「010」亜里沙と
「先輩、コーラでいい?」
「あ、ああ」
リビングと併設されたキッチンに向かった亜里沙が背を向けて屈むと冷蔵庫を開ける。
突き出た尻は色気があり、青少年の心に悪い。
目のやり場に困ってリビングを見渡す。
ダイニングテーブル、高級そうなソファー、大型のテレビ。使われていない食器セット、明らかに一級品を使った上流階級の家庭のように見えるが……。
率直に言って、散らかっている――。
部屋の隅に積まれた制服や私服、テーブルには食べ終えたカップラーメンの容器、ゴミ箱にはバベルの塔を築く空の化粧品。
俺の部屋より酷いな。
「あれ~、先輩ってば女の子の部屋に興味あるんですか? いやらしいですね~」
ニヤニヤと笑いながら亜里沙がペットボトルを俺の頬に当てる。
「冷たっ」
「あはは、何か気になるものでもありました? し・た・ぎとか?」
いつものようにからかってくる亜里沙に、
「……いや、お前ちょっとは片付けろよ」
冷たい視線で対応できた。この汚部屋のどこをときめけって言うんだ。
「う、し、仕方ないじゃないですか。忙しいんですから」
亜里沙が唇を尖らせて拗ねたように金色の髪を人差し指にくるくると巻き付けた。
「忙しいって言っても少しくらい片付ける時間あるだろ」
「いーじゃないですか。誰に見せるわけでもないんだし。てか、マジ機能的? だし」
「どこが?」
「見ててくださいよ」
亜里沙が持っていたペットボトルを無造作に投げる。すると、置いてあった小型トランポリンの上に乗り、ペットボトルが宙を舞う。ピラミッドのように積み重なった雑誌の上にペットボトルが着地してレールの上を走るように転がりそのままゴミ箱の中に入った。
「ね? すごいっしょ」
ピタゴラスイッチかよ。
どや顔してるけどそんな手間暇かけるくらいなら片付ければいいだけの話だ。
……俺も人の部屋のこと言えないけどさ。
「そもそもなんで部屋にトランポリンあるんだよ」
「さぁ?」
本人すら把握してないのか。
「多分、仕事で貰ったもんだと思いますよ」
「モデル、だよな?」
バラエティでも出てたのかよ。
「スタジオって結構色んなもんがあるんです。でも、そういうのって撮影で一回使えば終わりなんで。面白そうなんでたまに貰ってくるんですよ」
「次から貰うなよ」
どう考えても使い道ないだろ。
「えー、どうしよっかなー。先輩が片付けに来てくれるならいらない物貰うのも悪くないかなって思うんですよねー」
亜里沙のあからさまな好意にどきっとしてしまった。
いやいや、からかってるだけだって。勘違いはよくない。
「……俺だって片付け苦手なんだからな」
視線を逸らしながら俺は近くにあった雑誌を手に取る。
さすがに足の踏み場くらいは確保しないとな。このままだと落ち着いて話をすることもできない。
「えー、マジでやるの? せーんぱいのえっちー」
亜里沙がじゃれるように俺の背中にのしかかってくる。
「お、おい、邪魔だって!」
学校でも経験したおっぱいの柔らかさが背中越しに伝わってくる。
「お、おま、おま!」
「ん~? どうしたんですか? 先輩。早く掃除してくださいよ」
俺の気持ちをわかってるぞと言わんばかりに亜里沙は耳元で囁く。
「な、なななな」
なんで乗っかかるんだよ!
おっぱいの重さがダイレクトに伝わってくる。
「ほらほら~早く~」
ぐりぐりと押し付けられる乳。
デカい分だけ、圧がものすごい。
「お、おま!」
「はっやっく、はっやっく」
更に胸が上下に揺さぶられる。
ここで振り払うのは簡単だが、乱暴にすると怪我をするかもしれない。
そもそも女子とこんなに触れ合うのなんか真央とでもしたことないって!
扱いがわからない。安易に触れることさえ戸惑ってしまう。
「い、いや、こ、これ以上暴れるなって!」
「え~、なんでですか?」
「それ以上は――あ」
瞬間、足がもつれて体勢が崩れた。
「きゃっ」
「うわっ」
一秒後、俺と亜里沙はもつれあって倒れる。
「いっつつ」
咄嗟に亜里沙を庇うように体を下にしたせいで頭を打ってしまったが、気絶するほどではない。
「だ、大丈夫か? 亜里沙」
顔を上げるとすぐ目の前には亜里沙の顔があった。いつもの余裕そうな表情は消えており、戸惑ったように瞳が震えていた。
「せ、先輩?」
キスをするような距離。ほんの僅かでもその気になれば一線を越えられる。
「亜里沙……」
いや、ちょっとやばいってコレ。
亜里沙の唇に視線が吸い寄せられる。
「あ、亜里沙」
なんで俺何回も名前呼んでんの?
勝手に体が動き、亜里沙の唇に俺はキスを――。
「ちょちょちょっとまった!」
ぱっと亜里沙が離れた。
や、ややばかった! 今のは高校生男子にとっては致命傷だろ!
亜里沙が離れなければどうなっていたか。
もしかすると、一線を越えたかもしれない。
いやいや! な、流れですることじゃないだろ!
こういうのはもっとしっかりと手順を踏むもんだ。
童貞だからこそのこだわりだ。
「せ、せせせせせせんぱい! マジでエッチですね!」
「い、いや俺だけのせいじゃないだろ」
「そ、そそそんなに赤くしてなにやろうとしたんですか!」
「赤くなってるのはそっちもだろ」
「あ、ああああ赤くなってないし! 先輩如きに赤くなるはずないですって! じいしきかじょー!」
『かじょー! かじょー!』言いながら亜里沙が近くにあったぬいぐるみを投げてくる。
痛くはないがちょっと鬱陶しい。
「ここにいると狼の先輩に襲われちゃうなー! な、なのでちょっと刺激が薄いやつに着替えてきます! もう片付けはしなくていいです!」
わざとらしい言い方で亜里沙が部屋から出て行く。
顔、赤いままだったな。
亜里沙の意外な弱点を発見した。
……攻められると弱いんだな。
これで亜里沙がからかってきても大丈夫! ……というわけでもない。
さっきのは偶然転んだから攻められただけだ。
もうあんな恥ずかしい真似は二度とごめんだ。
鼓動がうるさい胸を押さえる。