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Psychic Pavilion R.P.G.  作者: 金島 宗治
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第3章:高原

<第3章:高原>


「まったく素晴らしい眺めですね」剣士は深呼吸をした。

「そうだな」

「ね、言った通りでしょ?」

 澄み切った空気が爽やかに流れている。明るい青空にには雲一つない。高山植物の群生があちこちにあり、その全てが黄色や赤などの花で埋まっている。彼らが立っている所から下界の方を見ても、視界は開けていたが山の麓の方は低い雲が一面に広がっているのだろう、まるで濃い霧がかかったように白くけむり、彼らが歩いてきたはずの草原も何も見ることはできなかった。

「セコンダの村も見えねえな。けっこう標高がありそうだぜ」

「あたりの植物から判断して、軽く一〇〇〇メートルは越えてるわね」

「だが、変じゃねえか? 俺たちそんなに登ったか?」

「確かに洞窟の中の道はそんなに険しくありませんでしたよね」

「知らないうちに登ってたのかもしれないわよ」

「まるで別世界のような感じだな」

 庄左衛門はまたぐるりとあたりを見回してみた。彼らから見てさほど遠くない北の方角に、山の頂が二つある。高い方は彼らが立っている場所からかなりの高度差があり、まるで近づくものを寄せつけないかのように針のような先鋒がいくつも空を刺している。それは万年雪に鋭く輝き、あたりののどかなお花畑の様子とは異様なほどのコントラストを見せつけている。その峰から少し西にあるもう一つの低い頂の方は、丸みを帯びた形でむき出しの茶色い山肌をさらしていた。そのいたるところから蒸気を噴き上げている。

「火山か。なかなか活発に活動してやがるようだぜ」

「山全体が温かいんでしょうね。雪が積もってない」

「西にある湖とそのほとりの、あれは……」剣士が指さしながら言った。

「廃虚になった町のようね。それもけっこう昔に。向こう側は森になってるわね」

「地震で崩れたのかも知れねえな」

「このあたり火山帯なのかしら」

「行ってみませんか?」

「何しに?」

「何しに、って言っても……」剣士は言葉に詰まった。

「あの雪山にゃ、何にもなさそうだが。俺たちの目的地は本当にあの山なのかねえ」

「『真の勇者よ、森を抜け北の山を目指せ。』でしたっけ? プリマの村の張紙」

「北の山っつったってなあ……。確かに森を抜けた所から見ればここがその北の山なんだろうけどよ、あんな火山があるなんて聞いてねえぞ」

「あの剣山みたいな山に違いないわよ」

「根拠は? ゆかり」

「他に考えられないじゃない。とにかく剣ちゃんの言う通り、あの廃虚に行けば何か手がかりが掴めるかも」

「かもな」庄左衛門はそう興味なさそうに言って、先を歩くゆかりと剣士の後をついて歩き始めた。

「あれっ?」剣士が立ち止まった。

「どうした剣士」

「人だ。ほら、湖のほとりに……」

「なに? 人?」

 庄左衛門が剣士の指さしたあたりを見ると、確かに人が立っている。

「ありゃ女だな」

「白い服を着てるわね。誰かしら」

「知るか。この世界にゃ知り合いなんて……」庄左衛門はそこまで言って絶句した。

「ど、どうしたの? 庄左衛門」

「あ、あれは!」庄左衛門は剣士とゆかりを押し退けてずずいと前に進み出た。「よ、陽子!」

「陽子お?」ゆかりが眉間にしわを寄せて繰り返した。

「な、何であいつがこんな所に!」そう言うが早いか、彼は今まで剣士やゆかりが見たこともないようなダイナミックな走りでその女性が立っている湖に向かって突進した。

「庄ちゃん!」その女性は振り返るなり、駆けて来る庄左衛門を認めると明るく叫んだ。

「陽子!」

 湖の水面にきらきら輝く星をバックに、二人はまるで運命的な出会いでもしたかのように接近した。

「お、おまえ、何でこんな所にいるんだ?」

「この湖のほとりで待っていればきっと庄ちゃんに会える、って言われたの。会いたかったわ……」陽子は指を組み、目を閉じてため息をついた。

「俺も、会いたかった」庄左衛門は陽子の手をとった。

「ちょっと、ちょっと、ちょっと、どうなってんの?」ゆかりである。

「あ、あの人、もしかして庄左衛門さんの恋人?」

「そ、そんなわけ、ないじゃない! って断言もできないわね。あの様子からして」

「知らなかった……庄左衛門さんに恋人がいたなんて」

「その上、こんなわけのわからない世界にね」

 剣士とゆかりは湖から距離をとったまま、二人の様子をまだ信じられないといった表情で見守っていた。

「おまえもペンダントぶら下げてるな」

「ああ、これね。なんでも勇者の石だって」

「そう、俺もな、ほら」

「まあ、庄ちゃんも? で、あのお二人と一緒にここまで来たってわけね?」

「そうさ。馬飼野剣士と小川ゆかりってんだ。けっこうおもしれえ奴らなんだ」

「そうなの」

「ふんっ! なにがおもしれえ奴らよ。あんたが一番おもしろいっての」ゆかりは吐き捨てるように言った。

「ところで、なんで俺がここに来ることがわかってたんだ?」

「導きの神様に教えて頂いたのよ」

「み、導きの神だって?!」

「あら、知ってるの?」

「知ってるもなにも、そいつが、俺たちを旅におん出しやがったんだ。北の山に行けば旅の目的がわかる、なんて言ってよ」

「そう。でもわたしは勇者だなんて言われても、全然実感もわかなかったし、自覚もないから、ただここまで来てあなたを待ってたのよ」

「お、俺を? だ、だけど、ここまで来る間にいろんなワナやモンスターがいただろ?」

「全然。まっすぐここまで来られたわ」

「なんだと?! ほ、本当か?」

「ええ」

「じゃ、じゃあ、おまえセコンダの村とか鍾乳洞とか……」

「セコンダ? 何それ」

「し、知らねえのか?」

「わたしただ山道を登ってきただけよ。でも、」

「ん?」

「わたしね、気づいた時にはこの山の中腹に立ってたの。それ以前の記憶は何もなくて、ただ庄ちゃんのことだけ、頭の中にあったわ」

「俺の?」

「だから、神様に庄ちゃんのことを言われた時、旅の目的はそれだ、って確信したの。だからここであなたを待ってたのよ」

「そ、そう言えば、俺、なんで陽子のことを知ってるんだろ? 俺も他の記憶は全然ないのに、おまえのことだけは忘れていない。そうだ、おまえ、俺が洞窟の中で眠ってた時に夢に出てきたんだぜ」

「夢に?」

「そうさ。おまえ、天国にいたんだ」

「やだ、縁起でもない」

「きっと、ここで会えるっていう暗示だったんだな」

 剣士とゆかりはお花畑に座り込んで退屈そうにしていた。

「ふん。でれでれしちゃって」ゆかりは近くの赤い花を引きちぎりながら呟いた。

「ずいぶん仲良さそうじゃありません?」剣士は膝を抱えてにこにこしている。

 しばらくしてゆかりが一つ大きなあくびをした時、陽子の悲鳴と庄左衛門の叫び声が同時に二人の耳に飛び込んできた。「きゃあーっ!」「よ、陽子!」

「な、なに?! どうしたの?」ゆかりは思わず立ち上がった。

「陽子!」庄左衛門がまた叫んだ。「陽子をどこへ連れて行く気だ!」

 剣士はすでに二人がいた湖に向かって走り出したところである。ゆかりも後を追った。

「どうしたっての? 庄左衛門! ああっ!」

 ゆかりは、何かに抵抗してもがいている姿の陽子が、湖の中程で霧に包まれて消えて行くのを見た。

「陽子ーっ!」庄左衛門の悲痛な叫び声が山々にこだました。

「い、いったい……」

「よ、陽子がさらわれた!」

「誰に?」

「わ、わからん! 姿の見えないやつに……」

「見えない?」

 その時!

「ふっふっふっふっふ」

 怪しげな声が三人を包み込んだ。何か地の底から響いて来るような不気味な重苦しい声だった。

「な、何者だっ!」剣士がとっさに背中の剣を抜いた。

「陽子は預かった。無事返して欲しくば雪山の山頂のファヴェル城まで来い」

「ファヴェル城だと! いったい何の目的で陽子をさらったりしやがったんだ!」庄左衛門が食ってかかったが、それきり声は聞こえてこなかった。

「とにかく行ってみましょう。どうやらあの廃虚から雪山への道が続いているみたいよ」

「本当か? ゆかり」

「廃虚を取り囲む森が山頂の方に広がっているでしょ? その森の中に上に向かって一本の筋ができてる。きっと登山道よ」

「よしっ! 行こう!」はやる気持ちを押さえきれずに庄左衛門はその廃虚に向かって走り出した。

「やっぱり雪山の方だったんですね。僕たちの目的地」剣士は庄左衛門の後について駆けながら言った。


「石造りの町だったみたいですね……」

 見ると、町全体の建築物のほとんどが無惨に崩れ落ちている。山の斜面に沿って、その起伏を上手に利用して計画的に作られた町だったようだ。

「これは、神殿なのかね」

 庄左衛門が見上げたのはこの廃虚で最も大きな建物の残骸である。横に長い石段の上に十数本整然と並んでいたであろう美しい装飾の施された白い円柱も折れたり倒れたりしていて、まともに残っているものは僅かだった。そしてそのほとんどが苔むし、石畳の隙間から容赦なく伸びた雑草に取り巻かれて哀れな姿をさらしていた。彼らはその建物の前に造られた広い長方形の広場に立っている。ここにも石畳がぎっちりと敷き詰められていたが、不思議なことにその広場の中央付近だけは雑草の侵入がなかった。

「ファヴェル城って言ってたな。ここはその城下町だったんじゃねえのか?」

「有り得るわね」

「だとしたら、その城についての情報がこの廃虚にあってもおかしくない」剣士がそう言いながらあたりを調べ始めた。

「水路があります。まだ生きてますよ」

「水路か。すると、この廃虚の一番高い所に泉があるってことだな」

「重要な情報があるのなら一番偉い人が住んでいた家なのではないですか?」

「神殿か?」

「だとしたら、この建物ですよね」

「調べてみっか?」

 三人はその崩れかかった建物に足を踏み入れた。

 入口に扉はなかった。天井はほとんど崩れ落ちている。だから建物内部の床はその石材で埋まっている状態だった。

「相当脆い神殿だったのね。こんなに天井が落ちちゃうなんて」

「やっぱり地震があったに違いないぜ」

「確かにそんな壊れ方だなあ」剣士はあたりを見回しながら歩いた。「にしても、」

「どうした剣士」

「文字が……ありませんね。どこにも」

「そう言えば」ゆかりも立ち止まってあたりを見回してみた。

「ドラゴンの彫刻とかありきたりの風景画とかはあるな」庄左衛門も呟いた。そうして崩れかけた壁のレリーフに近づいた。「ドラゴンってのは、ここの守り神か何かかね。やけにあちこちあるぜ。柱にも崩れた屋根の石材にも」

「屋根の石材?」

「ああ、ほれ、これだ。剣士」庄左衛門が指さした足元の瓦礫はドラゴンの頭の彫刻である。

「本当だ。ドラゴンの鬼瓦ですね」

「これ『鬼瓦』なのか?」

「この絵にはサインもないわね」ゆかりが隣の部屋で誰に話しかけるでもなく口にした声を剣士たちは聞いた。

「どんな絵だ?」庄左衛門がゆかりに大声で尋ねた。

「城の絵よ」

 庄左衛門と剣士はゆかりのいる部屋に入り、彼女の観ている絵の前に来た。

「でっけえ城だぜ」

「もしかしたら、これがファヴェル城じゃないですか?」

「なんで」

「いえ、なんとなく」

「他に何かねえのか? 掘り出しもんは」

「あんたここに何しに来たのよ。宝探ししてる場合じゃ、」

「わかってら。陽子の連れてかれたファヴェル城の手がかりだろ?」庄左衛門の少し強い口調にゆかりははっとして口ごもった。

「あれえ、」剣士がとんきょうな声を上げた。

「どうしたんだ? 剣士」

「もう裏口です」

「何? 本当か?」

「来てみてくださいよ」

 剣士が立っていたのは確かに建物の裏の入口である。やはり扉はない。ちょっとした広さの石畳の庭園が広がっている。所々に伸び放題だが芝のような細くて柔らかい草の花壇があった。そしてその周囲はやはりあちこち崩れかかった壁に囲まれている。

「お、浴場の跡じゃねえか」庄左衛門が言った。

「浴場? 庭園じゃないんですか?」

「風呂だよ」

 広々とした長方形の石造りの池からは、確かに湯気が立ち昇っている。

「ここにも!」剣士が叫んだ。湯舟の脇の三つの給湯口もドラゴンの頭の彫刻である。その口から今でも豊かな湯を供給している。

「湯?! だと?!」庄左衛門は突然叫んだ。

「お湯でしょ?」

「温泉か!」

「あんたが最初に言ったんじゃない。ここは風呂だって。今更なに驚いてんのよ」

「誰もいない廃虚に今でも生きてる風呂があるとは、驚きだぜ」

「本当にこのあたりは火山帯なんですね」

「すげえな。今でも入れそうだぜ。掛け流しの温泉風呂」

 半ば崩れた壁の瓦礫が浴槽の中に落ち込んではいるが、湯は常に新しいものが供給されていて、盛んに立ち昇る湯気の隙間から美しいモザイク模様のタイル張りの湯舟の底が見えるほどの透明さを保っている。

「ドラゴンのモザイクだぜ、ここにも」

「本当だわ」

「かなりしつこいですね」

「こうもあちこちにドラゴンの彫刻やら何やらがあると、ドラゴンに何かあるんじゃねえか、って勘ぐりたくなるな」

「なりますね」

「ま、よくある聖獣信仰ってやつじゃねえか。人間の力の及ばねえ強大なものを崇めるってのはそんなに珍しいことじゃねえ」

「ここの聖獣はドラゴンだったんですね……」

「どれ、ひとっ風呂浴びてくか……おっと、こんなことしてる場合じゃねえ。陽子だ、陽子を救いに行かねえと!」

 その時だった。湯煙の向こうに白いローブをまとった老人の姿が浮かび上がった。

「あっ!」

「おまえは!」

「長老!」

 老人は静かに微笑んだ。「何のことじゃな? わしはおぬしたちを導くためにここに来たのじゃ」

「導くために?」

「さよう。言わば導きの神」

「やっぱりあのうさんくせえ長老!」

「だまらっしゃい! 人違いじゃ」

「それにしても、服を着たまま入浴するとは、とんでもない非常識、」

「おい、剣士、」庄左衛門が剣士に耳打ちした。「やつは風呂に入ってんじゃねえよ。幻影だ、幻影」

「幻影?」

「何をぶつぶつ言っておる?」老人がドラゴンの頭の給湯口の上の所に立ったまま音もなく移動して言った。

 庄左衛門は彼に向き直って語気を強めた。「どうでもいいから教えろ! 陽子の連れて行かれたファヴェル城ってのはいったい……」

「落ちついてよく聞くのじゃ。よいか、あの娘をつれ去った者は姿なき者。したがって娘の命を奪うことなどできはせぬ」

「よかったですね、庄左衛門さん」

「だ、だったら、目的は俺たちってことか?」

「さよう。おぬしらはファヴェルへ行くさだめじゃ。目的を見失うのではない」

「そこへいったら、どうなるんだ?!」

「おぬしたちが決めることじゃ。未来は揺れ動く」

「まーたわけのわからねえことを。おめえのいうこたあ、いつでも抽象的で意味がわからねえんだよ!」

「じゃから、わしはおぬしらとは初対面じゃと言うのに」

「同じことでい!」

「と、とにかく、」神は少し動揺していた。「娘のことは心配せずともよい。おぬしらが城へ行くまでは絶対に無事じゃ。わしが保障する」

「本当だろうな」

「わしは神じゃ。わしを信用しなくて何を信じるのじゃ?」

「ゴリ押しを始めやがった。ますますうさんくせえな」

「これからの冒険は一段と過酷なものになるじゃろう。心して行くがよい。何ならここで一風呂浴びて疲れでもとって出かけてはどうじゃ?」

「おめえな、本当に神か? 言うことがなんだかただのおせっかいじいさんだぜ」

「おお、そうじゃ、そうじゃ。大切なことを言い忘れておった」

「なんだよ」

「湖におぬしらを手助けしてくれる者が住んでおる。彼の手を借りねば城へは行けぬ」

「湖に住んでる? そいつは人間か?」

 すでに神の姿はなかった。

「こらっ! 中途半端な話の途中で消えるんじゃねえ!」

「行きましょう。庄左衛門さん」

「そうね。とにかく湖に」


「きれいな湖ねえ」

「まったく、見事に透き通ってますね」

「……」

「どうしたの? 庄左衛門」

「陽子さんのことなら大丈夫ですよ。神様がああ言ったんだから」

「違う、そんなことじゃねえ。この湖。もしかすると……」庄左衛門は湖にゆっくりと近づいた。そうして、懐から銀貨を一枚取り出し、波打ち際にぽとりと落としてみた。すると、その銀貨は激しく泡を出し始めた。「やっぱりだ!」

「どうしたの?」ゆかりも剣士も彼に近づいた。

「こいつは酸の湖だ!」

「酸の湖?!」

「しかも、銀さえ溶かす強酸だぜ」

「ぶ、物騒ですね」

「物騒って言うより、こんなとこに住んでるやつってのは、」

 その時だった。急に湖の中央付近が騒ぎ出したかと思った直後、鮮やかな緑色の鱗に身を固めたドラゴンが姿を現わした。

「ど、ドラゴン!」剣士は後ずさりした。

「ま、またえらく悪趣味な色」ゆかりが言った。

「本物のドラゴンがいたとはな」庄左衛門はあっけにとられている。

「どりゃーっ!」遠くから誰かの叫び声が聞こえた。

 三人は思わずその声のした方を見た。彼らの位置から湖の外周を約四分の一ほど回った所にいつの間に現れたか一人の男が立っている。そしてその右手を緑色のドラゴンに向かって伸ばしている。二度目のかけ声とともに男の手のひらから稲妻がほとばしり、ドラゴンの身体を襲った。

「やつは魔術師らしいな。やっぱり勇者の一人か?」

「そうみたいね。赤い石を首から下げてる」

 その稲妻ではドラゴンにはほとんどダメージはなかった。男は次に両手をかざしてまた気合いを入れた。「さあ、俺様の魔法の力を思い知れっ!」今度は巨大な火の玉である。

 がおっ。

 少しドラゴンにダメージがあった。

「よおし、わかったぞ! きさまの急所は目元のホクロだな?!」男はそう叫んでまた稲妻攻撃を繰り出した。

「ホクロ?」剣士は目を凝らしてドラゴンを観察した。「あれはホクロなのかなあ……」

「わっはっは! ばかめ! ドラゴンを倒せば俺の勇者の株も上がるってもんだ! さっさと死んじまえってんだ!」そしてその稲妻は彼の狙った通りドラゴンの目元に突き刺さった。

 がおおっ!

 ドラゴンはのたうち回った。水面が激しく揺れて、剣士たちのいる岸にもその波が押し寄せてきた。

「危ないっ!」ゆかりは庄左衛門と剣士の腕を引っ張った。「この水をかぶったら火傷するわよ」

「あの人、何の罪もないドラゴンを虐めて……」剣士は険しい顔つきになった。

「はっ! あのドラゴン、もしかしたら陽子をさらっていきやがった張本人じゃねえのか?」庄左衛門は身構えた。

「違うと思うわよ」

「何でだ?」

「だってあのドラゴン、導きの神の話ではあたいたちを『手助けしてくれる者』なんでしょ?」

「証拠があんのか?」

「だって、湖から出てきたんだからあれに決まってるじゃない」

「すっげえ自信」

「やっぱりドラゴンに守られた町だったんですね」

「おい、だったら、あのドラゴン殺しちまったんじゃやばいんじゃねえか?」

「やめてくださーい!」剣士が叫んだ。だが、波の音とドラゴンの吠える声にかき消されて男の耳には届かなかった。

「死ね死ね死ねえーっ!」調子に乗ったその魔術師の勇者は稲妻攻撃を続けていたが、突然その動きを止めてしまった。「あれ?」

「ど、どうしたんだ?」

「か、固まってる!」剣士が叫んだ。

「う、うわあ!」男は動けなくなっていた。「か、身体が石に、石になっていく!」

 男の身体は、その足元から次第に灰色の石に変わっていった。そうして、ついに声も出なくなり、すっかり人間の形をした石に変わってしまったかと思う間もなく、ドラゴンの起こした湖の波に呑まれてじゅうじゅうと溶けていった。

 あっけにとられて見ていた三人に向かってドラゴンは口を開いた。

「待っておったぞ」

「げっ! ドラゴンがしゃべった」

「しっ!」ゆかりが庄左衛門を嗜めた。

「待ってたって、あたいたちを?」

「そうだ。特に、」ドラゴンは身を乗り出し、顔を近づけた。三人は思わず後ずさりをした。「そこの剣を持つ者を待っておった」

「剣士を?」

「ぼ、僕ですか?」

「さよう。見ての通り、私は魔界に住む者。尋常でない場所にしか生きられぬ運命を背負っておる」

「魔界だと?!」

「我は酸の水によりて生き長らえる。それゆえ普通の者には協力できぬが、貴殿は特別」

「ほう」庄左衛門は剣士を横目で見た。

 ドラゴンは続けた。「城への道を開くためには、廃虚で浄化の呪文書を手に入れねばならぬ」

「浄化の呪文書?」

「それを見つけたらこの湖にそれを沈めよ。その後に我の体内より水晶の玉を手に入れ、再び廃虚に戻りて門を開くがよい。城の姿を映し出す聖水を手にすることができるであろう」

「ち、ちょっと待て、何だと? いろいろあり過ぎてよくわからねえ。水晶玉がどうしたって?」

 庄左衛門の食い下がりの甲斐もなく、その緑色のドラゴンは再び水中に姿を消した。

「おい、わかったのか、あいつの言ったこと」

「えーっと、①浄化の呪文書を廃虚で手に入れる。②それをこの湖に沈める。③ドラゴンの体内の水晶玉を手に入れる。④廃虚で門を開く。⑤聖水を手に入れる。ここまででしたよね」

「剣ちゃん記憶力いいわね」

「それほどでも……」剣士は頭を掻いた。

「しかし妙だな、おめえが特別だと抜かしやがった。なんでだ?」

「さあ」

「ま、石にされずに済んだんだから、感謝しなきゃならねえな。おしっ! すぐに廃虚で浄化の呪文書探しにかかろうぜ」

 三人は廃虚に戻った。

「神殿の中にあるに違いねえ」

 彼らは壊れた神殿の内部をくまなく探しまわった。剣士と庄左衛門は埃まみれになりながら瓦礫を掘り返しながら探した。ゆかりは崩れていない建物の壁や天井を持ち前の身軽さで探した。その三人の呪文書探しを物影で見ている一人の女がいた。

「わたしが呪文書を手に入れてみせるわ」不敵な笑いを浮かべて女は行動を開始した。

「あった!」剣士が大声を出した。「これじゃないですか?」

 庄左衛門もゆかりも剣士のいる所に急いだ。剣士は身体中かすり傷だらけである。

「おめえ、よくそんなになるまで……」

「これです、これ」

 剣士が手に持っていたのは木切れだった。

「これが呪文書お? 巻物かなんかじゃねえのか?」

「でも、これ、」剣士が差し出したその木切れには何やら黒い文字が彫ってある。

「確かに何か書いてあるみてえだが、」庄左衛門はそれを受け取ると、じっとその文字を見つめた。「……」

「庄左衛門さん、」

「こ、これは!」

「な、なんて書いてあるんです?」

「さっぱり読めん」

 ずるっ!

「き、期待したじゃないですか」

「見たこともねえ文字だぜ。おい、ゆかり、読めるか?」

 庄左衛門はゆかりに木切れを渡した。

「無理だわね」

「湖に行って試してみっか?」庄左衛門が言った。「こいつを投げ込めばいいんだろ?」

「違ってたら?」

「構うもんか。また探せばいいんだよ」

 庄左衛門はあとの二人を従えて湖のほとりにやってきた。そうして、その木切れを中に放り込もうとした時、一人の女が息を切らして駆けてきた。「た、助けてください、追われてるんです」

「ん? 誰だ? あんたは」

 女は庄左衛門の質問には答えなかった。

「どうか、お願いです。あの崩れかけた建物の影に隠れています」女は木切れを手に持った庄左衛門の後ろにこそこそと隠れた。剣士とゆかりは身構えた。

「おい、あんた、もう一度聞くが、誰なんだ? それに何で追われているのか聞かしてくれねえかな」

「早くしないと、あなたたちも襲われるかも知れません」

「あたいが見てくるわ」ゆかりは目にも止まらぬ早さで走り出すと、その女が言った建物の屋根にひょいと飛び乗った。「この建物ね?」

「どうだ? ゆかり」

「誰もいないわよ」ゆかりのその声とほとんど同時だった。女は庄左衛門の手から例の木切れを奪い取って身を引いた。

「あっ!」

「何しやがる!」

「これは私のもんだよ」女はまた不敵な笑いを浮かべて庄左衛門を睨みつけた。

「ばーか。おめえ、それが何なのか知ってんのか?」

「ふっふっふ、この呪文書を湖に投げ込んだ者がドラゴンの水晶を手に入れることができるってことは、百も承知さ」

「かなり話がはしょられてますね」剣士が庄左衛門に囁いた。

「そこに何が書いてあるか知ってんのか?」

「ふふ、私には読めるのさ。『我を地に返し、湖に沈めよ。しかる後に湖の主の屍に抱かれし水晶の玉をその手に納めよ。さすれば不動の門開かれるであろう。』」

「はい、ご苦労さん」いつの間にかゆかりが女の真後ろに立っていた。そうして、女があわてている隙をついて、木切れを奪い返した。

「おのれっ!」女は怒ってゆかりに襲いかかった。だが、あっさりとかわされてしまった。そしてあっという間にゆかりは庄左衛門と剣士の所に戻ってしまった。

「おめえも勇者の一味だな? そのペンダントの石の色からして俺と同じ魔術師と見た」

「お、おまえは……」

「名乗るほどのもんじゃねえ」

「筑前屋庄左衛門です」剣士が紹介した。

「こらっ!」

「あたいらを騙してこの木切れを奪い、水晶玉を手に入れて何をするつもりだったのよ」ゆかりがすごんだ。

「水晶玉で占いの店でも開く気か? ここにいても客はなかなか来ねえぜ」

「くっ!」女は顔を赤くしてボルテージを上げ始めた。

「ちょっと、庄左衛門さんもゆかりさんも、けんか腰にならないで。何か訳があるに違いありません。ね? そうでしょ?」

「同情なんかしないでよっ! 私を甘くみると恐いよ!」女は唐突に右の手のひらを三人に向けた。すると、真っ赤な炎がそこから吹き出した。

「危ねえっ!」庄左衛門は飛び退いた。「何てことしやがるんだ!」

「うるさいっ! 私をばかにしたからよ!」

 ボンッ!

「うわわっ!」剣士もあわてている。

「殺してやるっ!」女はキレていた。

 ボッ! ウボボボーッ!

「あち、あちあちあちっ! な、何で俺だけ狙うんだよっ!」庄左衛門は、持っていた木切れを放り出した。

「正義の味方ヅラしてるあんたが気に入らないのよっ!」

「ばっ! ばっけやろう! そりゃおめえの逆恨みじゃねえか!」

「『最大級ファイヤーボール』っ!」女は湖を背にして両手を前に突き出した。

 ボンッ!

 巨大な炎の塊がものすごいスピードで三人に迫った。

「こんのやろう!」庄左衛門はその炎に向かって仁王立ちになった。

「庄左衛門さん、危ないっ!」剣士が叫んだ。

「甘い顔すりゃつけあがりやがって『水の壁』っ!」庄左衛門が魔法の呪文を唱えると、三人の前に巨大な水色の壁が現れた。女が撃った炎の弾は、その壁にまるで吸い込まれるように消えた。三人には衝撃も何もなかった。

 女はうなだれていた。

「わかった。私が消えればいいんでしょ?」

 そう言うが早いか、女は身を躍らせて湖に飛び込んだ。

「あっ!」

「こらっ! 早まるな!」

 しかし遅かった。女は声もたてずに湖の中に溶けていった。後には何も残らなかった。

「いったい……」庄左衛門が呟いた。「あの女、何を企んでいたんだ?」

「彼女にもわからなかったんだと思うわ」

「え?」

「彼女もこの世界に、どうして自分がいるのかわからないまま、ここまできたんじゃないかしら」

「そうかもな」

「ヤケになって、何をしていいかわからなくって……」

「……また一人、死なせてしまった」

「おい剣士、おめえ、いいかげんでその悪癖どうにかしろよ。何度も言うようだがな、あいつをおめえが殺したわけじゃねえんだからよ」

「どうして、僕らの周りでこう人が亡くなっていくんでしょう……」

「あーあ、もうつき合いきれねえぜ。ゆかり、なんとかしてくれ」庄左衛門は大きなため息をついた。

 少し沈黙の時間があった。いつの間にか空は曇っていて、今にも雨が降り出しそうな気配である。

「そう言えば、」ゆかりが口を開いた。「ねえ、庄左衛門」

「ん?」

「一度聞こうと思ってたんだけど、」

「何だよ、あらたまって」

「別にあらたまっちゃいないけど。あんたの唱える呪文って、何でみんな単純なの? 『水の壁』とか『閃光』とか」

「悪いかよ」

「だって、そんな呪文なら誰だって魔法使えるんじゃない? ねえ剣ちゃん」

「僕も魔術師が唱える呪文はてっきり『ヒール』とか『グローム』とかいう外国語だと思ってました。まあ、庄左衛門さんとずっと旅をしてたら日本語の呪文にも馴れましたけど……」

「あのなあ、魔法の呪文ってえのは、自分の精神力を高めるために言うもんだ。呪文自体が魔法を出すわけじゃねえ。唱える人間の魔法の力を引き出すためにあるんだよ。俺は日本人、だから日本語の呪文が俺には一番効果があるんだ。いちいち気取ってられっか」

「そういうもんなのね」

「納得してねえな? ゆかり」

「とってもわかりやすいじゃないですか。庄左衛門さんの呪文って」

「単純で悪かったな」

「まーたすねちゃって……」

「それはそうと、」庄左衛門が話題を変えた。「あの呪文書、燃えちまったぜ」

「ええっ!?」

「ほらよ」庄左衛門が指さした所には、かつて木切れだった黒い灰が残っている。

「ど、どうしましょう」剣士はおろおろした。

「しょうがねえ、この灰を湖に投げ込むしかねえな」

「灰を?」

「おうよ。内容からして、これがドラゴンの言ってた呪文書であることは間違いねえ」そう言って、庄左衛門は湖畔の砂と一緒にその灰をすくい上げると、湖にばらまいた。「なんとかなるだろうよ。花咲かじいさんにあやかってな」

 本当にその通りだった。その灰がまかれた湖面がにわかに騒ぎだし、湖底から泡が激しく上がり始めた。そしてそれはみるみるうちに湖全体に広がり、あまりの激しさに湖から身を遠ざけた三人の目の前で、真っ白いしぶきを噴き上げ始めた。

「こ、これは!」

 澄み切っていた湖は緑色に変わった。そしてしばらくすると、それまでのことがまるで嘘のように湖は静まり、鏡のような湖面に戻ったのだった。

「な、なんてこと……」剣士が呟いた。

「えーっと、」庄左衛門が腕組みをした。「それから、どうするんだったっけか?」

剣士が応えた。「ドラゴンの言葉は『我の体内より水晶の玉を手に入れ、』でしたよね。呪文書には『湖の主の屍に抱かれし水晶の玉をその手に納めよ』って書いてあったと思いますけど……」

「ほんっとに剣士って記憶力あるな」

「でも、どうやってドラゴンの身体の中の水晶玉を手に入れるんでしょうねえ」

「また出てきてくれるんじゃねえのか?」

「違うと思うわ」

「ほお、何でだ?」

「ドラゴンは『酸の水によりて生き長らえる』って言ってたでしょ?」

「それがどうした」

 ゆかりは無言で湖に近づくと、水際にしゃがんで自分の右手を湖水に浸してみせた。「ほらね」

「お、おい! 何ともないのか? ゆかり」

「もう、この湖はただの湖」

「ってことは、さっきの呪文書の灰で酸が中和されたってわけですか?」剣士が尋ねた。

「そのようだな。しっかし、木の灰はアルカリ性だとは言え、たったあれだけの灰で湖全体の強酸が中和されちまうとはな」

「ってことは、ドラゴンはもう生きられなくなってしまったってわけですか?」

「つまり、もう死んじまったってことだよな」

「屍に抱かれし水晶って言ってたじゃない。あたいが潜って採って来るわ」ゆかりが突然決心したようにそう言ったので、庄左衛門は自分の耳を疑った。

「お、おい、ゆかり、潜るだと? 正気か?」

「だって他に方法ないじゃない。水晶玉が自分で浮いて来るとでも思ってるの?」

「そ、そりゃそうだが。危ねえじゃねえか」

「あら、あたいを心配してくれるの? 優しいじゃない、庄左衛門」

「違わい! 俺はな、そんなことしなくても、水晶玉を手に入れる方法を考えようと、あっ!」

「ゆかりさんっ!」

 ゆかりは湖に向かってジャンプした。大きな弧を描いた後、彼女の身体はほとんど水しぶきをあげることなく湖に沈んだ。

「ば、ばかっ!」

「ゆかりさんっ!」剣士は彼女の後を追って湖にじゃぶじゃぶと入りかけた。しかし庄左衛門が制止した。

「やめろ、剣士」

「だ、だって、庄左衛門さん!」

「あいつはそんな無茶をするようなやつじゃねえよ。自分の身を守るぐれえの知恵は持ってるって」

「でも、」

「あいつの好意、ありがたく受け取ってやろうじゃねえか。信じて待ってやろうぜ」

 いつになく、庄左衛門の口調は暗かった。しかし妙に説得力があった。剣士はこれまで見たこともない庄左衛門の深刻な顔つきを目にして、その後続ける言葉を失ってしまった。

 しばらくして庄左衛門が言った。

「さて、やつが戻るまで風呂にでも入ってゆっくりしようぜ」

「えっ? 風呂? ですか?」

「そうさ。風呂は嫌いか? 剣士」

「そ、そんなことはないですけど」

「疲れをとるためにもな」


 ちゃぽん。

「ああ、いい湯だぜ」

「本当に、生き返りますね」

「ゆかりが帰ってきたら、勧めような、この風呂」

「いやらしい!」

「だっ、誰が一緒に入りたいなんて言ったよ!」

「顔に書いてありますよ」

「俺はそんなにスケベじゃねえ!」

「じゃあ、覗くんでしょ?」

「ば、ばか言え!」庄左衛門はあわてた。「先に上がるぞ」

「もう上がるんですか? カラスですね、庄左衛門さんって」

「何言ってんだ。今ゆかりが戻ってきたらフォローできねえじゃねえか」

「確かに彼女の気持ちを逆なでしますね。僕たちがこんなにのんびりしてるとこ見せたんじゃ」

「そーゆーこと」庄左衛門は服を身につけながら答えた。

「さて、僕も上がろうっと」

「ん?」

「どうかしましたか?」

「おめえ、その腕のアザは何だ?」

「ああ、これですか。いえね、僕もこれについては記憶にないんです」

「どっかでぶつけたのか?」

「痛くも痒くもないんです。この世界に来た時からあるんですけどね。でも、変な形でしょ? まるで角のある龍の頭みたいな」

「確かにそんな形に見えるな」

 剣士が服を着終わる頃には、庄左衛門は神殿を出て夕暮れの近づいた湖に歩き始めていた。剣士も後を追った。

「雨でも降りそうですね」

「そうだな。暗くなるのが早いぜ」

「風も出てきたみたいですね」

 湖を渡る冷たい風が二人の頬をなでた。

「……遅いですね。ゆかりさん」

「……」

 二人は無言のままそうやって長いこと湖を眺めていた。厚い雲が空を覆い尽くしているのに、なかなか雨は降らなかった。その代わり、あたりは湖の向こう岸はもちろん、庄左衛門の手のランプに光に照らされた、ほんの目の前の水面しか見えないぐらいに暗くなっていた。

「剣士、そのあたりの建物の陰で眠ってな」

「本当に、どうしたんでしょう……」

「俺が見ていてやるから、おめえは休んでろ」

「でも、」

「早く行け!」

 庄左衛門の大声に剣士はびっくりして、彼の言う通りにすることにした。剣士は湖の近くの廃虚の手近な建物にもぐり込んで、その崩れかけて苔むした壁に背中をつけて深呼吸をした。そして庄左衛門が見える位置に身体をずらした。庄左衛門は微動だにせず、湖面を見つめているようだった。そしてそのまま剣士は吸い込まれるように深い眠りに落ちていった。


 庄左衛門は暗い気持ちになっていた。ゆかりまでも死なせてしまったに違いない。自分のせいで人の人生を終わらせたのだ、と自己暗示のように頭の中で繰り返し始めた。その一種投げやりな気持ちといろいろな疑惑がむくむくと彼の心の中に膨れ上がって、それが攻撃的なものに姿を変えて剣士に向かうのを押さえることができなくなりつつあった。

「ドラゴンは剣士に手を貸した、ドラゴンは魔界の者だと言っていた。そう言えば剣士の名字は『馬飼野=まかいの』ではないか。それにあの腕のアザの形、ドラゴンの頭の形のアザ……。やつは魔界の剣士なのかも知れん。そうだ、その証拠に、やつの周りで何人もの人間が死んでいった。このままじゃ……」

「庄左衛門さん」

 背後から声がした。庄左衛門は背筋が凍るような思いで振り返った。

「け、剣士、」

「徹夜したんですか?」

 言われてみればそうだった。あたりは少し明るくなってきた。湖はいつの間にか濃い霧に包まれている。

「あ、ああ」

「どうかしたんですか?」

 庄左衛門は立ち上がり、剣士の顔を見ることもできないまま一歩後ずさりした。

「な、なあ、剣士、俺は一人で山を登ろうと思う」

「ひ、一人で?」

「長い間、世話になったな。俺たちここで別れよう」

「な、何を言い出すんですか。僕も一緒に、」

「いや、この山に登るのは俺だけの使命だ。陽子を助け出すのは俺だけにやらせてくれ」

「いやです、庄左衛門さん、どうして……。はっ! もしかして、ゆかりさんを死なせたことを気に病んで、」

「やっぱり、お、おまえが殺したんだな?!」

「え?」剣士は一瞬、庄左衛門の言った言葉の意味がわからなかった。

「俺と二人で山を登って行く途中で、今度は俺を殺る気だな?!」

「ち、ちょっと、庄左衛門さん、な、何を言い出すんです?」

「おまえは魔界の、ドラゴンと同じ魔界の剣士なんだろう?!」

「どうしちゃったんです? 庄左衛門さん、そうだ、徹夜して疲れてるんでしょ。そうでしょ?」剣士の目に涙が宿った。

「その手だ! その涙に騙されるもんか!」

「ど、どうかしてますよ、庄左衛門さん」剣士は哀願するような目で庄左衛門を見た。

「ち、近づくんじゃねえ! もし今後俺に近づいたら、魔法でぶっとばすからな!」

「庄左衛門さん……」

「俺の名を呼ぶな! 忌々しい!」庄左衛門は剣士から離れ、逃げるように廃虚の中を駆け出した。剣士は後を追えなかった。

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