「009」意外な同棲相手と
着替え一式をバッグに詰め込んで家から出た俺は手紙を片手に街を歩く。父さんの携帯に電話をかけたが思った通り出なかった。仕方なく父さんが務めている会社にも出向いたが居留守を使われた。
このまま会わないつもりだろうな。くそ、逃げやがって。
ラ・インには地図が送られていた。おそらくそこに行けってことだろう。
こうなったら許嫁という人だけが頼りだ。
手紙に記された場所は新見街の金持ちばかりが住むエリアだった。昼もとっくに過ぎた頃、二十階建てのマンションにたどり着く。
「マジかよ」
美しく白い外壁、大理石が惜しみなく使われた床、二層吹き抜けのホテルのようなエントランス。市長が街にやってきた際、最初に建設したと言われている超高級マンション『ホワイトサレナ』だ。マンションの中にはコンビニ、美容室、託児所などが備え付けられており、専用のコンシェルジュまでいると言われている。
俺だけじゃなく街に住む人間ならこんな場所で暮らしてみたいと一度は思ったことがあるはずだ。
え、マジでここなの?
地図を確認するが、どう見てもここだった。
って、よく見たら相手の名前書いてないじゃん。どうすりゃいいんだよ。
入り口で呆然と突っ立っていると、
「伊藤園悠様ですね?」
スーツ姿のお姉さんが声をかけてきた。
「は、はい」
「私は当マンションのコンシェルジュです。伊藤園様から伺っております。こちらへどうぞ」
急な案内に俺が止まっていると、エントランス前でこちらを振り返った。
「どうかしましたか?」
「い、今行きます」
コンシェルジュまでいるのか。対応が高級ホテルだな。
戦々恐々としながらも俺は慌てて後を追った。
絨毯が敷かれたエレベーターが静かに上へと昇っていく。
「今回は初めてということなので私が案内しますが、次からはお一人でもマンションの中は自由に行き来できますので」
お姉さんがニコニコと説明してくれる。こういうのをエレベーターガールっていうんだっけ?
「は、はい」
「荷物は後日、専用の部屋に全て運ばれます。ここまでで何か質問はありますか?」
「い、いえ」
「何かありましたらフロントまでお越しください。……着きました。この奥です」
二十階で降りた俺たちが立ち止まったのは廊下の一番奥。玄関扉のプレートには『西園寺』と書かれていた。
「では、私はこれで」
とだけ言うと、お姉さんは帰ってしまった。
俺はぽつんと取り残された。
仕方なく玄関脇のインターフォンのチャイムを鳴らす。
『……誰?』
めちゃくちゃ冷たい女子の声だ。
一瞬気圧されるが、こちらも引くわけにはいかない。
「あの、父さんから君が許嫁だって聞かされてきたんだけど」
『……あぁ、あの話ってマジだったんだ。いきなり許嫁ってマジありえないっしょ』
吐き捨てるような発言。
どうやらこの子も俺と同じようにいきなりの許嫁に不満を感じてるようだ。これなら仲間にできるかもしれない。
「実は俺も知らない相手を許嫁と言われても納得できない。ここは協力して――」
『待った。この声って……。え、マジ? マジ?』
他人行儀な声色から戸惑う声色に変わった。
……なんか聞いたことあるな。
『もしかして、先輩?』
俺のことを先輩と呼ぶ相手は一人しかいない。
「え、なんで?」
どこか慌てたような音が玄関扉の奥から聞こえてくる。
がちゃりとドアが開いた。
そこには――、
「こんにちは。先輩」
だぶだぶのTシャツと短パンを着た亜里沙がいた。