05. 閑話 記憶と前世
────ときどき、見る夢がある。
起きたら、すぐに忘れる。そんな夢。
なぜだかわからないけれど、不思議な一連の夢は、実際にあったことのような気がしている。
……そう。あれはきっと、遠い昔の誰かの記憶だ。
◇◇◇
「────父上は自業自得だ。君がやらなければ、僕が殺していた」
血のついたわたしの頬を、彼は優しく拭った。
「…………時間がない。父の制御していた魔導兵器が、暴走しそうなんだ。僕はここに残るよ。出来るだけ多くのひとを逃して、あれを止める。
だから……君は先に逃げてくれ」
彼の言う通り、さっきから建物が低く振動していた。
兵器から魔力が漏れ出している。あれが爆発したら、この一帯は跡形もなく消え去ってしまうだろう。
けれど、彼をおいていくなんて出来ない。わたしは必死に首を振った。
「…………いや、です。最後まで、あなたと一緒にいたい…………」
「僕らの子どもを頼む。必ず追いかけるから」
切実さを湛えた瞳に、自分の泣きそうな顔が映っている。彼は、まだふくらんでいないわたしの薄い腹を、慈しむように、指先でそっと触れた。
わたしの創造主。
それは、偉大な魔導師で、優秀な科学者。そして…………彼の父親だった。
魔導技術でつくられた、紛い物の生命であったわたし。それが何の運命か、創造主の息子と恋に落ちた。
創造主は、息子と人形の恋を赦しはしなかった。怒り狂い、わたしに宿った小さな生命ごと、わたしを葬り去ろうとした。
だから全力で抵抗した。結果、物言わぬ骸となったのは創造主の方だった。恋人であった彼は、父親を殺したわたしを責めなかった。
わたしに罪があるとしたら。
それは、創造主の制御を失った魔導兵器が、暴走をはじめてしまったことだろう。創造主の息子である彼だけが、これを止められる可能性があった。
ただし、成功率は限りなく低い。
「…………行ってくれ。僕らの子のために。他の実験体もみんな逃がした」
子どもを頼むと言われてしまうと、これ以上わがままを言うことはできなかった。肩を押されて、魔方陣の上に立たされる。
彼が装置に魔力を流しこむ。魔方陣が起動した途端、傷ひとつなく磨きあげられた足下の床に、緻密な紋様が光りはじめた。
……そして、次の瞬間。わたしはどこかの深い森のなかにいた。しばらくそこで呆然としていた。
どれくらい時間が過ぎたのだろう。遠くで雷鳴のような…………あるいは、獣の咆哮に似た爆発音が轟いた。
地面が大きく揺れて、驚いた鳥たちが飛び立つ。
「……っ」
彼は……暴走した兵器を止めるのに失敗したのだろう。不気味な地鳴りは、わたしの絶望を加速させていく。
罪深く、美しかったあの都市は……世界から消え去ったのだ。数時間前まで優しく微笑んでいた彼も。
都市の方向を探っても、生命反応はない。こうなることも予想していたのに、わたしはうずくまって、泣くことしかできなかった。
……わたしを生み出した、旧魔導文明。あの時代の魔導師たちは、神を騙ってさまざまな実験を行った。
結果、特異な才能を持つ者たちを、次々と誕生させた。
わたしも、そのひとり。
魔力と知能を極限まで引き上げられ、さらに、直系の子には知識をまるごと引き継ぐように、特殊な設計がされている。
つまり、わたしの子孫は、親の代以前に得た知識を、学習せずに獲得することができるのだ。
文明崩壊後、大陸ではしばらく混乱が続いた。
けれどしばらくしたら、混乱は少しずつおさまりはじめた。それは、クラナッハ帝国の台頭によるところが大きい。
あらかじめ持っていた知識と能力を駆使して、わたしは、どうにか生き延びることができた。
生まれた子どもと大陸を放浪していたわたしの存在は、ある時、クラナッハ皇帝の耳に入ったらしい。わたしたちは帝都に招聘された。
皇帝と話してわかったのは、彼もまた、旧文明の実験体の生き残りだということ。
わたしは、皇帝と盟約を結んだ。
わたしの願いは、子孫に引き継がれる「わたしの記憶」を、彼らの意識の底に沈め、凍結すること。
皇帝はその願いを叶え、代わりにわたしを帝国に迎えいれた。
以来、わたしとその末裔はフェーデルラントを名乗り、錬金術師を生業として、帝国に仕えることになった。たくさんのひとを死なせた贖罪から、兵器を開発しないことを条件として。
────やがて数十年がすぎ、わたしの肉体は終わりを迎えた。それから長い時が流れ、娘や息子たちのなかで、「わたしの記憶」は眠り続けた。
代を経るごとに、直系の子孫の脳に、大量の記憶や知識が蓄積されていく。とはいえ、フェーデルラントの能力も永遠に続くわけではない。もうすぐ限界が来る。
あと一代か二代で、膨大な情報は脳の容量をこえて、精神を破壊してしまうだろう。
初代のわたしなら、この能力を消失させられる。創造主にその力を与えられたからだ。
ただし。
実行したら、「わたし」も一緒に消滅することになる。
こんな歪な能力など、さっさと消し去った方が良かったのかもしれない。そうしなかったのは、"彼"の生まれかわりでいいから、ひと目会いたかったからだった。
とはいえ……待つ時間はあまりに長く。
限界を越えた知識は、いずれ、フェーデルラントに生まれてくる子の人格を破綻させてしまう。"彼"もそれを望まないだろう。
彼に会えずに、フェーデルラントの能力と消え去る運命なのかもしれない。
わたしは深い諦めのなかにいた。けれど────
あのひとは、目の前に現れた。