、何かの爆発で吹き飛ばされたのか、その半分を失っていた。
この遺跡を拠点に、カレンたちは《ティネル》捕獲作戦を敢行する予定だ。
実行部隊は、三人。
双眼鏡を片手にご機嫌なカレンと、げんなりしている甲冑姿のパウル。そんな二人を興味深そうに観察している魔導師のレファ、である。
ダークエルフのレファは、帝国屈指の魔導師として知られている。カレンとは昔からの知り合いのようで、彼女を通じて、パウルも彼とは顔見知りだった。
意外に気さくなレファは、種族の特徴たる煌めく金の瞳と、漆黒の髪、浅黒い肌をしている。
本来、ダークエルフは国家に仕えることを好まない。その、希な例外がレファだった。
先々代の女皇帝に、何か頼みごとをされたとかで、帝国の魔導顧問をかれこれ五十年ほど勤めている。
外見はカレンと同年代だが、長命種であるレファの本当の年齢を知る者はいない。彼は謎の多い人物だ。
…………そういえば。
クラナッハの皇族は、預言師を多く出している。先々代の女皇帝も、力ある予言師だったという。
彼女なら《ティネル》の最初の襲撃も予測できたのだろうか。カレンは、ふとそんなことを考えた。
「あいかわらず、君たちは仲がいいんだね」
年齢不詳のダークエルフは、珍しくやる気のあるカレンと、仏頂面のパウルを交互に見て、楽しげに目を細めた。
「そうかなぁ……?」
「レファ殿、冗談はやめてくれ」
カレンはきょとんと首をかしげ、パウルは不本意そうに眉を寄せた。
今日のパウルは重装備だ。銀の鎧を纏い、面甲を上げて、腰に大きな片手剣をさげている。鍛えられた背には、頑丈な鋼の盾を背負う。
その横に立つカレンは、腰が隠れる長めのジャケットと濃茶のズボン、ロングブーツという動きやすい出でたちだ。
さらに、華奢な体に似合わない鉄の筒を背負い、両腕に手甲のような金属製の器具を装着している。
三人の目的は、生きた《ティネル》の捕獲。
目標は四体。地下迷宮から出てきた個体を、一体ずつ仕留めていく予定だ。
ここに来る前に話し合った結果、大群が現れたら応援を呼ぶことにして、さしあたり少数精鋭で罠を張ろうということになった。
三人はさっそく下準備に取りかかった。カレンとパウルが日除けのテントと夜営用の天幕を張っている間、レファは洞窟の入り口に探知の術をかける。
準備は万端。あとは《ティネル》が出てくるのを待つだけ。
そう……待つだけなのだが。
ここからが果てしなく長かった。
「……まだ一体も出てこない……ヒマぁ……」
何も起こらないまま、数刻が過ぎた。もともと低空飛行なカレンのテンションは駄々下がりだ。
パウルはそんな幼馴染をちらりと見て、肩を竦めた。
「そう頻繁に出てくるわけじゃないからな。最近は、一日一体出てくればいい方だ」
「なら、少なくとも四日はこうして過ごさなきゃなんないの……」
カレンは奥の天幕を振り返った。レファの転移陣を使って、食料も水も十分な量を確保している。でもここまで退屈するなんて予想外だ。
テントの下で、カレンはうーんと伸びをした。
「こんなことなら、本とか持ってくれば良かった……」
「なら、ポーカーでもする?」
二人のやりとりを横目で見ていたレファは、手品のように、ローブの袖からカードを取り出してみせた。カレンの顔がぱっと輝く。
「うん、やるやるー」
「そうだな、いい暇潰しになりそうだ」
「決まりだね」とにこりと笑った魔導師は、慣れた手つきでカードを切りはじめた。
……そして、さらに一刻が過ぎた。
「……おれはワンペア」
「ねぇ、パウル……ちょっと弱すぎない……?」
「フラッシュ。今回は僕の勝ちだね」
ひとりボロ負けしているパウルから、二人はごっそり掛け金を搾りとっていく。
すでにひと月分の給料を持っていかれた。懐はカッスカスだ。
パウルはそれなりに高給取りだし、すぐに生活に困る額ではない。だが、痛いものは痛い。
しかもこの二人の場合、踏み倒したらあとが怖い。約束破りは絶対に許さない性質なのだ。
帝都に戻ったら、払わないわけにはいかない。
「……くっそぅ」
「確率論で予測したら、簡単だと思うよ……?」
「まだまだ僕の勘も捨てたもんじゃないなぁ」
こてんと首をかしげたカレンと、嬉しそうなレファの台詞に、パウルは頭をかきむしった。
「あーくそっ!おれは人外を二人も相手にしてたのかよ、血も涙もねえな」
「あはは……僕は、血も涙もひと並みだけど、魂はないんだよねぇ」
「……?」
今のは冗談だろうか。カレンとパウルは、不思議に思って目をまたたかせた。
なぜなら────この地上に、魂が宿らぬ者はいないからだ。
肉体は地上世界の器。その器が消滅しても、魂は消滅しない。器が死すれば、魂は天上で安息を得て、再び地上に生まれ変わる。その繰り返しだ。
だが、ダークエルフは不思議そうにしている二人に「何でもない。こっちの話」と笑って、話題を変えた。
「さて、僕の取り分はこれくらいかな」
「パウル払える?……分割払いでもいいよ……?」
「もう好きにしてくれ……」
冷静に賭け金を計算するレファとカレンに、騎士は投げやりに返す。カレンを恨みがましく一瞥して、彼は悔しげに呻いた。
「……そういえば、お前とはカードゲームを二度としないと誓ったんだった。十年以上前だからすっかり忘れてたぞ……」
「あぁ、初めてパウルと会った時だっけ……たしか、神経衰弱で全敗したんだよね」
「言うな」
カレンは、懐かしいなぁ、と目を細め、幼馴染の騎士にじろりと睨まれた。
二人の初対面はカレンが4歳、パウルが7歳の頃だった。カレンがカードゲームに誘い、パウルがそれに応じて、十五連敗を喫した。
彼は十六連敗の手前でカードを滅茶苦茶にして、「お前とは二度とカードゲームをしない!」と宣言したのだった。すっかり忘れていた。
「次のゲームはどうする?」
「二人でやってくれ。おれをカモにするな」
にこにこしているレファに、パウルが憮然と返したその時。────テントにぶらさげていたベルが、風もないのにチリンと鳴った。
「……探知になにか引っ掛かったね」
レファが迷宮の方を向いて、金色の目を眇める。まだ姿は見えないが、彼の張った探知の術に、最初の獲物が触れたようだ。
「やっと来たかぁ……待ちくたびれたよー」
「よし、行くか」
立ち上がったカレンは、ぐっと体を伸ばした。パウルはすらりと剣を抜く。
鉄の筒を肩に担いだ錬金術師は、美しい顔に不敵な笑みを浮かべた。
「……レファは囮、パウルは陽動。仕留めるのは私がやる。目的は生け捕りで、完全に破壊するのは禁止ね。……じゃあ、行動開始」