「003」ギャル
「そんなことするかよ。向こうだって俺を家族だって思ってるだろ」
あえて興味ないねというように肩をすくめて対応した。こうすると相手はつまらなそうに話題を打ち切る。
だが、早雲は違った。確信があるように話題を続けた。
「そんなことないだろ。真央ちゃんは絶対お前に惚れてるだろ。告白してきたときの返事を考えておけよ」
「んな必要ないって」
真央のことならよくわかる。あいつも俺と同じように今の関係を望んでいる。
「ま、どっちでもいいけど、お前と真央ちゃんのことなんて俺には関係ないからな。でも、出来ればお前には不幸になってほしい」
「最低だよ」
「そんなこと言うなよ、親友。背中を任せられるのはお前しかいないぜ!」
「……俺は任せたくない」
というか、マジで親友じゃない。
「でも、親友として忠告だけはしておくぜ。『男なら高二の春に恋人を作れ。ならぜなら時間は無限だが我々は有限なのだから』あの有名なモテモテ男爵ドスケベ三郎太さんの著書『モテる男』の第三章一節から」
「そんな怪しい奴の言葉を聖書みたいな引用するな」
とはいえ、『高二の春に恋人を作れ』という早雲の言葉にも説得力がある。……いや、正確に言うと早雲の言葉じゃないが。
高校生だからこそ恋人くらい欲しい。休日に公園デートとか映画館デートとかしてみたい。それは声を大にして言いたい!
でも、今は恋愛どころじゃない。
「そういや、バイトは今日あんの? お前も大変だよな。引っ越しの費用稼がなきゃいけないんだろ? 」
早雲の質問に、俺は首を横に振った。
「いや、しばらくは休みだ。なんか店長がぎっくり腰で店が休みなんだよ 」
「へー、そりゃよかったな」
「よくない。俺は金が稼ぎたいんだよ」
「ああ、そっか。お前の目的って金かかるもんな」
「そういうことだ」
チャイムが鳴り放課後になった。教科書を鞄に入れて帰り支度をしていると、早雲が近づいてきた。
「今日どうせ暇だろ? ゲーセン行こうぜ」
「……やだよ。お前がゲームで対戦相手に勝つと屈伸して煽るだろ。そのせいで相手から恨まれて酷い目にあっただろが」
危うく喧嘩沙汰になるところだった。しかも、こいつは俺を置いて逃げやがったからな。
「もうしないって! 悪かったよ! マジで! だから、行こうぜ!」
早雲が両手を合わせて頭を下げた。
「頼む!」
調子がいいやつだ。
なんだかんだ言っても最後には謝ってくるからどうしても憎めない。
「……わかったよ」
「許してもらってなんだけどお前って面倒見が良いっていうより、騙されやすくてチョロいよな。変なやつに引っ掛かるなよ」
「その変な奴の筆頭がお前なんだけど」
今になって思えば早雲と出会ったことが人生最大の過ちのような気がする。
「でも、今日は用事があるから一戦だけな」
「もしかして、シオンちゃんの生放送か?」
シオン。今話題の歌姫ブイチューバーだ。
腰まで届く長い紫髪をポニーテールにしており、豊満な胸が印象的だ。
一年ほど前に彗星の如く現れた彼女はデビュー動画の同時接続者数は三万人を記憶した。更に総再生回数は一億を突破し、驚異的な再生数の伸長を記録しており、 今ではブイチューバー四天王の一人とまで言われているほどの人気だ。
なんというか生の女の子と話しているような感じなんだよなぁ。
「お前、あの子好きだもんな」
「べ、別に普通だって」
「いや、お前スマホにもシオンちゃんの動画入れてるだろ。ぶっちゃけドン引きだよ」
「年中水着キャラのエロ系スマホゲーに課金してるやつに言われたくない!」
「エロければいいんだよ! つーか重武装のオッサンを眺めるより楽しいだろが!」
互いに睨み合う。周囲に残っていた女子生徒から冷たい視線を向けられて俺たちは我に返った。
とても醜い争いだ。
「で、なんであの子が好きなんだよ。正直言ってさ。お前がそこまでハマるなんて思わなかったよ」
「歌も好きだけど。……なんというか親しみがあるんだよな。他人じゃないというか。生の女の子と話しているような感じがするんだよ」
生放送を見ている感じだとめちゃくちゃ気が合う感じがする。まさに理想の女子だ。
「生の女の子って……真央ちゃんがいるだろ」
「いや、シオンちゃんは別腹なんだよ!」
シオンちゃんは真央には出せない可愛さがある。
「真央ちゃんだって十分女の子っぽいけどな」
早雲は納得いかないらしく首を傾げている。見る目がないやつだ。
「……わかったわかった。お前のブイチューバー愛は伝わったからさ。それよりもとっとと行こうぜ」
早雲のほうから聞いきたくせに。と思ったが、こいつの勝手さはいつものことだ。
「ああ。そうだな」
早雲と連れ立って教室を出る。下駄箱にたどり着くと、すでに日は暮れかかっていた。
「でさー。そこで俺は言ったんだよ。『え? その弱さは何? 香川県にでも住んでんの?』ってなぁ!」
「アメリカ人のジョークっぽく言ってるけど煽りは最低だからな」
二人で並んで靴を履き替えた。
――そのとき背後から誰かの手が俺の目を覆い、背中に柔らかいものが押し付けられる。シャンプーの香りに包まれた毛先が鼻を擽る。
「だ~れだ」
甘い囁きが俺の耳に入ってくる。
「え、え、誰?」
混乱した早雲の声が聞こえる。
「ヒントは後輩、です」
真央、ではない――どこか生意気そうな声の響きは別の女の子のものだ。
こんな声に心当たりは――。
ある。つい最近、知り合った女子だ。名前は確か、
「亜里沙、だな」
「せ~かい、です」
と、言いつつも未だに俺の視界は暗いままだ。なぜか亜里沙は離れようとしない。それどころか更に胸を押し付けてくる。
服を着ていても胸の大きさがわかる。かなりデカい。真央以上のプレッシャーだ。
「お、おい、正解したんだから離れろよ!」
「え~、ほんとに離れてもいいんですか?」
「あ、当たり前だろ」
「ほんとはこのままでいいと思ってますよね? だって、おっぱい、当たってますもんね」
艶めかしい声色で亜里沙は囁く。まるで船乗りを弄ぶセイレーンのような魔性に理性が解けていく。
思わず生唾を飲み込んだ。どこか世界が桃色に変わっていく直前、
「な~んて、嘘です」
ぱっと亜里沙は手を離して俺から距離を取る。
……もっと堪能しておけばよかった。
「お前なぁ。そういう勘違いされることするなよ」
振り向くと、くふふと口に手を当てて少女が小悪魔のように笑っている。
容姿でまず目を惹くのは制服の上ボタンを二つ外して谷間を露出させた胸だろう。真央は以前Eカップだと口を滑らせたがそれより明らかに大きい。Fくらいはある。
グラビアアイドル顔負けの豊満な胸だ。
そして、次に異様に整った目鼻立ちだ。どこか日本人離れしており、高級なビスクドールを彷彿とさせる。
髪の色も染めたような金色ではなく、透き通った金色をリボンでワンサイドアップにしている。
今時のギャル。完全に陽キャだ。
あのとき同じ高校の一年だと言ってたがまさか本当だったとは。
「え~、勘違いってどういう勘違いですか?」
明らかに意図がわかっているように亜里沙が聞いてくる。
「わ、わかるだろ?」
「え~わかりません。教えてくださいよ。せんぱい」
甘えるように俺の右手を両手で握る。
柔らかい手だ。
真央の手と手を握ることもあるが、柔らかく温かい真央の手より少し冷たい。
しかし、その冷たい手が火照った体温を冷ましてくれて気持ちいい。
「だ、だから、お、俺が好き、かもとか思うだろ」
俺は動機が激しくなっているのをばれないように平静を装う。
俺のほうが先輩なのだから後輩に情けない態度は取れない。
「え~、そんな風に思ってたんだ~。先輩って自意識過剰ですね」
あんなことされれば男なら勘違いするだろ。
それともギャルというのは男の手を握るのが普通なのだろうか。んなアホな。
「え、ちょ、ちょっと待って。よ、よく見たらモデルのアリサじゃん! 同じ学校だったのかよ!」
興奮で鼻息を荒くした早雲が声を上げる。
「え、亜里沙って有名なのか?」
俺の問いに亜里沙は小首を傾げた。可愛らしい仕草に一瞬心臓が高鳴る。
「さ~? どうなんでしょう。知名度なんてあたしは気にしませんし」
「すげー有名だって! 『寒い雪の中にいるお地蔵様にかぶせてあげたいFカップのブラ』ランキング一位だぞ!」
激しく腕を振り回して力説する早雲。そんなマニアックなランキング聞いたことない。
「……キモ」
今までの笑みが一瞬で消えて亜里沙はドン引きしていた。
……気持ちはわかる。男の俺でもどうかと思うほどエロに対して貪欲だ。
亜里沙の冷たい雰囲気に気づいた早雲が僅かにたじろぐ。
「え、俺、蔑まれてる!? やったー!」
と思ったらまさかの笑顔。
無敵の人かよ。常にスター状態なのか?
「先輩、今帰りですか? なら、一緒に帰りませんか?」
「いや、今日は早雲と一緒に――」
「なら、いいじゃないですか。そんな人と一緒にいてもどうせ変なところに連れていかれるだけですよ」
たった少しの時間で早雲の評価は地に落ちたようだ。仕方ないことだが。
「ね? そんなことで時間を取るよりあたしと一緒にいましょうよ」
……亜里沙の言うことにも一理ある。とはいえ、早雲と帰る約束のほうが先だ。
「亜里沙、悪いけど」
断ろうと言い終わる前に、亜里沙は早雲を見つめる。
「ねぇ、なんとか先輩。お願いがあるんですけど」
亜里沙は上目遣いで早雲に迫る。いや、頼むなら名前くらいは憶えてやろうよ。
触れそうで触れない距離。
それでも効果はばつぐんだ。
「なんでも言うことを聞きましょう。我が姫」
早雲は片膝を突いて恭しく頭を垂れる。気持ち悪い騎士の出来上がりだ。
「それなら今日は一人で帰ってください。ね、なんとか先輩♡」
「イエス・ユア・マジェスティ!」
片手を高く上げた早雲が颯爽と踵を返す。
「それでは! この早雲の名を忘れないでください」
きらりと早雲の歯が光る。ゴリラみたいな面には合ってない。
「は~い、わかりました。なんとか先輩」
亜里沙のやつ、結局覚えてない。
しかし、去っていく早雲の足取りは軽い。……扱いは雑だったのに。
使い古しの靴下でも、もう少しマシな扱いをするだろう。
「これで二人きりですね。先輩」
どこか得意げな亜里沙に俺は息をつく。
「お前なぁ。強引すぎるだろ」
たかが一緒に帰るだけにしてはやりすぎだ。
早雲だから良かったものの、他の人間だったらトラブルになっていたかもしれない。
「ですね。すみませんでした」
途端に謝る亜里沙。意表を突かれた俺は目を丸くする。
亜里沙は顔を伏せて今にも泣きそうだ。
「あ、いや、わかればいいんだけど」
少し強く言いすぎたか? 参ったな。今まで真央以外の女の子と仲良くする機会なんてなかったから加減がわからない。
「な~んて、冗談ですっ。こんなので慌てるなんてヤバいくらい可愛いですね。先輩」
ぱっと顔を上げると、そこにはいたずらっ子のような笑みを浮かべた亜里沙がいた。
「……お前なぁ」
呆れて声も出ない。
一瞬でも本気にして損した。
「でも、先輩。あたしも不満が溜まってたし、しょうがなくないですか?」
むっとしたように亜里沙は唇を尖らせる。
「不満って……嫌なことでもあったのか?」
俺が聞き返すと亜里沙は深くため息を吐いた。
「……先輩。私と最後に会ったのっていつですか?」
「えっと……入学式のちょっと後だから……二週間前だな」
「二週間ですよ。ちょっと長すぎませんか? 少しくらいリプしてもいいじゃないですか」
「リプ?」
「返信って意味だし。そんなことも知らないんですか?」
そんなギャル語知るかよ。
「い、いやでも、後輩に会うだけの用事で一年の教室に行くのは目立って恥ずかしいだろ」
俺の答えが不満だったらしく亜里沙が凍えるようなオーラを醸し出す。
「……ふーん、私は別に恥ずかしくないので今度からあたしが先輩の教室行きますね。大声で『彼女が来ましたよ』って叫びますよ」
「嘘はつくなよ! 彼女じゃないだろ!」
そんなことされたら真央に誤解される。
「そ、それにそっちだって困るだろ? 俺みたいな普通のやつと付き合ってるって噂されるのはさ」
芸能人はゴシップを嫌う。
そう思っての発言だったが、亜里沙の笑みは消えていない。
「え~、あたしは別に構いませんよ」
ブラフか、それとも……本当に俺と恋人だという噂が流れても構わないのか。いやいや、それはないだろう。なにせ俺と亜里沙はこれで二回目の邂逅だ。恋に落ちるのは早すぎる。だが、それを証明する手段がない以上、俺のほうが不利だ。
「わかった。俺の負けだ。たまに会いに行くから許してくれ」
両手を上げて降参のポーズを取る。
「え~、どうしよっかな~」
亜里沙は頬に人差し指を当ててニコニコしている。獲物を弄ぶ猫のような笑みだな。
「何が望みだよ」
「先輩。ごめんなさい、は?」
マジでSだな、こいつ。
「ほらほら、先輩。謝んないと学校中で噂になっちゃいますよ。もしかしたら雑誌の取材とか来ちゃうかもな~」
完全に上から目線で弄ばれている。やられっぱなしというのも我ながら情けない。
「……」
何か反撃してやろうかと思ったが女子経験が少なすぎて反撃が思いつかない。
「な~んて、冗談ですよ。本気にしちゃいました? ほらほら」
黙っている俺を見て怒ったと勘違いした亜里沙が誤魔化すように俺の脇腹を指でつつき始める。
「ちょ、くすぐったいって!」
めちゃくちゃ距離が近いな。これだから陽キャは。距離感の詰め方が縮地レベルだ。
「これとかどうですか? 先輩♡」
調子に乗った亜里沙が背中に密着して耳に息を吹きかける。
「うわ!」
「あはははっ、『うわ』だって! マジ草生える!」
耳に息を吹きかけられるのも驚いたが何よりも。
「……あのさ、ちょ、ちょっと距離が近すぎないか? その、胸とか当たってるし」
「ぁっ」
我に返った亜里沙が慌てて距離を取る。
「ご、ごめん」
とりあえず謝ると、亜里沙の顔は真っ赤だった。心なしか目が潤んでる。今まで攻めてたのに急にどうしたんだ?
「わ、わかってましたし!」
めちゃくちゃ顔赤いじゃん。って、やばい、俺も顔が熱い。
「あ、あれ~、せ、先輩ってば顔赤くないですか? もしかして、あの程度で照れてます?」
「そ、そっちだって照れてただろ」
「はぁ? そんなことないですし!」
互いに睨み合う。……顔が赤いまま。
視線を外したのは同時だった。この会話が不毛だと俺も亜里沙も気づいてしまったからだ。
「……とりあえず今日は一緒に帰ることで許してあげましょう。先輩」
「しょうがない。送っていくよ」
「当然ですね。ほら、行きますよ。先輩」
亜里沙は一瞬顔を輝かせると、慌てたように振り返って俺の先を歩き出す。なぜか亜里沙の足取りは軽い。