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「005」家にて

 時刻は十八時。夜の帳が下りようとしていた。


 なんとかぎりぎり間に合ったな。


 家に戻ってきた俺はすぐにテレビをつける。


『人気ナンバーワンのブイチューバー、シオンさんに来ていただきました』


『よ、よろしくお願いします』


 テレビのシオンちゃん。やっぱり良い声してるな。


 普段のシオンちゃんはテレビなどのメディアに出ることがあまりない。


 どうやらトークなどが苦手らしい。


 だが、その分、歌は天下一品だ。


 彼女の歌には俺も勇気づけられた。


 そのとき、インターフォンが鳴った。


 俺が返事をする前にドアがガチャンと開く音が聞こえる。こんなことをするのは一人しかいない。



「ゆう」



 真央がリビングに入ってくるなり抱きついてくる。


「うわ!」


「ただいま」


 学校にいた完璧クール女子はどこいったのっていうくらいの変貌だ。真央は家族など気を許した相手が近くにいるとき思いっきり甘やかしてくれる『世話焼きモード』に変化するのだ。しかし、このモードになったとき致命的な弱点が生まれる。


「真央、いきなり抱きついてくるのはやめろって!」


「いいじゃない。昔はよくこうして抱きしめてたんだし」


 何年前の話だよ。


「ゆう、今日の晩御飯はハンバーグでいい?」


「ああ、いいよ」


「じゃあ、待ってて」


 真央が食材が入ったレジ袋を併設されたキッチンに置き、エプロンをつける。制服にエプロン……まさに家庭的な女子の理想姿だ。これだけでもご飯三杯はいける。


「どうしたの? ゆう」


 俺の視線に気づいた真央が首を傾げる。


「な、なんでもない」


 見惚れていたなんて言えず俺は視線をテレビに移す。テレビではシオンちゃんの歌が聞こえていた。二、三曲ほど聞いていると、ジュージュ―と香ばしい匂いがキッチンに充満した。見ると、真央がフライパンの中で焼かれたハンバーグを手慣れた様子で裏返していた。


 見事なもんだな。


 幼い頃から真央のお母さんに家事を仕込まれた成果だろう。今では家事のプロといってもいい。


「何か手伝おうか?」


「別にいい。ゆうは座ってて」


 さすがに座ってばかりだと悪いから手伝うと言っても真央は手伝わさせてくれない。


 ……ま、今となっては真央のほうが俺の家のキッチンに詳しいからな。


 足手まといということだ。俺が料理を作らないのは何かあっても真央がいるからという思いがあるからだろう。真央様様だ。俺が村人だったら祠を立てて拝んでるところだ。


『では、シオンさんの好みの男性は家庭的な方ということですね』


 気になる会話が聞こえてきたため、再び視線をテレビに戻す。


『はい、事情があって家庭的なものに触れる機会がなかったので憧れがあるんです』


 ……家庭的な方、か。生憎だが俺のステータスは料理E、掃除E、洗濯Eだ。真央に習おうかな。そうすれば、シオンちゃんも……。



『ゆうくん、好き!』



 くらいは言ってくれるかも。


「ゆう」


 思わず頬が緩んだ俺を見て、真央が冷たい視線を向ける。


「な、なに?」


「お待たせ」


 リビングのテーブルには旨そうなハンバーグが並んでいた。付け合わせはベビーキャロットにサニーレタス。まるで洋食レストランに出てくるような見栄えだ。


「すごく美味そうじゃんか。さすがは真央だな! よ! 世界一!」


「ええ」


 懸命に真央を持ち上げるが真央は冷たいままだ。


「ゆうはまだ彼女が好きなの?」


 真央がテレビを指さす。


「……ゆうにはお姉ちゃんがいるじゃない。それじゃ駄目?」


 ずいっと真央が顔を近づけてくる。


 元気づけてくれるのは嬉しいけど、ちょっと顔近くない? てか、意外と睫毛長いんだな。


 不覚にもドキドキしてしまった俺は軽く咳払いして調子を整える。


「ありがとな。真央」


「ゆうが望むなら私がブイチューバーになってもいいよ」


「いや、別にブイチューバーならなんでもいいってわけじゃない。あくまでもシオンちゃんが好きなんだ」


 彼女の歌や優しい性格、おっきい胸が俺の琴線に触れるのだ。俺の好みを詰め込んだ女性。それがシオンちゃんだ。


「じー」


 真央は冷めた視線で俺を見つめていた。


「ほ、ほら、そんなことより早くハンバーグ食べようぜ」


「そうね」


 上手く話題をそらせてよかった。


 真央は俺の隣に座る。女子の匂いがふわりと漂った。


 くそっ、こんなのいつものことだろ。


 やはり春先の魔術だろうか。今日は真央のことを意識してばかりだ。


 俺は真央専用の茶碗を用意してご飯をよそう。


「ありがと。ゆう」


「気にすんな」


 いつもどおり俺たちは両手を合わせる。


「「いただきます」」


 唱和を終えて、ハンバーグに手を付ける。


 ……うん、さすがは真央だ。


「美味い!」


 ハンバーグの中には肉汁がたっぷりつまっており、それが味に一層の深みを生み出している。


「まぁまぁね」


 真央が冷静な顔でハンバーグを食べる。よく見ると口の端が僅かに吊り上がってる。どうやら会心の出来だったらしい。


 ……意外と顔に出やすいんだよな。普通の人ならわからないと思うけど。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。


「さすがは真央だな」


「まだまだだと思う。うちのお母さんには敵わないから」


 そんなことないと思うけどな。


「――あっ」


 そのとき、ついスプーンを落としてしまう。


 しまった。気も緩んでいたようだ。


「ちょっと別のスプーン持ってくる」


「そんなことしなくていいから」


「……手で食えってことか?」


 火傷するわ。


「私が食べさせてあげる。お姉ちゃんだからね」


「いや、一人で食べれるし」


「遠慮しないの。……は、はい、あ~ん」


 そう言いつつ、真央は米が盛られたスプーンを俺の口に近づける。


 いやいや、さっきまで真央が食べていたスプーンじゃん。


 つまり間接キスということだ。


 い、いいのかな?


 真央の顔を見れば、自分でもやりすぎたと感じたらしく顔が赤い。


 まだ『世話焼きモード』発動してるな。……しょうがない。俺もちょっと恥ずかしいけど付き合ってやるか。


「あ、あ~ん」


 俺はひな鳥のように口を開ける。


 真央とはよくスキンシップはするが、こんな恋人同士がやるようなことしたことがない。


「あ、虫歯見つけた。駄目じゃない。ちゃんと歯を磨かなきゃ」


「ふぁ、ふぁかった(わ、わかった)」


 口を開けたままだからうまく喋れない。


「それに……焼きそば食べたでしょ。歯に青のりついてる」


 ……なんで診断してんの? しかもめっちゃ早口だ。


「いい加減食べさせてくれ!」


 痺れを切らしてつい叫んでしまう。


「そ、そうね」


 覚悟を決めたように真央は頬を引き締める。


「はい、あ~ん」


 再び真央がスプーンを差し出す。


 ぱくりと一口。うん、米だ。


「あ~ん」


 ……また白米か。


「そろそろハンバーグも食べたいんだけど」


 さっきから米しか食ってない。


「ゆうは意外と亭主関白なのね」


 しかも、本人はその事実に気づいていない。


 こぶし大のハンバーグが口に近づいてくる。


「ほがほがほが!」


 あ、顎が外れる。


「いや、大きいんだよ!」


 せめて切ってくれ。


「大きいほうが男の子は好きでしょ?」


「限度がある!」


 やはりこうなってしまったか。


 『世話焼きモード』になると最大限に甘やかしてくれるが、『ぽんこつ』にもなってしまうのだ。


 真央はしぶしぶハンバーグをカットして俺の口元に運ぶ。


「あ~んして」


 口を開けると、ハンバーグが入れられる。


 美味い。ナツメグを隠し味に入れてよかった。いや、隠し味はそれだけじゃないかもしれないけど。


 真央と目が合う。……真央がいつもより可愛く見える。いやいや、マジで動悸が止まらないって。


「美味しい?」


「そりゃ、な」


「そう。まだまだあるから」


「ああ、うん」


 真央はいそいそとハンバーグを切り分ける。


 気が動転したのだろう。


「こうしていると新婚みたいだな」


 いつもなら言わないことを言ってしまった。


「………………っ!」


 ビクンと真央の身体が跳ねる。


 一拍後、真央の顔が急速に赤くなる。


「……新婚って。わ、私とゆうがってこと?」


「そ、そりゃそうだろ」


「そ、そんな、私とゆうは姉弟なのに結婚、なんて……」


 ごにょごにょと真央の語尾が小さくなっていく。


 や、やばい。な、なんだよこの雰囲気は。


 真央を幼馴染になって十数年。


 今までにないほどの桃色空間だ。これも真央と俺の精神的な距離が近すぎたせいだろう。 ちらりと真央の様子を窺うと、顔を赤くして俯いている。確実に俺を意識している。


 やばい! いや、マジでやばいって!


 なんだよ! この雰囲気は! ま、まるで付き合いたての恋人じゃんか!


 冗談でしたって言わないと!


 俺は生唾を緊張と共に飲み込んで一気に吐き出した。


「あのさ。じょ、冗談――」


「ゆう」


 熱を帯びた視線で真央が顔をこちらに寄せてくる。濡れた唇は紅を帯び、目が惹きつけられる。


「ま、真央?」


「ゆう。私は」


 胸が高鳴り、金縛りにあったかのように硬直する。



「ゆうのことが――」




 あと一言で全てが変わる。


 その瞬間、がちゃりと玄関のドアが開く音が聞こえた。


 え、この家に入ってくることが出来る人間なんて一人しか――。


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