09. 黒鋼の鎧
────カレンは、こんこんと眠る男のシャツを、ぴりりとナイフで裂いて剥がしていく。
「………………すごい筋肉」
布の下から現れた肉体に見とれて、彼女は思わず感嘆の声を上げた。
自分の細くて柔らかい身体とはまるで異なる。固い筋肉に覆われた騎士の体は、違う種族の生き物を見ているかのようだった。
特に腹筋は興味深い。
カニみたいだ。
割れた腹をしばし観察し、彼女はそばの台に置かれた青い球体をちらりと見た。じっくり見たいのはやまやまだが、あまり時間はない。
「人体の構造は頭に入ってるし、各種臓器をいちから作ったこともあるから…………大丈夫」
この大がかりな施術で、万が一、彼の体が損傷しても何とかなるだろう。
「きっと成功させてみせる……」
気合い十分なカレンは、真剣な表情で、幼馴染の胸につぷりとナイフの刃先を沈めた。
◇◇◇
────翌朝。
カーテン越しの朝日に照らされ、パウルはうっすらと目を開けた。全身がだるい。……というか、動かない。
いったい何が起こったのだろう。カレンに渡された薬茶を飲んだあとの記憶がない。
奇特な幼馴染に、またしてもとんでもないことをされたのだろうか…………いや絶対にされた。確実に。
しかし体が重すぎて、自分に何が起こったのか確かめることすら出来ない。
激しく不安にかられたその時、ふいに扉が開く音がした。続いて、軽やかな足音がこっちに近づいてくる。
「……パウル、起きた?」
耳慣れたやる気のない声とともに、水色の瞳が自分を覗きこんだ。ゆるく首を動かして視線を上げると、小ビンを胸に抱えたカレンがベッドのそばに立っていた。
「カレン、お前……おれに何したんだよ……」
「施術は大成功だったから、安心していいよ」
パウルの掠れた声に、錬金術師は猫のように目を細める。いったい何が大成功なんだ。さらに不安が増した。
だが、パウルが疑問を口にする前に、
「とりあえずこれを飲んで。"月の女神の秘薬"だから……すぐに体が楽になるよ」
美しい錬金術師は、抱えていた小さなビンを差し出した。"月の女神の秘薬"といえば、この世界でもっとも高価な回復薬のひとつである。
それをぽんと出してくるフェーデルラント家の財力がおそろしい。平凡な武家出身のパウルには考えられない。
「……自分で飲めないなら、飲ませてあげるから。ね?」
躊躇うパウルに、慈愛に満ちた声がかけられる。
……いつになくカレンが優しい。パウルは軽く衝撃を受けた。常に無気力な顔をしているカレンが、今は、空から舞い降りた天使のような微笑を湛えている。
激しく胡散臭さを覚えつつも、めったにない状況につられて、パウルはつい彼女に甘えてしまった。
「……頼む」
「了解……ちょっとごめんね」
カレンは横になっているパウルの頭の下にクッションを足して、上体を斜めに起こした。そして彼の口許に寄せたビンを傾ける。
"月の女神の秘薬"が、パウルの喉を通りすぎていく。意外に不味くはない。薄荷のようなすっとした飲み心地だった。
ひと呼吸おいて────秘薬の効果は、劇的にあらわれた。指一本動かすことさえままならなかった身体から、重苦しい倦怠感が消えて、代わりに力が満ちていく。
「……ゆっくり身体を動かして。末端からやるといいよ……」
カレンに言われた通り、手を閉じたり開いたりする。そして、足首もゆっくりと動かしてみる。
パウルは慎重に腕を持ち上げたり、膝を曲げたりして、問題がないことを確かめた。ベッドの横で見守っていたカレンが、「次は身体を起こしてみようか……」と彼に声をかける。
彼女に支えられて、上半身を真っ直ぐに起こしてみる。その時パウルは、つきりと胸部に違和感を覚えた。そして何気なく自分の胸を見下ろして────思わず叫び出しそうになった。
彼の裸の胸には、黒い金属に縁取られた、青い球体が埋め込まれていたのだ。
「おいぃぃい、何だよこれはッ…………!!」
「《ティネル》の核を移植したの」
球体を見て愕然としているパウルに、幼馴染の錬金術師は事も無げに言う。
パウルは頭を抱えた。
あぁ、そうだ。忘れてた自分がバカだった。こいつは間違いなく《狂気の才媛》。でもそれにしたってこれはねぇわ……
ガクリとうなだれた幼馴染みに、カレンは不思議そうに首をかしげた。
「どうしたの? パウルの望みを叶えてあげたのに」
「これのどこが、おれの望みと関連してるんだよ……!」
「核を移植したから、パウルは《ティネル》の仲間だと認識されるようになったんだよ。これで、あいつらに殺されることはない。絶対に。それってすごくない?」
「…………仲間」
確かに死にたくないとは言った。何でも協力するとも。だが《ティネル》の仲間になりたいと言った覚えは無い。現状が斜め上すぎて辛い。
「あとね、移植のついでに、面白い機能もつけといた……」
「おい……」
パウルの顔色は、青を通り越して白くなった。これまでどんな敵にも臆することなく立ち向かってきたが、今ほど恐怖を覚えたことは無い。
切実に、現実逃避したい。けれど逃避する内容すら思いうかばなかった。
沈んでいくパウルの心とは裏腹に、水色の瞳をキラキラ輝かせたカレンは、秘密を共有する子どものように、彼のそばで囁いた。
「……"護りを"って言ってみて」
「……………………"護りを"」
放心していた騎士は、半ばやけくそ気味に彼女の言葉に従った。すると、
────カシャカシャカシャ……
胸の青い球体から、漆黒の装甲があらわれて、全身を覆っていく。その光景を見て、パウルは再び絶句した。
カシャン
首のうしろで、最後のピースがはまる音がした。パウルが"護りを"と呟いてから、ここまで十秒もかかっていない。
呆然としながら、彼は黒鋼の鎧をもう一度見た。
鋼鉄の装甲は、目元を除き、指の先から足の爪先、頭部そして口元まで、隙間なくパウルの全身を覆っている。
「お前おれに何しやがった……ッ!!」
「わぁ……こっちも大成功……! どう、気に入った?」
わくわくと期待に満ちた水色の瞳が、じーっと自分を見つめている。パウルが絶対に喜ぶだろう、と信じて疑わない、純粋な眼差しに思わず怯む。
これはどう答えるべきなのだろうか。帝国騎士は途方に暮れて、ベッドの上に佇んでいた。




