18. 賭け
転移の魔方陣が消えるのを、空中で見届けた騎士は、ゆっくりと地面に降り立って────がくりと膝をついた。
「っ、……ぃ、てぇ」
頭が割れそうなほど痛い。激痛に耐えながら、パウルは呻く。
いつかの頭痛の時とは、明らかに程度が違った。あれは、ある種の偶然による邂逅だったのだと今はわかる。
この瞬間。
《ティネル》の支配者である"女王"は、明確な意志をもって、パウルの精神を捩じ伏せ、押し潰しにかかっていた。
『……我が支配下に入れ』
無機質な"声"が、脳内に響いた。
苦悶する騎士の目の色が、少しずつ変化していく。
瞳が、夜のような藍色から、鋼のような銀へ。青みを帯びた白目は、深い闇の色へ。
思考を乗っ取ろうとする"声"に、パウルは気力だけで抵抗した。抗うほど、頭痛と耳鳴りは酷くなる。
だが、歯を食いしばって耐えた。
────遠くで、誰かが叫んでいる。
銃声が鳴り響く。
金属の塊が吹き飛んで地面とぶつかる、けたたましい音。そして軽やかな足音が近づき……
「機械なんぞに支配されてたまるか……!」
パウルは歯ぎしりをしながら呟いた。
ひととしての矜持を失うわけにはいかない。"女王"の甲殻を破壊して、核を叩き斬る。その一点に意識の全てを集中させればいい。
やるべきことはそれだけだ。
それだけ、
「パウルッ!」
はっと目を見開くと、必死な幼馴染の顔がすぐ近くにあった。なぜか、"女王"の支配が遠のていく。
助かった、と安堵したのもつかの間。
────どうしてこの女がここにいるのだ。
「カレンお前っ、なんで逃げなかったんだよ……!」
「予備の血清を使ったの……それくらいの用意はするものでしょ」
彼女は足元を見下ろした。そこに割れた注射器が転がっている。彼女は再び、騎士に視線を戻した。
「でも……これは本当に予備だから。十分も持たない」
「お前はほんと無茶苦茶だな……!」
「誉め言葉として受け取っておくね。とにかく一秒でも早くあいつを倒さないと……」
ズズ、と背後で地鳴りがした。振り返ると、とぐろを巻いて踞っていた機械の竜が、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。
パウルはぐいっと頬を挟まれ、強引に下を向かされた。幼馴染の水色の瞳が、こちらを真剣に覗きこむ。
「私はパウルを置いていかない……絶対に」
澄んだ水の色に似た瞳は、引きこまれそうなほど美しい。場違いだが、今この瞬間、それが世界で一番綺麗なもののように思えた。
錬金術師の幼馴染は、いつものやる気のなさを投げ捨てて、見たことがないほど真剣に言った。
「しっかりして……パウルの主は改造した私。あんなのに、パウルをくれてやったりしないんだからね」
「……カレン、」
「一緒にあいつを倒そう」
彼女は気づいたのだろうか。自分が"女王"に支配されかけたことに。
騎士の頭にそんな疑問がよぎる。
……彼は知らない。自分の瞳が鋼色に変わったことで、パウルが《ティネル》になりかけている、と幼馴染が判断したことを。
だが確認は後回しだ、と彼は思い直した。今は先にやるべきことがある。
カレンに触れられた後、頭痛は多少和らいでいた。
「わかった、お前も気をつけろよ」と頷いて、ばさりと翼を広げ、羽ばたきとともに宙をかけ上がっていく。
立てつづけに銃声が鳴り響いた。カレンの撃った弾丸は、妨害する《ティネル》をおそろしい精度で撃ち落としていく。
バラバラと砕け散る金属片の間を縫うように飛び回って、パウルは"女王"に接近した。
"女王"の、青い光を纏った眼球。それがパウルを見据えた。小煩い敵を払うように、竜型の《ティネル》は首を伸ばし、彼をその顎に捕らえようとした。
ガキン、と金属がぶつかりあうような不協和音。
ずらりと並んだ牙をかわして、パウルは竜の首の後ろに回りこんだ。だが、竜の翼に煽られて体勢を崩してしまう。
身を捩った竜が、素早く爪を伸ばした。急いで回避したが、爪の先がわずかに翼に引っ掛かる。
ぶん、と振り回されて、すぐに爪は外れた。壁への激突はどうにか免れて、蜘蛛の能力を使って天井にぶら下がる。
ちらっと翼を確認したが、軽金属がわずかに切り裂かれているだけだった。飛行に支障はない。
だが、"女王"に決定的な一打が与えられない。カレンが追加の血清を打って、しばらく経った。もう効果が切れてしまうだろうか。焦って彼女の方を振り返る。
すると……恐れたことが、現実になりかけていた。
多数の《ティネル》が、カレンを敵と見なして包囲をはじめていた。
「カレン!」
「パウルはこっちじゃない!」
言われても見殺しにできるはずがない。
天井から飛び降りたパウルは、カレンの前に立ちはだかって、獣型の《ティネル》を薙ぎ倒していく。さらに飛びかかってきた数体を両断した。
パウルの背後で、銃に魔導弾を込めたカレンが、素早く構えて引き金を連続で引いた。急所の核に命中した敵が次々と倒れていく。
「……くそっ!」
さっき、レファが相当数減らしたとはいえ、敵はまだ百以上残っている。
二人は次第に壁際に追い詰められていった。さらに一体倒したカレンが必死に叫んだ。
「私のことはいいから、早く"女王"のところへ行って!」
「バカも休み休み言え!!」
確かにこれでは埒が明かない。
「…………少しじっとしてろ」
「ちょっ」
黒鋼の騎士は、幼馴染の錬金術師を岩壁と自分の背のあいだに押しやった。彼は、レファのように結界を張ることはできない。
だがわずかな時間、カレンの盾になれれば十分だ。
《ティネル》の爪が黒い甲殻を突き破る。尖った爪先が肩に食い込んで、パウルは歯を食いしばった。流れる血を見て、幼馴染が悲鳴を上げる。
────"女王"を倒しても、彼女のいない世界に意味はない。
はりつめた神経を、さらに研ぎ澄ませてゆく。
彼自身が《ティネル》の回路を支配して、"女王"の指揮系統を奪う。それしか形勢逆転はない。




