「034」初めての料理と
真央の家は二階建てのごく一般的な家屋で、三人家族が住むには十分な広さだ。ここに来たのは久しぶりだな。昔は真央の家の庭でよく遊んだものだ。……今の体格だとさすがに狭すぎるな。
時刻は六時を過ぎていた。既に真央も帰っているだろう。
チャイムを鳴らすと中から真央が出てくる。
「ん、入って」
「お邪魔します」
玄関で靴を脱ぎ、
「あれ?」
真央の靴しかない?
「おばさんは?」
「母さんはパート」
部屋の奥から真央の声が聞こえた。
そうか。久しぶりに会いたかったんだけどな。いないなら仕方ない。
朧げな記憶を頼りに廊下を進む。
キッチンは醤油などの調味料の匂いが僅かに漂っていた。
うーん、亜里沙の家のキッチンと違って使い込まれている感じがするなぁ。
エプロンをした真央が冷蔵庫を開けて、色々な材料を持ってくる。他にもボウルやお玉を持ってきて準備を始めた。
やはり制服にエプロンって最高の組み合わせだ。
いつもより真央の魅力が五割増しに感じる。
できることならいつまでも見ておきたいくらいだ。
「ゆう、なんで笑ってるの?」
しまった。不覚にもへらって笑ってしまっていたみたいだ。
「な、なんでもない」
きりりと顔を引き締める。エロいことなんて何も考えていませんよ的なフェイスガードだ。
「ゆうもエプロンして」
近づいてきた真央が俺の後ろに回る。ふんわりと優しい女の子の香りにちょっとドキッとしてしまう。
……なんか男としてちょっと情けない光景だ。
「これでいいよ。もやい結びしておいたから」
「なにそれ」
「船を岸壁につなぐ時の結び方」
「めっちゃ頑丈なやつ!」
「ゆう、お礼は?」
「あ、ありがとう」
しっかりと(?)紐を結んでくれた真央に礼を言う。
「お姉ちゃんだからね」
ふふっと真央が笑う。すると、どことなく緊張した雰囲気がほぐれていくのがわかった。良かった。さすがに気まずい雰囲気のまま料理なんてしたくない。
「それで何を作りたいの?」
「え」
そういや考えてなかったな。
……亜里沙が感動するような家庭的なものがいいな。
「とりあえず簡単な和食とかかな。魚とか捌いてみたいな」
「ゆう……」
呆れた表情で真央がため息をはく。
「包丁すら握ったことないのに無理言わないで」
「あー、やっぱ無理かぁ」
「まずは簡単な包丁の使い方を教えてあげる。見てて」
ブラウスの袖をまくってきゅうりをまな板の上に乗せて包丁を掴む。
「まず手を丸めてきょうりに添えて、指の第一関節が包丁の側面に当たるようにするの。猫の手みたいな感じで」
「へー」
「あとは包丁を指に沿って切ればいいだけ」
シュシュっときゅうりが薄く切られていく。
おぉ! まるで紙みたいに薄い!
「簡単でしょ?」
料理に詳しくない俺でもはっきりわかる。
絶対難しいだろ。難易度SSってところじゃない?
「大丈夫。ゆうならできるから」
いや、なにその根拠のない言葉。とはいえ、ここで出来ないなんて弱気なところは真央に見せたくない。それに亜里沙のためならこれくらいやってやるさ!
「やってみて」
真央が包丁を置いて一歩下がった。
「……わ、わかった」
包丁を掴んで真央に教わったように猫の手できゅうりを押さえる。
確かこんな感じだったな。
「そう、いい感じ」
いつの間にか背後に回った真央が俺の両手にそっと手を重ねる。同じ人間とは思えないほどの柔らかい手だ。
「でも、もうちょっとしっかり包丁握って。あと脇もしめたほうがいい」
く、首に息がかかってくすぐったい。
「こ、こう?」
「そう。さすがはゆう」
くっつかないで! 背中におっぱいの感触がぁぁ!
もはや料理2・おっぱい8の割合で意識が持っていかれる。
「じゃあ、きゅうり切ってみて」
「あ、ああ」
返事はしたが、意識は完全におっぱい音頭だ。
「あ、ゆう。親指が出てる! 駄目――」
ざくっ。
指の第一関節よりも突き出た親指を包丁が薄く切ってしまった。
「うぎゃああああああ!」
血、血がぁぁぁぁぁ! めっちゃ出てるぅぅぅ!
「ゆう。落ち着きなさい。弁護士を呼ぶから」
「いやいや! まずは救急車だろ!」
「そ、そうね」
二人であわあわと慌てる。
………………。
…………。
……。
ようやく止血できたころにはお互い疲れ切っていた。
「ゆうは不器用」
ぐ、返す言葉もない。でも、仕方ないじゃん。背中におっぱいは凶悪すぎる兵器だ。
「大人しくお姉ちゃんの庇護を受けるのが一番だと思う。私が亜里沙にご飯作ってあげようか?」
確かにそのほうが手っ取り早い。
「……俺も真央みたいに出来るかなと思ったんだけどな」
でも、失敗だった。
「俺、全然駄目だな」
弱音を言うつもりじゃなかったのに。
「――じゃあ、今日から料理作りに行くから」
一瞬、頷きかけた。
真央が作ってくれるならそっちのほうがいい。俺なんか作るよりよっぽどいい。
だから……。
「誰かと一緒の朝ご飯ってちょっと嬉しいし。やっば、ちょっとテン上げじゃん」
「――いや、俺が作る」
やっぱり俺が料理をしたい。
俺が料理することに家族として意味があるんだ。
「やっぱりね」
わかっていたというように真央が頷く。どうやらお見通しだったみたいだ。
亜里沙と一緒に暮らすのは俺だ。だから、俺がやるべきことだ。
たとえ下手でも『家族』としての第一歩を踏み出すのは俺の役割なんだ。
「……でも、今日はもう無理。指の怪我が治ったらまた教えてあげる」
「い、いや、でも、そんなに血が出てないし」
「駄目」
「だ、だけどさ」
「駄目」
俺は頭を下げて両手を合わせる。
「頼む!」
俺には甘い真央だ。ここまですれば頼みごとを着入れてくれるかもしれない。
「ゆう、怪我した手で家事の練習をしても効率が悪い。また怪我をする可能性も増える。だから駄目」
正論。だからといって諦めるわけにはいかない。
そのとき、亜里沙から着信があった。
「もしもし?」
「先輩、晩御飯どうします? どうせ真央先輩の料理教室上手くいかなかったんでしょ。晩御飯何食べます? マックとか行っちゃいます?」
丁度いいタイミングだ。
「亜里沙。晩御飯は俺が作るよ」
「は? いや、別にいーって」
もはや信頼度は0みたいなものらしく、かなり嫌そうだ。
「任せろって」
「……そういうならいーけど、んじゃ、待ってますんで早めにしてくださいね」
亜里沙との通話が終わる。かなりしぶしぶだが、なんとかチャンスは与えてもらった。
「ゆう、その手で料理なんてできないでしょ」
「で、でも、これ以上亜里沙を待たせられないし」
「……もう」
呆れたようにため息を吐く真央。し、仕方ないだろ。男の意地みたいなもんなんだから。
「どうするの?」
真央に作ってもらうわけにはいかないしなぁ。
いや、待てよ。
指をちょっと怪我してるくらいで動きに支障はない。
「……包丁使わなくてもいいような料理ってないのか?」
そう、包丁のような刃物を使わなければ問題はない。
「きゅうりに味噌つけて食べると美味しいわね」
めっちゃ適当だ!
「いや、そういうんじゃなくて。ぱっと見た感じ手の凝った家庭的な料理に見えるやつ」
「そんなの――」
真央が言葉の途中で考え込む。
「手の凝ったとはいえないかもしれないけど包丁を使わない家庭的な料理は知ってるわね」
「おぉ! さすがは真央だ! で、なんて料理だ?」
「それは――」
ああ、なるほど。
「確かに家庭的だな」
「でしょ」
しかも、俺でも作れそうなくらい簡単だ。
これなら楽勝だろう。
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