21. ずっと
────カレン・フェーデルラントは、帝国一の錬金術師である。
《万慧の錬金術師》、《狂気の才媛》などと呼ばれ、類い稀な頭脳をもって世の事象を知り尽くし、その知識を駆使して、斬新な発明をひたすら生みだしてきた。
そんなカレンにとって、大抵の事は予測可能で驚くに値しない。だが、
「……おれと結婚するか」
幼馴染の騎士がさりげなく求婚を口にした時、《万慧の錬金術師》こと《狂気の才媛》は、子どものようにポカンと口を開けて固まっていた。
パウルはそんな彼女を見て、意地悪く笑った。
ひどく爽快で気分が良かった。してやられてばかりだった幼馴染の錬金術師に対して、溜めに溜めていた溜飲がスッキリと下がったので。
「結婚するか」の一言はするりと口をついて出た。
言った途端、不思議な感覚が体を満たして、何かがすとんと胸に落ちた。すべてがおさまるべきところにおさまった気さえする。
一方カレンは、猫のように目を丸くして、ぴしりと固まっていた。
「は? え?」
「聞こえなかったんなら、もっかい言うか」
「……パウル、お腹すいてない? 朝食持ってきてあげる」
強引に話を逸らしたカレンが、勢いよく立ち上がって、足早に扉に向かう。
この女が逃げを打つなんて珍しい。そう思いながら、パウルも冷静に席を立った。狙った相手の敵前逃亡を許すようでは、帝国騎士は務まらない。
獲物を発見した豹のようなしなやかさで、部屋を出る直前の幼馴染をつかまえ、壁際へと追いつめていく。逃げる隙など与えない。
ダメ押しに、カレンの顔の横に拳をつく。勢いあまって壁がミシリとへこんだ。うん、弁償は後で考えよう。
「……なぁ、カレン。おれと結婚しないか?」
「なんで!?」
目を白黒させるカレンに、にやりと笑う。
「なんでって、おれを嫁にいけない体にしたのは、お前だろ」
「……ふつう男は嫁にいかないよ」
「単なる比喩だろ」
鋼の瞳がすっと細くなって、それを見たカレンの喉から「ひゃぁ……」と小さな悲鳴が漏れた。
「おれを瑕物にした責任を取れ」
「…………」
「返事が聞きたい」
「…………っ」
「…………なぁ、聞こえてるか?」
「………………ぅぅ………うーるさいっ!」
涙目になったカレンが、素早く壁の一部を押した。
瞬間、足元の床が消えて、パウルだけが深く暗い穴の奥に吸い込まれていく。
「おいぃぃ……!」
「こんなんで頷くわけない。しばらくそこで反省してろ……!」
穴に向かって叫ぶと、カレンは再度壁のボタンを押した。すると最初から穴など無かったかのように、床が元通りになる。
侵入者よけの仕掛けがこんなところで役に立つとは思わなかった……備えあれば憂いなし……
カレンは壁に背中をつけたまま、詰めていた息を、ぷはぁと吐き出した。
なにあれ。求婚というより脅迫だ。それに、何をどうトチ狂ったら、あの堅物の幼馴染が、腐れ縁の自分に「結婚しよう」なんて言いだすのだ。さっぱり意味がわからない。
「……調べなきゃ」
おそらくパウルは、どこかに異常をきたしている。彼の体をすみずみまで調べないと……と、カレンは固く決意した。
頭のなかで検査項目を列挙しながら、彼女は急いで部屋を出ていく。
◇◇◇
その数日後。
フェーデルラント家の設計室で、二人は再び顔を合わせていた。
「────で、結果はどうだったんだよ」
「……どこにも異常が見つからない。変だよね?」
疲れた表情の騎士を見上げて、カレンは片眼鏡を外した。
ばさりと机に紙の束を置く。そこに書かれた検査結果は、まったくの異常なし。……つまり「彼は自らの意思で求婚した」ということに他ならない。
しきりに首を捻っていると、検査まみれでげっそりした幼馴染の顔が険しくなった。こめかみには青筋が浮かんでいる。
「……だから自分の意思だって言っただろ! 好き勝手におれの身体を弄りやがって!!」
「や、ひと聞きの悪いこと言わないでくれる……!?」
「うるさい! 本当にお前は……おれの体をいたぶるのが好きだよなぁ……!」
「だから言い方ぁ!」
彼を手込めにしたかのような物言いはやめてほしい。いやそれより。
「パウルが私に求婚するとか、意味がわからないし……本気で気が狂ったかと思ったんだよ……」
「本当にわからないのか? お前は天才じゃなかったのかよ」
「知らないよ、そんなの……」
幼馴染の視線から逃れるように、カレンはふてくされてそっぽを向く。はぁ、とパウルはため息をついた。
「……なぁ、こっち向けよ」
「…………」
促しても、強情な女は頑なにこちらを見ようとしない。
「……なんでこんな変な女を好きになったか、おれにもわからん。でも、理屈で説明できるようなものでもないだろ」
彼は机の上に腰かけ、片手を伸ばした。美しい白金の髪にそっとふれると、彼女の体がびくりと揺れた。触れた頬が、見る見る真っ赤に染まっていく。
もっと自分を意識すればいい。そう願いながら、熱を持った頬をそっと撫でる。
「今思えば……必死に騎士団での階級を上げようとしたのも、お前と釣り合いが取れるように、とか、無意識に思ってたのかもな。おれの家は名家でも何でもねえし」
「………………私は、そんなの気にしない」
かすかな声は、正しく彼の耳に届いた。
大きな水色の瞳が不意にこちらを向く。彼が知る限り、常に硬質な知性を湛えていた瞳。それが初めて、迷子の子どものように頼りなく揺れていた。
「…………本当に」
「…………何だよ」
「ほんとに、私が好きなの……?」
カレンが恥じらうように尋ねる。そのどこかあどけない表情は、彼女を見慣れたパウルでも、胸にグサグサ刺さるほど壮絶にかわいかった。
カレンはじっとこちらを見上げ、パウルが何か言うのを待っていた。一瞬飛びかけた理性を繋ぎ止め、何か返事をしなければと焦る。
……「さっき言っただろ」とか「言えるか恥ずかしい」とか「嘘だよバーカ」とか、いつもの軽口が喉元まで出かかった。それを、辛うじて飲みくだす。
今この局面でそんな言葉を選んだら、誇り高いカレンはきっと、一生パウルを許さない。
彼は覚悟を決めた。
「す………」
「…………」
カレンが固唾をのんで自分を見つめる。頬が熱い。はじめて御前試合に出た時より、はるかに緊張した。
「……好きだ。結婚してくれ」
何とか絞り出した言葉に返ってきたのは、
「……そんなに言うなら、結婚してあげてもいい」
素直じゃない幼馴染の、承諾の言葉だった。
次が最終話です。




