22. 解放、消滅、そしてこれから
最終話。
カレンに求婚してからいろいろあった。
パウルは結局、フェーデルラント家の婿養子に入ることになり、煩雑な手続きを死ぬ気で終わらせて、本日やっと結婚する運びとなった。
求婚から一年、よく耐えたものだと自分で感心する。
その間もカレンは相変わらず、錬金術に勤しんでいた。いつもの気まぐれで「結婚……やっぱりやめた」と言い出さないかとひやひやしたが、つつがなく婚礼を迎えることができた。
式を終えて、一番ほっとしたのは自分かもしれない。
誓いは、小さな礼拝堂で立てた。
純白のドレスと、繊細なレースのヴェールに身を包んだカレンは、妖精のような文句なしの美しさで、参列者たちはみなうっとりと見とれていた。
パウルもその一人だ。見とれて宣誓を間違えそうになったのは、墓まで持っていく秘密にしたい。
どうにか結婚にこぎつけたが、幼馴染の期間が長かったので、正直夫婦になったという実感は薄かった。その内夫婦っぽくなるのだろう。たぶん。
当日の日程を慌ただしくこなし、いよいよ初夜という段になって、パウルは柄にもなく落ち着かない気分でいた。
小さいが華やかなパーティが終わって、夜の帳が降りた頃。
最後の客を見送って片付けが済むと、昼間の騒がしさが嘘のように、フェーデルラント家は静かになった。
パウルは、カレンといったん別れて、別室で寝る準備を整えていた。そしてついにその時が来た。……戦場で初めて敵と相対した時より、彼は緊張していた。
「入るぞ」
咳払いして、カレンの待つ寝室のドアに声をかける。
「……どうぞ」
ドアの向こうから、妻となる女の涼やかな声がした。聞き間違えるはずのない声。しかし僅かな違和感を覚える。
カレンも緊張しているのだろうか……と一瞬思ったが、本能がそれを否定する。《ティネル》の核を移植してからというもの、この手の予感を外したことは無い。
さっきとは全く異なる種類の緊張を漲らせて、彼はドアノブに慎重に手をかけた。カレンが絡むと何事も一筋縄ではいかないな……と思いながら、静かに扉を開ける。
────寝室に明かりはなく、宵闇が薄い幕のように室内を覆っていた。
仄白く静謐な月明りが窓から射して、ベッドに腰かけた女の、端正な顔をうっすらと照らす。
暗闇でも見える鋼色の目が、小さく笑った彼女の表情を捉えた。────途方もない深さを抱えた微笑。心の奥底を震わせるような感覚に戸惑う。同時に確信もあった。
────これは別人だ。
「お前は誰だ……?」
「…………よくわかりましたね。この体はカレンですが、わたしはカレンではありません」
美しい目を細めて、女は言った。
「カレンを返せよ」
「すみません、初夜に乱入して……」
「そういうことじゃない!」
すまなさそうに言われて、かっと顔に血が上る。無性に恥ずかしい。
落ち着いて気配を探ると、カレンの体を乗っ取った何者かは、こちらに危害を加えようとか、そういう意思はないように思えた。自分に向けられた感情は、親愛とか好意に近い。
とまどっていると、女は不思議な光を湛えた瞳をすっと上げて、口を開いた。
「……わたしは、"イゼル"。フェーデルラント初代にして、前世のあなたの恋人です。今夜、少しだけあなたと話がしたかったので、表に出てきました」
そこから、"イゼル"は訥々と前世の出来事を語りはじめたのだった。
◇◇◇
彼女を作った魔導師。実験体。魔導文明の崩壊。レファのこと。クラナッハに来た経緯。そしてパウルと魂が同じだという、前世の恋人。
…………それらを語り終えた"イゼル"は、ほんのりと笑みを浮かべた。
やはり別人だ、と改めて思う。
いつもやる気なく無表情なカレンは、こういう顔はまずしない。たまにはこういう、柔らかい表情をしてくれないものか……と思った自分に気づいて、パウルは苦い気分になった。
"イゼル"の話を聞く限り、前世の自分は、とても罪深い人間だったと思う。実験に疑問を感じながらも父親を手伝い、人道に反した行いにも手を染めていたようだ。
今生で半人半機械になったのは、因果応報かもしれない。彼は小さくため息をついた。
パウルの心境とは裏腹に、淡々と語られる"イゼル"の物語は、ついに最後の節を迎えたようだった。
「────わたしの罪と未練で縛っていた我が血筋。それを、解放したいと思っています。フェーデルラントの能力は、もう限界が近い。旧文明より受け継いだこの能力は、カレンの次代には引き継がれず、今夜、わたしと共に消えるでしょう」
「消える……?」
「わたしはフェーデルラントの能力の管理者なので、能力と一体になっています。能力だけが消えて、私が残る、ということはないんです」
"イゼル"は小さく息を吐いて笑った。
「消滅する前に、わたしはあなたに会いたかった。彼と同じ魂を持つ、あなたに。
人造生命体のわたしには魂がありません。だから、転生することは叶わない。それでもあなたに会いたくて、能力を受け継ぐ子孫たちのなかで、ずっと眠り続けていました」
……この世界では誰もが魂を持つ。子どもでも知っている常識だ。だが、"イゼル"は例外だという。
肉体が滅べば、魂は天上の神々の御元で、しばしの休息をとる。そうして、また地上に転生する。
父である恋人側から魂を受け継いだフェーデルラントの子孫たちは、他者と同様に魂があるらしい。だが、カレンの無意識に存在する"イゼル"は、消えればそれで終わり。
何も残らず、生まれ変わらない、と彼女は少し寂しげに言った。
「……でも、ずっとこの日を待ち続けていたのに、何だか思ってたのと違っていました」
"イゼル"がいたずらっぽく笑う。
「おれがつまらない男でがっかりしたか?」
「まさか。あなたはとても素敵です。そうではなくて……魂は同じなのに、生まれかわったら、まったく別人になってしまうのですね」
わたしとカレンの方がまだ似てるかも、と彼女は苦笑する。
「……でも、あなたにまた会えて嬉しかった。わたし、前世のあなたに愛されて、とても幸せだったんです」
「……」
「わたしが消滅しても、今のあなたが覚えていてくれたら……十分だわ」
水色の瞳から、透明な滴がこぼれた。静かな部屋に、かすかな嗚咽が響く。パウルは躊躇いながらベッドの隣に腰かけ、涙をぬぐう女の背をそっと撫でた。
「……………"女王"と戦った時に、助けてもらったよな」
「気がついていたのですね」
"イゼル"が軽く目を見張った。
意識の深淵に潜ったとき、手を引いてくれた誰かの気配。それは、目の前の女とよく似ていた。
ふふ、と女は笑みを浮かべる。
「そうそう、カレンのことですけど。この子、本当にあなたのことが好きなんです。以前、レファからわたしのことを聞いて、わたしに嫉妬したり、あなたを取られたらって心配してたんですよ」
「……そうか」
それは初耳だ。
「二人で幸せになってください」
「そのつもりだ」
「あなたに感謝しています」
「おれもだ。話せて良かった」
「……さよなら」
ふっと笑って、"イゼル"が目を閉じた。
再び水色の瞳が開かれた時────そこにいたのは、カレンだった。
「…………………お前、以外と嫉妬深かったんだな」
「……は? 何の話?……ていうか、いつの間にこっちに来たの……!?」
カレンが珍しく目を白黒させてのけぞった。その様子に思わず吹き出してしまう。
魂とは何だろう。パウルにはよくわからない。
八百年という途方もない年月、自分を待っていたという"イゼル"。前世の自分を愛していた彼女には、心底申し訳なく思う。
だが今の自分が、何を差し置いても全身全霊で愛しいと思うのは、この女をおいていなかった。他の誰でもなくカレンだけだ。
「……うーん。とりあえず、話はあとだな。もう待てない」
「えっまだ心の準備がぁ……!」
慌てるカレンはかわいい。すました表情の奥で、前世の恋人にヤキモチ妬いてたのもかわいい。
彼女の本音に、意外に浮かれている自分を自覚しつつ、パウルは妻の肩を引き寄せた。
そうして、夜は更けていった。
……これはとある二人が、幼馴染から夫婦になるまでの話。
これにて完結です。
ありがとうございました!




