19. 迷宮の終焉
己の無意識の底に手をのばす。
深い海の底のような、意識の深淵のさらに奥。おそらくそこに、《ティネル》たちを繋ぐ"回路"の入口があるはずだ。
────意識の底に潜ろうとした、その時。
パウルの背に、華奢な指がそっとふれた。どこか懐かしい気配が流れこんでくる。
カレンによく似ている。けれど、別の何か。
幽霊のように実体のない、その不確かな存在は、闇に迷いそうな自分の手を引いて、無意識の下層へと導いていく。
何者かの助けを借りて、パウルはどうにか意識の底にたどり着いた。その時、思念を通して気配が語りかけてきた。
『……あなたの魂の識別紋なら、《ティネル》の最上位統率者にもなれるでしょう。竜型より強力な、代理制御の資格があります。だから』
「……お前は」
『今度こそ、成功させてください』
────唐突に、視界が切り替わった。
真っ黒な空間を無数に走る、あざやかな《ティネル》の回路。それを、半人半機械の騎士は明瞭にとらえた。
……《ティネル》にとって、"個"と"全"は同じ。網の目のように走る回路で情報を共有し、中枢から末端へと命令を出す、まるで一つの生命体だった。
その中枢の役割を果たしているのが、機械の竜────"女王"。その上位の存在を、自らの意思で捩じ伏せ、押し潰して凌駕する。
「…………うぁぁあああああッ!!」
脳が焼ききれるような感覚。
意思と意思がぶつかってせめぎあい、衝突し、何度も意識が白く染まる。激しい苦痛が、嵐のように騎士を襲った。
この相剋を制したのは────かつて"ひと"であった者。
……パウルは、閉じていた鋼色の瞳を見開いた。深呼吸して、神経のすべてを回路に集中する。
すべての《ティネル》の上に君臨していたのは、ほんの数秒前まで"女王"だった。そこから中枢の座を奪いとったパウルは、今や、伝達系の最上位にいる。
支配者が、黒鋼の騎士に置きかわった瞬間だった。
『敵を倒せ』
パウルは眷属に命じた。「思う」だけで良い。指を動かすより簡単だった。
生き残った《ティネル》が向きを変えて、一斉に"女王"に襲いかかる。ガキン、ガキン、と金属が激しくぶつかる重い音が響く。
怒り狂った鋼鉄の竜は、敵となった"子供たち"に、激しい咆哮を浴びせた。
追い詰められた"女王"の思念が、回路のなかで暴れてのたうちまわっている。だが、一度乗っ取られた中枢は、容易に奪い返せない。
"女王"を服従させるところまではいかなかったが、パウルは《ティネル》の指揮系統から"女王"を締めだすことに成功したのだった。
「……"女王"を完全に破壊するぞ」
「わかった……援護は任せて」
《ティネル》が"女王"を襲う光景に眉をひそめていたカレンは、何も聞かずに頷いた。
黒鋼の騎士は、再び翼を広げた。天井近くを旋回し、狙いを定めて高速で舞い降りる。怒り狂って暴れる機械の竜に、騎士は、全身全霊で双剣を突き立てる。
────"女王"の甲殻を斬った。
竜の肩から胸にかけて、大きな裂け目が出来ている。
裂け目からバチバチと火花が散る。だが浅い。割れた外殻から見えている核は、まだ無傷だ。
「パウル、あの核をぶっ壊して!」
「わかってるッ!」
"女王"の攻撃を避けて、宙を翔ける。鋭く大きな爪が目の前に迫った次の瞬間、"女王"の腕が弾け飛んだ。カレンの銃弾が命中した……と理解するより先に、身体が動く。思考より速く、ほとんど脊髄反射で。
彼女と一緒に闘うのは初めてなのに、長く戦場をともにした騎士たちより、ぴたりと息が合う。
鉄の牙がずらりと並ぶ顎が、パウルを捕らえようと迫る。再度、銃声が響きわたって、竜の側頭部に弾丸が命中した。衝撃でよろめいた"女王"の顎が狙いを外し、牙が虚しく空を切る。
次の瞬間、竜の胸元に飛び込んだパウルの剣先が、青白く光る"核"に王手をかけた。
「あぁぁあああっ!!!」
気合いと共に全力で剣を振りきって、竜の心臓部を甲殻ごと真っ二つにぶった斬る。
その瞬間、巨大な竜は、動力の切れた機械人形のように呆気なく崩れ落ちた。どう、と地響きを土埃を上げて倒れた竜の眼球から、急速に光が失われていく。
「やったぁ!!」
幼馴染の歓声が上がった。滑空して"女王"の側から離脱したパウルは、すぐさまカレンの側に降り立った。
素早く彼女を抱き上げ、また翼を羽ばたかせる。
上に通じる出口に飛びこんだ直後、背後で目を開けていられないほどの、光の爆発が起こった。
迷宮の天井が、音を立てて崩れはじめる。落ちてくる岩壁の欠片を避けながら、カレンを抱えた騎士は、全速で通路を翔けあがった。
移植した核の恩恵なのか、パウルの目は闇の中でもよく見通せた。暗がりのなかをひたすら飛び続ける。
長い飛翔で体が悲鳴を上げはじめた頃、ようやく終わりが見えてきた。遠くに見えた光点が次第に大きくなって、暗闇から、丸く切り取られた青い空へと飛び出す。
同時に、迷宮の入口が轟音を上げて崩壊した。
地表すれすれを滑空していたパウルの翼が、大きな岩をよけきれずに引っ掛かった。バランスを崩し、二人は乾いた地面にずしゃっと勢いよく転がる。
「ゲホッ……いたい……もっと丁寧におろして……」
「そんな余裕あるわけないだろ……!」
べしゃりと力なく地面に転がっていたカレンが、咳き込みながら文句を言う。砂埃で白くなった彼女の額が擦れて、何ヵ所か血が滲んでいた。
「……あー、竜型のサンプル……ほしかったのに忘れてたぁ……」
「お前はほんと懲りねえな……」
マイペースすぎるカレンの呟きに、パウルは心底呆れて脱力した。こちらは疲れきって、起き上がる気力すらないってのに。
「カレン殿、パウル!」
「君たちが無事で良かった」
迷宮の外で待機していたらしいエイデンとレファが、駆け寄ってくる。
「おう、あの二人も大丈夫そうだな……」
「あ……ちょっと、パウル?」
……何もかも終わった。胸に安堵が広がっていく。疲れきって、もう指一本たりとも動かせない。
休息を求める体に逆らわず、騎士は重い瞼を閉じた。そして彼の意識は、暗闇の中を転がり落ちていった。




