20. 瞳が何色でも
────眠りから覚めたばかりの意識が、夢と現のはざまを漂う。陽光が降りそそぐ水面を水中から見上げている、そんな感覚だった。
瞼の向こうが明るい。朝が来たのだろうか。
微睡みに揺られながら、パウルはとりとめのない思考に身を任せていた。
……《ティネル》の核を移植され、ほとんど睡眠を必要としなくなった己の体。それが、ついさっきまで深く眠っていたようだ。
理由はわからない。だが、眠っていたという事実がひたすら嬉しかった。
バケモノの自分を受け入れたつもりだったけれど、心のどこかに、"ひと"である自分への未練があったのだろう。
いずれにしても────"女王"はこの手で討ち取った。意識の底で繋がっていた"同胞"や、"女王"の気配。それらも迷宮崩壊と共に、きれいに消え去った。
そうして、彼の心は、今なお"ひと"のままだ。
◇◇◇
「……いつまで寝てるの?」
怠惰に二度寝を決めこもうとした時。すぐそばで呆れ混じりの声がした。
…………寝たふりをしようか迷ったが、声の主は《狂気の才媛》だ。寝ている間に何をされるかわからない。残念だが、起きることにする。
薄目を開けると、美しい水色の瞳がこちらをじっと覗きこんでいた。
「…………気持ちよく寝てたのに、邪魔すんなよ」
「せっかく起こしたのに。何その言い種……」
カレンがむっとしている。
窓から明るい陽光が射していた。カレンはその光の中に佇んでいる。
子どもの頃から見慣れた姿。特に感慨は浮かばない…………はず…………なのに、今日の彼女は、やけに綺麗に見えた。
パウルは激しくうろたえた。
また何か変な薬を盛られたのか……? と動揺する。その男の手首を、カレンは無造作に取り上げた。
「…………脈は問題なし。どこか痛むところは?」
「ない」
「気分はどう?」
「悪くはない」
「……熱もないね」
額に触れたあと、彼女はむうっと眉を寄せた。やばい。なにこの生き物。かわいい。
……ついにおれは頭がいかれたのか。パウルのなかで冷静な自分がつっこむ。
「パウルは一週間眠りっぱなしだったんだよ……心配した」
ふて腐れた口調の裏に、かすかな安堵を感じとる。パウルは小さく笑った。他人にあまり執着しない彼女が言うのだから、相当自分を心配したのだろう。
天の邪鬼なところもかわいい………とか思ってしまう自分が怖い。どうしてこうなった。
「……手を動かしてみて」
言われて、手を握ったり開いたりする。少しだるいが問題ない。ついでに深呼吸すると平常心も戻ってきた。
ゆっくり上半身を起こす。少しくらりとして、軽く頭を振った。
「なんか頭と体が重い……」
「眠りすぎだよ……」
「……顔洗ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
ふらつきながらベッドから降りると、ひらひらと手を振るカレンに見送られ、部屋に備えつけの洗面室にたどり着いた。
洗面台に水をためて、ばしゃばしゃと勢いよく顔を洗う。ひとしきり顔を洗ってさっぱりした。
水の滴る顔を上げると、正面の鏡に映る自分と目が合う。そして仰天した。
「何だよ、これは……!」
パウルの瞳は、ひとではありえない色に変わっている。藍色の瞳が鈍い銀に、白目の部分は、光さえ吸いこんでしまいそうな深い黒に変色している。
パウルは悲鳴を飲みこんで、顔がびしょ濡れのまま洗面室のドアをバン!と開けた。
「おい、見ろよこれ……!!」
「……何?」
テーブルセットの椅子に腰かけ、欠伸をしていたカレンは、自分の目を指すパウルをちらっと見た。
「俺の……目が……っ!」
「あぁ……"女王"に支配されかけて、そうなっちゃったみたいだね……」
「なにぃ……!」
「気になるなら、目の色をごまかす薬とか、眼球の上に貼りつけるレンズとか作ってもいいけど。でもパウルの望み通り、帝国は救われたし、迷宮から生還もしたし、それくらいなら安い代償だと思う……」
「お前、他人事だと思ってるだろ!?」
「目の色が何色でも、パウルはパウルだし」
「…………そういうことじゃねえわ!」
「んー……言いにくいけど……それ、パウルが寝てる間に少し調べた。正直、元に戻せるかわかんないなぁ……」
カレンは首をこてんと傾げ、へらっと笑った。
「……でも、"女王"は倒したし、めでたしめでたしじゃない?」
「…………くそっ、なんだそれ」
パウルはガシガシと頭をかきまわす。カレンの口ぶりからして、この目を元に戻す事は難しいのだろう。《ティネル》を一掃し、自分も生き延びたのだから、これで良しとすべきかもしれないが……「はいそうですか」と納得できるようなものでもない。
パウルはため息をついて、カレンの隣の椅子に腰かけた。そして、ふと、浮かんだ疑問を口にした。
「……この移植した《ティネル》の核って、剥がせるのか?」
「そっちもたぶん無理」
「お前なぁ! あっさり言うなよ!」
「だって、パウルの体にすごく馴染んでるし……無理に剥がしたら死んじゃうかも」
「しょうがない」と言いたげな顔で、カレンは恐ろしいことを言ってのける。
「おれは一生この体なのか……?」
「まぁ……メンテナンスは私が責任持ってやるから、そこは心配しなくていいよ」
「そいつは有り難くて涙が出るな」
騎士は深くため息をついて、前々からの疑問を口にした。
「……結局、《ティネル》って何だったと思う?」
「うーん。前も言ったけど、旧文明の魔導兵器とかじゃないかなぁ。全部埋まっちゃったけど、また繰り返さないように、原因調べた方が良いよね……ほんとは」
「あー竜型のサンプル欲しかったぁ……」と呟くカレンに、パウルは顔を顰める。
「つまり、またああいうことが起こり得るってことか……?」
「パウルにしては察しがいいね……その可能性はあると思う」
「今、さりげなくおれをバカにしただろ……」
眉を寄せると、カレンはくすりと笑った。そして水色の瞳をきらりと輝かせた。
「……もしかしたら、パウルは《ティネル》以外の旧文明の兵器も操れるようになってるかもよ。試してみる?」
「嫌に決まってるだろ! ていうか、お前の家の家訓的にいいのかよそれは」
「私がやるわけじゃないもん」
「お前んちの家訓、抜け道多すぎじゃねえか!」
「そうかなぁ?」
カレンは特に残念そうでもない。ただ、軽く肩をすくめただけだ。
「お前は、おれの主みたいなもんだろ。なら、お前自身が兵器操るのと何が違うんだ」
「主か……まぁ、あんなのにパウルを渡すの、癪だったのは確かだね……」
そういえば戦闘中も同じようなことを言われた気がする。騎士はそれを、彼女らしい独占欲だと受け取ることに決めた。
「なら、主ついでに」
パウルは一旦言葉を切って、続きを言う。
「おれと結婚するか」
────その時のカレンの顔は見物だった。
鳩が豆鉄砲を食らったとしてもここまで驚かないだろう、というくらい、目を見開いてひたすらぽかんとしていた。




